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2巻
2-3
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「農業なんて親の仕事を見て覚えるものじゃないのか? それにしては素人っぽい動きの人が多いようだけど」
ボーダや、ボーダが併合した他の村は、元々は農家中心の村々だ。よって、主に農家の跡継ぎなどが授業を受けているはずなんだが……
「ボーダには広大な農耕地がありますから、新規参入したい農家希望の人達も多いんです。ここで授業を受けている人達はそういう人達です」
なるほど、確かにこれだけ沢山の人が移住してきたなら、新たに農業に挑戦する人達も出てくるか。
狩りを教えているエリアに向かうと、弓の練習をしていた。皆楽しそうに授業を受けている。
聞けば、狩りの際の動き方なども教えているようで、狩人の息子達や子供達が多いそうだ。
未開発の森林へ入って実地訓練もするつもりだというが……大丈夫だろうか。まぁ、狩人部隊のサポートもあるというし、大丈夫か。
最後に剣術教室を見に行った。
ちょうど、訓練用の模擬剣での素振り千回をしているところだった。
模擬剣といっても、刃を潰した鉄剣なのでそれなりに重いはずだ。素振り千回もすれば手の平はマメだらけだろう。
農業、狩り、剣術の授業は雨の日には中止になるという。野外で授業をしているのだから当然といえば当然か。
そういえば、騎馬の授業とかは作ってなかったな。
うーん、最後に乗馬したのはかなり昔だし、個人的に騎馬の授業を受けたいんだが……まぁ、ボーダは立地的に騎兵が不要なので、馬をあまり飼ってないんだよな。となると、騎馬の授業は難しいか。
学校長と別れて自宅に戻る途中、考え込んでいた俺を見て、リンネが不安そうに尋ねてくる。
「どうでしたか?」
「ああ。まずは読み書き教室と算術教室の増改築が優先事項だね。今度、生徒達が帰った後に、教室の増改築をしよう」
「わかりました。生徒達も喜ぶでしょう」
「あと、思ったんだけど、狩り教室と剣術教室を合併させたほうがいいんじゃないか。そのほうが弓も剣も使えるようになるし。ここで学んだ狩人は、そのまま周囲の森に入ることになるだろう? 魔獣を相手にすることになるんだし、弓矢だけでは危険が多いからね」
「そうですね、学校長に言っておきます。他にはないですか?」
うーん、本当なら商業を習う教室も欲しいし、文官を育てる教室も欲しい。
しかし、ここで授業を受けているのは一般庶民だ。そこまで希望するのは少しやりすぎだろうか。
相変わらず悩んでいる俺に、リンネが微笑みかける。
「必要な教科があれば、これから増やしていけばいいと思います……それにしても、今日はエクト様と一緒に学校見学ができて、嬉しかったです」
「ああ、そういえばリンネと二人で一緒にいることが少なくなっていたからね。これからも時々、学校見学や色々な所を案内してくれ」
「はい、わかりました!」
リンネは満面の笑みだ。
「そういだ、リンネはこの後どうするんだ? 内政庁に戻るのか?」
「いえ、今日はもう戻る予定はないですね」
そうか、だったら……
「昨日、リリアーヌから美味しい甘味処を教えてもらったんだ。今から一緒に行かないか?」
「嬉しいです! 喜んで!」
やはり女の子は甘いモノが好きらしい。俺とリンネは手を繋いだまま、甘味処へと向かった。
翌週、俺はオルトビーンと二人で、アブルケル連峰の麓にある鉱員達の村へ訪れていた。
鉱員は順調に数を増やしており、事前に内政庁に確認したところ、八十人ほどになっているという。
となると住処も足りていないのでは、ということで視察ついでにやってきたのだ。
ただ、鉱員達は全員仕事に出て、村には誰もいなかった。
というわけで、今のうちに村を囲う壁を《土移動》移動させて村の敷地面積を増やし、三階建ての長屋を二棟建てておいた。
それから作業場に向かうと、鉱員達がミスリルのツルハシで坑道を掘っていた。
「作業は順調かい?」
「おお、エクト様、ここの鉱脈は、良い鉄鉱石が沢山掘れます。ミスリルのツルハシですので、とても軽くて丈夫で使いやすい」
鉱員長のヘイゲルが嬉しそうに答えてくれた。
「まだ誰も手を着けていない鉱脈というのは気持ちがいいですな」
そう言ってヘイゲルは笑う。まるでガキ大将のような笑顔だ。
「それでエクト様。今日はどうしたんですかい?」
「人も増えたって話だったから、少し様子見にね。そうそう、村の方は敷地を大きくして、長屋を建てて部屋を多くしておいたよ」
「それは助かります。人数が多くなって部屋数が少なくなっていたところでさ」
やはり部屋数が足りなくなっていたか。今日は視察に来てよかったな。
「何か不都合があったら、いつでもボーダに来てくれ。内政庁に言えば、だいたいのことは調整してくれるはずだから」
「それはありがてーです。風呂もあるし、これで酒があれば最高なんですけどねー」
