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第三章 王立学院中等部二年生
177 スタンピードに備える⑤
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Side:アークエイド14歳 秋
こういう皆と一緒に居る時は、多分非公式お茶会くらいの距離感までしか許してもらえないだろうと思っている。
当時のアシェルには全く意識はしてもらえなかったが、隣にぴったりと寄り添って座っていても、皆が当たり前だと思っているようなことなら大丈夫だ。
さっき抱き上げたのだって、皆が居なくて眠たかったから身を預けてくれたが、皆の前でやろうものなら殺気が飛んできそうだ。
使い分けているというと変かもしれないが、それくらいアシェルの中で、この人にならここまでなら見せても良いという基準があるような気がする。
アークエイドには聞けば眠たいことを打ち明けてくれたのも、一緒に過ごす時間が長くなって見せても良い姿が多いからではないかと思う。そうであって欲しいという願望も混じっているかもしれないが。
一緒に眠るのだって、こうやって皆でお泊りしている状態なら断られるだろう。
「アシェが多分嫌がる。一緒に座って本を読むのは良いが、多分隣で眠るのは断られるだろうな。正直なところ、アシェがこっちで寝ると言わなくてホッとしたくらいだ。夜はマリクが獣化してるからな。」
アシェルのことだから、マリクの毛皮で寝たいし、普段野営でも一緒に寝てるし問題ないでしょ?とか普通に言いそうだ。
野営でもマリクの毛皮に包まれて寝るのを好んでいるようだし、キルルの毛皮で寝た時のことも「キルル様の毛皮もとても気持ち良かったんだよ。マリクは獣化してなかったけど、ニクス様がキルル様とマリクに埋もれて寝たいのも分かる気がする。二人ともちょっと毛質が違って、もふもふなんだよ。」と力説してくれたことがある。
マリクのことが好きなのかと思ってしまうくらい気に入った発言をするが、アシェルとリリアーデが言うにはマリクは人懐っこい“大型犬”で、ペットや愛玩動物というマリクの使い魔のような存在らしい。動物という存在を家で飼育するそうだ。
二人が言うには大型犬を愛でているだけであって、恋愛感情とは違うらしい。
「つまるところ、アシェル様が嫌がらないのであれば、二人っきりになりたいってことですわね。アシェル様のことを、諦めたり飽きたりじゃないようで安心しましたわ。寝床に関しては、わたくしが許しませんわ。アシェル様もリリアーデ様も、お寝間着ですのに、ガウンを羽織って普通に部屋を出ようとしますのよ?最初三日間は止めるのに苦労しましたわ。」
「アシェがきっちり考えた上で振ってくるなら諦めるが、そうじゃなければ諦めるつもりはない。……すまない。ガウンを羽織っても、寝間着で人前に出るなと説明したはずなんだがな……。アシェもリリィも寝間着で部屋の行き来をしていたらしくて、イマイチ納得していないようだった。」
「いくら目の前とは言え、寝間着で廊下に出てるってことですわよね?前世の感覚ってやつなのかしら……。だとしても、殿方のところへ寝間着で向かうのはダメですわ。襲ってくれと言っているようなものですもの。」
「止めてくれて助かった。デュークも、リリィが押し掛けてくるんじゃないかと心配していたからな。アシェがイザベルとリリィを誘って、イザベルがアシェの部屋で三人でならと言ってくれたからどうにかなったが……。リリィは寝台を全部くっつけて、皆で寝るつもりだったらしいぞ?“雑魚寝”と“枕投げ”は定番だと言っていたらしい。」
「わたくしもその単語は聞きましたわ。アシェル様も、リリアーデ様がやりたいならって乗り気でしたから、止めるのが大変でしたわ。せめてお昼間にと言ったんですけど、枕投げは寝る前にやるものらしいですわ。」
