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第三章 魔族姫と白髪の聖女編
68:救いなんて
しおりを挟む「セロ、さま、いか、ないで……」
そう言いながらも、レイナは既に言葉を投げかけた彼がそこにいないことを察した。絶望に沈む。そして、そのまま仰向けになり──一粒の涙を流した。
レイナ・リュミエミルは復讐を遂げられないまま、ここで死ぬ。
それは誰が見ても明らかなことだ。しかしながら彼女は大勢の人間の命を平気で奪おうとした女。しかも己の能力で自爆した彼女に同情する者はいなかった。だが──一人だけ。一人だけ、そんな彼女の両手を力強く掴む者がいた。
「──レイナ!! しっかりしなさい!」
「っ!」
見えなくともその声で分かる。エレナだ。エレナがレイナの両手を己の手で包んだのだ。レイナは歯を食いしばる。
「なんの、つもりだ……エレナ・フィンスターニス!! 離せ!」
ゴブリンのように濁った声でレイナは威嚇した。馬鹿にするなと最後の力を振り絞って彼女を拒否する。しかしエレナはそんなレイナを離さなかった。
「離さない。貴女は死なせない。私に治癒の力がある限り、貴女を離すもんか! 貴女は生きるんだ!」
「ふざけるな!! 大嫌いなアンタに生かされるという屈辱に耐えながらあたしに生きろと言うのか!! この偽善者が!! 死ね!! あたしを侮辱するな!!」
「うっさい!! 偽善者でもなんでもいい! 罵る元気があるならそのまま罵ってくれてかまわない! 私が今からすることは貴女を死よりも不快にさせることなんだと、ただの私の勝手な我儘だということは百も承知! これはアンタのためじゃない。救えたかもしれない人間を目の前で死なせるのが嫌な私のため! 私を恨むといいよレイナ。私は、残酷だ」
そしてエレナは「癒せ!」と叫ぶ。黄金の光が二人を包んだ。
しかし──レイナの身体は、既に限界だった。治癒どころかぶちっとレイナの頬の肉が裂け、血が溢れる。エレナは目を見開いた。そして治癒魔法の発動条件があることを思い出す。「対象者が与えられた魔力による身体の活性化に耐えうる体力があること(瀕死状態、または既に死亡している者を治癒することはできない)」、だ。レイナはその発動条件を満たしていなかった。それほど、虫の息だった。
つまり。
「……エレナ、」
ノームの優しい声がエレナに降ってくる。エレナは身体を震わせ、涙を流した。その雫がレイナの頬にポタポタと落ちる。レイナはその感触を味わいながら──もはやエレナにいい加減にしろと怒鳴るほどの体力もなくなっていた。
「な、に、ないてる、わけ……きもちわるい……」
「うるざい! 分かってるよ! でも、それでも私は貴女を救いたかった!」
「は、なんて傲慢な女。目にはいるもの、すべてを救う、なんて、デウス以上の、傲慢じゃない。でも、そうね。あたしとしてはいいきぶんだわ。大嫌いなあなた、に、きずをのこせたというなら……」
レイナは浅い呼吸を繰り返し、血と混じった雫が己の瞳から溢れていくのを感じる。目を開けているはずなのに、視界は暗いままだ。
その闇の中でずっと探しているものがある。世界で一番大好きな人。世界で一番愛してくれた、人。
「……お、か、あ、さん……どこ、どこなの……」
目が見えない彼女が必死に空中で手を迷わせる。
「おか、さん……いやだ、あいたい、よ……しぬなんていや、もう、あえないなんて、いやだよ……」
いない、いないの。どこにも、お母さんはいないの。
──いるわけないじゃない、貴女は人殺しで悪魔なんだから。救いなんて、望まない方がいいわよ。
レイナは暗闇の中、誰かにそう言われた。その声が彼女の中で生まれた悪魔レヴィアタンのものだとなんとなく分かった。その声にそれもそうだとレイナは納得する。そして母を探す手を下ろそうとした時──レイナの手を、エレナが再び己の手で包んだ。
自分の声はもうレイナに聞こえていないかもしれない。……それでもエレナは、伝えずにはいられない。
「会えるよ」
「……、……」
「冥界の主人であるハーデス様はとっても優しい人だったよ。だから貴女と貴女のお母さんを絶対に会わせてくれる。私が保証する」
すると、レイナは「そう」とだけ返事をし、静かに目を閉じた。するりとエレナの手を彼女の手がすり抜けていく。エレナはそんな彼女を看取ると──とっくに治癒魔法の追加詠唱で限界を越えていたために、その場で気を失ったのだった──。
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