やはり鉱員の男性達は酒好きが多いか。ハイドワーフ族に通じるものを感じるな。
「わかった。今度視察に来た時に酒も持ってくるよ」
「ありがてえ!」
それからヘイゲルに、坑道の中を案内してもらう。
落盤などの事故が起きないようにしっかりと作られており、鉱員達は元気いっぱいにツルハシを振るっている。
うん、いい感じだな。
「皆に絶対に無理はしないように言っておいてくれ。休憩もしっかりとるんだぞ」
「はい、ありがとうございます!」
オルトビーンが俺の肩をポンポンと叩く。
「さて、俺達はそろそろ行こうか」
「ああ、そうだな……ヘイゲル、それじゃあよろしくな」
俺達はヘイゲルと分かれて坑道から出た。
鉱員の皆の目がなくなったところで、オルトビーンが俺を見る。
「視察もいいけど、今日の目的を忘れられると困るよ」
「ゴメンゴメン、ちゃんと覚えてるよ。それじゃあ行こうか!」
そう、今日の目的は、鉱員の視察だけではない。
以前俺とオルトビーンが見つけた、ミスリルとアダマンタイトが含まれている鉱脈の採掘に来たのだ。
そもそもこのアブルケル連峰には、ハイドワーフという先住民がいる。
彼らはこの連峰の中で、ミスリルやアダマンタイトなどの鉱石を掘りながら、坑道の中で生活している。
そんな彼らがまだ見つけていない鉱脈を、俺とオルトビーンは見つけていたのだ。
俺達は《地質調査》で確認しつつ、崖を登っていく。
そしてすぐに、目的地に辿り着いた。
俺とオルトビーンはさっそく、土魔法の《採掘》を使って、掘り進めていく。
五メートル程採掘したところで、ミスリルの鉱石が出てきた。
そのまま奥へ奥へと採掘しながら進んでいくと、赤黒い石が出始めた。
これがアダマンタイトだ。
この拳大の大きさの鉱石だけでも、光金貨一枚の価値はある。
しかも《地質調査》によれば、この近辺にはまだあるようだ。
そこから再び採掘を進め――
四つのリュックにいっぱいアダマンタイトの鉱石を入れた俺とオルトビーンは、ハイタッチして坑道を後にするのだった。
坑道から出た俺達は、入口を土で塞いでおく。これで見つかることはないだろう。
それからボーダまで、地下通路を駆けて戻っていたのだが、途中で一度、地上に出る。
そしてしばらく歩き、小さな丘に近付いたところで、オルトビーンが大声を上げた。
「師匠ー、お土産です!」
すると地面が揺れて、丘が隆起した。
そこから現れたのは、グリーンドラゴン。
この土地のものには森神様と呼ばれる存在で、オルトビーンの師匠でもある。
〈ほう、土産とは鉱石か? ありがたい〉
森神様は、鉱石を食糧としている。
そのため、森神様に縁のある者やハイドワーフは、彼に定期的に鉱石を捧げているのだ。その代わりに、知恵を授けてもらったり、森の生態バランスを取ってもらったりしているんだとか。
オルトビーンは森神様の口元に寄ると、リュックから赤黒い鉱石を大量に出す。
〈むむ、これはアダマンタイトの鉱石ではないか。わしの一番の好物じゃ〉
「はい、リュック一つ分ですがお土産です」
〈オルトビーンよ! でかした! いただくぞ!〉
森神様は嬉しそうに声を上げると、アダマンタイト鉱石を咀嚼する。
〈うむ、美味じゃ!〉
「気に入ってもらえて良かったです。時々、持ってきますね」
〈うむ。待っておるぞ!〉
俺とオルトビーンは森神様に挨拶をして、その場を去るのだった。
ボーダに戻り、オルトビーンと別れた俺は、『進撃の翼』の邸に向かった。
玄関を開けると、たまたま玄関の前を通りかかったアマンダが、驚いた顔で俺を見てきた。
「エクトのほうから来るなんて珍しいじゃないか。今日は何の用だい?」
「今日は日頃のお礼に『進撃の翼』の武器を新調しようと思ってね」
「武器の新調? ちょうど皆リビングに集まっているから来るといいよ」
リビングへ行くと『進撃の翼』の五人はそれぞれにリラックスしていた。そして俺を見て目を大きくしている。
「エクト! どうしたの?」
「ああ、こいつで皆の武器を作ろうと思ってね。ドノバンとバーキンに会いに行くよ」
俺はリュックからアダマンタイトの鉱石を取り出すと、鉱石中に含まれたアダマンタイト以外の成分を、土魔法で除去する。
アダマンタイトの鉱石が、俺の手の中で光った。
「「「「「アダマンタイト!」」」」」
それを見た『進撃の翼』の五人は目を白黒させている。
「ああ。このリュックいっぱいに入っている。これで皆の武器を新調すれば、今よりも安全にダンジョンを探索できるよ」
そんな俺の言葉に、アマンダは眉間に手を当てていた。
「……こんな貴重なものをいいのか?」
「いいよ。皆が強くなって、安全に戦えれば、それでいい」
オラムが嬉しそうに、両手の平を上に向けた。
「エクトはそうだよね!」
「よくわかってるじゃないか。とにかくドノバンとバーキンのところへ行こう」
俺がそう言って邸を出ると、『進撃の翼』の五人は慌ててついてくる。
ドノバンの工房に到着して中に入ると、ドノバンとバーキンが忙しそうに働いていた。