雑魚寝や枕投げと言われて、デュークの説明を受けてようやく理解した。
そもそも雑多に人が入り混じって寝るのなんて、緊急時や野営くらいだ。
野営ですら準備が出来る場合は、【朱の渡り鳥】のようにテントと寝袋は必須な冒険者や騎士も多いくらいなのだから。
だが雑魚寝とは寝台に一人ずつ寝るのではなく、広い空間に布団や枕はあったりなかったりで大勢がすぐ隣で寝るそうだ。
マリクの持ってきた寝台に、獣化したマリクとそこに包まれる形でエラートが。
デュークの寝台にアークエイドも寝かせて貰っているが、お互いしっかり距離を空けて寝ている。
こちらの感覚だと一緒に寝ても、恋人や親兄弟や、獣化したマリクと一緒に寝るような特殊な状況を除いて、寝がえりをうてば触れあってしまうほど近くに寝ることはない。
枕投げは、そんな雑魚寝の状態で枕を投げつけ合う娯楽らしい。
枕を投げると埃が舞うだけだし、無意識に身体強化をかけてしまわないようにしなくては、枕が破れるか重たい一撃が飛んできそうだ。
そもそも枕一つのサイズも、アークエイド達が普段使っているようなものよりも小さくて、平民が使っているようなサイズのものを飛ばすらしい。
説明を聞いても、楽しさが全く伝わってこなかった。
「とりあえず、皆様が引きこもった生活に飽きてきているのなら、そろそろまた言いだしかねませんわね……気を付けておきますわ。」
「あぁ、頼む。……さすがにアシェの寝間着姿を、皆に見せたくない。デュークはリリィのを。」
「わたくしだってネグリジェ姿のお二人を、殿方の寝室に送り出す気はありませんわよ。そうだわ。アークエイド様、お洋服や肌着の色やデザインなどお好みはありまして?」
急に話題が変わって何事かと思うが、イザベルの瞳が悪戯っぽく輝いている。
割とイザベルとの付き合いも長くなってきたと思うのだが、令嬢として話していてもこんな風に悪戯っ子のような表情をしているのは、初めて見るかもしれない。
「それは俺の……じゃないよな?」
「わたくしがアークエイド様のを聞いても仕方ないでしょう?アシェル様のですわ。アークエイド様と二人っきりなんて、なかなかありませんもの。アシェル様のお洋服や下着は全てわたくしが用意しているので、ご希望があればなるべく添いますわよ?なんでしたらエリュシオンのカタログから、お好きなものをピックアップしていただいても構いませんわ。」
イザベルの口にした“エリュシオン”という単語に、思わず噴き出しそうになる。
珈琲を口に含んでいなくて本当に良かった。
「どこでエリュシオンなんて知ったんだ。……あれはアシェが着てくれないだろう。」
「ふふふ、アークエイド様はご存知でしたのね。わたくし、これでも使用人歴が長いのよ?先輩から色々教えてもらった中の一つに、エリュシオンが入ってましたのよ。殿方は、ああいう下着がお好みなんでしょう?」
エリュシオンとは、女性用の下着屋の名前だ。
既製品からオーダーメイドまで、普段使いのモノから閨用のものまで幅広く取り扱っている。
だがエリュシオンと言えば、その閨用の下着がメインだと考えて良いだろう。
普段使い用はオーダーメイドしか取り扱いがなく、カタログがあるのは透けていたり閨では便利だったり、男性の欲を刺激するデザインしか載っていないはずである。
イザベルは耳年増なようだ。
というより、そういう話しは使用人同士でするような話なのだろうか。
「……好みじゃないとは言わない。ただ、嫌がるアシェに着せてまで楽しみたい訳じゃない。アシェはどんな色やデザインが好きなんだ?」
「あら、わたくしはアークエイド様の意見が聞きたいのに。残念ですわ。とりあえずカタログだけ出しておきますから、見てくださいませ。」
イザベルが『ストレージ』から分厚いカタログを取り出し、アークエイドに渡してきた。
何故カタログを持っているのだろうか。
持っていたとしても、収納場所はストレージじゃなくて良い気がする。
