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8話
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「壊れたみたいだけどどうするの?」
「少し外にやろう。シュベール辺りなら誰も気にしないだろうな」
「そう。じゃあそれでいいわ」
父と母は互いに単調な声でそんな会話をしていた。そしてそれはライラの耳にも聞こえていた。自分は捨てられてしまうのだろう。不良品として放置されてしまうのだろう。ライラはそう思った。でも、次第にそんなこともどうでも良くなっていた。この家に対する執着なんて母のあの言葉でもう無くなってしまったのだから。
そしてライラは療養という名目でシュベールに送られた。その土地はとても穏やかで静かでそして優しい土地だった。ライラはそこで見つけた丘に通うようになった。その景色があまりにも広くて美しいから、それが自分を飲み込んで無くしてくれるのではないかなどと期待していた。そしてそこで出会ったのだ。初めて彼女に興味を持ったエリザベスという人間に。
「リラ」
彼女にそう名乗ったのは、ライラではない自分になりたかったからだ。だから隣国での「ライラ」の読みをそのまま名乗った。
「あたしのことは……そうね、リズって呼んでよ。そしたらリラと姉妹みたいで可愛いでしょ?」
リズはどこまでも気さくな人だった。そしてライラに飽きることなくいつも話しかけてくれた。それはライラにとって初めてのことで彼女は戸惑っていた。人と話すことなんて滅多になかったライラは会話をすることもままならない。それでもリズは呆れることも面倒そうな素振りを見せることもなく穏やかな微笑みを湛えてライラに向き合ってくれた。
「リズは私以外に話す人はいないの?いつもここに来てばかりだけど」
ある日の丘でライラはぼんやりと空を眺めながらそう聞いた。リズはまた違う方向の空を眺めながら答える。
「そんなに多くはないけどいるよ。特にそのうち一人とはいつか店を開こうって話もしてるんだ。愛想が良くていつも笑顔で話し上手でさ、その子は接客であたしは料理担当。上手い分担でしょ?」
「接客……。その人は人から好かれるのが上手いってこと?」
「まあ極端に言えばそうかもね。ああいう子はどこに行っても誰と出会ってもきっとうまくやっていけるんだろうよ」
「ふーん」
話を聞いていたその瞬間には特に重みを感じることもなかったリズの言葉は、後のライラに大きな影響を与える。それはシュベールに来て3年が過ぎた頃の話だ。急に実家に呼び戻されたのである。その理由は単純で、ライラのデビュタントの時期が来たからだった。
「デビュタントに欠席するわけにはいかないからな。家の恥にはなるなよ」
父にはそう言われた。それは随分と久しぶりに父から彼女に向けられた言葉と視線だった。シュベールに行く前はそれだけでも心の中に満たされる何かがあったはずなのに、その時のライラには空虚な感情だけが広がった。きっとそれはリズのせいだ。ライラはふとそう思った。けれどそれ以上考えることはしなかった。
それからデビュタントの日がやってきて、ライラは用意されていたドレスを着て会場に向かった。そこには見たことのない数の人がいて、彼女はそれだけで酔いそうになってしまった。しかし首を振って足を前に進める。そして令嬢2人と紳士1人のグループに話しかけられたときのことだ。
「初めまして、あなたも今日でデビュタントを迎えたのよね?良かったらお話ししない?」
この時ライラはリズの言っていた友人のことを思い出した。愛想が良くていつも笑顔で話し上手な人。その人はどこでも誰とでも上手くやっていける。ライラはそれになろうとした。掛けられる言葉と向けられた笑顔を見て咄嗟に反応して笑顔を作る。人の良さそうな、溌剌としたそれで自分を飾った。そして頭を必死に回して言葉を紡ぐ。
「初めまして。ぜひお話しさせてください!一人で来たので正直心細かったんです」
冗談めかして寂しそうな顔を作ってみると3人は愉快そうに笑った。ライラはそれを見て一つの道が開けたのを感じた。この姿でいれば、自分は無視をされないし無価値な人間にもならない。この姿でいればちゃんと一人の人間としてその場に存在することができる。
それからライラは社交界で上手く立ち回った。幅広い話題を常に持ち合わせておくことで会話を回す役割を担い、笑顔で明るい言葉を選ぶことで自らを善人らしく見せ、そして相手の心の内側には入り込みすぎず、警戒心をもたせないような距離感を測った。そんな彼女はいつしか子犬令嬢と呼ばれるようになり、彼女は社交界のほぼ全ての人と繋がりを得られるほどの人物にまでなった。
