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最終章 エレナと黄金の女神編
123:ウィン・ディーネ・アレクサンダー
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ウィン・ディーネ・アレクサンダーは最初、エレナのことが好きではなかった。
数年前。突然「白髪の聖女」として城にやってきたエレナの第一印象はとても悪かった。尤も十にも満たない子供が強制的に慣れ親しんだ故郷から城に連れ去られてきたのだ。そんな彼女に愛想よくしろというのも無理があるのかもしれない。
初めてウィンと出会ったエレナは、不安そうに目を泳がせて今にも泣きそうな表情を浮かべていた。当時「立派な王になるように」と周囲からこっぴどく言われていたウィン。彼は辺境の貴族のくせに髪の色が変わっただけで自分の父や従者、国民から崇められる彼女に正直嫉妬してしまったのだ。
「え、エレナ・フィンスターニスと……申します……。よろしくお願いします、ウィン殿下」
「……ふんっ!」
……故に、まだ未熟者であったウィンはエレナの自己紹介に思わずそっぽを向いてしまう。そんなウィンの態度にエレナの顔がさらに悲しそうに歪められたのは言うまでもないだろう。
その後、王妃になるための厳しい教育がエレナを襲った。
ウィンは傍目でそれを見つつ、自らのやるべきことに専念する。あまりの厳しさに苦しんでいるのか、毎晩城の裏庭でひとり泣いている彼女にも気付いていた。だがウィンは王妃になるためなら当然だと励ましの言葉ひとつかけなかった。
そんなある時、二人の関係に転機が訪れる。
「──は? い、今、僕に海蛇と戦えとおっしゃったのですか? 一人で?」
「あぁ。確かにそういったぞ」
父親であり国王であるウォルブにそう告げられたウィンは耳を疑った。
海蛇とはその名の通り伝説の海蛇で、とても人間が敵う相手ではなかった。体長は城の高さにも匹敵するほどの巨体で、その太い尾の一薙ぎで船は瞬く間に海に飲み込まれてしまう化け物。それをウィン一人で倒せと、ウォルブはそう言ったのだ。
「父上、本気でおっしゃっているのですか?」
「勿論だウィン。まさかお前、怖気づいているのではあるまいな? 我が国は恩恵教の中心とも呼べるべき国だ。そんな国の人間に勇者が一人もいないという事態は避けねば。……分かるな? 勇者になるには大天使からその強さを認められなければならん」
「──っ、」
ウィンはかろうじて「わかりました」と言い、その場を離れた。
気づいたら裏庭に来ていた。部屋に閉じこもる気分にもなれない。外の冷たい空気が自分の感情を冷ましてくれることを期待した。
だが、ウィンの涙は止まらない。自分は死ぬかもしれない。いくら絶対神がいるとしても、怪物に怯えて涙するこんな自分を選んでくれる自信がなかった。
──そんな時。
「ウィン、殿下……?」
気付けばエレナが困惑した表情でこちらを見ていた。初めてまともに彼女の顔を見た気がする。月光に照らされた彼女の真っ直ぐな瞳に微かに胸が昂ってしまった。思えば、初めて出会った時からこの強い瞳には何かを感じていた。だからこそ自分らしくなく子供のような態度で彼女を避け続けてきたのだ。