「アシェル様は普段のお洋服から分かるかもしれませんけれど、紫や寒色系がお好きですわね。紫は瞳のような薄くて淡いものから、濃いものまでどれもお好きなようですけれど……あまり淡いものはお召しになりませんわ。お肌も髪も瞳も色が淡いので、ドレスまで淡い色だと不健康に見えすぎるから、らしいです。青は深みのある色が、あとは黒もお好きですわね。星空のようにキラキラしている生地もお好きですわ。逆に、白いものはシャツだけじゃないかしら。白やピンクなどの可愛らしいカラーは好まないみたいだわ。デザインは……あまりご希望は無いけれど、以前にリリアーデ様が言っていたように、首元がきついものはお好きじゃないわ。首が隠れるデザインなら、かならずゆったりしているものだけね。それ以外でアシェル様が好き嫌いを言ったことは無いわ。ヒールだってどんなに高いものを用意しても、お似合いになるからと言えば嫌がらずに履きますもの。」
確かに、アシェルはやたら高いヒールを綺麗に履きこなしていた。
普通であれば足が痛くなるとか、歩きにくいとかで嫌がりそうなものなのだが。
「そうか……覚えておく。だが、身につける物を送っても、アシェはあまり喜ばなさそうだな。」
「ですわね。むしろ、衣装部屋のお洋服を多すぎるというくらいですから。もしドレスやワンピースを贈るのでしたら、デートなどに合わせて着る機会を作ってからのお渡しをお勧めしますわ。それ以外は反応が良くないし、着てくれるか分かりませんもの。逆にそういうタイミングで渡せば、間違いなく一度は袖を通してくれますわ。……アレリオンお義兄様とアルフォードお義兄様情報ですので、間違いありませんわよ。」
「くくっ、確かにそれは信憑性が高いな。覚えておこう。でも確かに、アシェの色は淡くて綺麗だから淡い色よりも、しっかりとした落ち着いた色の方が似あいそうだ。好きな色という訳ではないが……アシェが俺の色を身に着けてくれると嬉しいな。」
「どちらもアシェル様のお好みの色なので、着せること自体は難しくありませんわよ。それよりも、カタログを見てくださいませ。先輩とも色々お喋りしましたけれど、殿方の意見も聞きたいですわ。」
せっかくカタログのことは無かったことにしていたのに、イザベルは是が非でも意見を聴きたいらしい。
仕方なくカタログを開けば、大部分はデザインのイラストが、間には実際に商品化されているデザイン画と写真が、後半には色やレースなどの見本写真がずらりと並んでいる。
下着の写真は平置きのモノで、モデルの着用画が無くて良かった。
少し気恥ずかしい思いのままページをめくり、アシェルに似合いそうなデザインを探してみる。
「アークエイド様ですと、どんなものを着ていただきたいと思います?する気がなくても、思わず閨に誘いたくなるようなものを教えて欲しいですわ。」
「アシェが着るならどれを着ても誘いたくなるぞ。逆にそれ以外に着られても……。」
「もう。分かってますわよ。ただ、殿方のそそられるものを知りたいだけですわ。」
イザベルはアークエイドの為にという体でカタログを見せてきたが、知りたいのはアークエイドの好みではなく、意中の誰かにアプローチするために知りたいんじゃないだろうか。
もし決まった相手がいるのならその相手に聞けばいいのだし、アークエイドの好みなんて気にしないだろう。
女性がこんな身体のラインが透けたり大切な部分が隠れていない下着を見せてくれるのなら、女性から誘われていると思うし、合意の上で閨事を行っていることになると思う。
ただ、他に意中の女性が居て遊ぶつもりがない男だった場合、傷つくのは女性の方だ。
誰かにアプローチするよりは、婚約者や夫婦のOKサインとして使うイメージだ。
「あくまでも俺はだが……こういった丁度隠れるくらいの、これくらいのキャミソールが付いたものが良い。」
お尻が丁度隠れる丈のキャミソールがついたデザインを指し示す。
丈もだが、選んだものは前にスリットが入っていて、脱がせなくても肌に直接触れられるし、はだけさせられそうだ。