「君ほどの人気者なら毎日がさぞ楽しいことだろうね」
ある人にそう言われたこともあった。確かに表面上は楽しみが多くて毎日が忙しない。でも、心の奥底でライラは虚しさを感じていた。彼女の振る舞いは真の意味では全て彼女のものではない。彼女が作り上げた偶像でしかない存在が愛されているだけで、ライラは誰にも望まれていないのだ。しかしそれは周りのせいではない。彼女がどんな言葉を掛けられても彼女の本来の姿を見せることを拒んだからだ。結局は自分が臆病であるのだということにライラは気付いていた。本当の自分を見せて両親にされたようにいないものとして扱われてしまうのが怖い。偶像でも得られた視線や関心を全て無くしてしまうのが怖い。だから人には本当の意味で近づくことができなかった。孤独による虚しさをなくすための努力はむしろ虚しさを助長するだけで、ライラはもう身動きも出来なくなってしまっていた。恐怖を越えて自分をさらけ出せるほどの勇気が彼女にはない。この先をどう生きていけばいいのか、どうすればこの虚しさを紛わすことができるのか、彼女にはもうわからなくなっていた。
******************
「だから私は、中途半端で愚かで……とても歪なんです。優しくしないでください。これ以上、私に干渉しないでください。そんなことをされても私は返せるようなものを持っていません。もう疲れてしまったんです、何もかもに」
ライラは震えた声でそう言うと、リックの手を引いて部屋から追い出そうとした。しかしリックはそれを許さない。少しだけ力を入れてその場に留まった。普段から鍛えているリックにはライラの力なんて微力でしかない。
「今のあなたはあなたではないのだろうか?」
リックは静かな声でそう聞いた。ライラは一瞬何を言われたのかわからなかった。
「え……?」
「今俺に見せてくれているあなたはあなたではないのかと聞いている」
「それは、……もう、どうしようもなかったからで、こんなのリック様も嫌でしょうし」
「嫌じゃない。今のあなたが俺は嫌だとは思わない」
真っ直ぐに彼女を見つめるリックの瞳からライラは逃げるように視線を逸らした。直視できるわけがない。それはあまりにも澄んでいるから。ライラは一つため息を漏らす。
「嘘つき」
溢れでた言葉は彼女にとって最後の砦だった。
「少し外にやろう。シュベール辺りなら誰も気にしないだろうな」
「そう。じゃあそれでいいわ」
父と母は互いに単調な声でそんな会話をしていた。そしてそれはライラの耳にも聞こえていた。自分は捨てられてしまうのだろう。不良品として放置されてしまうのだろう。ライラはそう思った。でも、次第にそんなこともどうでも良くなっていた。この家に対する執着なんて母のあの言葉でもう無くなってしまったのだから。
そしてライラは療養という名目でシュベールに送られた。その土地はとても穏やかで静かでそして優しい土地だった。ライラはそこで見つけた丘に通うようになった。その景色があまりにも広くて美しいから、それが自分を飲み込んで無くしてくれるのではないかなどと期待していた。そしてそこで出会ったのだ。初めて彼女に興味を持ったエリザベスという人間に。
「リラ」
彼女にそう名乗ったのは、ライラではない自分になりたかったからだ。だから隣国での「ライラ」の読みをそのまま名乗った。
「あたしのことは……そうね、リズって呼んでよ。そしたらリラと姉妹みたいで可愛いでしょ?」
リズはどこまでも気さくな人だった。そしてライラに飽きることなくいつも話しかけてくれた。それはライラにとって初めてのことで彼女は戸惑っていた。人と話すことなんて滅多になかったライラは会話をすることもままならない。それでもリズは呆れることも面倒そうな素振りを見せることもなく穏やかな微笑みを湛えてライラに向き合ってくれた。
「リズは私以外に話す人はいないの?いつもここに来てばかりだけど」
ある日の丘でライラはぼんやりと空を眺めながらそう聞いた。リズはまた違う方向の空を眺めながら答える。
「そんなに多くはないけどいるよ。特にそのうち一人とはいつか店を開こうって話もしてるんだ。愛想が良くていつも笑顔で話し上手でさ、その子は接客であたしは料理担当。上手い分担でしょ?」
「接客……。その人は人から好かれるのが上手いってこと?」
「まあ極端に言えばそうかもね。ああいう子はどこに行っても誰と出会ってもきっとうまくやっていけるんだろうよ」
「ふーん」
