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序章
03:エレナの願い
しおりを挟む──願いはなんだ。
真夜中のような静かな闇の中。エレナの意識に誰かがそう尋ねてくる。エレナは己の状況を十分に理解できないまま、その質問を反芻した。
(願い……? 願い……。あれ、私は、あれからどうなって……ここはどこ?)
──お前の願いを言え。
男の声が催促するようにもう一度響いた。一切隙のない、どこか聞いたことのある冷たい声だ。ここは夢の中なのだと勝手に思いこみ、エレナはぼんやりと質問の返答を考える。
(私の、願い。そんなの……決まってる。小さい頃からずっとそれは変わらない。私はただ、愛されたいだけ)
(「パパ、ママ」と呼んだら「どうしたの?」って優しい声が返ってきて欲しかった。独りにしないで欲しかった。大声で我が儘を言ってみたかった。寂しい時には頭を撫でて欲しかった。愛情いっぱいに抱きしめて欲しかった……)
(白髪の聖女ではなく、私を──エレナ自身を愛してくれる存在に出会いたかった。ウィン様も叔父様も周りの皆は私を見てくれなかった……。私は、未だ顔も知らない父や母のような存在が欲しかったんだ……)
愛されたかっただけと言いながらも、エレナの願いはどんどん溢れていく。エレナはそれに気づき、ようやく思考を止めた。どうせ夢の中で願いを溢しても何も変わらないだろうと自嘲する。
しかし。
──そうか。分かった。
声は、何故かエレナの願いを受け入れた。
(分かった? 分かったってどういう意味……?)
エレナがそう尋ね返した時、闇に一筋の光が差した。まるで彼女を導いているかのような、真っ直ぐな光。エレナは気づけばその光源に手を伸ばす。
──では我が、お前の父になろう。
(は──?)
光が少女の伸ばした手から順に全身を包み込んでいく。
そうして次の瞬間には、自分がふかふかのベッドの上で眠っていたことに気づいた。見たこともないような部屋だ。漆黒の大理石の壁に、何かの動物の骨でできた家具。どこか不気味な雰囲気を感じさせる部屋ではあったものの、居心地は悪くなかった。
「あれ、私……」
するとふと、頬にぬめりとした感触を覚えた。獣特有の臭みに眉を顰める。しかし不快ではない。それは幼い頃から自分と共にあったものだからだ。
「ルー!」
「きゅーう!」
エレナは思いきり、小さき友人を抱きしめる。小動物──ルーはその愛らしい小さな金色の身体でエレナの腕の中へ飛び込んだ。
ちなみにルーはエレナの母の形見の宝石に住みついている宝石獣である。宝石獣とは非常に希少な幻獣で、エレナもとても古い幻獣図鑑を隈なく探してようやくその名を見つけた。本によると、宝石獣の額には心臓の役割を果たす宝石が剥き出しにされており、その宝石はこの世の全てを見通す力があるという。
エレナの頬をそんなルーのざらざらした舌が這った。エレナはクスクス笑って顔を背ける。しかしそこでふと気づいた。自分の身体が元気すぎることに。意識を失う直前、限界まで水と飯を食えず今にも虫の息だったというのに今のエレナは健康体そのものだ。
「どういうことなんだろう? 処刑直前にあの魔王様が私を連れ去ってくれたんだよね? ということは、ここはもしかして……」
こてんと首を傾げると、ルーもそれを真似た。
──と、ここで部屋のドアが開く。そこから部屋に入ってきたのは三人。一人はエレナをここへ連れてきた張本人──魔王。一人は、紫の長髪に紫眼、口から覗く牙が特徴の美形だ。長髪と中性的な顔の良さが相まって性別不詳者である。伸びている牙から人間ではないと推測出来た。また、残りの一人は魔族の代表格とも言えるエルフという人種だと分かった。耳が異様に長いことと肌が白いことがエルフの特徴で、彼はピッタリとそれに一致していた。丸眼鏡を生かして、穏やかな笑みをさらに魅力的なものへ変貌させている彼も異性に好かれる性質だろうと思う。