「なんじゃ。エクトではないか」
「エクトさん! お久しぶりです! いかがなさいましたか?」
俺に気付いたドノバンとバーキンが、作業の手を止めて近付いてきた。
「今日は『進撃の翼』の五人に武器を作ってもらいたいんだ……それで、鉱石はアダマンタイトを使ってもらいたくてね」
俺はそう言って、リュックの中から取り出したアダマンタイトをドノバンとバーキンに見せた。
「アダマンタイトだ! 初めて見ました!」
「ほう、アダマンタイト、それもこんなにあるのか」
バーキンは目を真ん丸にしている。
そうか、俺のアダマンタイトの剣はハイドワーフの洞窟でドノバンに作ってもらったものだから、バーキンは鉱石を見るのは初めてか。
一方でドノバンは、鉱石自体はよく目にしていたはずだが、その量に驚いている。
そしてリュックごと俺から取り上げると、さっそく作業台のある方に向かっていってしまった。
「ドノバン、待ってよ。俺も作業を手伝うよ!」
そんなドノバンの背に、慌ててバーキンも駆け寄った。
「バーキン、お前にはまだ早い。傍で見ておれ。見るのも経験じゃ」
「うん!」
アマンダを見ると、息を吐いて呆れ顔をしている。
「まったく、どんな武器にするかも聞いてないってのにせっかちだね」
アマンダ達がドノバンに武器の説明をするために近寄っていくのを見ながら、俺は苦笑するのだった。
数日後、バーキンが武器ができたことを報告にきたので、さっそく俺は『進撃の翼』の五人と共に工房を訪れた。
「うむ、なかなかいい出来だぞ」
「はい! ですが今までの鉱石の中で、一番手強かったですね」
ドノバンは満面の笑みで、『進撃の翼』の五人の武具を一人一人に手渡していく。
アマンダは両手剣、ノーラは槍、オラムは短剣二本、セファーは細剣、ドリーンは杖だ。
『進撃の翼』はそれぞれに武器を持って、嬉しそうに俺を見る。
「これで全員、アダマンタイトの武器になったね。ノーラの大楯だけは量がなくてつくれなかったんだ、ゴメン」
さすがに彼女の普段使っている盾と同じだけの領の鉱石はなかったからな。
しかしノーラは首を大きく横に振る。
「そんなことはいいだ。むしろ、こんなに素晴らしい槍をもらえて申し訳ないだ」
「日頃、お世話になっているお礼だ。受け取ってくれ」
アマンダもオラムも上機嫌だ。
「こんなに良いプレゼントをもらったのは初めてだ。大事に使わせてもらう」
「僕も大事に使うね。エへへ、エクトからプレゼントをもらっちゃった」
皆がとても喜んでいるので、俺も嬉しくなってにっこりと微笑んだ。
第4話 アドバンス子爵の突然の来訪
アドバンス子爵のものと思われる馬車が、騎兵百名と一緒に城塞都市ボーダへ向かってきた。
物見の塔から報告を受け、俺の邸にやってきたエドが緊張した面持ちでそう告げてきた。
「もうすぐ第三外壁に到着いたしますが、いかがいたしましょう?」
アドバンス子爵は、俺が男爵になった時の後見人だ。
鉄鉱石の取引については、以前の舞踏会の際に便宜を図る旨は伝えているから、その話だろうか?
だが、なぜ騎兵を連れているのだろうか?
エドが姿勢を正して真剣な顔で俺の命令を待っている。
「大砲の用意をいたしますか?」
「いや、現時点では敵と決まったわけではないからな……」
アドバンス子爵には何か思惑があるに違いない。
それを確認しないことには動けないだろう。
「第三外壁は通して構わない。とりあえず、第二外壁の大門で応対しよう。ボーダ警備隊と狩人部隊は、念のため第二外壁の上で大砲の備えを進めてくれ」
「はい、そのように手配します」
エドが去ってから、俺はリリアーヌを呼び、事情を説明する。
そして二人で第二外壁までまっすぐに向かった。
俺が第二外壁の大門に到着したのと同じタイミングで、門が開く。
その向こうには馬車が止まっており、ちょうどアドバンス子爵が降りてきたところだった。
「こんな立派な外壁の上から大量の兵士に睨まれていると思うと、生きた心地がしないな……それと、大砲だったか? スタンピードを乗り越えた新兵器もあるのだろう?」
さすがに大砲の情報も手に入れているか。
俺は笑みを浮かべて、子爵に話しかける。
「アドバンス子爵、ボーダまで来てくださりありがとうございます。しかし騎兵隊百名を連れてとは物々しいですね」
「ああ、これか。ビックリしただろう? 王城で言っただろう。俺はエクトと商談をするために、取引の品物を持ってきただけだ」
そういえば王城での舞踏会の時に俺と商談をしたいと言っていたな。
「取引の品物?」
「そう、今からでもすぐに戦場に持ち込める、訓練済みの馬が百頭だ」
「馬だけでなく、騎兵もいるようですが」
「ああ、馬百頭を兵士数名で連れてくることはできないからな……それにアドバンス子爵家が誇る騎兵隊も見てほしかったし」
これは後半が主な理由だろう。
わざわざ騎兵隊を見てほしさに、ここまで連れてきたのか。
確かにアドバンス子爵家の領土は平地が多いから、騎兵は大活躍しているだろうけど。
