叶わぬまでも夢にいて

いちる

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 そのざわめきが少しずつこの控えの間に近づいてくる。
「な、何?」
 俺は戸惑い扉を凝視する。
 扉の前には護衛もいるからもしも現妃(おかあさま)が乗り込んできたとしても取り押さえてくれるだろう。
 イチバンもすぐに俺を守る防御魔法が使えるように身構えてくれたが、近づくその知った気配にあれ、っとばかりに体勢を戻す。


「王子様!おやめください!ここは花嫁の控えの間です!殿方は……」
 ドアの前にいる侍女が制止しているが、ざわめきを纏った気配はそのまま扉に手を掛けたようだ。
 王子と呼ばれている。
 待ちきれなくて俺を迎えに来たのだろうか。
 そう部屋の中の誰もが思った瞬間、扉が乱暴に開かれた。
「白雪!」
 入ってきた男はよく見知っている、けれども、多分ここにいるのには一等相応しくないと思う男だった。
 というか、なんで?
 俺はその姿に頭に疑問符を一杯にして見入った。
「……か、狩人?」
 そこには王族の婚姻の正装をした狩人がいた。
 ひげはきちんと剃られており、緩く癖のある無造作に束ねられていた髪の毛も短く切りそろえられている。
 大好きな琥珀色の瞳はかわらない。
「待たせた。……俺は間に合ったか?」
「な、なんで?」
 不安そうな顔色で俺の瞳を覗き込む。
「……ひげを剃っていたら遅くなった」
「は?!」
 狩人は俺の正装なんて気にもせず、その大きな胸に俺を抱きしめ、ついでに後ろに回した手で尻を触る。
 それ、今いる?
 ひゃあ、と顔を赤くすると、狩人はにやりと笑った。
「お前が髭もじゃは嫌だというから」
「いつ言った?」
「十年前?」
 ん?と首をひねり、しゃあしゃあと返事をする。
「はあ?いや、そうじゃなくて!」
 そうじゃなくて。
 俺の瞳からはぶわっと涙が溢れた。
 どうして、俺を抱きしめているのさ、狩人。
 こんな『王子様』みたいな格好をして。

「俺はこの国の第一王子……だった男だ」
 ぽつりと、狩人は言った。
「十年前、国の内乱に巻き込まれ、弟である第二王子を殺害しようとした男だ」
「……あの、殿下の傷の?」
 こくり、と狩人は頷いた。
「罪を悔いて、自害したって……」
 この前王子も言ってたし、妃教育でもそう言っていたような気がするけど。
「そういう噂を国王が流したんだよ。事実この人、逃げていたからね」
 狩人の後ろ、扉付近から声が聞こえた。
 王子がニヤニヤと笑って立っていた。
 正装はしているようだけれど、結婚式の衣装という風ではない。
 そして、思い当たった。
 印象は随分と違うけれど、王子を見て誰かを思い出すと思っていたのは、狩人だった。
 ちょっとした、笑った後、素に戻る瞬間とか、ふっとため息を漏らす瞬間とか、そういうときにイメージが重なるのだ。
「ちなみに、この人、まだ第一王子だから。一応」
 俺たちに近づきながら王子は言った。
「白雪、今日キミと結婚するのは、この人だけど、大丈夫?」
「へ?」
 ひらりと、王子の手から宛名のない招待状が渡される。予備みたいだけれど、中をきちんと読むと、確かに「第一王子と白雪の婚儀」と書いてある。
 けど、俺は王子が第一王子だとずっと思っていたんだけど。
「いや、もう、マジで間に合わないかと思ったよ。本当に僕が結婚するところだった。それも悪くはないけれども」
 んー、と、王子は腕を組み困ったように眉間に皺を寄せる。
「な、何をおっしゃって……」
 頭が混乱してついていかない。
 
