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第四章 王立学院中等部三年生
237 デビュタント⑤
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Side:アシェル14歳 夏
アークエイドとムーランの姿が、色とりどりの人ごみに紛れて遠ざかっていく。
それを確認したシオンは、ようやくアシェルから離れた。
それに合わせて、クリストファーの腕の力も弱まる。
「アシェル様、兄様。邪魔をしてしまってごめんなさい。……アシェル様、お熱がありますよね?」
「やっぱりシオンは気付いてたんだね。だからアシェル君と遊ぶのは無理だよ。」
「それくらい分かってますよ。そもそも。兄様だって乱入されるのは嫌いでしょう?アシェル様が兄様とのキスだけで、こんな表情するわけないですもん。」
「地味に貶めてくるのは止めてくれるかな?まぁ否定は出来ないけれどね。シオン、少しアシェル君についていてくれるかい?」
「僕がですか?」
「うん。飲み物と、何かのどごしの良さそうな軽食でもと思ってね。あとはメイディー卿かアレリオン先輩に、錠剤の解熱剤が無いか聞いてこないと。」
クリストファーの明かした理由に、シオンは「それなら僕が行ってきます。」といって、またホールに戻っていった。
一騒動終えたことに、どちらからともなく溜息が漏れる。
「クリストファー先輩、ありがとうございます。シオンまで巻き込んじゃってごめんなさい。」
「アシェル君は気にしなくて良いよ。シオンだって揉めてるから様子を見に来ただけだろうし。……ただ、ミルトンの役割だけは言わないでおくれよ。」
「言いませんよ。大事な弟に、余計な事やらせたくないでしょうし。」
アシェルがクスリと笑って言えば、クリストファーが照れて頬を染めてしまう。
睡眠薬の時も言っていたし、よっぽどミルトンの役割にシオンを巻き込みたくないんだろうということは伝わってくる。
初めて会った時はあまり仲が良くない兄弟なのかと思っていたが、お互いのことを大事に思っていることが伝わってくる。
熱の怠さでクリストファーに寄り掛かったまま待っていると、程なくしてシオンはグラスとお皿を抱えて戻ってきた。
そっとテラスのカーテンも閉めて。
「兄様のはコレで。アシェル様は牛乳だったら飲めますよね?お食事は迷ったんですけど、サッパリめのゼリーをいくつか貰ってきました。お薬もアレリオン様に頂いてきたので、食べれそうなゼリーに埋め込んで飲み込むようにとのことです。」
「ありがとう。でも、牛乳なんてよくあったね?」
「やっぱりアシェル様は、いつも通りお話しているほうが落ち着きますね。牛乳はカクテル用に用意されてるのを頂いてきました。割り材って、頼めば結構用意してもらえるんですよ。配られてる飲み物に欲しいものが無い時は、割り材をチェックしてみると良いですよ。」
流石社交界慣れしているなと思う。ちょっとした裏技を聞きながら、手渡された牛乳に口をつける。
ひんやりしていて、とても美味しい。
それから少しずつゼリーを味見して、食べられそうなゼリーと薬を受け取る。
「えっと……こっちの白いのが解熱剤で、こっちのつるつるなのが胃薬。黄色いのが栄養剤で、青いのが弱めの睡眠薬って言ってました。」
「睡眠薬も入ってるの?」
「気疲れしてるだろうから、少し緊張を和らげる為らしいです。もし寝れそうだったら、兄様に休憩室に運んでもらえって。兄様がよく使う部屋に連れて行ってくれたら良いからって伝言です。」
栄養剤は単純に栄養を取らせたいというのもあるだろうが、恐らく体内での分解に時間がかかるようにという目的もあるのだろう。
複数種類の薬を摂取したほうが、トータル的に分解に時間がかかる。
睡眠薬は精神安定剤代わりというところだろうか。
もしかしたら安定剤も眠気が出やすいので、分かりやすく睡眠薬と説明した可能性もある。
一口のゼリーに二粒ずつ錠剤を埋め込んで、丸呑みする。
喉に引っかかりそうだったが、牛乳で流し込んだ。
それからクリストファーに背中を預けて、薬が効いてくるまで少しお喋りをする。かけて貰っていたジャケットは、寒くないように前からかけ直した。
