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聖ハリストス教会
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幾つものトンネルを越えた列車がたどり着いたのは、ビルが建ち並んだ路面電車の走る都会だった。
ここでの生活が始まるのかと胸を膨らしていると、父は地下に続く階段を降りて薄暗いトンネルへと連れていった。トンネルの先には、二両連結の列車が待っていた。
父は僕をそれに乗せると、
「終着駅で恒おばさんが待ってるから。今年の夏は恒おばさん家で過ごすんだぞ。夏休み終わる頃に迎えにいく。」と言って去っていった。
小学生の僕は心寂しさと不安とで泣きそうになりながらも泣かなかった。お母さんが都会の病院で頑張ってるんだからお前も元気で頑張らなくちゃ、男だろう、と何度も言われていたからだ。
列車は都会を離れ、海沿いをどこまでも走った。トンネルだらけの山の列車の後は、果てしない水平線の続く海の上を延々と走り続ける列車だ。水平線と重なってカモメ一羽が僕の窓を追いかけてくる。まるで絵のように、止まっているかのように思えた。
心配をよそに、終着駅では恒おばさんがニコニコして待っていてくれた。
「よく来たね。一人でね。偉いね。」と褒めてくれた。一人で来たくて来たわけではない。無理やり乗せられたのだ。
おばさんの家は大きな橋の架かった大きな堤防のある大きな河の前にあった。
年の離れた三人の従兄弟も出迎えてくれた。
おばさんの家では僕は王子様のようだった。何をするにも僕が中心だ。僕が嫌と言えば嫌なことになり、欲しい、食べたいと言えばその通りになった。僕が小さな暴君としての底無しのわがままを許され、あれほどまでに大切に扱われたのは、あの時が最初で最後だった。忘れがたい一生の大切な宝石箱の思い出だ。
おばさんの家の前で大きな花火が上がった。目の前であんな大きな花火が上がるのを見たのも、やはり、あれが最初で最後だ。おばさんの家の真ん前で大きな音とともに花火が打ち上げられるのだから。
花火師はおばさんの家の隣に住んでいた。沢山の若い兄さん達がその家には住んでいた。家族ではなさそうなのは、兄さんの数と酒飲みの様子で僕にも分かった。ほとんどの兄さんは手にも背中にも立派な刺青をしていた。
おばさんの縁側と隣の花火師の家の縁側は行き来できるほど近かった。
「坊主、見ない顔だな。どこの子だ。」とはなしかけられる。
「坊主、酒買ってきてくれや、あそこの店から。アイスクリーム買ってきていいぞ。」と言う。
迷っていると、従兄弟の雅子と美知子は、いつものことのように、あいあい、と返事をして、僕を連れて買いに行った。
「どのアイスクリームがいい、どんなに高いのでもいいんだよ。」と雅子はいった。
花火師の家を正面から見ると神社かと思うような門構えだ。一番若い兄さんは従兄弟の美知子と年は同じくらいなのだろう。特に美知子とは良く話していた。
大きな河の途中には学校のグランド程の中洲があり、大きな橋は両岸と中洲を二つに別れて繋いでいた。その中洲の端には小さな木造の教会があった。聖ハリストス教会。
僕は、朝起きて宿題を済ませると、橋を渡って遠くまで散歩することを日課にした。本当は自転車でもっと遠くに行きたかったが、おばさん家には自転車がなかった。それに、雅子も美知子も勤めている。一番年の近い喜治は大学だから、昼間は僕一人となる。
ある時、中洲の聖ハリストス教会の前を通りかかると、隣の花火師で美知子と仲の良い兄さんが教会で祈りをしているように見えた。心なしか肩を震わせ泣いているようにも見えた。腕に刺青をしてマリア様に手を合わせる人もいるんだと思った。僕は知られないように、川縁まで行って戻ることにした。
戻る道で花火師とあった。
「坊主、いつまでもいるんだ。両親はいるのか。そうか。お父さんもお母さんも大事にしろよ。俺には、どちらもいないから、大事にすることもできない。悲しいもんだよ。」と花火師言った。
「美知子と仲いいもんね、彼女なの。」
「彼女は作れない、渡世もんだ。」
「兄さんは優しい人だと美知子は言っていたよ。ちょっと違うと言ってた。」と僕は伝えると、悲しい笑いを浮かべた。
中洲に架かる橋を、僕とは反対の方向に歩きだし別れた。
その日の夜のことだ、テレビで殺人事件が報道されたのは。容疑者は直ぐにテレビに流れた。昼間あった隣の家の花火師の兄さんだった。小さな街も町内もおばさん家も、大騒ぎだ。電話が鳴りっぱなしで、話しは延々と続いた。
警察もたくさん、家の前に集まっていた。
僕は、誰にも分からないようにしてこっそりと家を出た。
兄さんを最初に見つけたのは、僕だった。彼とはもう、話せなかった。
彼は、聖ハリストス教会のマリアに向き合うように、手を下げたイエスのように、そこにあった。
