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第一章 エレナの才能開花編
05:好意と敵意
しおりを挟むエレナの魔王の娘ライフの幕が開いた翌日。
エレナは魔王の傍に仕えていたエルフと魔王の居住している城──テネブリス城を散策していた。テネブリス城とは魔族達が集まり生活している魔国テネブリスの中心に聳えている城である。ちなみにエルフの青年の名前はマモン。魔王の娘云々の一連のやり取り以降、彼がエレナの教育係を買って出たのだ。
「ふふ、今日もいい天気ですねぇ。ほら、中庭は凄いでしょう? これはブタバナっていうお花で、陛下の魔力によって成長しているんですよ~。水場に沿って生える植物なので中庭の噴水を工夫してみたんです」
「はぁ……そうですか……」
「どうしたんですかエレナ様。浮かない顔をして」
「いやいやいや、だって──」
エレナは控えめに周りを見渡す。周囲からは壁や植木や、家具に隠れてこちらを覗く魔族達の視線がエレナに熱く注がれていた。それはそうだろう。突然自分達の城に天敵である人間が住むことになったのだから。幸い攻撃はしてこないようだが、敵意を含む視線はどうしようもない。ゴブリン、ラミア、竜人……様々な魔族が入り乱れるこの城で、エレナは非常に肩身が狭いものになっていた。
マモンが自慢の丸眼鏡をくいっと押し上げる。
「ふふふ、これは仕方ありませんよ。もし彼らが攻撃してきたら僕が対応しますからそこは安心してください。というか貴女にコレに慣れてもらう為の散歩なんですから、もっと堂々と年相応に、はしゃいでもいいんですよ。まだエレナ様は齢十三ですよね?」
「はしゃげませんよ!? まだ十三歳って……もう十三歳、ですよ。一応今まで王妃になる為の勉強をしてきましたし。今更、子供らしく振る舞えません」
エレナは瞼の裏に幼い自分を思い浮かべる。遊びたくても遊べなかった幼い自分を。「勉強をしたくない」とごねてしまえば、尻を強く叩かれ床に押さえつけられた自分を。大好きな冒険譚が綴ってある本を読もうとすると野蛮だからと取り上げられた自分を。エレナはそっと胸に手を当てた。幼かった自分など、この胸のどこか奥底の牢獄に置き去りにしたままだ。
するとそこでマモンがエレナの手を掴む。エレナは「えっ」と思わず素の声を出してしまった。
「──今更とか言う辺り、そう振る舞いたかったっていうニュアンスに僕は感じましたが」
「っ、」
一瞬、反論を躊躇ってしまった。何故ならマモンの言う通りだったから。エレナの「子供らしくはしゃぎたかった、それを許してくれる存在が欲しかった」という本音は魔王にも伝えたものだった。マモンがエレナの顔に己の顔を近づける。
「……実は陛下から教育係としてこう命じられていましてね。エレナ様をとことん甘やかすように、と」
「えっ?」
「だから今日は勉強なんてせずに遊びましょう。鬼ごっこでもかくれんぼでもいい。子供のようにはしゃいでみませんか? 遊びづらいというのならば僕とまず友人になりましょう。僕、気難しいこの城の連中の中では友人になりやすさナンバーワンだと自負してるんですから!」
マモンの提案にエレナはどう答えていいのか分からなかった。エレナの手が思わずマモンの手を握ろうとする。しかしエレナの心の声がそれを引き留める。幻影が見えた。「魔族と友達だなんて汚らわしい!」と発狂する、王都に閉じ込められていた時の教育係達の影だ。足が竦む。マモンが咄嗟にエレナを支えてくれた。
「……魔族の僕と友達なんて嫌ですか? 子供達とは友人になっていたみたいですけど」
「だ、だってあれは、彼らを助けたいと思ったから……それで一生懸命で、いつの間にかなっていたようなものですし。でもこう、改めて友人になろうと言われると……なんだか……」
しかし、エレナはふと考える。どうして自分は躊躇っているのだろうと。過去の教育係達が怖いからだろうか。しかし今のエレナは白髪の聖女でもないし、この魔国テネブリスにあの恐ろしい教育係達はいない。
──むしろここで一歩踏み出さなければ、エレナは元・白髪の聖女のままだろう。
(それは、嫌だな……。私が白髪の聖女ではなく私自身を見てほしいならば、その私自身を見せる努力を怠ってはいけないはずだ。今までは怖くて自分の素を隠していた。けれどここにはもう怖いものはない。いや、周りからの敵意は怖いけど。でも少なくともあの魔王様と目の前のマモンさんだけは……信じてみたい!)