「それにしても……アシェル様はムーラン皇女と仲が良さそうだったのに、あんな喧嘩みたいなことして良かったんですか?お熱があるのを、誤魔化したかったわけじゃないですよね?」
「うん。そのつもりで先輩に協力してもらったから。逆にクリストファー先輩とシオンを、喧嘩に巻き込んでしまってごめんなさい。」
「巻き込まれたくなかったら、最初から協力の提案なんてしてないよ。」
「僕は自分から巻き込まれにきただけですしね。まぁ、少し皇女殿下はアシェル様のことを頼り過ぎでしたし、丁度良かったのかも……。あ、ファンクラブ会員が結構会場に居たみたいですけど、アシェル様が女性だって発表してもかなり好意的に受け取られていましたよ。理由が理由ですしね。普段のアシェル様の口説き文句に下心が全く無いのに、合点がいったって感じみたいです。」
「皆僕がクラスメイトを口説いてるって言うけど、別に口説いてないんだけどな。」
「まぁ、そこはメイディーですし。アシェル様のお兄様方もそうだったらしいので、皆さんそういうものだって思ってますから。」
その理由は納得してしまって良いのだろうか。
だが嫌な視線を向けられる可能性が減ったと考えると、やはり発表を今日にして良かったと思う。
アベルとグリモニアに一芝居打たせてしまったことが申し訳ない。
そのまま明日からのファンクラブイベントの話をしていると、薬が効いてきたのか、熱でぼんやりしている頭がさらにぼやけてくる。
うとうとし始めたアシェルの身体が崩れ落ちてしまわないように、クリストファーが抱き抱えてくれた。
「そろそろ休憩室に行くかい?」
その質問にアシェルは首を振って答える。
「……ねてからで。……ひとまえで、かぞく以外に抱えらえるのは、はずかしい……。」
「暑かったり寒かったりは?」
「んーん……だいじょぶ。……あったかい……。」
落ちそうで落ちきれない夢現の意識の中で、アシェルが途切れ途切れに返事をする。
小さい時に寝落ちして、アレリオンやアルフォードが気遣ってくれた時のように感じ、クリストファーもお兄ちゃんなんだなと思う。
その普段のキリっとした様子からは考えられないたどたどしいアシェルの受け答えに、シオンは密かに悶絶した。
「アシェル様が可愛すぎる……眠たそうなアシェル様のお姿だけでも貴重なのに……!普段あんなにカッコよくて優しいのに、こんなに可愛いなんて反則です。」
小さくブツブツと呟くシオンに、クリストファーは苦笑する。
弟は本当にアシェルのことが大好きなんだなと。
——いささか、発想や発言が【シーズンズ】に毒されているような気がしないでもないが。
アシェルのことだから可愛いと言われても受け取らないか否定しそうだが、そのアシェルは今、ぼんやりとした意識で眠気と戦っているところだ。
意識が落ちかかっては、少しうなされる様にして目を覚ましてしまっている。
「アシェル様は……多分“特別な好き”を見つけちゃったんですよね。」
不意に漏らしたシオンの呟きに、アシェルの身体がびくりと反応した。
そしてそのアシェルを抱えるクリストファーは、形にならない魔力の放出も感じる。
「あーくには、いわないで……いっちゃだめ……。」
ポロポロと涙を溢しながら、アシェルが懇願する。
それに合わせて、漏れる魔力も多くなっていく。
「大丈夫、言ったりしないよ。そういう大切な気持ちは、本人以外が勝手に伝えたりはしないから。」
「……ほんと……?いわない……?」
「あぁ、言わないよ。だから安心して。」
「よかった……ぜったい、いわないで……。やくそく……。」
「うん。絶対に言ったりしないって、約束するから。」
クリストファーが慌てて宥めた言葉に、そこまで言い切ったアシェルは、安堵したからかようやく寝息をたて始めた。
魔力の放出が止まったことに安堵する。
情緒不安定になっているようだという情報は仕入れていたが、ここまで酷いとは思っていなかった。
特にメイディーは魔力操作精度に秀でている。本来であれば体調不良と感情の起伏程度で、簡単に体内魔力が漏れ出ることは無い。
それが感情の起伏だけで魔力が漏れ出るなど、心身共に疲弊しきってしまっているのだろう。
ハンカチで涙を拭いて、『ストレージ』から取り出したタオルで顔を隠してあげる。