「どうだ、騎兵隊百名も待機させれば壮麗だろう」
得意げなアドバンス子爵に、俺は苦笑を浮かべる。
とにかく、敵でも脅威でもなさそうだ。
アドバンス子爵とは俺の邸で商談することにしようか。
というわけで第二外壁の大門の近くに、即席の厩舎を土魔法で作る。馬が百頭入っても狭くない大きさの厩舎だ。
それを見てアドバンス子爵が驚いている。
「土魔法とはこんなに便利だったのだな」
「使い方次第ですよ。さあ、馬を厩舎に繋いでください」
「ああ、わかった」
アドバンス子爵の命令で、騎兵達が騎馬を厩舎に繋いでいく。
リリアーヌはその姿を見て、俺の横で呟いた。
「しっかり訓練されていて素晴らしいですわね。おじい様が見れば何と言うかしら」
「騎兵隊は戦の花と呼ばれているからな。見事と言ってくれるに違いない」
アドバンス子爵が胸を張って答える。
確かに、かなり壮観だったからな。花と言われるのも納得だ。
馬から降りた騎兵達の対応は警備隊に任せ、俺達は邸に移動する。
リビングへ入ると、オルトビーンがゆったりとソファーに座っていた。
アドバンス子爵は、彼を見て驚いた表情になる。
「おお、オルトビーンではないか。久しいな。まだボーダにいたのか?」
「ここの方が王都よりもゆっくりできるんでね。面白いことも多いし。しばらくはここにいるよ」
「丁度良い。オルトビーンも話し合いに参加してくれないか」
アドバンス子爵がオルトビーンに頭を下げると、オルトビーンはゆっくりと首を縦に振った。
「ああ、問題ないよ。エクトもかまわないよね?」
「もちろんだよ」
「それでは話し合いと参りましょう」
一足先にソファーに座っていたリリアーヌに促され、俺とアドバンス子爵も座る。
ほどなくしてリンネが紅茶を運んできて、一息ついたところでアドバンス子爵が口を開いた。
「前に話していた通り、鉄鉱石の件でな。馬百頭と鉄鉱石で取引したい。我が領地の馬は優秀だ、悪い取引ではなかろう」
うーん、ここが未開発の森林に三方を囲まれた城塞都市じゃなくて平地だったら、良い取引かもしれないけど……
馬をもらっても、宝の持ち腐れなのだ。
そりゃ、ちょっとは馬に乗ってみたいとも思ったけれども。
俺が渋い顔をしていると、アドバンス子爵が身を乗り出してくる。
「騎兵隊は戦の花だぞ。馬に乗って戦場を駆け巡りたいとは思わないのか?」
「申し出は嬉しいのですが、このボーダでは馬を走らせる場所がありません。それにファルスフォード王国は、今は平安です。内乱の起こる可能性もない。馬を持っても宝の持ち腐れになるだけです。それでは馬があまりにも可哀そうです」
俺の言葉を聞いて、アドバンス子爵が困惑した様子を見せる。
はるばる自領から自慢の騎馬を百頭も連れて来たのに、取引材料にもならないとなれば、無理のない話だ。
「馬百頭でも取引には応じないというのか! ではどうすればいい?」
「普通に貨幣で払っていただければいいですよ」
「それができるなら馬百頭も用意せんよ」
アドバンス子爵がため息をつく。
どこの領地も潤沢な資金があるわけではないということか。細かい事情を聞くのも恥をかかせるだけだしな。ここは黙っておこう。
アドバンス子爵は、さらに言葉を重ねる。
「庶民の暮らしにも、兵士達にも鉄が必要なのだ。なんとかならんか?」
「でしたら、すぐに現金を用意できずとも、支払額を明記した証文を用意できればそれでかまいませんよ。リリアーヌとオルトビーンもいますし、証人として署名してもらいましょう。それで騎馬百頭分の鉄鉱石をお渡しいたします」
俺の言葉に、リリアーヌとオルトビーンがニッコリと笑う。
「私が見届け人をするということは、おじい様が見届け人と思ってくださいませね」
「俺で良ければ見届け人になるよ」
そんな二人の言葉に、アドバンス子爵が安堵の顔に変わる。
鉄鉱石を確保できたのだから、アドバンス子爵の面目も保てる。納得してくれたみたいで良かった。
アドバンス子爵は、頭を下げてきた。
「ありがとう。証文にサインする。皆、よろしく頼むよ」
それからリンネに紙を用意してもらって、四人でサインした。
「それでは借用書をお預かりしますね。鉄鉱石は後ほど、荷馬車でアドバンス子爵の領土までお届けします」
「エクト、本当にありがとう。返済は必ずする……そうだ、全く使わないということはないだろうから、馬を五頭、置いていこう。無茶を聞いてくれた礼と思ってくれ」
ひとしきり頭を下げたアドバンス子爵は、騎馬兵を連れて自分の領土へと帰っていった。
そんなアドバンス子爵との交渉から、数週間経ったある日。
邸でゆっくりと紅茶を飲んでいると、イマールとリンネが駆け足で玄関に入ってきた。二人とも顔が真っ青だ。
「どうしたんだ二人とも、そんなに慌てて入ってきて。何かあったのか?」
「国土特別税法が成立しました。領土を持っている貴族は、所有している私財と年間税収の五割を国に納めよと書かれています」
なんだって! 五割も税金を王国に納めてしまったら、生活もできなくなるぞ!