「肌着だけよりも、こういった布が一枚あった方が良いんですの?確かに可愛いですわよね。ベビードールはもっと長いものや、ギャザーが入ってふわふわしたデザインのモノもありますわよ。」
イザベルがぺらぺらとカタログをめくって、いくつかデザインを指し示してくる。
アークエイドから見ると、肌着など大切なところを守る為と男性を欲情させる目的なような気がしてしまうのだが、女性視点から見ると可愛いになるらしい。
確かにレースやフリルなどを使っていて可愛いのかもしれないが、そういうのはドレスのように眼に見える場所を飾るから良いのではないだろうか。
「丈は今言ったくらいの長さが良い。長すぎると大人っぽすぎるし、触りにくそうだ。デザインよりも、透け感のある生地の方が良い。レースやチュールの。」
「なるほど。隠れているわけでも全部見えているわけでも無い状態ですわね。今度アシェル様に購入を勧めてみますわ。楽しみにしていてくださいませ。」
勝手に買って着せるのかと思っていたが、そこはアシェルと相談するらしい。
「聞いても着ないと言われそうだ。」
「あら、そうかしら?可愛い下着はテンションが上がるものですわよ。眼に見えない場所のおしゃれも大事なんだから。肌着をメインで、ベビードールは肌着とお揃いだと可愛いからとかなんとか言えば、アシェル様は頷きますわよ。渋ったら、わたくしとお揃いだと言えば絶対着てくださいますわ。そうなると、わたくしの分までアシェル様が払うと言いそうで嫌なのだけれど。」
「アシェのドレスや下着は、メイディーが払っているんじゃないのか?」
「ドレスや普段着用されているオーダーメイドのお洋服は、全て邸で手配していますわ。ただ、普段のお食事や寮での生活に必要な日用品なんかは、アシェル様がだしていらっしゃいますわね。肌着や胸潰しも、成長に合わせて買い替えが必要ですから、アシェル様が都度出していらっしゃいますわ。旦那様はもっと邸で色々揃えると言ってくださっているんですけれど、アシェル様が十分量毎月硬貨をくれる上に、余ったらわたくしへのボーナスとか言うんですのよ?お給金と別にお小遣いまで頂いてるのに、流石にそれ以上はもらえませんわ。」
「前世の感覚があるから、節約や稼ぐ手段は欲しいと言っていたが……なるほど。どうりでメイディー卿が嘆くはずだ。」
アシェルは錬金素材と関連書物くらいしか欲しいものは無いと言っていたし、収入源は薬関係と冒険者業で毎月しっかり稼いでいる。
それをしっかり普段の生活費と、イザベルへのお小遣いに回しているのだろう。
これで学費まで払うと言っていたらしいから、親の手を離れようとするのが早すぎるとアベルが嘆いていたらしい。
前世は孤児だったから身をたてる手段がないと不安なのだと言っていたが、親が居る今、そんなに早く独り立ちする必要はないのではないかと思う。
「旦那様も、もう少しアシェル様に頼っていただきたいそうですけれど……。侍女もわたくしか母以外は要らないって言うし、欲しいものはないって言うしで、難しいみたいですわね。」
「アシェらしいと言えばアシェらしいがな。」
「そうなのだけれど……。とりあえず、今は夜お眠りになっていただくために、寝床を分けるかお昼寝してもらわないとですわ。エッグノッグを飲んでいただいたら、少しは眠れるかしら?」
「もしかすれば、だな。もしエッグノッグを作るなら、作り方を教えて貰っても良いか?俺も作れるようになっておきたい。」
イザベルが居る時ならば良いが、もし居ない時はアークエイドが作ってやりたい。
それも飲み慣れている味の方が良いだろう。
「えぇ、構いませんわ。……そろそろアシェル様を起こしましょうか。あまり遅く起こすと、睡眠不足でもお昼寝してくれなくなりそうです。アークエイド様にお願いしても良いですか?私は夕飯の支度を始めます。」
「そうだな、起こしに行くか。」