休憩室に運ぶにしても、レディの寝顔どころか泣き顔を晒すわけにはいかない。
「『防音』。はぁ……。シオン……何とかなったから良かったけど、不用意な事は口にするな。僕よりシオンの方が、アシェル君の置かれている状況には詳しいだろう。」
「すみません、兄様……。」
「アシェを宥めてくれてありがとう。魔力が漏れたのがここで良かったよ。」
しゅんと肩を落としたシオンの隣に、アレリオンの姿が現れる。
アシェルの魔力に気付いて、様子を見に来たのだろう。
「アレリオン先輩。任せて貰ったのに申し訳ないです。」
アシェルをアレリオンの腕に渡しながら謝罪すれば、気にしないでと言葉が返ってくる。
「クリストファー君は、今日の夜会にも参加するんだろう?その時に少し話を聞かせて貰うよ。上着もありがとう。」
「分かりました。いつもの休憩室で。」
「うん、それで。シオン殿も、迷惑をかけてしまってごめんね。」
「いえ、迷惑だなんてっ。むしろ僕のせいで……。」
「アシェは熱があって、少しいつもと状態が違っただけだから。気にしないで。覚えてない可能性も高いから、話を蒸し返さないようにだけお願いね。」
「……分かりました。」
「アシェル君の顔周りにだけ防音をかけています。先輩の良いタイミングで解除してください。」
「ありがとう。手間を掛けさせてごめんね。それじゃあ、失礼するよ。」
にこりと微笑んだアレリオンの姿はここに来た時と違い、見えるままアシェルを抱えてホールに消える。
わざわざ姿を消さずに歩くということは、女の子としてのアシェルはか弱いのだとアピールしたいように見える。
学院内なら絶対にアシェルはクリストファーの誘いを断るのに、その誘いに乗らせたのもそう感じる要因だ。
それに今日のような王族へのリスクが高まる日に、アシェルにメイディーの役割を果たさせていなかった。
今日の印象操作のためなのか。王族よりも弱っている家族を優先したのか。メイディーからアークエイドが見限られてしまったのかまでは分からない。
そもそも仕方のないことかもしれなかったとはいえ、公務だからこそ王族の隣にメイディーが寄り添うのだ。
特に、今回のアスラモリオンからの来賓は男女のペアだ。
クリストファーにはアークエイドの相手が、ムーランでなくてはいけない理由が分からない。
アシェルの笑顔の下の素顔に、一体どれだけの人が気付いているというのだろうか。
クリストファーだって今回のことが無ければ、作り物の笑顔だとは分かっていても、ここまで仮面の下が脆いとは気付かなかったかもしれない。
そしてアークエイドはその脆さを知っていてもおかしくないのに、何故ここまで頑なにアシェルから目を逸らそうとしているのか。
クリストファーが調べて分かったのは、幼馴染の中に事情を知る人間が居ること。その二人はアークエイドではなくアシェルの方を気にかけていること。
これだけだった。
間違いなく近衛騎士やアベルとアレリオンは知っているだろうが、事情を知る人間はかなり限られているように感じる。
——どうにもきな臭い。
何が隠されているのか分からないが、それは事情を知らないアシェルを巻き込まなくてはいけないことだったのだろうか。
「兄様は……アレリオン様と仲が良いのですか?アシェル様を任せて貰ったって……。」
「仲が良いも何も、生徒会の先輩だよ?お世話になったからね。グレイニール殿下が喋らなくても、指示はほとんど副会長であるアレリオン先輩が出していたから。アシェル君の体調が悪そうだから、人の少ないところへ連れていくように頼まれたんだよ。」
「あぁ、そういえば、任期が被ってたんでしたね。うちはメイディー地方の侯爵ですし、頼みやすいのも納得です。」
「そういうこと。パーティー自体もそろそろお開きだろうし、本命は夜会だし。そろそろお暇しようかな。」
「僕も遊び相手を釣る気分になれませんし。兄様と一緒に帰ります。」
二人の兄弟が去ったテラスの魔力に気付いたのは、家族とその場所を担当していたダニエルだけだった。
アシェルが邸で目を覚ました時には既にドレスも脱がされていて、デイパーティーに参加したのが夢だったんじゃないかと思うくらいだった。
熱は下がり切っていないが、アベルからも学院に戻るように促される。
元よりこの程度の体調不良で休むつもりも無い。