エレナは大きく息を吸うと、力強くマモンの手を握り返した。マモンはその手とエレナの顔を交互に見るとそれはそれは嬉しそうに微笑む。「これで友人ですね」と弾む声にエレナも釣られてはにかんだ。
──しかし、その時だ。
「──いい加減にしろ、マモン!」
紫の刃がマモンに襲い掛かってきた。あまりの速さに、エレナは理解が追いつかなかった。マモンはいつの間にか取り出した杖でその刃を受け止めている。刃、と思っていたものはとても長い足だった。足の主は昨日マモンの隣にいた紫の美形──マモンによると彼は竜人族のアムドゥキアスというらしい──アムドゥキアスにとても似ていた。本人かと思ったが、髪型が違ったので彼の兄弟だと推測する。
「妙に聡いアンタのことよ。どうせ、わざと皆の前で人間の小娘と仲睦まじい姿を見せて慣れさせようって魂胆でしょ。魔族の中には例え死んでも消えはしない人間への恨みやトラウマを抱える者だっている。その上でアンタはその小娘と友人になりたい、なんて言いのけやがった!」
「そんなに興奮しないでくださいよアスモデウス。僕は貴方と違って人間に何の恨みもありません。それにこれは陛下の御意思に従った上での行動ですよ。陛下の御意思を貴方は否定すると?」
「っ、へ、陛下が、そんなことを言うはず……っ!! ……な、何かお考えがあるはずなのよ……」
アスモデウスと呼ばれた青年は細長い足を下ろし、戸惑ったように目を泳がせる。しかし次の瞬間にはエレナを殺意で射抜き、牙を剥きだしにして威嚇した。
「さっさとここを立ち去れ聖女! よりにもよってアンタがこの城にいると思うと吐き気がする! この城は、アンタ達人間から魔族を守る為に建てた神聖な拠点だ!」
「そうだ、そうだ!」
周りから野次が飛んでくる。そちらを見るとエレナの腰ほどのゴブリン達がさっと目を逸らした。敵地。エレナは彼らにとって嫌悪の対象でしかないと突きつけられたのだ。それは処刑直前の断頭台と同じ状況とも言える。しかし前と違うのはエレナを守ろうとする味方が数人いるという点だ。
「いいえ。エレナ様はここを立ち去る必要はありません。この子は僕の友人で陛下の娘です。アスモデウス、貴方だって陛下が何に苦しんでいるのか理解しているはずです。エレナ様は今の陛下にとって必要な存在だと僕は思います。他の誰でもない……陛下自身が彼女を選んだのですから」
「っ、」
アスモデウスはマモンの言葉にきゅっと唇を噛みしめた。そうして盛大に舌打ちをした後、ゴブリン達の群れを裂くように去っていく。エレナはその後姿とマモンを交互に見ることしか出来ない。
「すみません、エレナ様を困らせてしまいましたね。彼の名前はアスモデウス。僕の親友で、アムドゥキアスの双子の弟なんです。短気な性格ではありますが、本当はこの城の誰よりも心優しい人なんです。いつか彼も貴女に心を開いてくれますよ」
「はぁ、そうでしょうか」
そうだとは思えないけど、とエレナは心の中で呟いた。しかしそれよりもエレナが気になった点がある。先ほどのマモンの言葉だ。
(マモンさんは私を魔王様にとって必要な存在だって言ってのけたけれど、どういう意味なんだろう。それに魔王様、何かに苦しんでるって……)
詮索していいのだろうかと悩む。しかしそんなエレナの疑問を察したかのように、マモンがウインクをした。
「──エレナ様。ひとまず今夜、僕に付き合ってくださいませんか?」
「?」
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