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第三章 魔族姫と白髪の聖女編
47:新たな友人と枢機卿
しおりを挟むまたここか、とエレナは思った。エレナが意識を失った時に必ず訪れる闇の世界。四回目ともなると流石に慣れてくるもの。そして、この世界にて必ず現れるのは──
『……また来たのか』
黒髪赤目の美青年がいつの間にかエレナの背後でため息を吐いた。エレナはそんな彼に陽気に挨拶をする。
──貴方に会えたってことは私は枢機卿を治癒した後ってことね。
『君が治癒の途中で気を失った可能性もあるのだが?』
──いいえ。それはない。だって私の傍にはノームがいたんだもん。彼の前で私はそんなことしない。
『……随分と、気に入っているんだな。彼を』
謎の美青年は少し不服そうだった。エレナはそんな彼の顔をまじまじと見つめると、うんうん唸る。
──やっぱり、貴方ってどこか既視感あると思ったらパパに似てるのよね。その赤い瞳とか、雰囲気とか。
エレナの言葉に美青年は答えなかった。ただただ困ったように目を伏せる。
『そんなこと言われてもな……。これは本来の私の姿ではない。借りものだ。故に私が彼に似ているわけではない』
──借り物? どうして姿を借りるなんてことをしたの?
『私が私自身を大嫌いだからさ。もう私のことは放っておいてくれ。さぁ、彼の為にも君は目覚めるべきだ。さっさとここから出るといい』
彼、と聞いてエレナはどういうわけかそれが誰なのか分かった。美青年に「分かったよ」と素直に頷き、いつものように微かに見える光の方へ走り出す。その際にチラリと美青年に振り向いたが、彼は闇の中でポツンと独り、エレナの背中をただ見守っていた……。
***
「──エレナ!」
ポタリポタリとエレナの頬に雫が落ちてくる。エレナは視界に飛び込んできたノームにキョトンとするしかない。ふかふかの布団が己を包んでいることを確認し、周囲を見回す。見たことない部屋だったが、その雰囲気からしてシュトラール城の一室だろう。
ノームはエレナを強く己の胸に抱き寄せた。
「エレナ、ああエレナ、よかった……このまま目を覚まさないかと!」
「うぷっ。の、ノーム、苦しいよ。分かったから! 心配かけてごめん」
ノームの強い抱擁にエレナはドキドキと心が揺さぶられる。しかしここで異変に気付いた。ノームが動かなくなったのだ。まさか、と思うと彼はそのままずるずるベッドに頬を埋めて眠ってしまっていた。エレナは目を丸くする。
「──無理もないだろう。昨夜から一睡もしていないからな、兄上は」
「! サラマンダー殿下……!?」
顔を上げればなんと部屋の隅にてサラマンダーが壁に寄りかかっていた。彼はそっとエレナに近寄ると、ベッドの脇に置いてある椅子に腰かける。エレナはそんなサラマンダーに唾を飲み込んだ。何を言われてしまうのだろうか。
「……枢機卿は無事だ」
「え?」
「枢機卿は無事だと言っている。昨晩のお前の治癒魔法のおかげでな。あとピーピー小賢しかった聖女はお前の元婚約者のウィンがスペランサに連れて帰った。以上。何か聞きたいことはあるか」
あまりに簡潔な状況説明に何を質問していいのか分からない。エレナがそこで口を迷わせていると、ノームが寝ぼけながらもエレナの手をきゅっと握りしめる。少しだけ子供っぽい彼の寝相にエレナはふっと笑みを咲かせた。優しくノームの茶髪を撫で、その感触を楽しむ。サラマンダーはそんなエレナに胸がざわついた。
「……か、借りをっ」
「?」
「お前には、借りがあったな。ふん、し、仕方ないから……お前の望むものをなんでもくれてやるっ! お前は何か欲しいモノはないのか?」
一気に顔を赤くするサラマンダー。それに対しエレナは瞬きをぱちぱち繰り返す。
「えっと、欲しいものって言われても……。そんなの特にないです。今のままで十分幸せですから。それにサラマンダー殿下には既に会場まで運んでもらいましたし、あれでチャラなはずでは?」
「~~~~っ! ほ、ほんとに何もないのか? お、俺が誰かに何かを与えるっていうのは珍しいことなんだからな!」
「は、はぁ。……あ、じゃあノームと仲良くしてほしいです」
「それは絶対に断る」
サラマンダーの即答にエレナは唇を尖らせた。どうしてだと尋ねると彼は──「俺は今まで散々この兄を虐げてきた。それはそう簡単に償えることではないし、今更仲良くなんてこいつが嫌だろうよ」、と。そんな彼の言葉にエレナはにっこりする。
「そうですか。つまり、償う気はあるわけですね。そしてノームが貴方と仲良くする気があるなら向き合うと。安心しました」
「っ!? ち、違う! だ、断じてそういうことでは! お、俺は兄上が大嫌いだ!」