念のため解熱剤等の錠剤も貰い受けその日の夜、アシェルはイザベルと共に王立学院の寮へ戻ったのだった。
アークエイドとムーランの姿が、色とりどりの人ごみに紛れて遠ざかっていく。
それを確認したシオンは、ようやくアシェルから離れた。
それに合わせて、クリストファーの腕の力も弱まる。
「アシェル様、兄様。邪魔をしてしまってごめんなさい。……アシェル様、お熱がありますよね?」
「やっぱりシオンは気付いてたんだね。だからアシェル君と遊ぶのは無理だよ。」
「それくらい分かってますよ。そもそも。兄様だって乱入されるのは嫌いでしょう?アシェル様が兄様とのキスだけで、こんな表情するわけないですもん。」
「地味に貶めてくるのは止めてくれるかな?まぁ否定は出来ないけれどね。シオン、少しアシェル君についていてくれるかい?」
「僕がですか?」
「うん。飲み物と、何かのどごしの良さそうな軽食でもと思ってね。あとはメイディー卿かアレリオン先輩に、錠剤の解熱剤が無いか聞いてこないと。」
クリストファーの明かした理由に、シオンは「それなら僕が行ってきます。」といって、またホールに戻っていった。
一騒動終えたことに、どちらからともなく溜息が漏れる。
「クリストファー先輩、ありがとうございます。シオンまで巻き込んじゃってごめんなさい。」
「アシェル君は気にしなくて良いよ。シオンだって揉めてるから様子を見に来ただけだろうし。……ただ、ミルトンの役割だけは言わないでおくれよ。」
「言いませんよ。大事な弟に、余計な事やらせたくないでしょうし。」
アシェルがクスリと笑って言えば、クリストファーが照れて頬を染めてしまう。
睡眠薬の時も言っていたし、よっぽどミルトンの役割にシオンを巻き込みたくないんだろうということは伝わってくる。
初めて会った時はあまり仲が良くない兄弟なのかと思っていたが、お互いのことを大事に思っていることが伝わってくる。
熱の怠さでクリストファーに寄り掛かったまま待っていると、程なくしてシオンはグラスとお皿を抱えて戻ってきた。
そっとテラスのカーテンも閉めて。
「兄様のはコレで。アシェル様は牛乳だったら飲めますよね?お食事は迷ったんですけど、サッパリめのゼリーをいくつか貰ってきました。お薬もアレリオン様に頂いてきたので、食べれそうなゼリーに埋め込んで飲み込むようにとのことです。」
「ありがとう。でも、牛乳なんてよくあったね?」
「やっぱりアシェル様は、いつも通りお話しているほうが落ち着きますね。牛乳はカクテル用に用意されてるのを頂いてきました。割り材って、頼めば結構用意してもらえるんですよ。配られてる飲み物に欲しいものが無い時は、割り材をチェックしてみると良いですよ。」
流石社交界慣れしているなと思う。ちょっとした裏技を聞きながら、手渡された牛乳に口をつける。
ひんやりしていて、とても美味しい。
それから少しずつゼリーを味見して、食べられそうなゼリーと薬を受け取る。
「えっと……こっちの白いのが解熱剤で、こっちのつるつるなのが胃薬。黄色いのが栄養剤で、青いのが弱めの睡眠薬って言ってました。」
「睡眠薬も入ってるの?」
「気疲れしてるだろうから、少し緊張を和らげる為らしいです。もし寝れそうだったら、兄様に休憩室に運んでもらえって。兄様がよく使う部屋に連れて行ってくれたら良いからって伝言です。」
栄養剤は単純に栄養を取らせたいというのもあるだろうが、恐らく体内での分解に時間がかかるようにという目的もあるのだろう。
複数種類の薬を摂取したほうが、トータル的に分解に時間がかかる。
睡眠薬は精神安定剤代わりというところだろうか。
もしかしたら安定剤も眠気が出やすいので、分かりやすく睡眠薬と説明した可能性もある。
一口のゼリーに二粒ずつ錠剤を埋め込んで、丸呑みする。
喉に引っかかりそうだったが、牛乳で流し込んだ。
それからクリストファーに背中を預けて、薬が効いてくるまで少しお喋りをする。かけて貰っていたジャケットは、寒くないように前からかけ直した。
「それにしても……アシェル様はムーラン皇女と仲が良さそうだったのに、あんな喧嘩みたいなことして良かったんですか?お熱があるのを、誤魔化したかったわけじゃないですよね?」
