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番外編2

あの約束の行方

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(ルークベルト視点)




 「髪を切る」という、あの時口から無意識に飛び出た言葉はちゃんとした約束になって今日この日に実行されることになった。

 フィリアが俺を忘れたときから俺の髪型はずっと変わっていない。長くなるわけでも短くなるわけでもなく同じ長さを保ち、一つに結ぶという形を維持してきた。俺も人間だから成長して体や顔つきが変わっていくことは止められない。それでも、髪型が同じなら少しでも彼女の記憶のどこかに引っかかりやしないかと未練がましくもがいていたから、ずるずるとこの髪型を引きずってしまった。彼女にそれを断ち切ることを求めたのは無意識だったが、それでもそれが俺の本心だということに変わりはなかった。今日は生徒会室から続いているちょっとした休憩室で髪を切ってもらうことになっている。学院が休みなのでここに他の生徒が来ることはないだろう。婚約者同士とはいってもどちらかの部屋で切ることは流石に憚られるためにこの場所になった。




 休憩室に着いてふと時計を見ると待ち合わせた時間まであと1時間近くあった。明らかに緊張し過ぎている。俺はどうすることもなくただ部屋の中を歩き回った。今日に限って仕事も早く済ませてしまっている。どうしたものかと頭を悩ませた末、ひとまず生徒会室に戻り仕事を探すことにした。先のものを早めにやっておくのも悪くないだろう。




 それから2ヶ月後の仕事まで済ませた頃に30分が経った。そろそろ休憩室に戻ってフィリアを待つことにしよう。そう思って生徒会室から続くドアを開けた頃にちょうど廊下から休憩室に繋がるドアが開いた。

「あ、ルーク様。……ふふふ、ちょうどぴったりでしたね」

 鈴の音のように軽やかに笑うその声と花のような笑顔を見て思わず顔が緩む。そして今ドアを開けた自分を心の底から褒めてやりたくなった。

「色々と準備してきたんですよ!とりあえず、そこの椅子にお掛けいただいてもよろしいですか?」

「ああ、わかった。よろしく頼む」

 フィリアはどこか楽しそうに見えた。俺の髪を切るというフィリアにとっては何の得もないことをさせてしまうことに対して申し訳なく思う気持ちもあったのだが、鼻唄を歌いながら準備をしているその様子を見て少し心が軽くなった。この作業のどこかに楽しみを見出してくれているのならありがたい。


 それから衣服に切った髪が付かないようにと首より下全体を大きめの布で覆われてからフィリアがハサミを取り出しついに髪が切られ始めた。自分の髪にフィリアの手が触れていることを思うと落ち着かなくなるので懸命に思考を逸らした。

「やっぱり、ルーク様の髪は本当にお綺麗ですね」

「そうか?そうでもないと思うが」

「いいえ、本当に切るのがもったいないくらいですよ」

 そう言われて目の前にある鏡を見た。自分ではやはりよくわからない。手入れをしているわけでもないしそれを言うならば……

「……君の髪の方が綺麗だろう」

 呟くように零れ落ちた言葉はどうやらフィリアの耳にも届いたらしい。彼女は少しだけ動きを止めた後、また慣れた手つきで髪を切り始めた。ハサミの音と髪が床に落ちていく音だけが響く妙な沈黙が降ってきたので話題を変える。

「随分と上手いな」

「何がですか?」

「髪を切るのがだ。動きが手慣れている」

「ありがとうございます。実は憧れていたんです、こういうの。女性にお化粧をするのと同じ感じがして、ワクワクするんですよね」

「なるほど。俺にはあまりない感情だな」

「そうですか?誰かの服装や髪型を自分好みに作り上げるのってとても楽しいですよ!」

 やはりあまりピンとは来なかったがルミアーノが同じようなことを言っていた気はする。もしかするとフィリアはあいつのような職業にも向いているのかもしれない。

「よし、できました!」

 フィリアはそう言ってハサミを置くと、俺の目の前にある鏡ともう一つの鏡を使って後頭部の様子を見せてくれた。

「いかがですか?何か気になるところがおありなら直しますよ」

「やはり上手いな。問題ない、ありがとう」

 フィリアは達成感からか腰に手を当てて一つ息をつくとにっこりと笑った。

「自画自賛みたいになってしまいますが、とっても格好良いですよ」

「あ、ああ。ありがとう、君のおかげだ」

「いえいえ」

 さっぱりとした俺の髪は顎よりも少し上の高さくらいの長さになった。褒められて少し気恥ずかしくなったがこれもフィリアのおかげだろう。

 それから切った髪の処理や部屋の整理をしてから少しの間たわいもない話をして解散した。


******************




 自室に戻って時間が経ったころ、気が向いて寮の周りを歩くことにした。この寮には使用人を連れてくる者もいれば自分で身の回りのことを済ませる者もいる。その為寮の周辺には分かりやすくごみ捨て場や洗濯場があるのだが、その中でもごみ捨て場は男女の寮の境にあり、どちらの寮生も利用できるようになっている。ちょうどその辺りを通った時、フィリアの侍女がいるのが見えた。何か大きな袋を抱えている。間違いなくごみではあるのだろうが一人の女性が抱えるには苦労する大きさであることが少し気にかかった。

「大丈夫か?重いようなら代わりに運ぶが」

 声をかけてみれば勢いよく肩が跳ねるのが見えた。

「っルークベルト殿下!失礼いたしました!お気遣いいただき誠にありがたいのですが、すぐ近くなので……」

「そうか。それは……糸、か?」

「は、はい」

 偶然袋の中身がチラリと見えたので聞いてみると侍女は気まずそうに頷いた。

「随分と多いな」

「はい、何かと必要になったもので……」

 落ち着かない様子の侍女を見て、思い当たることがあった。

「……練習か?」

「っ……何のことだか」

「フィリアが俺のために糸を使って練習してくれていたんだな?」

 フィリアのことだ。俺の髪を切るためにわざわざ袋いっぱいになるほどの糸を使って練習していたと俺に知られるのはあまり好まないだろう。それを知っているから侍女はこうも必死に誤魔化そうとしているのだ。しかし目が泳いで数分経つと彼女は観念したように小さくため息をついた。

「……おっしゃる通りです」

「そうか。フィリアに礼を伝えておいてくれ。時間をとって悪かったな」

 それからまた自室に帰って色々と考えた。やはりフィリアに手間を掛けさせてしまったことを考えるとこのまま何もしないわけにはいくまい。何か贈り物をしよう。そう考えて時間をかけて悩んだ後、最終的にドレスを贈ることに決めた。ドレス自体はルミアーノに作らせたものを何度も送っている。ただフィリアの誕生日も近いし、今回は俺が選んで考えたものを贈ってみよう。あまりにも酷いものになったならばまた代案を立てるとして。

 フィリアの姿を思い浮かべ彼女に似合う色や形を考える。それはどこか心が沸き立つような喜びを感じる時間だった。

『誰かの服装や髪型を自分好みに作り上げるのってとても楽しいですよ!』

 フィリアが言っていた言葉が唐突に思い出される。そうか、こういうことならば確かに楽しいかもしれない。
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