イザベルの私的な時間は終わりのようだ。
イザベルはキッチンへと向かい、アークエイドはアシェルの眠る寝室へと向かった。
こういう皆と一緒に居る時は、多分非公式お茶会くらいの距離感までしか許してもらえないだろうと思っている。
当時のアシェルには全く意識はしてもらえなかったが、隣にぴったりと寄り添って座っていても、皆が当たり前だと思っているようなことなら大丈夫だ。
さっき抱き上げたのだって、皆が居なくて眠たかったから身を預けてくれたが、皆の前でやろうものなら殺気が飛んできそうだ。
使い分けているというと変かもしれないが、それくらいアシェルの中で、この人にならここまでなら見せても良いという基準があるような気がする。
アークエイドには聞けば眠たいことを打ち明けてくれたのも、一緒に過ごす時間が長くなって見せても良い姿が多いからではないかと思う。そうであって欲しいという願望も混じっているかもしれないが。
一緒に眠るのだって、こうやって皆でお泊りしている状態なら断られるだろう。
「アシェが多分嫌がる。一緒に座って本を読むのは良いが、多分隣で眠るのは断られるだろうな。正直なところ、アシェがこっちで寝ると言わなくてホッとしたくらいだ。夜はマリクが獣化してるからな。」
アシェルのことだから、マリクの毛皮で寝たいし、普段野営でも一緒に寝てるし問題ないでしょ?とか普通に言いそうだ。
野営でもマリクの毛皮に包まれて寝るのを好んでいるようだし、キルルの毛皮で寝た時のことも「キルル様の毛皮もとても気持ち良かったんだよ。マリクは獣化してなかったけど、ニクス様がキルル様とマリクに埋もれて寝たいのも分かる気がする。二人ともちょっと毛質が違って、もふもふなんだよ。」と力説してくれたことがある。
マリクのことが好きなのかと思ってしまうくらい気に入った発言をするが、アシェルとリリアーデが言うにはマリクは人懐っこい“大型犬”で、ペットや愛玩動物というマリクの使い魔のような存在らしい。動物という存在を家で飼育するそうだ。
二人が言うには大型犬を愛でているだけであって、恋愛感情とは違うらしい。
「つまるところ、アシェル様が嫌がらないのであれば、二人っきりになりたいってことですわね。アシェル様のことを、諦めたり飽きたりじゃないようで安心しましたわ。寝床に関しては、わたくしが許しませんわ。アシェル様もリリアーデ様も、お寝間着ですのに、ガウンを羽織って普通に部屋を出ようとしますのよ?最初三日間は止めるのに苦労しましたわ。」
「アシェがきっちり考えた上で振ってくるなら諦めるが、そうじゃなければ諦めるつもりはない。……すまない。ガウンを羽織っても、寝間着で人前に出るなと説明したはずなんだがな……。アシェもリリィも寝間着で部屋の行き来をしていたらしくて、イマイチ納得していないようだった。」
「いくら目の前とは言え、寝間着で廊下に出てるってことですわよね?前世の感覚ってやつなのかしら……。だとしても、殿方のところへ寝間着で向かうのはダメですわ。襲ってくれと言っているようなものですもの。」
「止めてくれて助かった。デュークも、リリィが押し掛けてくるんじゃないかと心配していたからな。アシェがイザベルとリリィを誘って、イザベルがアシェの部屋で三人でならと言ってくれたからどうにかなったが……。リリィは寝台を全部くっつけて、皆で寝るつもりだったらしいぞ?“雑魚寝”と“枕投げ”は定番だと言っていたらしい。」
「わたくしもその単語は聞きましたわ。アシェル様も、リリアーデ様がやりたいならって乗り気でしたから、止めるのが大変でしたわ。せめてお昼間にと言ったんですけど、枕投げは寝る前にやるものらしいですわ。」
雑魚寝や枕投げと言われて、デュークの説明を受けてようやく理解した。
そもそも雑多に人が入り混じって寝るのなんて、緊急時や野営くらいだ。
野営ですら準備が出来る場合は、【朱の渡り鳥】のようにテントと寝袋は必須な冒険者や騎士も多いくらいなのだから。