「うん。そのつもりで先輩に協力してもらったから。逆にクリストファー先輩とシオンを、喧嘩に巻き込んでしまってごめんなさい。」
「巻き込まれたくなかったら、最初から協力の提案なんてしてないよ。」
「僕は自分から巻き込まれにきただけですしね。まぁ、少し皇女殿下はアシェル様のことを頼り過ぎでしたし、丁度良かったのかも……。あ、ファンクラブ会員が結構会場に居たみたいですけど、アシェル様が女性だって発表してもかなり好意的に受け取られていましたよ。理由が理由ですしね。普段のアシェル様の口説き文句に下心が全く無いのに、合点がいったって感じみたいです。」
「皆僕がクラスメイトを口説いてるって言うけど、別に口説いてないんだけどな。」
「まぁ、そこはメイディーですし。アシェル様のお兄様方もそうだったらしいので、皆さんそういうものだって思ってますから。」
その理由は納得してしまって良いのだろうか。
だが嫌な視線を向けられる可能性が減ったと考えると、やはり発表を今日にして良かったと思う。
アベルとグリモニアに一芝居打たせてしまったことが申し訳ない。
そのまま明日からのファンクラブイベントの話をしていると、薬が効いてきたのか、熱でぼんやりしている頭がさらにぼやけてくる。
うとうとし始めたアシェルの身体が崩れ落ちてしまわないように、クリストファーが抱き抱えてくれた。
「そろそろ休憩室に行くかい?」
その質問にアシェルは首を振って答える。
「……ねてからで。……ひとまえで、かぞく以外に抱えらえるのは、はずかしい……。」
「暑かったり寒かったりは?」
「んーん……だいじょぶ。……あったかい……。」
落ちそうで落ちきれない夢現の意識の中で、アシェルが途切れ途切れに返事をする。
小さい時に寝落ちして、アレリオンやアルフォードが気遣ってくれた時のように感じ、クリストファーもお兄ちゃんなんだなと思う。
その普段のキリっとした様子からは考えられないたどたどしいアシェルの受け答えに、シオンは密かに悶絶した。
「アシェル様が可愛すぎる……眠たそうなアシェル様のお姿だけでも貴重なのに……!普段あんなにカッコよくて優しいのに、こんなに可愛いなんて反則です。」
小さくブツブツと呟くシオンに、クリストファーは苦笑する。
弟は本当にアシェルのことが大好きなんだなと。
——いささか、発想や発言が【シーズンズ】に毒されているような気がしないでもないが。
アシェルのことだから可愛いと言われても受け取らないか否定しそうだが、そのアシェルは今、ぼんやりとした意識で眠気と戦っているところだ。
意識が落ちかかっては、少しうなされる様にして目を覚ましてしまっている。
「アシェル様は……多分“特別な好き”を見つけちゃったんですよね。」
不意に漏らしたシオンの呟きに、アシェルの身体がびくりと反応した。
そしてそのアシェルを抱えるクリストファーは、形にならない魔力の放出も感じる。
「あーくには、いわないで……いっちゃだめ……。」
ポロポロと涙を溢しながら、アシェルが懇願する。
それに合わせて、漏れる魔力も多くなっていく。
「大丈夫、言ったりしないよ。そういう大切な気持ちは、本人以外が勝手に伝えたりはしないから。」
「……ほんと……?いわない……?」
「あぁ、言わないよ。だから安心して。」
「よかった……ぜったい、いわないで……。やくそく……。」
「うん。絶対に言ったりしないって、約束するから。」
クリストファーが慌てて宥めた言葉に、そこまで言い切ったアシェルは、安堵したからかようやく寝息をたて始めた。
魔力の放出が止まったことに安堵する。
情緒不安定になっているようだという情報は仕入れていたが、ここまで酷いとは思っていなかった。
特にメイディーは魔力操作精度に秀でている。本来であれば体調不良と感情の起伏程度で、簡単に体内魔力が漏れ出ることは無い。
それが感情の起伏だけで魔力が漏れ出るなど、心身共に疲弊しきってしまっているのだろう。
ハンカチで涙を拭いて、『ストレージ』から取り出したタオルで顔を隠してあげる。
休憩室に運ぶにしても、レディの寝顔どころか泣き顔を晒すわけにはいかない。
「『防音』。はぁ……。シオン……何とかなったから良かったけど、不用意な事は口にするな。僕よりシオンの方が、アシェル君の置かれている状況には詳しいだろう。」