「はいはい分かりましたから。じゃあ私と仲良くしましょう! 友達になりませんか? サラマンダー殿下」
エレナはサラマンダーに手を差し出す。サラマンダーはそんなエレナに眉を顰めた。
「……友達だと? それがお前の願いか?」
「はい。実は私、魔王の娘として魔族と人間の共存の道を模索しているんです。それならば殿下と仲良くなっていた方がお得かなって!」
サラマンダーはがしがし頭を掻きむしると、ため息を溢す。そうして渋々エレナの手に自分の手を重ねた。仕方なくだからな。彼が真っ赤な顔でそう釘を刺してきたのでエレナは適当に頷いておく。
──と、ここでドアがノックされる音が聞こえた。ドアの向こうから現れたのはエレナが昨晩必死に救って見せた男──枢機卿だ。サラマンダーが思わず立ち上がる。エレナも突然の彼の登場に姿勢を正した。
「いやはや、お邪魔してしまったでしょうかサラマンダー殿下。おや? ノーム殿下は……」
「も、申し訳ありません猊下。兄上は昨晩の疲れで眠っております。起こしますか?」
「いえ、彼がこうなったのは元はと言えばこの私が原因なのですから休ませてあげてください。それよりも、エレナ様……お久しぶりですね」
「は、はい! げ、猊下もお元気そうで何よりです」
エレナの固い表情に枢機卿はほっほっと笑う。彼は元気よく腕を回して、昨晩のエレナの成果を披露した。エレナはそんな彼の笑顔に釣られて微笑する。
「長話するつもりはありません。今回の事で色々と私も動かねばなりませんから。しかしどうしてもエレナ様に御礼を申し上げたかった。エレナ様、この度は私の命を救ってくださりありがとうございます……」
深々と腰を曲げる枢機卿にエレナは慌てふためいた。
「そ、そんな! 礼なんていいですから! 私は私の信念に従ったまでです!」
「ふふ。私は幼い頃から貴女を知っていますが、相変わらず本当に優しい子ですね。しかしだからこそ、私は貴女に謝罪もしなければならない。スペランサの信者達が力を失った貴女を処刑しようとした件についてです」
枢機卿が言っているのはウィンに婚約破棄され、レイナが現れたあの日のことだろう。エレナの瞼の裏にはその光景がありありと思い浮かぶ。枢機卿の顔が曇った。
「恥ずかしい話ですが、私は貴女が処刑されそうになっていた事を今の今まで知らなんだ。ウィン様とレイナ様が新しく婚約したことのみを知らされていたのです。所詮、私は恩恵教という巨大な組織の中でその程度の人間ということ。枢機卿は恩恵教の象徴ではあるが、実は統率者ではないのですよ。恩恵教という歯車の一つに過ぎないのです。だから貴女を救うことはできなかった。……申し訳ない」
強く握りしめられた枢機卿の拳を見て、エレナは首を振った。こんな事を言うのもおかしな話ではあるが、その処刑のおかげでエレナは最愛の父に出会うことが出来たのだ。それらの事情を伝えると枢機卿は素っ頓狂な顔をする。しかしすぐに眉を下げて微笑んだ。
……正直、彼のこの反応は意外だった。恩恵教は魔族を嫌っているのだから、エレナがテネブリスで暮らしていることをよく思わないと思っていたというのに。
「私自身は別に魔族を迫害しようだなんて物騒なことは考えておりませんよ。むしろ彼らとは上手くやっていきたい。彼らも我々と同じ笑い、泣き、感動することが出来るということは理解しています。尤も、だからこそ貴女の処刑の件を恩恵教は私に伝えなかったのかもしれませんね」
枢機卿はそこでゆっくりとドアへ戻っていく。用は済んだのだろう。ドアノブを握り、何かを思い出したようにエレナに振り向いた。
「あ、そうそう。貴女はもうスペランサでは罪人と認識されていません。これからはあんな変装なんてしなくても処刑されることもありませんよ。……貴女にはその金髪が一番似合っています。有難う、私の黄金の女神様」
「!」
パタン、とドアが閉まる。エレナとサラマンダーは顔を見合わせた。
「そういえば昨晩も猊下、私を女神様って呼んだんだよね。どういう意味だろう?」
「さてな。女神様っていう柄じゃないのにな」
「……ちょっと。それどういう意味?」
そんな冗談を言い合いながら、エレナは窓に目を向ける。
おそらく今頃テネブリスではエレナが帰ってこないことで大騒ぎだろう。帰るなり城中の皆から事情聴取が行われるに違いない。ノームとのダンスや、シルフやサラマンダーと友人になったこと、枢機卿のこと……大切な家族達に話さなければならないことが沢山ある。無理をして治癒魔法を使ったことは怒られるかもしれないが、エレナは己の舌がうずうずしていることに気づいた……。
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