だが雑魚寝とは寝台に一人ずつ寝るのではなく、広い空間に布団や枕はあったりなかったりで大勢がすぐ隣で寝るそうだ。
マリクの持ってきた寝台に、獣化したマリクとそこに包まれる形でエラートが。
デュークの寝台にアークエイドも寝かせて貰っているが、お互いしっかり距離を空けて寝ている。
こちらの感覚だと一緒に寝ても、恋人や親兄弟や、獣化したマリクと一緒に寝るような特殊な状況を除いて、寝がえりをうてば触れあってしまうほど近くに寝ることはない。
枕投げは、そんな雑魚寝の状態で枕を投げつけ合う娯楽らしい。
枕を投げると埃が舞うだけだし、無意識に身体強化をかけてしまわないようにしなくては、枕が破れるか重たい一撃が飛んできそうだ。
そもそも枕一つのサイズも、アークエイド達が普段使っているようなものよりも小さくて、平民が使っているようなサイズのものを飛ばすらしい。
説明を聞いても、楽しさが全く伝わってこなかった。
「とりあえず、皆様が引きこもった生活に飽きてきているのなら、そろそろまた言いだしかねませんわね……気を付けておきますわ。」
「あぁ、頼む。……さすがにアシェの寝間着姿を、皆に見せたくない。デュークはリリィのを。」
「わたくしだってネグリジェ姿のお二人を、殿方の寝室に送り出す気はありませんわよ。そうだわ。アークエイド様、お洋服や肌着の色やデザインなどお好みはありまして?」
急に話題が変わって何事かと思うが、イザベルの瞳が悪戯っぽく輝いている。
割とイザベルとの付き合いも長くなってきたと思うのだが、令嬢として話していてもこんな風に悪戯っ子のような表情をしているのは、初めて見るかもしれない。
「それは俺の……じゃないよな?」
「わたくしがアークエイド様のを聞いても仕方ないでしょう?アシェル様のですわ。アークエイド様と二人っきりなんて、なかなかありませんもの。アシェル様のお洋服や下着は全てわたくしが用意しているので、ご希望があればなるべく添いますわよ?なんでしたらエリュシオンのカタログから、お好きなものをピックアップしていただいても構いませんわ。」
イザベルの口にした“エリュシオン”という単語に、思わず噴き出しそうになる。
珈琲を口に含んでいなくて本当に良かった。
「どこでエリュシオンなんて知ったんだ。……あれはアシェが着てくれないだろう。」
「ふふふ、アークエイド様はご存知でしたのね。わたくし、これでも使用人歴が長いのよ?先輩から色々教えてもらった中の一つに、エリュシオンが入ってましたのよ。殿方は、ああいう下着がお好みなんでしょう?」
エリュシオンとは、女性用の下着屋の名前だ。
既製品からオーダーメイドまで、普段使いのモノから閨用のものまで幅広く取り扱っている。
だがエリュシオンと言えば、その閨用の下着がメインだと考えて良いだろう。
普段使い用はオーダーメイドしか取り扱いがなく、カタログがあるのは透けていたり閨では便利だったり、男性の欲を刺激するデザインしか載っていないはずである。
イザベルは耳年増なようだ。
というより、そういう話しは使用人同士でするような話なのだろうか。
「……好みじゃないとは言わない。ただ、嫌がるアシェに着せてまで楽しみたい訳じゃない。アシェはどんな色やデザインが好きなんだ?」
「あら、わたくしはアークエイド様の意見が聞きたいのに。残念ですわ。とりあえずカタログだけ出しておきますから、見てくださいませ。」
イザベルが『ストレージ』から分厚いカタログを取り出し、アークエイドに渡してきた。
何故カタログを持っているのだろうか。
持っていたとしても、収納場所はストレージじゃなくて良い気がする。
