Hearty Beat

いちる

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今年の桜は咲くのが早くて、新学期になり登校したら校内の桜はあらかた散っていた。
 そんな桜の樹の下に備え付けられたベンチに座りすっかり緑の葉に包まれた幹を見上げて、碧川圭は小さくため息をついた。

 ……桜にまで置いて行かれたかなあ……

 碧川圭、都内の私立大学の四年生。
 ため息のわけはのんびりした春休みが終わり登校すると周りの学生のほとんどが就職内定をしていたことだ。
 就職活動は三月から始まる。
 まだ一月程しか経っていないのに、だ。
 もちろんそれをやっていない自分が悪いのだが、こうまで周囲の進路が決まっていくと、やはり多少の焦りを感じる。
 圭が就職活動を行っていないのには訳があった。
 中学の終わりから始めたギターにはまり、大学生になり自作の歌を動画サイトに投稿を始めた。
 それがある音楽事務所の目にとまり、現在はその事務所に所属して細々と音楽活動を行っている。
 小さなライブハウスを満員にするくらいにはファンもいるが、大学の同級生も少なくはなく、要は身内でなんとか埋めている感が否めない状況だった。
 音楽で食べていきたい。
 そう思い大学卒業後は音楽の道を進むつもりで就職活動は行っていなかった。
 しかし。
 サブスクで配信されても他の多くの音楽に埋もれてしまう。デイリーのヒットチャートにも昇ったことは無い。
 動画チャンネルもあるが登録者数は千にも満たない。
 いや、むしろ千に近い人数がいることに感謝をすべきか。
 両親には音楽事務所の社員やレーベル会社の社員など、音楽に携わる職にひとまず就いてから趣味で音楽をやればよいと毎日諭されてはいるが、スーツをきて都内を歩き回っている自分の姿は想像もつかない。
 確かに、今はいい。
「大学生」という肩書きがあるから。
 来年はどうすれば……
 好きなことを仕事にするのって、本当に難しいよなあ。
 圭はぽつんぽつんと残る桜の花に自分を重ね、やっぱりため息をついた。

「ミドリ、どうしたの?」
 ふいに後ろから声をかけられ、振り向けば同じゼミの黒木みちるが立っていた。
 彼女は就職活動のスタートダッシュを華麗に決め早々に広告代理店からの内定をもらっている。
 圭からすれば立派な勝ち組だ。
 しかし、第一志望の企業から内定を貰うために彼女が日頃から努力をしていたのも知っているので素直に賛辞を言うことも出来た。
「……いや、将来に悲観的になってた」
「何言ってんだか」
 座っていい?と、みちるは返事を待たずに圭の隣に腰を降ろす。
 みちるは圭の熱心なファンの一人であった。
 ライブもほとんど見に来てくれるし動画のチャンネル登録もしている。
 自主制作のCDも複数枚購入してくれている。
「音楽で食べるって決めたんなら貫かないと」
 そう言って励ますように圭の背中を叩く。
「そうだけどさ……」
 周りがきちんと進路を決めている中、桜ですら花開いているのに、昨日のライブも多分週末のライブも、動員数は変わることなく、鳴かず飛ばずのこれからしか未来が見えないのだ。
 自分の音楽で誰かを応援できたり、力に変えることは出来ないのか。 
  
 自分にとって音楽とは?なんて哲学的な事を考えそうになった時、圭のスマホが震えた。
「あ、ごめん」
 みちるに詫びを入れ電話に出る。
 相手は事務所の社長兼マネージャーの矢井田ハナコだった。
「はい。碧川です」
『ミドリ君お疲れ。今日事務所に来て欲しいんだけど、大丈夫?』
「えーと」
 頭の中で今日の授業予定がフル回転する。
「……大丈夫です」
『じゃ、五時に来て。よろしく』
 まったく無駄のないメッセージが伝えられた後電話は一方的に切れた。
「あいかわらずだなあ」
 小さな事務所なのでスタッフは三人。
 社長のハナコとマネージャー専任の戸田、事務兼任の上野。なので社長と言ってもマネージャも兼任している。圭のスケジュールはハナコが管理していた。
「仕事?」
 ため息を漏らしそうになるのを我慢しながらスマホを無造作にポケットにしまう圭を見てみちるがきいた。
「……さあ。だといいんだけど。」
 小さなライブハウスでのライブスケジュールは週末しか埋まっていない。それもワンマンではなく大抵他の数組のアーティスト達と一緒だ。雑誌のインタビューやもちろんテレビのインタビューなんて受けたこともない。
 曲を作って動画に載せてライブして……それが圭の音楽活動の全てだった。
「じゃ、私次に授業あるから」
「おう。お疲れ」
「私、ミドリの音楽、好きよ。いつも元気貰ってる」
 立ち上がり、圭の瞳をまっすぐに射貫くとみちるはにっこりと笑ってそう言った。
  気付かれたかな……心の迷い。
「……あ、ありがと」
 視線をそらして返事をした。みちるの笑顔が今は眩しいだけだった。
「うん」
 じゃあね、と、みちるが校舎に向かって歩き出した。
 ……一人でも俺の音楽で元気にしている人がいる……か。
「あー、俺も授業だ」
 ひとまず卒業して、そっからだな。
 そんなことをぼんやりと考えながら圭も立ち上がり歩きだした。
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