「白雪」
 イチバンが口を開く。
「狩人はこの国……おとぎの国の隣の隣の国の第一王子なんです。十年前、この国の宰相が起こしたの内乱に巻き込まれて臣下の策略にはまり国を追われたんです。……あの森は『王族しか入れない森』そもそも普通の『狩人』が私達の許可なく立ち入ることはできません」
 あ、言われてみれば。
 現妃(おかあさま)だって自分で乗り込んできたし、でも、イノシシの心臓を俺のだと言って渡した時は……森の中で始末しろなんて言われていないのか。
 ああ、と狩人は頷いた。
「第二王子……弟を殺したと思った俺は、そのままあの森に逃げて……白雪、お前と会った」
 思い出せば狩人、あの時は平民の格好はしていたが、確かに狩人という風体ではなかった。 
 最初から狩人の正体は明かされていたのか。
 知らなかったのは俺だけ?
 子どもだったから?それとも、知らなくていいと思われていたの?
「王子死亡の噂を聞いてそのまま姿をくらましていたんだよ。この人。自分が死なせたと思って。……実はここでの『死亡した王子』はこのバカ兄の事で、罪を悔いて自害したことになってしまってさ。まあ、そうでもして逃がさないと宰相達がどういう手を使って第一王子反逆論を作るかわからなかったからって国王がそのままほおっておいたんだけど、最近になってこの人僕が生きていることに気づいたらしい」
 はあ、と王子は呆れた様にため息をついた。
 けれどもそれは決して嫌なため息ではなく、喜びというか、多分兄が生きていて良かったという安堵のものだった。
「で、でも、俺と身分が違うとかなんだかんだ言ってたじゃない?」
 この国の王子なら、俺との身分差なんて全くない。むしろ俺の方が下なくらいだ。
「……十年前俺は弟を手に掛けたと思っていたんだ。人を殺めた男が白雪に相応しいなんて思わなかったんだ」
 すまない、と、申し訳なさそうに狩人は目を伏せる。
 そういえばそんなことも言っていた気がする。
 あの森で、小さな俺は狩人と、一緒に謝ってやると約束した。
「白雪、すぐに迎えにこれなくてすまなかった。……弟に連れて行かれたお前を見て、本当に今度こそ諦めようと思ったんだ。お前に相応しいのは弟王子だろう、って。でも、十年前お前がいたから俺は生きようと思った、その気持ちをきちんと伝えて無い事に気づいて。ずっとお前からの恋心がまっすぐで俺には眩しすぎて戸惑っていたから」
 本当にこの人意気地がないなあ。
 俺はくすりと笑う。
「でも、やはりお前と森で過ごした楽しかった日々が忘れられなくて、この国に戻り、弟に謝り、今後の事を話し合い、王位継承権の返上に伴う貴族との養子縁組、その地盤固めに領地へ赴き領民と顔合わせをして……三ヶ月、ギリギリだった」
 すまん。
 本当に待たせた、と狩人はもう一度頭を下げた。
「……じゃあ、今日の、婚儀は……」
 俺は今一番重要な部分を確認する。
「元々、招待状はキミと第一王子との婚儀になっているんだ。ここでこのバカ兄がキミに振られてしまうと、僕がキミと結婚することなるけど、少々困ってしまう」
 そういえばさっきも王子はそう言っていた。
 何が困るんだ?
 はあ、と王子は今度は大げさにため息を付き、くっと肩を上げた。
「どうしてですか?」
 遠慮がちに聞くとなぜだか王子は嬉しそうに、ぱあっと笑顔を作り、
「……僕には他に心に決めた人が出来てしまって」
 といいながら王子はイチバンの手を取り引き寄せた。
「え?え?」
「先日、キミを連れ出したあの時に、僕はこのエルフに一目惚れをしてね、キミが無事に兄と結婚すれば僕とのことを考えてもいいと、本人に言われていてる」
 ちらっと俺に同情を誘うような眼差しを向ける。