ウィンはエレナの瞳に惹かれて、思わず彼女に海蛇と戦うことになったと話した。すると彼女は意外にも怒ったような顔をする。
「そんな、海蛇を倒すなんて……いくらなんでも無謀なのでは?」
「ふっ、君もそう思うか。僕もそう思う。でもいいんだ。兄弟もいっぱいいるし、僕がいなくてもこの国の次期国王には困らない……」
「そういう問題じゃないでしょう!!」
エレナがウィンを叱る。まさか叱られるとは思っていなかったウィンは目を丸くした。
そんな戸惑う彼の手をエレナは強く握る。
「──ウィン殿下、逃げましょう!」
「え、」
「いくら勇者になるためとはいえ、そんな無謀なことをおしつけてくる国王様はおかしいです! 私と一緒に逃げましょう! 貴方は死ぬ必要なんてない!」
ウィンは思わず固まった。次第に鼻の奥がつぅんと痛んで、涙が溢れてくる。女性の前で泣きたくなかった。特にエレナの前では。だが、止まらなかった。彼女を抱きしめて、泣き縋ってしまった……。
死ななくていい。そう言ってくれた彼女に肩の重みが和らいだのを感じる。自分は今までひとり泣いていた彼女を助けなかったというのに。彼女は全力でウィンを助けようと手を伸ばしてくれた。
なんて美しい人なんだ、とウィンは思った。
「エレナ、本当にありがとう。しかし僕はこの国を見捨てることはしない。この国の王子であることに誇りを持っているんだ。大丈夫。なんとかやっていくさ。だからエレナ、よかったら当日は応援してくれないか」
「ウィン殿下……でも、」
「僕を信じてくれると嬉しい」
そう言うと、エレナは眉を下げたまま小さく頷いたのだった……。
***
身体が震えている。
ウィンが海蛇と戦う日。彼は船上でソレと睨み合っていた。やはり自分の何十倍もあるこんな巨大な海蛇に勝てるわけがない。そうウィンは確信したが、離れた違う船に乗っているエレナに見守られていると思うと自然に勇気が溢れてきた(ちなみにウィンは危険だからついてくるなと言ったのだが、エレナが強引についてきてしまった)。
それに自分がもし海蛇に敗れてしまえば、この怪物の標的はエレナの乗っている船に移るかもしれない。それは自分がこの怪物に喰われるよりも怖いと思ったのだ。
だが……
──くそ、やはりこうか!
ウィンは舌打ちした。海蛇の牙を剣でなんとか受けとめきれてはいるが、そもそも海蛇が船を沈みにかかったら勝機はない。ウィンが弄ばれていることは明白だった。
しかも船の上であっても足場が大きく揺れ、海水で濡れている。そんな環境で転倒するなというのは無理な話である。ウィンは海水に足を取られた。その隙を海蛇は見逃さない。白く輝く牙を輝かせ、ウィンに襲い掛かった──!
「──輝け!」
突然放たれた閃光。それはシー・サーペントの片目を貫いた。閃光がエレナの光魔法だとウィンはすぐに気づく。ウィンは「馬鹿!」とエレナを怒鳴った。だがもう遅い。シー・サーペントの標的がエレナの船へ変わってしまった。
エレナは光魔法を扱える。故に彼女の力を使えば彼女の船は逃げることは可能だろう。だが絶対に彼女はそうしない。彼女の船を逃したシー・サーペントがウィンの船を確実に沈むことが分かっているから。
──クソ! 僕が弱いばっかりに!!