そしてそれは国力の低下に繋がり、隣国が侵攻してくるきっかけになるかもしれない。
オルトビーンを見ると、さすがに目を見開いている。
「そんな法案が通ったこと、俺は知らないよ。これから王城へ行って確かめてくる」
「オルトビーン、俺もついていく」
それなら俺も直接話を聞きたい。
俺の隣では、リリアーヌも怒っていた。
「おじい様がこんな法案を通すわけがないですわ。これは何かの間違いですわ」
オルトビーンが庭に急いで転移魔法陣を書いている。俺とリリアーヌは魔法陣の中央に立つ。
「リンネ、留守の間、よろしく頼む」
「あまり無茶をされませんように」
リンネは穏やかに微笑んで、深くお辞儀をした。
魔法陣が輝き始め、光に包まれ……俺達三人は王城へ転移した。
オルトビーンはグランヴィル宰相の執務室に向かうために王城の廊下を歩きながら、ぶつぶつと文句を言っている。
「宮廷魔導師の俺でさえ知らない法案を、誰が通したというんだ」
オルトビーンを先頭にして俺、リリアーヌの順で廊下を歩く。
グランヴィル宰相の執務室の前に着き、リリアーヌがノックをすると、執務室の中から「入れ」という言葉が聞こえた。
三人とも入室したところで、俺達はグランヴィル宰相に詰め寄った。
ボーダや、ボーダが併合した他の村は、元々は農家中心の村々だ。よって、主に農家の跡継ぎなどが授業を受けているはずなんだが……
「ボーダには広大な農耕地がありますから、新規参入したい農家希望の人達も多いんです。ここで授業を受けている人達はそういう人達です」
なるほど、確かにこれだけ沢山の人が移住してきたなら、新たに農業に挑戦する人達も出てくるか。
狩りを教えているエリアに向かうと、弓の練習をしていた。皆楽しそうに授業を受けている。
聞けば、狩りの際の動き方なども教えているようで、狩人の息子達や子供達が多いそうだ。
未開発の森林へ入って実地訓練もするつもりだというが……大丈夫だろうか。まぁ、狩人部隊のサポートもあるというし、大丈夫か。
最後に剣術教室を見に行った。
ちょうど、訓練用の模擬剣での素振り千回をしているところだった。
模擬剣といっても、刃を潰した鉄剣なのでそれなりに重いはずだ。素振り千回もすれば手の平はマメだらけだろう。
農業、狩り、剣術の授業は雨の日には中止になるという。野外で授業をしているのだから当然といえば当然か。
そういえば、騎馬の授業とかは作ってなかったな。
うーん、最後に乗馬したのはかなり昔だし、個人的に騎馬の授業を受けたいんだが……まぁ、ボーダは立地的に騎兵が不要なので、馬をあまり飼ってないんだよな。となると、騎馬の授業は難しいか。
学校長と別れて自宅に戻る途中、考え込んでいた俺を見て、リンネが不安そうに尋ねてくる。
「どうでしたか?」
「ああ。まずは読み書き教室と算術教室の増改築が優先事項だね。今度、生徒達が帰った後に、教室の増改築をしよう」
「わかりました。生徒達も喜ぶでしょう」
「あと、思ったんだけど、狩り教室と剣術教室を合併させたほうがいいんじゃないか。そのほうが弓も剣も使えるようになるし。ここで学んだ狩人は、そのまま周囲の森に入ることになるだろう? 魔獣を相手にすることになるんだし、弓矢だけでは危険が多いからね」
「そうですね、学校長に言っておきます。他にはないですか?」
うーん、本当なら商業を習う教室も欲しいし、文官を育てる教室も欲しい。
しかし、ここで授業を受けているのは一般庶民だ。そこまで希望するのは少しやりすぎだろうか。
相変わらず悩んでいる俺に、リンネが微笑みかける。
「必要な教科があれば、これから増やしていけばいいと思います……それにしても、今日はエクト様と一緒に学校見学ができて、嬉しかったです」
「ああ、そういえばリンネと二人で一緒にいることが少なくなっていたからね。これからも時々、学校見学や色々な所を案内してくれ」
「はい、わかりました!」
リンネは満面の笑みだ。
「そういだ、リンネはこの後どうするんだ? 内政庁に戻るのか?」
「いえ、今日はもう戻る予定はないですね」
そうか、だったら……
「昨日、リリアーヌから美味しい甘味処を教えてもらったんだ。今から一緒に行かないか?」
「嬉しいです! 喜んで!」
やはり女の子は甘いモノが好きらしい。俺とリンネは手を繋いだまま、甘味処へと向かった。
翌週、俺はオルトビーンと二人で、アブルケル連峰の麓にある鉱員達の村へ訪れていた。
鉱員は順調に数を増やしており、事前に内政庁に確認したところ、八十人ほどになっているという。
となると住処も足りていないのでは、ということで視察ついでにやってきたのだ。
ただ、鉱員達は全員仕事に出て、村には誰もいなかった。
というわけで、今のうちに村を囲う壁を《土移動》移動させて村の敷地面積を増やし、三階建ての長屋を二棟建てておいた。
それから作業場に向かうと、鉱員達がミスリルのツルハシで坑道を掘っていた。
「作業は順調かい?」
「おお、エクト様、ここの鉱脈は、良い鉄鉱石が沢山掘れます。ミスリルのツルハシですので、とても軽くて丈夫で使いやすい」
鉱員長のヘイゲルが嬉しそうに答えてくれた。
「まだ誰も手を着けていない鉱脈というのは気持ちがいいですな」
そう言ってヘイゲルは笑う。まるでガキ大将のような笑顔だ。
「それでエクト様。今日はどうしたんですかい?」
「人も増えたって話だったから、少し様子見にね。そうそう、村の方は敷地を大きくして、長屋を建てて部屋を多くしておいたよ」
「それは助かります。人数が多くなって部屋数が少なくなっていたところでさ」