魔王に、紫の美形に、エルフ。エレナは今から自分がこの魔族達にどうされてしまうのかと考え、ゴクリと唾を飲み込んだ。エレナを見るなり、紫の美形が明らかな敵意を表す。
「──陛下! まさか本当に!? 元白髪の聖女である人間の小娘をこの神聖なテネブリス城へ連れてきたというのですか!? アスモデウスが見たら問答無用で竜化する案件ですよ!? 私でさえ、鳥肌が立ちっぱなしです……! 嗚呼、おぞましい!」
「わぁ、可愛らしい女の子ですね。この子があの白髪の聖女だったって本当ですか? でも僕は今の金髪の方が好みだなぁ。よろしくお願いしますね。えっと、名前は……エレナ様、でしたっけ」
「え、あ……」
にこにこ。そんな効果音が聞こえてくるようなエルフの青年の優しい笑みに、エレナは少し肩の力を抜くことが出来た。しかしもう一人の紫の美形の形相により、エレナの身体が再度固まることになる。紫の美形は執拗に肘でエルフをつついた。
「おい、おい! どうして貴様は人間を“様”付けできる!? あの人間だぞ!?」
「ははは。やだなぁアム。ぼくは別に人間に恨みはないんでね。不要な偏見は持たない主義なのさ」
「……貴様、今、俺を馬鹿にしたのか?」
「──おい、そろそろやめておけ」
魔王の氷の一声で、二人の口喧嘩は一瞬で片付いた。エレナはどういう顔を浮かべていいのか分からず、目を泳がせている。魔王はそんなエレナが横たわっているベッドに寄り添った。
「気分はどうだ。どこか異変はないか?」
「え? あ、はい! 異変なんてそんな! むしろどういうわけなのかは分かりませんが、元気過ぎるくらいです!」
「……そうか。それならばよかった」
「あの……魔王様は、どうして私を助けてくれたのですか?」
色々と目の前のこの魔王に尋ねたいことはある。しかし一番気になったのはそれだ。どうしてわざわざ敵地であるあの処刑の場に現れたのか。どうして自分を助けてくれたのか。魔王は感情一つ読み取れない骸骨頭を微かに揺らす。目の奥の赤い光がぼやぼやと蠢いていた。
「言ったはずだ。恩を返しに来た、と。お前が人間の城から魔族の子供達を逃がしてくれたおかげで我らが子供達を保護できたのだ。だから、その恩返しだ」
「恩返し……」
魔王に似つかわしくない言葉に、エレナは両眉を吊り上げる。しかし目の前の魔王が嘘をついているようにも見えなかった。既に白髪の聖女ではなくなった今の自分を助けるメリットなど魔王にとってゼロに等しいはずだ。だから、信じようと思った。そうと分かれば少しだけ目の前の魔王への認識が変わってくる。
そうすれば次にエレナは友人のオリアス達が無事だという事実に安堵する他ない。無邪気なあの笑顔をもう一度見たいと思ってしまった。しかし彼らの居所を聞くよりも、今は現状を確認する方が先だ。
「では、魔王様。続けて質問を失礼致します。魔王様は一体、貴方の敵である人間の私をどうするおつもりですか?」
「────、」
「…………」
エルフと紫の美形の視線も魔王に集中した。その旨の話は彼らの間でもまだ収まりのついていないものだったのだろう。魔王は己の両指を絡め、ベッドに両肘を沈めた。その場に緊張が走る。
「──我は、お前を我の娘にしようと思う」
「はぁ、そうですか。私を貴方の娘に……。それはとても助かりま──え、ちょっと待ってください、今なんて??」
エレナがひくりと唇をひきつらせ、わざとらしく耳を澄ました。再度同じことを言葉にする魔王にエルフと紫の美形も心底驚く。紫の美形は顎が外れてしまうのではないかと思うほど、あんぐり口が開けっ放しだ。エルフの方は意味を理解した途端に腹を抱えて笑い出した。
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