ウィンが乗っている船は今の今まで海蛇に弄ばれていた故に操縦がきかない。どうすることもできずに、ウィンは床に拳をぶつける。悔しさで涙がでてきた。
「クソッ、くそ、くそぉっ!! 行くな、行くんじゃない怪物ッ!! エレナに、彼女に、手を出すなぁ!! 頼むから、彼女だけは……!!」
そうシー・サーペントに叫ぶが、勿論怪物がこちらを見ることはない。ウィンは怪物に向かって雄たけびを上げる。
……その時だ。
『──貫け』
ウィンの頭に不意にとある言葉が浮かんだ。咄嗟にその言葉を唱えると、なんとウィンの眼前から鋭い水の槍が一直線に飛びだす。槍はそのまま水しぶきを散らしながら、海蛇の頭部を貫いたのだ。
突然の出来事にウィンを含めてその場にいた全員が唖然とした。ウィンはその場で膝をつき、沈んでいく海蛇の死体を見つめることしかできない……。我に返った時には、エレナがウィンの船に移動してきていた。
「ウィン様! やりましたね! 今、ウィン様、魔法が使えたんですよ! 勇者に選ばれたんです! やった、やったぁ!!」
そう言って、満面の笑みでウィンに駆け寄ってくる。
その水に濡れた笑顔を見た瞬間、ウィンは──自分が初めから彼女に恋をしていたことを自覚した。
***
「どうして、忘れてしまっていたんだろうな……」
果てしない闇の中、ウィンは自嘲しながらポツリと呟いた。幼い頃の思い出が頭の中で流れていく。これが走馬灯というものらしい。最期に思い出したのがエレナの笑顔でよかった。心の底からそう思う。
……と、彼の目の前にはいつの間にか純白の翼を背にもつ青年が立っていた。筋肉質な巨体の彼には背中の翼は少し小さく見える。そんな青年をウィンは知っていた。ウィンが勇者に選ばれた日の夜、夢の中で話をしたことがあるからだ。
「大天使、ガブリエル様……」
「おう。久しぶりだな、ウィン。ずっとてめぇのその腑抜けた面を殴りたくて仕方なかったが、今は我慢してやろう」
そんな彼の言葉にウィンは震えて拳を握り締めることしかできない。
「……ッ。申し訳ありません。僕が間違っていました。僕は、大切なものを守るために貴方の力を欲した。だけど今回、その大切なものを自ら壊すために貴方の力を使ってしまいました……僕は、勇者失格です……」
「ほぅ。よーくわかってんじゃねえか」
「本当に、情けない勇者で申し訳ありません。……今まで、僕を支えてくださってありがとうございました……僕に、貴方のお力を貸してくださって、本当に、ありがとうございました……」
「あ? ……おい、てめぇは何を言ってんだ? てめぇの役目は終わってねぇぞ」
「えっ? 僕はルシファーの能力の代償で死んだんじゃ……」
突然、ガブリエルがウィンの額を指ではじいた。あまりの痛みにウィンは声を上げる。
「ちげぇだろ。お前が惚れたあの女が、そうやすやすとお前を死なせると思うか?」
「っ!」
──そこで闇の中に黄金の光が一筋差した。微かに聞きなれた声がこちらを呼ぶ声が聞こえる。
それに気づいたウィンは唇を噛み締め、我慢できずに涙を流した。
「そんなことが、あっていいのか……!! 僕は、君を数えきれないくらい傷つけたというのに! なのに、君は、僕にまた手を差し伸べてくれると、いうのか……!! エレナ、嗚呼、エレナ……!! 君は、本当に……美しい人だ……!!」
「おら、いけよ。てめぇの落とし前はてめぇでつけろ。そのために仕方ねぇからまだ俺の力は貸しといてやる。特別だからな。さっさと目を覚ましてエレナに懇切丁寧に謝ってこい、アホ王子!」