やはり部屋数が足りなくなっていたか。今日は視察に来てよかったな。
「何か不都合があったら、いつでもボーダに来てくれ。内政庁に言えば、だいたいのことは調整してくれるはずだから」
「それはありがてーです。風呂もあるし、これで酒があれば最高なんですけどねー」
やはり鉱員の男性達は酒好きが多いか。ハイドワーフ族に通じるものを感じるな。
「わかった。今度視察に来た時に酒も持ってくるよ」
「ありがてえ!」
それからヘイゲルに、坑道の中を案内してもらう。
落盤などの事故が起きないようにしっかりと作られており、鉱員達は元気いっぱいにツルハシを振るっている。
うん、いい感じだな。
「皆に絶対に無理はしないように言っておいてくれ。休憩もしっかりとるんだぞ」
「はい、ありがとうございます!」
オルトビーンが俺の肩をポンポンと叩く。
「さて、俺達はそろそろ行こうか」
「ああ、そうだな……ヘイゲル、それじゃあよろしくな」
俺達はヘイゲルと分かれて坑道から出た。
鉱員の皆の目がなくなったところで、オルトビーンが俺を見る。
「視察もいいけど、今日の目的を忘れられると困るよ」
「ゴメンゴメン、ちゃんと覚えてるよ。それじゃあ行こうか!」
そう、今日の目的は、鉱員の視察だけではない。
以前俺とオルトビーンが見つけた、ミスリルとアダマンタイトが含まれている鉱脈の採掘に来たのだ。
そもそもこのアブルケル連峰には、ハイドワーフという先住民がいる。
彼らはこの連峰の中で、ミスリルやアダマンタイトなどの鉱石を掘りながら、坑道の中で生活している。
そんな彼らがまだ見つけていない鉱脈を、俺とオルトビーンは見つけていたのだ。
俺達は《地質調査》で確認しつつ、崖を登っていく。
そしてすぐに、目的地に辿り着いた。
俺とオルトビーンはさっそく、土魔法の《採掘》を使って、掘り進めていく。
五メートル程採掘したところで、ミスリルの鉱石が出てきた。
そのまま奥へ奥へと採掘しながら進んでいくと、赤黒い石が出始めた。
これがアダマンタイトだ。
この拳大の大きさの鉱石だけでも、光金貨一枚の価値はある。
しかも《地質調査》によれば、この近辺にはまだあるようだ。
そこから再び採掘を進め――
四つのリュックにいっぱいアダマンタイトの鉱石を入れた俺とオルトビーンは、ハイタッチして坑道を後にするのだった。
坑道から出た俺達は、入口を土で塞いでおく。これで見つかることはないだろう。
それからボーダまで、地下通路を駆けて戻っていたのだが、途中で一度、地上に出る。
そしてしばらく歩き、小さな丘に近付いたところで、オルトビーンが大声を上げた。
「師匠ー、お土産です!」
すると地面が揺れて、丘が隆起した。
そこから現れたのは、グリーンドラゴン。
この土地のものには森神様と呼ばれる存在で、オルトビーンの師匠でもある。
〈ほう、土産とは鉱石か? ありがたい〉
森神様は、鉱石を食糧としている。
そのため、森神様に縁のある者やハイドワーフは、彼に定期的に鉱石を捧げているのだ。その代わりに、知恵を授けてもらったり、森の生態バランスを取ってもらったりしているんだとか。
オルトビーンは森神様の口元に寄ると、リュックから赤黒い鉱石を大量に出す。
〈むむ、これはアダマンタイトの鉱石ではないか。わしの一番の好物じゃ〉
「はい、リュック一つ分ですがお土産です」
〈オルトビーンよ! でかした! いただくぞ!〉
森神様は嬉しそうに声を上げると、アダマンタイト鉱石を咀嚼する。
〈うむ、美味じゃ!〉
「気に入ってもらえて良かったです。時々、持ってきますね」
〈うむ。待っておるぞ!〉
俺とオルトビーンは森神様に挨拶をして、その場を去るのだった。
ボーダに戻り、オルトビーンと別れた俺は、『進撃の翼』の邸に向かった。
玄関を開けると、たまたま玄関の前を通りかかったアマンダが、驚いた顔で俺を見てきた。
「エクトのほうから来るなんて珍しいじゃないか。今日は何の用だい?」
「今日は日頃のお礼に『進撃の翼』の武器を新調しようと思ってね」
「武器の新調? ちょうど皆リビングに集まっているから来るといいよ」
リビングへ行くと『進撃の翼』の五人はそれぞれにリラックスしていた。そして俺を見て目を大きくしている。
「エクト! どうしたの?」
「ああ、こいつで皆の武器を作ろうと思ってね。ドノバンとバーキンに会いに行くよ」
俺はリュックからアダマンタイトの鉱石を取り出すと、鉱石中に含まれたアダマンタイト以外の成分を、土魔法で除去する。
アダマンタイトの鉱石が、俺の手の中で光った。
「「「「「アダマンタイト!」」」」」
それを見た『進撃の翼』の五人は目を白黒させている。
「ああ。このリュックいっぱいに入っている。これで皆の武器を新調すれば、今よりも安全にダンジョンを探索できるよ」
そんな俺の言葉に、アマンダは眉間に手を当てていた。
「……こんな貴重なものをいいのか?」
「いいよ。皆が強くなって、安全に戦えれば、それでいい」
オラムが嬉しそうに、両手の平を上に向けた。
「エクトはそうだよね!」
「よくわかってるじゃないか。とにかくドノバンとバーキンのところへ行こう」
俺がそう言って邸を出ると、『進撃の翼』の五人は慌ててついてくる。
ドノバンの工房に到着して中に入ると、ドノバンとバーキンが忙しそうに働いていた。
「なんじゃ。エクトではないか」
「エクトさん! お久しぶりです! いかがなさいましたか?」
俺に気付いたドノバンとバーキンが、作業の手を止めて近付いてきた。