「アシェル様は普段のお洋服から分かるかもしれませんけれど、紫や寒色系がお好きですわね。紫は瞳のような薄くて淡いものから、濃いものまでどれもお好きなようですけれど……あまり淡いものはお召しになりませんわ。お肌も髪も瞳も色が淡いので、ドレスまで淡い色だと不健康に見えすぎるから、らしいです。青は深みのある色が、あとは黒もお好きですわね。星空のようにキラキラしている生地もお好きですわ。逆に、白いものはシャツだけじゃないかしら。白やピンクなどの可愛らしいカラーは好まないみたいだわ。デザインは……あまりご希望は無いけれど、以前にリリアーデ様が言っていたように、首元がきついものはお好きじゃないわ。首が隠れるデザインなら、かならずゆったりしているものだけね。それ以外でアシェル様が好き嫌いを言ったことは無いわ。ヒールだってどんなに高いものを用意しても、お似合いになるからと言えば嫌がらずに履きますもの。」
確かに、アシェルはやたら高いヒールを綺麗に履きこなしていた。
普通であれば足が痛くなるとか、歩きにくいとかで嫌がりそうなものなのだが。
「そうか……覚えておく。だが、身につける物を送っても、アシェはあまり喜ばなさそうだな。」
「ですわね。むしろ、衣装部屋のお洋服を多すぎるというくらいですから。もしドレスやワンピースを贈るのでしたら、デートなどに合わせて着る機会を作ってからのお渡しをお勧めしますわ。それ以外は反応が良くないし、着てくれるか分かりませんもの。逆にそういうタイミングで渡せば、間違いなく一度は袖を通してくれますわ。……アレリオンお義兄様とアルフォードお義兄様情報ですので、間違いありませんわよ。」
「くくっ、確かにそれは信憑性が高いな。覚えておこう。でも確かに、アシェの色は淡くて綺麗だから淡い色よりも、しっかりとした落ち着いた色の方が似あいそうだ。好きな色という訳ではないが……アシェが俺の色を身に着けてくれると嬉しいな。」
「どちらもアシェル様のお好みの色なので、着せること自体は難しくありませんわよ。それよりも、カタログを見てくださいませ。先輩とも色々お喋りしましたけれど、殿方の意見も聞きたいですわ。」
せっかくカタログのことは無かったことにしていたのに、イザベルは是が非でも意見を聴きたいらしい。
仕方なくカタログを開けば、大部分はデザインのイラストが、間には実際に商品化されているデザイン画と写真が、後半には色やレースなどの見本写真がずらりと並んでいる。
下着の写真は平置きのモノで、モデルの着用画が無くて良かった。
少し気恥ずかしい思いのままページをめくり、アシェルに似合いそうなデザインを探してみる。
「アークエイド様ですと、どんなものを着ていただきたいと思います?する気がなくても、思わず閨に誘いたくなるようなものを教えて欲しいですわ。」
「アシェが着るならどれを着ても誘いたくなるぞ。逆にそれ以外に着られても……。」
「もう。分かってますわよ。ただ、殿方のそそられるものを知りたいだけですわ。」
イザベルはアークエイドの為にという体でカタログを見せてきたが、知りたいのはアークエイドの好みではなく、意中の誰かにアプローチするために知りたいんじゃないだろうか。
もし決まった相手がいるのならその相手に聞けばいいのだし、アークエイドの好みなんて気にしないだろう。
女性がこんな身体のラインが透けたり大切な部分が隠れていない下着を見せてくれるのなら、女性から誘われていると思うし、合意の上で閨事を行っていることになると思う。
ただ、他に意中の女性が居て遊ぶつもりがない男だった場合、傷つくのは女性の方だ。
誰かにアプローチするよりは、婚約者や夫婦のOKサインとして使うイメージだ。
「あくまでも俺はだが……こういった丁度隠れるくらいの、これくらいのキャミソールが付いたものが良い。」
お尻が丁度隠れる丈のキャミソールがついたデザインを指し示す。
丈もだが、選んだものは前にスリットが入っていて、脱がせなくても肌に直接触れられるし、はだけさせられそうだ。
「肌着だけよりも、こういった布が一枚あった方が良いんですの?確かに可愛いですわよね。ベビードールはもっと長いものや、ギャザーが入ってふわふわしたデザインのモノもありますわよ。」