話を聞いていたその瞬間には特に重みを感じることもなかったリズの言葉は、後のライラに大きな影響を与える。それはシュベールに来て3年が過ぎた頃の話だ。急に実家に呼び戻されたのである。その理由は単純で、ライラのデビュタントの時期が来たからだった。
「デビュタントに欠席するわけにはいかないからな。家の恥にはなるなよ」
父にはそう言われた。それは随分と久しぶりに父から彼女に向けられた言葉と視線だった。シュベールに行く前はそれだけでも心の中に満たされる何かがあったはずなのに、その時のライラには空虚な感情だけが広がった。きっとそれはリズのせいだ。ライラはふとそう思った。けれどそれ以上考えることはしなかった。
それからデビュタントの日がやってきて、ライラは用意されていたドレスを着て会場に向かった。そこには見たことのない数の人がいて、彼女はそれだけで酔いそうになってしまった。しかし首を振って足を前に進める。そして令嬢2人と紳士1人のグループに話しかけられたときのことだ。
「初めまして、あなたも今日でデビュタントを迎えたのよね?良かったらお話ししない?」
この時ライラはリズの言っていた友人のことを思い出した。愛想が良くていつも笑顔で話し上手な人。その人はどこでも誰とでも上手くやっていける。ライラはそれになろうとした。掛けられる言葉と向けられた笑顔を見て咄嗟に反応して笑顔を作る。人の良さそうな、溌剌としたそれで自分を飾った。そして頭を必死に回して言葉を紡ぐ。
「初めまして。ぜひお話しさせてください!一人で来たので正直心細かったんです」
冗談めかして寂しそうな顔を作ってみると3人は愉快そうに笑った。ライラはそれを見て一つの道が開けたのを感じた。この姿でいれば、自分は無視をされないし無価値な人間にもならない。この姿でいればちゃんと一人の人間としてその場に存在することができる。
それからライラは社交界で上手く立ち回った。幅広い話題を常に持ち合わせておくことで会話を回す役割を担い、笑顔で明るい言葉を選ぶことで自らを善人らしく見せ、そして相手の心の内側には入り込みすぎず、警戒心をもたせないような距離感を測った。そんな彼女はいつしか子犬令嬢と呼ばれるようになり、彼女は社交界のほぼ全ての人と繋がりを得られるほどの人物にまでなった。
「君ほどの人気者なら毎日がさぞ楽しいことだろうね」
ある人にそう言われたこともあった。確かに表面上は楽しみが多くて毎日が忙しない。でも、心の奥底でライラは虚しさを感じていた。彼女の振る舞いは真の意味では全て彼女のものではない。彼女が作り上げた偶像でしかない存在が愛されているだけで、ライラは誰にも望まれていないのだ。しかしそれは周りのせいではない。彼女がどんな言葉を掛けられても彼女の本来の姿を見せることを拒んだからだ。結局は自分が臆病であるのだということにライラは気付いていた。本当の自分を見せて両親にされたようにいないものとして扱われてしまうのが怖い。偶像でも得られた視線や関心を全て無くしてしまうのが怖い。だから人には本当の意味で近づくことができなかった。孤独による虚しさをなくすための努力はむしろ虚しさを助長するだけで、ライラはもう身動きも出来なくなってしまっていた。恐怖を越えて自分をさらけ出せるほどの勇気が彼女にはない。この先をどう生きていけばいいのか、どうすればこの虚しさを紛わすことができるのか、彼女にはもうわからなくなっていた。
******************
「だから私は、中途半端で愚かで……とても歪なんです。優しくしないでください。これ以上、私に干渉しないでください。そんなことをされても私は返せるようなものを持っていません。もう疲れてしまったんです、何もかもに」
ライラは震えた声でそう言うと、リックの手を引いて部屋から追い出そうとした。しかしリックはそれを許さない。少しだけ力を入れてその場に留まった。普段から鍛えているリックにはライラの力なんて微力でしかない。
「今のあなたはあなたではないのだろうか?」
リックは静かな声でそう聞いた。ライラは一瞬何を言われたのかわからなかった。
「え……?」
「今俺に見せてくれているあなたはあなたではないのかと聞いている」
「それは、……もう、どうしようもなかったからで、こんなのリック様も嫌でしょうし」
「嫌じゃない。今のあなたが俺は嫌だとは思わない」
真っ直ぐに彼女を見つめるリックの瞳からライラは逃げるように視線を逸らした。直視できるわけがない。それはあまりにも澄んでいるから。ライラは一つため息を漏らす。
「嘘つき」
溢れでた言葉は彼女にとって最後の砦だった。
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