「今日は『進撃の翼』の五人に武器を作ってもらいたいんだ……それで、鉱石はアダマンタイトを使ってもらいたくてね」
俺はそう言って、リュックの中から取り出したアダマンタイトをドノバンとバーキンに見せた。
「アダマンタイトだ! 初めて見ました!」
「ほう、アダマンタイト、それもこんなにあるのか」
バーキンは目を真ん丸にしている。
そうか、俺のアダマンタイトの剣はハイドワーフの洞窟でドノバンに作ってもらったものだから、バーキンは鉱石を見るのは初めてか。
一方でドノバンは、鉱石自体はよく目にしていたはずだが、その量に驚いている。
そしてリュックごと俺から取り上げると、さっそく作業台のある方に向かっていってしまった。
「ドノバン、待ってよ。俺も作業を手伝うよ!」
そんなドノバンの背に、慌ててバーキンも駆け寄った。
「バーキン、お前にはまだ早い。傍で見ておれ。見るのも経験じゃ」
「うん!」
アマンダを見ると、息を吐いて呆れ顔をしている。
「まったく、どんな武器にするかも聞いてないってのにせっかちだね」
アマンダ達がドノバンに武器の説明をするために近寄っていくのを見ながら、俺は苦笑するのだった。
数日後、バーキンが武器ができたことを報告にきたので、さっそく俺は『進撃の翼』の五人と共に工房を訪れた。
「うむ、なかなかいい出来だぞ」
「はい! ですが今までの鉱石の中で、一番手強かったですね」
ドノバンは満面の笑みで、『進撃の翼』の五人の武具を一人一人に手渡していく。
アマンダは両手剣、ノーラは槍、オラムは短剣二本、セファーは細剣、ドリーンは杖だ。
『進撃の翼』はそれぞれに武器を持って、嬉しそうに俺を見る。
「これで全員、アダマンタイトの武器になったね。ノーラの大楯だけは量がなくてつくれなかったんだ、ゴメン」
さすがに彼女の普段使っている盾と同じだけの領の鉱石はなかったからな。
しかしノーラは首を大きく横に振る。
「そんなことはいいだ。むしろ、こんなに素晴らしい槍をもらえて申し訳ないだ」
「日頃、お世話になっているお礼だ。受け取ってくれ」
アマンダもオラムも上機嫌だ。
「こんなに良いプレゼントをもらったのは初めてだ。大事に使わせてもらう」
「僕も大事に使うね。エへへ、エクトからプレゼントをもらっちゃった」
皆がとても喜んでいるので、俺も嬉しくなってにっこりと微笑んだ。
第4話 アドバンス子爵の突然の来訪
アドバンス子爵のものと思われる馬車が、騎兵百名と一緒に城塞都市ボーダへ向かってきた。
物見の塔から報告を受け、俺の邸にやってきたエドが緊張した面持ちでそう告げてきた。
「もうすぐ第三外壁に到着いたしますが、いかがいたしましょう?」
アドバンス子爵は、俺が男爵になった時の後見人だ。
鉄鉱石の取引については、以前の舞踏会の際に便宜を図る旨は伝えているから、その話だろうか?
だが、なぜ騎兵を連れているのだろうか?
エドが姿勢を正して真剣な顔で俺の命令を待っている。
「大砲の用意をいたしますか?」
「いや、現時点では敵と決まったわけではないからな……」
アドバンス子爵には何か思惑があるに違いない。
それを確認しないことには動けないだろう。
「第三外壁は通して構わない。とりあえず、第二外壁の大門で応対しよう。ボーダ警備隊と狩人部隊は、念のため第二外壁の上で大砲の備えを進めてくれ」
「はい、そのように手配します」
エドが去ってから、俺はリリアーヌを呼び、事情を説明する。
そして二人で第二外壁までまっすぐに向かった。
俺が第二外壁の大門に到着したのと同じタイミングで、門が開く。
その向こうには馬車が止まっており、ちょうどアドバンス子爵が降りてきたところだった。
「こんな立派な外壁の上から大量の兵士に睨まれていると思うと、生きた心地がしないな……それと、大砲だったか? スタンピードを乗り越えた新兵器もあるのだろう?」
さすがに大砲の情報も手に入れているか。
俺は笑みを浮かべて、子爵に話しかける。
「アドバンス子爵、ボーダまで来てくださりありがとうございます。しかし騎兵隊百名を連れてとは物々しいですね」
「ああ、これか。ビックリしただろう? 王城で言っただろう。俺はエクトと商談をするために、取引の品物を持ってきただけだ」
そういえば王城での舞踏会の時に俺と商談をしたいと言っていたな。
「取引の品物?」
「そう、今からでもすぐに戦場に持ち込める、訓練済みの馬が百頭だ」
「馬だけでなく、騎兵もいるようですが」
「ああ、馬百頭を兵士数名で連れてくることはできないからな……それにアドバンス子爵家が誇る騎兵隊も見てほしかったし」
これは後半が主な理由だろう。
わざわざ騎兵隊を見てほしさに、ここまで連れてきたのか。
確かにアドバンス子爵家の領土は平地が多いから、騎兵は大活躍しているだろうけど。
「どうだ、騎兵隊百名も待機させれば壮麗だろう」
得意げなアドバンス子爵に、俺は苦笑を浮かべる。
とにかく、敵でも脅威でもなさそうだ。
アドバンス子爵とは俺の邸で商談することにしようか。
というわけで第二外壁の大門の近くに、即席の厩舎を土魔法で作る。馬が百頭入っても狭くない大きさの厩舎だ。
それを見てアドバンス子爵が驚いている。
「土魔法とはこんなに便利だったのだな」
「使い方次第ですよ。さあ、馬を厩舎に繋いでください」
「ああ、わかった」
アドバンス子爵の命令で、騎兵達が騎馬を厩舎に繋いでいく。
リリアーヌはその姿を見て、俺の横で呟いた。
「しっかり訓練されていて素晴らしいですわね。おじい様が見れば何と言うかしら」
「騎兵隊は戦の花と呼ばれているからな。見事と言ってくれるに違いない」