「……はい! ガブリエル様! ありがとうございます!」
ウィンは光の差す方へ走った。
走って、走って、走って……。
次第に全身が黄金の光に包まれていく。愛しい声がより近くに聞こえてくる。
──そうして目が覚めたら、そこには。
「ウィン殿下!! ──って、ええ!?」
視界に黄金の髪が飛び込んできた瞬間、ウィンは思わず彼女を抱きしめてしまった。
「すまない、エレナ。本当にすまない。僕は、僕は……」
「……分かってますよ。貴方が本当はそんな人じゃないってことくらい。これからはしっかりしてくださいね!」
「あぁ。すまない。本当に、ありがとう……ありがとう……!!」
ウィンは涙を拭い、強く頷いた。その瞳にはもう一点の陰りも見えない。
──さぁ、立ち上がろう。
己を認めてくれた大天使ガブリエル。
己を友と呼んでくれた小さな悪魔ルシファー。
己に幾度となく手を差し伸べてくれたエレナ。
今後は己の一生を懸けて彼らのために生きよう。もう二度と間違えない。ウィンはそう魂に深く刻んだのだった……。
数年前。突然「白髪の聖女」として城にやってきたエレナの第一印象はとても悪かった。尤も十にも満たない子供が強制的に慣れ親しんだ故郷から城に連れ去られてきたのだ。そんな彼女に愛想よくしろというのも無理があるのかもしれない。
初めてウィンと出会ったエレナは、不安そうに目を泳がせて今にも泣きそうな表情を浮かべていた。当時「立派な王になるように」と周囲からこっぴどく言われていたウィン。彼は辺境の貴族のくせに髪の色が変わっただけで自分の父や従者、国民から崇められる彼女に正直嫉妬してしまったのだ。
「え、エレナ・フィンスターニスと……申します……。よろしくお願いします、ウィン殿下」
「……ふんっ!」
……故に、まだ未熟者であったウィンはエレナの自己紹介に思わずそっぽを向いてしまう。そんなウィンの態度にエレナの顔がさらに悲しそうに歪められたのは言うまでもないだろう。
その後、王妃になるための厳しい教育がエレナを襲った。
ウィンは傍目でそれを見つつ、自らのやるべきことに専念する。あまりの厳しさに苦しんでいるのか、毎晩城の裏庭でひとり泣いている彼女にも気付いていた。だがウィンは王妃になるためなら当然だと励ましの言葉ひとつかけなかった。
そんなある時、二人の関係に転機が訪れる。
「──は? い、今、僕に海蛇と戦えとおっしゃったのですか? 一人で?」
「あぁ。確かにそういったぞ」
父親であり国王であるウォルブにそう告げられたウィンは耳を疑った。
海蛇とはその名の通り伝説の海蛇で、とても人間が敵う相手ではなかった。体長は城の高さにも匹敵するほどの巨体で、その太い尾の一薙ぎで船は瞬く間に海に飲み込まれてしまう化け物。それをウィン一人で倒せと、ウォルブはそう言ったのだ。
「父上、本気でおっしゃっているのですか?」
「勿論だウィン。まさかお前、怖気づいているのではあるまいな? 我が国は恩恵教の中心とも呼べるべき国だ。そんな国の人間に勇者が一人もいないという事態は避けねば。……分かるな? 勇者になるには大天使からその強さを認められなければならん」
「──っ、」
ウィンはかろうじて「わかりました」と言い、その場を離れた。
気づいたら裏庭に来ていた。部屋に閉じこもる気分にもなれない。外の冷たい空気が自分の感情を冷ましてくれることを期待した。
だが、ウィンの涙は止まらない。自分は死ぬかもしれない。いくら絶対神がいるとしても、怪物に怯えて涙するこんな自分を選んでくれる自信がなかった。
──そんな時。
「ウィン、殿下……?」
