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2021年秋〜2022年冬 寝返りと北京冬季オリンピック

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 2021年9月、ジィージの家の天井を見て過ごす日々。壁にはママが達筆な筆で書いてくれた僕の名前が掲げられている。パパは小さく誕生日の日付を書いた。

 しばらくの間は、お腹すいたと泣き、オシッコしたと泣き、抱っこしてほしいと泣き、退屈だと泣き、暑いと泣いた。泣けば誰かが必ず寄って来て何かをしてくれる。

 10 月始めの秋風が少し寒い日、僕はパパに連れられてママと一緒に川沿いにある僕の赤い家に連れ戻された。

 泣いては満足を与えられ、幾度となく同じ行動の繰り返してを毎日毎日繰り返しても、ママはいつも優しく僕に話しかけてくれる。ママは決して絶対に怒らない。パパは何故か決まって朝と夕方に僕の前に現れる。パパも優しい、パパも絶対に怒らない。

 やがて冬となり雪が降り雪が積もる。久方振りの大雪の冬らしい。

 忘年会も新年会も、1年前に引き続いてないらしい。この分では送別会も中止だろう。大人の社会では、なんであんなに宴会を好むのだろう。酒を飲んで、美味しそうな料理は残してしまうのに、ビール瓶を片手にグルグルとつぎ歩いては同じ話をくり返す。酒を飲まないと仲良く出来ないのだろうか。

 酒を飲むと仲が良くなるのだろうか。先輩には服従、後輩には命令。悪しき風習の温床はここに見え隠れする。

 今でも伝統文化と称して、芸妓芸者を上げよう、残そう、と躍起になっている一群がいるが、残念ながら、今回もそれは中止だろう。Kフィバー、Dフィバーは物理的なソーシャルディスタンスやテレワークという新しき社会現象を生み出したが、もっと様々な新しい価値観をも生み出す事になるのかもしれない。

 2022年2月、北京で冬季オリンピックが開催された。夏の東京大会と同じく、ほとんどの会場には観客は入れない。それでも開催までには馬鹿でかい街全体をロックダウンしたりと、大分派手な対策を講じながらの開催だ。

 女子スピードスケート、スキージャンプ、スノーボード、フィギアスケート、カーリングと話題に事欠くことはなかった。

 ただ、不思議に最も印象的なシーンは、北京の工業遺産を活用したジャンプ台のたたずまいだ。巨大な煙突数本を背景にそれに劣らす凛としてそそり立つジャンプ台は言いようのない魅力と美しさが際立った。

 僕はママがテレビを付けて見ている連日のテレビが気になり、自力で腹ばいになろうとしていた。けれど、体の半分までは足の力と腹筋とでなんとか体を回せても、必ず腕の付け根、肩がぶつかって元の仰向け姿に戻ってしまう。

 ママがジィージの家に僕を連れて行って、見守る人が多くなっても、所詮、同じことだ。

 ようやく、寝返りを自力でうてるようになった頃、僕の見たかった北京のオリンピックは閉会式を迎えていた。

 雪道を踏みしめて、〈ドライブマイカー〉を観てきたとジィージが家に戻るなりいい映画だったと話している。日本の映画界では話題にならず、長江喩えの武漢であるこの街の映画館では上映される予定もなかったらしいが、海外の映画祭で評判が良かったために見れたのだ。今後、アメリカの映画祭でも高く評価されるだろう。

 

 

 
 


 

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