アドバンス子爵が胸を張って答える。
確かに、かなり壮観だったからな。花と言われるのも納得だ。
馬から降りた騎兵達の対応は警備隊に任せ、俺達は邸に移動する。
リビングへ入ると、オルトビーンがゆったりとソファーに座っていた。
アドバンス子爵は、彼を見て驚いた表情になる。
「おお、オルトビーンではないか。久しいな。まだボーダにいたのか?」
「ここの方が王都よりもゆっくりできるんでね。面白いことも多いし。しばらくはここにいるよ」
「丁度良い。オルトビーンも話し合いに参加してくれないか」
アドバンス子爵がオルトビーンに頭を下げると、オルトビーンはゆっくりと首を縦に振った。
「ああ、問題ないよ。エクトもかまわないよね?」
「もちろんだよ」
「それでは話し合いと参りましょう」
一足先にソファーに座っていたリリアーヌに促され、俺とアドバンス子爵も座る。
ほどなくしてリンネが紅茶を運んできて、一息ついたところでアドバンス子爵が口を開いた。
「前に話していた通り、鉄鉱石の件でな。馬百頭と鉄鉱石で取引したい。我が領地の馬は優秀だ、悪い取引ではなかろう」
うーん、ここが未開発の森林に三方を囲まれた城塞都市じゃなくて平地だったら、良い取引かもしれないけど……
馬をもらっても、宝の持ち腐れなのだ。
そりゃ、ちょっとは馬に乗ってみたいとも思ったけれども。
俺が渋い顔をしていると、アドバンス子爵が身を乗り出してくる。
「騎兵隊は戦の花だぞ。馬に乗って戦場を駆け巡りたいとは思わないのか?」
「申し出は嬉しいのですが、このボーダでは馬を走らせる場所がありません。それにファルスフォード王国は、今は平安です。内乱の起こる可能性もない。馬を持っても宝の持ち腐れになるだけです。それでは馬があまりにも可哀そうです」
俺の言葉を聞いて、アドバンス子爵が困惑した様子を見せる。
はるばる自領から自慢の騎馬を百頭も連れて来たのに、取引材料にもならないとなれば、無理のない話だ。
「馬百頭でも取引には応じないというのか! ではどうすればいい?」
「普通に貨幣で払っていただければいいですよ」
「それができるなら馬百頭も用意せんよ」
アドバンス子爵がため息をつく。
どこの領地も潤沢な資金があるわけではないということか。細かい事情を聞くのも恥をかかせるだけだしな。ここは黙っておこう。
アドバンス子爵は、さらに言葉を重ねる。
「庶民の暮らしにも、兵士達にも鉄が必要なのだ。なんとかならんか?」
「でしたら、すぐに現金を用意できずとも、支払額を明記した証文を用意できればそれでかまいませんよ。リリアーヌとオルトビーンもいますし、証人として署名してもらいましょう。それで騎馬百頭分の鉄鉱石をお渡しいたします」
俺の言葉に、リリアーヌとオルトビーンがニッコリと笑う。
「私が見届け人をするということは、おじい様が見届け人と思ってくださいませね」
「俺で良ければ見届け人になるよ」
そんな二人の言葉に、アドバンス子爵が安堵の顔に変わる。
鉄鉱石を確保できたのだから、アドバンス子爵の面目も保てる。納得してくれたみたいで良かった。
アドバンス子爵は、頭を下げてきた。
「ありがとう。証文にサインする。皆、よろしく頼むよ」
それからリンネに紙を用意してもらって、四人でサインした。
「それでは借用書をお預かりしますね。鉄鉱石は後ほど、荷馬車でアドバンス子爵の領土までお届けします」
「エクト、本当にありがとう。返済は必ずする……そうだ、全く使わないということはないだろうから、馬を五頭、置いていこう。無茶を聞いてくれた礼と思ってくれ」
ひとしきり頭を下げたアドバンス子爵は、騎馬兵を連れて自分の領土へと帰っていった。
そんなアドバンス子爵との交渉から、数週間経ったある日。
邸でゆっくりと紅茶を飲んでいると、イマールとリンネが駆け足で玄関に入ってきた。二人とも顔が真っ青だ。
「どうしたんだ二人とも、そんなに慌てて入ってきて。何かあったのか?」
「国土特別税法が成立しました。領土を持っている貴族は、所有している私財と年間税収の五割を国に納めよと書かれています」
なんだって! 五割も税金を王国に納めてしまったら、生活もできなくなるぞ!
そしてそれは国力の低下に繋がり、隣国が侵攻してくるきっかけになるかもしれない。
オルトビーンを見ると、さすがに目を見開いている。
「そんな法案が通ったこと、俺は知らないよ。これから王城へ行って確かめてくる」
「オルトビーン、俺もついていく」
それなら俺も直接話を聞きたい。
俺の隣では、リリアーヌも怒っていた。
「おじい様がこんな法案を通すわけがないですわ。これは何かの間違いですわ」
オルトビーンが庭に急いで転移魔法陣を書いている。俺とリリアーヌは魔法陣の中央に立つ。
「リンネ、留守の間、よろしく頼む」
「あまり無茶をされませんように」
リンネは穏やかに微笑んで、深くお辞儀をした。
魔法陣が輝き始め、光に包まれ……俺達三人は王城へ転移した。
オルトビーンはグランヴィル宰相の執務室に向かうために王城の廊下を歩きながら、ぶつぶつと文句を言っている。
「宮廷魔導師の俺でさえ知らない法案を、誰が通したというんだ」
オルトビーンを先頭にして俺、リリアーヌの順で廊下を歩く。
グランヴィル宰相の執務室の前に着き、リリアーヌがノックをすると、執務室の中から「入れ」という言葉が聞こえた。
三人とも入室したところで、俺達はグランヴィル宰相に詰め寄った。
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