「すみません、兄様……。」
「アシェを宥めてくれてありがとう。魔力が漏れたのがここで良かったよ。」
しゅんと肩を落としたシオンの隣に、アレリオンの姿が現れる。
アシェルの魔力に気付いて、様子を見に来たのだろう。
「アレリオン先輩。任せて貰ったのに申し訳ないです。」
アシェルをアレリオンの腕に渡しながら謝罪すれば、気にしないでと言葉が返ってくる。
「クリストファー君は、今日の夜会にも参加するんだろう?その時に少し話を聞かせて貰うよ。上着もありがとう。」
「分かりました。いつもの休憩室で。」
「うん、それで。シオン殿も、迷惑をかけてしまってごめんね。」
「いえ、迷惑だなんてっ。むしろ僕のせいで……。」
「アシェは熱があって、少しいつもと状態が違っただけだから。気にしないで。覚えてない可能性も高いから、話を蒸し返さないようにだけお願いね。」
「……分かりました。」
「アシェル君の顔周りにだけ防音をかけています。先輩の良いタイミングで解除してください。」
「ありがとう。手間を掛けさせてごめんね。それじゃあ、失礼するよ。」
にこりと微笑んだアレリオンの姿はここに来た時と違い、見えるままアシェルを抱えてホールに消える。
わざわざ姿を消さずに歩くということは、女の子としてのアシェルはか弱いのだとアピールしたいように見える。
学院内なら絶対にアシェルはクリストファーの誘いを断るのに、その誘いに乗らせたのもそう感じる要因だ。
それに今日のような王族へのリスクが高まる日に、アシェルにメイディーの役割を果たさせていなかった。
今日の印象操作のためなのか。王族よりも弱っている家族を優先したのか。メイディーからアークエイドが見限られてしまったのかまでは分からない。
そもそも仕方のないことかもしれなかったとはいえ、公務だからこそ王族の隣にメイディーが寄り添うのだ。
特に、今回のアスラモリオンからの来賓は男女のペアだ。
クリストファーにはアークエイドの相手が、ムーランでなくてはいけない理由が分からない。
アシェルの笑顔の下の素顔に、一体どれだけの人が気付いているというのだろうか。
クリストファーだって今回のことが無ければ、作り物の笑顔だとは分かっていても、ここまで仮面の下が脆いとは気付かなかったかもしれない。
そしてアークエイドはその脆さを知っていてもおかしくないのに、何故ここまで頑なにアシェルから目を逸らそうとしているのか。
クリストファーが調べて分かったのは、幼馴染の中に事情を知る人間が居ること。その二人はアークエイドではなくアシェルの方を気にかけていること。
これだけだった。
間違いなく近衛騎士やアベルとアレリオンは知っているだろうが、事情を知る人間はかなり限られているように感じる。
——どうにもきな臭い。
何が隠されているのか分からないが、それは事情を知らないアシェルを巻き込まなくてはいけないことだったのだろうか。
「兄様は……アレリオン様と仲が良いのですか?アシェル様を任せて貰ったって……。」
「仲が良いも何も、生徒会の先輩だよ?お世話になったからね。グレイニール殿下が喋らなくても、指示はほとんど副会長であるアレリオン先輩が出していたから。アシェル君の体調が悪そうだから、人の少ないところへ連れていくように頼まれたんだよ。」
「あぁ、そういえば、任期が被ってたんでしたね。うちはメイディー地方の侯爵ですし、頼みやすいのも納得です。」
「そういうこと。パーティー自体もそろそろお開きだろうし、本命は夜会だし。そろそろお暇しようかな。」
「僕も遊び相手を釣る気分になれませんし。兄様と一緒に帰ります。」
二人の兄弟が去ったテラスの魔力に気付いたのは、家族とその場所を担当していたダニエルだけだった。
アシェルが邸で目を覚ました時には既にドレスも脱がされていて、デイパーティーに参加したのが夢だったんじゃないかと思うくらいだった。
熱は下がり切っていないが、アベルからも学院に戻るように促される。
元よりこの程度の体調不良で休むつもりも無い。
念のため解熱剤等の錠剤も貰い受けその日の夜、アシェルはイザベルと共に王立学院の寮へ戻ったのだった。
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