忘れられない、最初で最後の、僕の最高の夏の花火のような思い出の宝石箱には、マリアに祈るイエスがいる。
ここでの生活が始まるのかと胸を膨らしていると、父は地下に続く階段を降りて薄暗いトンネルへと連れていった。トンネルの先には、二両連結の列車が待っていた。
父は僕をそれに乗せると、
「終着駅で恒おばさんが待ってるから。今年の夏は恒おばさん家で過ごすんだぞ。夏休み終わる頃に迎えにいく。」と言って去っていった。
小学生の僕は心寂しさと不安とで泣きそうになりながらも泣かなかった。お母さんが都会の病院で頑張ってるんだからお前も元気で頑張らなくちゃ、男だろう、と何度も言われていたからだ。
列車は都会を離れ、海沿いをどこまでも走った。トンネルだらけの山の列車の後は、果てしない水平線の続く海の上を延々と走り続ける列車だ。水平線と重なってカモメ一羽が僕の窓を追いかけてくる。まるで絵のように、止まっているかのように思えた。
心配をよそに、終着駅では恒おばさんがニコニコして待っていてくれた。
「よく来たね。一人でね。偉いね。」と褒めてくれた。一人で来たくて来たわけではない。無理やり乗せられたのだ。
おばさんの家は大きな橋の架かった大きな堤防のある大きな河の前にあった。
年の離れた三人の従兄弟も出迎えてくれた。
おばさんの家では僕は王子様のようだった。何をするにも僕が中心だ。僕が嫌と言えば嫌なことになり、欲しい、食べたいと言えばその通りになった。僕が小さな暴君としての底無しのわがままを許され、あれほどまでに大切に扱われたのは、あの時が最初で最後だった。忘れがたい一生の大切な宝石箱の思い出だ。
おばさんの家の前で大きな花火が上がった。目の前であんな大きな花火が上がるのを見たのも、やはり、あれが最初で最後だ。おばさんの家の真ん前で大きな音とともに花火が打ち上げられるのだから。
花火師はおばさんの家の隣に住んでいた。沢山の若い兄さん達がその家には住んでいた。家族ではなさそうなのは、兄さんの数と酒飲みの様子で僕にも分かった。ほとんどの兄さんは手にも背中にも立派な刺青をしていた。
おばさんの縁側と隣の花火師の家の縁側は行き来できるほど近かった。
「坊主、見ない顔だな。どこの子だ。」とはなしかけられる。
「坊主、酒買ってきてくれや、あそこの店から。アイスクリーム買ってきていいぞ。」と言う。
迷っていると、従兄弟の雅子と美知子は、いつものことのように、あいあい、と返事をして、僕を連れて買いに行った。
「どのアイスクリームがいい、どんなに高いのでもいいんだよ。」と雅子はいった。
花火師の家を正面から見ると神社かと思うような門構えだ。一番若い兄さんは従兄弟の美知子と年は同じくらいなのだろう。特に美知子とは良く話していた。
大きな河の途中には学校のグランド程の中洲があり、大きな橋は両岸と中洲を二つに別れて繋いでいた。その中洲の端には小さな木造の教会があった。聖ハリストス教会。
僕は、朝起きて宿題を済ませると、橋を渡って遠くまで散歩することを日課にした。本当は自転車でもっと遠くに行きたかったが、おばさん家には自転車がなかった。それに、雅子も美知子も勤めている。一番年の近い喜治は大学だから、昼間は僕一人となる。
ある時、中洲の聖ハリストス教会の前を通りかかると、隣の花火師で美知子と仲の良い兄さんが教会で祈りをしているように見えた。心なしか肩を震わせ泣いているようにも見えた。腕に刺青をしてマリア様に手を合わせる人もいるんだと思った。僕は知られないように、川縁まで行って戻ることにした。
戻る道で花火師とあった。
「坊主、いつまでもいるんだ。両親はいるのか。そうか。お父さんもお母さんも大事にしろよ。俺には、どちらもいないから、大事にすることもできない。悲しいもんだよ。」と花火師言った。
「美知子と仲いいもんね、彼女なの。」
「彼女は作れない、渡世もんだ。」
「兄さんは優しい人だと美知子は言っていたよ。ちょっと違うと言ってた。」と僕は伝えると、悲しい笑いを浮かべた。
中洲に架かる橋を、僕とは反対の方向に歩きだし別れた。
その日の夜のことだ、テレビで殺人事件が報道されたのは。容疑者は直ぐにテレビに流れた。昼間あった隣の家の花火師の兄さんだった。小さな街も町内もおばさん家も、大騒ぎだ。電話が鳴りっぱなしで、話しは延々と続いた。
警察もたくさん、家の前に集まっていた。
僕は、誰にも分からないようにしてこっそりと家を出た。
兄さんを最初に見つけたのは、僕だった。彼とはもう、話せなかった。
彼は、聖ハリストス教会のマリアに向き合うように、手を下げたイエスのように、そこにあった。
忘れられない、最初で最後の、僕の最高の夏の花火のような思い出の宝石箱には、マリアに祈るイエスがいる。
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