 それって、もしかして、自分とイチバンの未来は俺にかかってるって言いたいわけ?
「イチバン、と?」
「ああ、エルフは雌雄同体だから世継ぎの件も問題ない」
 ぎゅっと、イチバンの腰を抱きしめる力を強める。
「……私は私の方が随分年上だからと何度も断ったんですけどね」
 迷惑そうに眉を上げるけれどイチバンは王子を受け入れているような柔らかな表情をしている。
 王子、忙しそうだったけど、ちゃっかりイチバンを口説く時間はあったわけか。
 俺にも気を遣ってくれていたし、本当に大変だったろうなあ。
「百歳違いくらい、何の問題も無いさ。エルフの寿命を考えればちょうど良い位だ」
「そうか、おめでとう、イチバン」
 俺もイチバンを祝福する。
「いや、そうじゃなくて、白雪」
 イチバンは苦笑いをして俺と狩人を見た。
「聞きました?王子の言葉。私は貴方たちが上手くいかなければ王子とはなんともならないのです」
 ああ、確かに。
 今日はこの国の王子と俺の結婚式に世界中の国の王族や皇族が集まってくれている。
 これで、婚儀はしませんという訳にはいかないだろう。
 となると、王子は俺と結婚せざるを得ない?
 いや、俺の代わりにイチバンと婚儀を行えば良くない?
「変なこと考えないで下さいね、白雪。私たちは貴方の幸せを一番に願っているのですよ。自分の代わりに王子と私が結婚すればいいんじゃない?なんて考えてないでしょうね」
 気持ちを読む魔法でも使ったかのように、イチバンは俺の心を見透かしてくる。
 まあ、俺の顔に出ていただけだと思うけど。
「狩人、突っ立ってないで、練習の成果を発揮して下さい」
 イチバンは、きっ、と、狩人を睨む。
「ああ」
 狩人は俺を抱いていた腕を離すと俺の前に跪き、忠誠を誓う姿勢を取る。
「白雪、私に貴方への忠誠を誓わせてください。一生共に生き貴方を幸せにすると」
 室内が甘い緊張ムードに包まれる。
 皆俺の肯定を待っているのだろう。
 メイドも、王子も、エルフ達も、そしてなにより狩人が。
 俺は一呼吸置いて応えた。
「……嫌だと、言ったら?」
 俺の答えに、その場が凍り付く。
 俺はにっこり笑ってそう答えた。
 いや、だってそうだよね。
 俺、一番大事なこと言われてないでしょ?
「ねえ、狩人」
 俺は腰をかがめ狩人と目線を合わせる。
「もっと、狩人の言葉で言ってよ」
「え?」
 狩人の手を取り、もう一度立たせると俺は背伸びをし、ふんわりと狩人に抱きつきながら言う。
「白雪……」
 迷うような声に俺は明るく返事をする。
 ねえ、狩人、俺が一番欲しい言葉言える?
「なあに?」
 狩人は決心したように小さく頷くと、言った。
「……俺が落ち込んでいる時はまた歌を歌ってくれるか?」
「うん」
「間違った方に進みそうな時は正しい方向に手を引いてくれるか?」
「もちろん。一緒に謝る約束をしたでしょう?」
 そうか、と狩人は俺を強く抱き返した。
 ほう、っと息を吸う音が耳元で聞こえたら、甘く優しい大好きな声が言った。
「白雪、愛している」
 心から欲しかった言葉がやっと狩人の口から伝えられる。
「俺も」
 俺の黒曜石の瞳から大粒の涙が落ちる。
 赤い絨毯に落ちる涙はまるで初雪のよう。

「今日は嬉し泣きはしていいって、イチバンが言ったから」
「白雪……」
 狩人はぎゅっと俺を抱きしめ、もう二度とこの手を離さないと誓ってくれた。

 このあとはどうなったかって?
 それはお約束通り。

 『おとぎ話の王子様達はいつまでも幸せにくらしましたとさ』

 だね。
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