気付けばエレナが困惑した表情でこちらを見ていた。初めてまともに彼女の顔を見た気がする。月光に照らされた彼女の真っ直ぐな瞳に微かに胸が昂ってしまった。思えば、初めて出会った時からこの強い瞳には何かを感じていた。だからこそ自分らしくなく子供のような態度で彼女を避け続けてきたのだ。
ウィンはエレナの瞳に惹かれて、思わず彼女に海蛇と戦うことになったと話した。すると彼女は意外にも怒ったような顔をする。
「そんな、海蛇を倒すなんて……いくらなんでも無謀なのでは?」
「ふっ、君もそう思うか。僕もそう思う。でもいいんだ。兄弟もいっぱいいるし、僕がいなくてもこの国の次期国王には困らない……」
「そういう問題じゃないでしょう!!」
エレナがウィンを叱る。まさか叱られるとは思っていなかったウィンは目を丸くした。
そんな戸惑う彼の手をエレナは強く握る。
「──ウィン殿下、逃げましょう!」
「え、」
「いくら勇者になるためとはいえ、そんな無謀なことをおしつけてくる国王様はおかしいです! 私と一緒に逃げましょう! 貴方は死ぬ必要なんてない!」
ウィンは思わず固まった。次第に鼻の奥がつぅんと痛んで、涙が溢れてくる。女性の前で泣きたくなかった。特にエレナの前では。だが、止まらなかった。彼女を抱きしめて、泣き縋ってしまった……。
死ななくていい。そう言ってくれた彼女に肩の重みが和らいだのを感じる。自分は今までひとり泣いていた彼女を助けなかったというのに。彼女は全力でウィンを助けようと手を伸ばしてくれた。
なんて美しい人なんだ、とウィンは思った。
「エレナ、本当にありがとう。しかし僕はこの国を見捨てることはしない。この国の王子であることに誇りを持っているんだ。大丈夫。なんとかやっていくさ。だからエレナ、よかったら当日は応援してくれないか」
「ウィン殿下……でも、」
「僕を信じてくれると嬉しい」
そう言うと、エレナは眉を下げたまま小さく頷いたのだった……。
***
身体が震えている。
ウィンが海蛇と戦う日。彼は船上でソレと睨み合っていた。やはり自分の何十倍もあるこんな巨大な海蛇に勝てるわけがない。そうウィンは確信したが、離れた違う船に乗っているエレナに見守られていると思うと自然に勇気が溢れてきた(ちなみにウィンは危険だからついてくるなと言ったのだが、エレナが強引についてきてしまった)。
それに自分がもし海蛇に敗れてしまえば、この怪物の標的はエレナの乗っている船に移るかもしれない。それは自分がこの怪物に喰われるよりも怖いと思ったのだ。
だが……
──くそ、やはりこうか!
ウィンは舌打ちした。海蛇の牙を剣でなんとか受けとめきれてはいるが、そもそも海蛇が船を沈みにかかったら勝機はない。ウィンが弄ばれていることは明白だった。
しかも船の上であっても足場が大きく揺れ、海水で濡れている。そんな環境で転倒するなというのは無理な話である。ウィンは海水に足を取られた。その隙を海蛇は見逃さない。白く輝く牙を輝かせ、ウィンに襲い掛かった──!
「──輝け!」
突然放たれた閃光。それはシー・サーペントの片目を貫いた。閃光がエレナの光魔法だとウィンはすぐに気づく。ウィンは「馬鹿!」とエレナを怒鳴った。だがもう遅い。シー・サーペントの標的がエレナの船へ変わってしまった。
エレナは光魔法を扱える。故に彼女の力を使えば彼女の船は逃げることは可能だろう。だが絶対に彼女はそうしない。彼女の船を逃したシー・サーペントがウィンの船を確実に沈むことが分かっているから。
──クソ! 僕が弱いばっかりに!!
