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第三章 魔族姫と白髪の聖女編
54:魔法陣の罠
しおりを挟む「ここって……」
エレナ達がルーに導かれた場所──そこはなんとマモンの私室だった。エレナと魔王は顔を見合わせる。そして魔王が念のためエレナとサラマンダーを下がらせるとそのドアノブを捻った。マモンの部屋は相変わらず綺麗に整えられていた。ズラリと並ぶ本棚に丸眼鏡のコレクションが彼の個性を表現している。そして魔王がその塵一つ落ちていなさそうな床をじっと見つめた。屈んで、コツコツ感触を確かめている。
「パパ?」
「……転移魔法の魔法陣が仕掛けられているな」
「え?」
それはあり得ないとエレナは両眉を吊り上げた。サラマンダーがどういうことだとエレナに尋ねる。
「転移魔法ってすっごく高度な闇魔法なんだよ。魔力消費も尋常じゃないから、これを扱えるのはこの地上ではパパ以外にありえないと思う。だからパパ以外の誰かの転移魔法の形跡があるのはおかしいの」
「……なるほど」
「この魔法陣は罠だ。エレナ、サラマンダーも下がっていなさい。我がこの魔法陣の術者と決着をつけてくる。我の大切な部下達を取り戻すために」
そんな魔王の黒いマントをエレナは思い切り引っ張った。魔王がエレナに振り向く。
「駄目。私も行く」
「それこそ駄目だ。子供は大人しく皆がいる玉座の間まで行きなさい」
「でももし、その罠の向こうで誘拐された魔族達が酷い怪我を負っていたら?」
犯人の目的が分からない以上、それもあり得ない話ではない。その際、魔王の闇魔法では魔族達を治癒することは出来ない。しかしそれでも魔王はエレナを危険な目に巻き込みたくなかった。
「その際は我が転移魔法で怪我人をすぐに城に送る。そもそもこの転移先に魔族達がいるとも限らないだろう」
「で、でも……」
魔王の正論にエレナはへにゃりと眉を下げる。本当は魔王が心配だというのが一番の理由である。もしも魔王を失ってしまってはテネブリスは崩壊する。それに何より、自分が正気を保てるか分からない。それほどエレナの中では彼の存在が大きいものとなっていた。骨がむき出しになっている魔王の手がエレナの頭を撫でる。何度この手に愛しさを感じたことだろう。エレナはそっと魔王を見上げた。
「……行ってくる」
「っ、必ず、帰ってきてねパパ」
「あぁ、約束しよう」
──しかし、その時だった。
「っ!?!? えっ?」
「っ、なんだ!?」
エレナの視界がガクンッと揺れる。足の裏に地面の感触を感じられなかった。魔王がすぐにエレナに手を伸ばしたが──その手が繋がれることはない。エレナとサラマンダーは、このたった刹那の間に魔法陣に吸い込まれてしまったのだった……。
***
「いてて……」
「っ、おい、大丈夫か!」
エレナは地面にしては柔らかい感触にキョトンとする。目を開けてみると、眼前にサラマンダーの端正な顔があった。どうやら落下する際、彼がエレナのクッションになってくれていたらしい。目が合うなり、サラマンダーの顔が真っ赤に染まる。
「ごめん! 私の下敷きにしちゃって!!」
「~~っ、いや、そ、そんなことはいい。そ、それよりもさっさと降りろ。……色々と辛い」
エレナは慌ててサラマンダーの上から降りた。そんなエレナの膝にルーがぴょんっと乗り掛かる。
「きゅ!」
「ルー! 貴女も来ていたのね。でもあれ、パパは……?」
「ここに転移させられたのは俺とお前とその小動物だけのようだな。それよりも見てみろ、周りを……」
「!」
糞と尿特有の臭み。見回しても鉄の柵が視界を阻む。周りから気味の悪い獣の唸り声が聞こえてきた。エレナはハッとする。自分達が鉄の檻の中にいることに気付いたのだ。鉄の檻には血や糞がこびりついており、とても不潔だ。周囲にも自分達のように檻に閉じ込められている魔族や魔物の姿があった。どういうことだと口をあんぐり開けるエレナは隣の鉄の檻から声を掛けられる。
「──エレナ、様?」
「!? イゾウさん!? どうしてここに!?」
そう、隣の檻で横たわっていた影はノームの側近であるイゾウであったのだ。イゾウは弱弱しく半身を起こすと、割れた眼鏡の位置を整える。あんなにきっちり着こなしていた燕尾服は酷い有様だ。
「わ、私もいつの間にかここに閉じ込められていたクチです。ノーム殿下がある日突然あの恩恵教聖女を愛していると言い出して、様子がおかしいと色々と調べていたらこの始末ですよ。エレナ様は一体どういった経緯で──いや、まずは何故エレナ様がサラマンダー殿下と一緒にいるのかお聞きしても?」
エレナはサラマンダーを見て混乱しているイゾウに事の顛末を話す。イゾウは顎に手を宛がうと、きつく眉を顰めた。
「──やはり、ノーム殿下には何らかの記憶障害がありましたか。その原因は分かっているのでしょうか?」
「それがさっぱり。でもレイナがノームを洗脳できるはずがないんです。彼女の光魔法ではそんなことできるはずがない。そもそも洗脳魔法なんて聞いたことありませんよ。サキュバスが使う魅了魔法の亜種かもしれませんが、それは記憶を弄れるようなものでもないし……」
「──正確には魔法ではありませんよ、エレナ様」
ピクリ。エレナの身体が揺れる。エレナは冷や汗が垂れたのが分かった。声の方に向きたくないと心が叫ぶ。この声は、知っている。いや、知り過ぎている。そもそも予感はしていたのだ。どうして魔族の誘拐犯が城の見張り番である影お化けに気づかれなかったのか。どうしてあの魔法陣があそこあったのか。魔王も敢えてその可能性を口にしなかったはずだ。だって彼は優しいから、疑いたくなかったのだろう。
──信頼する部下の、裏切りに。
「──マモンっ、」
恐る恐るそちらを見るとマモンがいつもの穏やかな笑みを浮かべていた。エレナは思わず柵を握って、彼をより近くで見ようとする。しかし柵に触れた瞬間、エレナの手に高温が走った。エレナは反射的に後ろへ下がる。
「危ないですよ。その檻には毒が塗られていますから」
「マモン! 貴方、どうしてここに!? どうして……そんな、」
「はい、エレナ様が想像している通りだと思います」
マモンはあっさりとそう言った。いつものように少しからかっているような、友人に向けるような笑みで、残酷に肯定したのだ。そして、その背後には──
「はぁい。さっきぶりですね? 先程は痛かったですよぅ、負け犬姫さん?」
サラマンダーが「嘘だろ」と呟いた。エレナは言葉が出てこないほど混乱する。呼吸も忘れそうだった。エレナの前に現れた──レイナ・リュミエミルはそんなエレナを見て、それはそれは満足げに口角を上げていたのだった……。
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