イザベルがぺらぺらとカタログをめくって、いくつかデザインを指し示してくる。
アークエイドから見ると、肌着など大切なところを守る為と男性を欲情させる目的なような気がしてしまうのだが、女性視点から見ると可愛いになるらしい。
確かにレースやフリルなどを使っていて可愛いのかもしれないが、そういうのはドレスのように眼に見える場所を飾るから良いのではないだろうか。
「丈は今言ったくらいの長さが良い。長すぎると大人っぽすぎるし、触りにくそうだ。デザインよりも、透け感のある生地の方が良い。レースやチュールの。」
「なるほど。隠れているわけでも全部見えているわけでも無い状態ですわね。今度アシェル様に購入を勧めてみますわ。楽しみにしていてくださいませ。」
勝手に買って着せるのかと思っていたが、そこはアシェルと相談するらしい。
「聞いても着ないと言われそうだ。」
「あら、そうかしら?可愛い下着はテンションが上がるものですわよ。眼に見えない場所のおしゃれも大事なんだから。肌着をメインで、ベビードールは肌着とお揃いだと可愛いからとかなんとか言えば、アシェル様は頷きますわよ。渋ったら、わたくしとお揃いだと言えば絶対着てくださいますわ。そうなると、わたくしの分までアシェル様が払うと言いそうで嫌なのだけれど。」
「アシェのドレスや下着は、メイディーが払っているんじゃないのか?」
「ドレスや普段着用されているオーダーメイドのお洋服は、全て邸で手配していますわ。ただ、普段のお食事や寮での生活に必要な日用品なんかは、アシェル様がだしていらっしゃいますわね。肌着や胸潰しも、成長に合わせて買い替えが必要ですから、アシェル様が都度出していらっしゃいますわ。旦那様はもっと邸で色々揃えると言ってくださっているんですけれど、アシェル様が十分量毎月硬貨をくれる上に、余ったらわたくしへのボーナスとか言うんですのよ?お給金と別にお小遣いまで頂いてるのに、流石にそれ以上はもらえませんわ。」
「前世の感覚があるから、節約や稼ぐ手段は欲しいと言っていたが……なるほど。どうりでメイディー卿が嘆くはずだ。」
アシェルは錬金素材と関連書物くらいしか欲しいものは無いと言っていたし、収入源は薬関係と冒険者業で毎月しっかり稼いでいる。
それをしっかり普段の生活費と、イザベルへのお小遣いに回しているのだろう。
これで学費まで払うと言っていたらしいから、親の手を離れようとするのが早すぎるとアベルが嘆いていたらしい。
前世は孤児だったから身をたてる手段がないと不安なのだと言っていたが、親が居る今、そんなに早く独り立ちする必要はないのではないかと思う。
「旦那様も、もう少しアシェル様に頼っていただきたいそうですけれど……。侍女もわたくしか母以外は要らないって言うし、欲しいものはないって言うしで、難しいみたいですわね。」
「アシェらしいと言えばアシェらしいがな。」
「そうなのだけれど……。とりあえず、今は夜お眠りになっていただくために、寝床を分けるかお昼寝してもらわないとですわ。エッグノッグを飲んでいただいたら、少しは眠れるかしら?」
「もしかすれば、だな。もしエッグノッグを作るなら、作り方を教えて貰っても良いか?俺も作れるようになっておきたい。」
イザベルが居る時ならば良いが、もし居ない時はアークエイドが作ってやりたい。
それも飲み慣れている味の方が良いだろう。
「えぇ、構いませんわ。……そろそろアシェル様を起こしましょうか。あまり遅く起こすと、睡眠不足でもお昼寝してくれなくなりそうです。アークエイド様にお願いしても良いですか?私は夕飯の支度を始めます。」
「そうだな、起こしに行くか。」
イザベルの私的な時間は終わりのようだ。
イザベルはキッチンへと向かい、アークエイドはアシェルの眠る寝室へと向かった。
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