心の行先に君がいた

みっしー

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第一章

1話①

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 人はそれを「心が震えるような出会い」というのかもしれない。捲るページに綴られた全ての言葉に、そこから浮かび上がる鮮やかな情景に、私は感情の全てを掴まれてしまっていた。それまで聞こえていたはずの沢山の日常が、全て耳を通り抜けて消えていく。グラウンドから響く部活の掛け声も、遠くで鳴いているのであろう烏の声も、下校時間を知らせるチャイムの音も、まるでそこに存在していない。ただ、一冊のノートが誘う物語の世界だけが、そこに広がっていた。

 そう、全ての音は耳から入っていても脳を通過していない。だから、後ろから聞こえてくる慌てた足音にも、私は気が付かなかった。

「おい」

 聞こえない。

「おい、朝宮」

 低くくて綺麗に響く声。聞いたことのある声。でも、聞こえない。聞こえていない。私は変わらず文字の羅列に目を滑らせた。すると、背後から大きなため息が響く。続くのは強く踏み込んだ足音だった。

「おい、朝宮……!」

 少し苛立ちを含ませた声の主に私は肩を揺らされた。そこでようやく振り返る。流石にこれ以上は許されないだろう。私は瞬時にすっとぼけた表情を作った。

「え、何?」

「それ。そのノート」

 彼は私がひしひしと抱きしめているノートを指差した。その表情は苦々しいもので、何も言われなくても状況を察した。

「ああ、これ!天才だよね!」

「いや、そうじゃなくて」

「君でしょ?秋風くん」

 彼は驚いたように目を見開いた。珍しい表情だ。無口で感情の起伏も小さいタイプに見えたのに。私はそれを見たときに感じた。もしかしたら、これが私が求めていたものなのかもしれない。偶然の延長線上にあって、きっと生涯忘れられないような、まるで決められていたかのような事象。

 この出会いは運命なんだ。

 強い風が吹いた。新しい風。それは少しだけ、春の匂いがした。







 話は少しだけ遡る。まずは私の話をしよう。

 朝宮千春あさみやちはる、16歳。青い春も真っ只中の高校1年生だ。季節は寒さも和らいできた冬終わり、私はぼんやりと窓の外を眺めていた。制服と木製の机に面倒臭い授業。高校生活をもうほぼ三分の一まで消費してしまった。これまでの十数年の人生の短さを思えば、社会に放出されるまでの時間なんてきっと体感十秒くらいのものだ。残された時間はあまりにも短い。それだというのに、目の前に広がるのはあまりにも平坦な日常だ。端的に言えばつまらない。私は好奇心と思考を持て余していた。

「ちーはーるちゃん!お昼食べよー」

 勢いよく叩かれた両肩がぴくりと揺れる。振り返った先にいたのは紛うことなき美少女だった。

「あ、桜。うん、食べよ食べよ」

 この美少女の名前は辰巳桜たつみさくら。高校に入ってから出会った私の友人だ。同じクラスでそのオーラと可愛さに惹かれて声をかけた結果、無事仲良くなった。何度も繰り返しているように桜は私の人生でも稀に見る美少女だ。パッチリとした二重の瞳と形の良い眉だけでも完璧なのに、惚れ惚れするほどのすっきりとした鼻筋と目を惹かれるぷっくりとした唇、そして色素の薄い天然パーマの髪は周囲に愛らしい印象を与える。休日はレースがふんだんにあしらわれたワンピースを当たり前のように着こなすし、本人曰くそこそこ裕福な家の生まれなので教養としてピアノやバイオリンなどの楽器も弾けるし、茶道やお琴なども習得済みらしい。まさにリアルプリンセス。そして、お姫様には王子様がいるもの。桜にも当然彼氏がいる。

「最近大雅くんとはどうなの?」

「えー、またその話?そんな頻繁に話のネタになるようなことなんて起きないって」

 机を挟んで向かいに座る彼女は、お弁当を広げながら呆れたようにぼやく。

「でも連絡とったりデートしたりしてるんでしょ?」

「うーん……、まあでも本当に普通だから。千春ちゃんこそ何か惚れた腫れたの話はないの?」 

「ない。驚くほどない」
 
 高校生ってもっとキラキラしてると思ってたのに。実際は与えられる知識と渦巻く感情を必死に処理するばかりの夢のない学生生活だ。大人たちが懐かしむそれと私の現状はあまりにもかけ離れているように思える。

「運命の出会いイベントは?」

「ないねー。図書館で本借りるときに手が触れ合うとか、廊下の曲がり角でぶつかるとか、朝出会った知らない子が実は転校生とか。そういうの憧れてたのに」

「まあ、最初の二つは作ろうと思えば作れる状況だよね。転校生は召喚できないけど」

「待ち構えるってこと?とんでもない変態じゃん」

「良かった。そこの常識はあるんだね」

「いや、私のことをなんだと思ってんのよ」

「運命信者」

「……それはそうだわ」

 桜の放った四字熟語は的確に私を表している。だって、考えてもみてほしい。この世には沢山の人がいる。沢山の人がいるということはそれだけの数の価値観や思考があって、完全に分かりあうことなんてきっと不可能だ。そんな中で、ふとしたときに誰かと共鳴するその喜びは、ともすればそれまでの人生を覆してしまうほどの得がたい幸福と言える。お姫様と王子様が愛を育むように、冒険者が旅路の途中で生涯の相棒に出会うように、戦い続ける者が挑戦の最中に負けたくないと思えるライバルに出会うように。生まれてきた理由だと断言できるような存在。私はそれに出会いたいのだ。突出した才能も、人の目を集めるような個性も何もない。それでも、そんな私が「あなたに出会うために生まれてきた」なんて言える日が来たら、この平凡な人生も万々歳で終わることができるだろう。

 そんなまだ見ぬ運命に想いを馳せながら私が卵焼きを口に運んでいると、桜は何かを思い出したようにこちらを見た。

「あ、そうだ。私、今日の放課後は大雅くんと帰るからね」

「おー、了解。やっぱ何だかんだで上手くいってるんじゃん」

「だーかーらー、別に千春ちゃんが考えるような特別なことはないってば」

「はいはい。今日のところはもう掘り下げたりしないよ。でも、そっかぁ……。桜がいないとなると帰りどうしよっかなー」

「放課後の学校で運命を探す旅にでも出てみたら?」

「旅、ねぇ……」

 揶揄うような桜の口調に私はつーんと口を尖らせた。曲がり角や図書館で待ち伏せをしない主義であることからも分かるように、私は人工的な出会いを運命だとは思っていない。だから、探すという言葉にはやはり少し抵抗がある。

「別に作るわけじゃないんだし、探す分には良いと思うけどね。ほら、漠然と期待して歩いてるだけならわざとっぽくないじゃない?」

 その言葉に私は箸を止めた。言われてみれば一理ある。お姫様は王子様を夢見ていたし、冒険者は仲間を探していた。ライバルの存在だって心の奥底では願っているパターンが多い。そう考えれば、何となく運命を期待して歩き回るだけなら人工的な出会いとして考えなくても良いのかもしれない。やはり自分以外の考え方に触れるのは良いことだ。違う角度で物事を見ることができる。

「確かに……?運命は信じるものの元に現れるって言うもんね!」

「そうそう!誰が言ってたのか知らないけど……。で、試して見る価値は?」

「断然あり!」

 こうして桜に焚き付けられるように私の放課後の予定は決定した。そして、その「運命を探す旅」で、私は本当に運命に出会ったのだ。
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