ウィンが乗っている船は今の今まで海蛇に弄ばれていた故に操縦がきかない。どうすることもできずに、ウィンは床に拳をぶつける。悔しさで涙がでてきた。
「クソッ、くそ、くそぉっ!! 行くな、行くんじゃない怪物ッ!! エレナに、彼女に、手を出すなぁ!! 頼むから、彼女だけは……!!」
そうシー・サーペントに叫ぶが、勿論怪物がこちらを見ることはない。ウィンは怪物に向かって雄たけびを上げる。
……その時だ。
『──貫け』
ウィンの頭に不意にとある言葉が浮かんだ。咄嗟にその言葉を唱えると、なんとウィンの眼前から鋭い水の槍が一直線に飛びだす。槍はそのまま水しぶきを散らしながら、海蛇の頭部を貫いたのだ。
突然の出来事にウィンを含めてその場にいた全員が唖然とした。ウィンはその場で膝をつき、沈んでいく海蛇の死体を見つめることしかできない……。我に返った時には、エレナがウィンの船に移動してきていた。
「ウィン様! やりましたね! 今、ウィン様、魔法が使えたんですよ! 勇者に選ばれたんです! やった、やったぁ!!」
そう言って、満面の笑みでウィンに駆け寄ってくる。
その水に濡れた笑顔を見た瞬間、ウィンは──自分が初めから彼女に恋をしていたことを自覚した。
***
「どうして、忘れてしまっていたんだろうな……」
果てしない闇の中、ウィンは自嘲しながらポツリと呟いた。幼い頃の思い出が頭の中で流れていく。これが走馬灯というものらしい。最期に思い出したのがエレナの笑顔でよかった。心の底からそう思う。
……と、彼の目の前にはいつの間にか純白の翼を背にもつ青年が立っていた。筋肉質な巨体の彼には背中の翼は少し小さく見える。そんな青年をウィンは知っていた。ウィンが勇者に選ばれた日の夜、夢の中で話をしたことがあるからだ。
「大天使、ガブリエル様……」
「おう。久しぶりだな、ウィン。ずっとてめぇのその腑抜けた面を殴りたくて仕方なかったが、今は我慢してやろう」
そんな彼の言葉にウィンは震えて拳を握り締めることしかできない。
「……ッ。申し訳ありません。僕が間違っていました。僕は、大切なものを守るために貴方の力を欲した。だけど今回、その大切なものを自ら壊すために貴方の力を使ってしまいました……僕は、勇者失格です……」
「ほぅ。よーくわかってんじゃねえか」
「本当に、情けない勇者で申し訳ありません。……今まで、僕を支えてくださってありがとうございました……僕に、貴方のお力を貸してくださって、本当に、ありがとうございました……」
「あ? ……おい、てめぇは何を言ってんだ? てめぇの役目は終わってねぇぞ」
「えっ? 僕はルシファーの能力の代償で死んだんじゃ……」
突然、ガブリエルがウィンの額を指ではじいた。あまりの痛みにウィンは声を上げる。
「ちげぇだろ。お前が惚れたあの女が、そうやすやすとお前を死なせると思うか?」
「っ!」
──そこで闇の中に黄金の光が一筋差した。微かに聞きなれた声がこちらを呼ぶ声が聞こえる。
それに気づいたウィンは唇を噛み締め、我慢できずに涙を流した。
「そんなことが、あっていいのか……!! 僕は、君を数えきれないくらい傷つけたというのに! なのに、君は、僕にまた手を差し伸べてくれると、いうのか……!! エレナ、嗚呼、エレナ……!! 君は、本当に……美しい人だ……!!」
「おら、いけよ。てめぇの落とし前はてめぇでつけろ。そのために仕方ねぇからまだ俺の力は貸しといてやる。特別だからな。さっさと目を覚ましてエレナに懇切丁寧に謝ってこい、アホ王子!」
「……はい! ガブリエル様! ありがとうございます!」
ウィンは光の差す方へ走った。
走って、走って、走って……。
次第に全身が黄金の光に包まれていく。愛しい声がより近くに聞こえてくる。
──そうして目が覚めたら、そこには。
「ウィン殿下!! ──って、ええ!?」
視界に黄金の髪が飛び込んできた瞬間、ウィンは思わず彼女を抱きしめてしまった。
「すまない、エレナ。本当にすまない。僕は、僕は……」
「……分かってますよ。貴方が本当はそんな人じゃないってことくらい。これからはしっかりしてくださいね!」
「あぁ。すまない。本当に、ありがとう……ありがとう……!!」
ウィンは涙を拭い、強く頷いた。その瞳にはもう一点の陰りも見えない。
──さぁ、立ち上がろう。
己を認めてくれた大天使ガブリエル。
己を友と呼んでくれた小さな悪魔ルシファー。
己に幾度となく手を差し伸べてくれたエレナ。
今後は己の一生を懸けて彼らのために生きよう。もう二度と間違えない。ウィンはそう魂に深く刻んだのだった……。
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