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十、アーモンド
しおりを挟む『エミリア王女殿下。将来、私の妻となってくださると、お約束くださいませんか?』
小さな紳士が、彼より更に幼い王女の前で、跪き言った言葉。
聞き慣れないそれよりも、いつになく畏まった様子の彼に、小さな王女は首を傾げた。
『フレッドにいさま?どうしたの?』
いつも通り手を引いてここまで来てくれて、いつも通り遊んでくれていたのに、と尋ねれば、小さな紳士は照れた様子ではにかんだ笑みを浮かべた。
『結婚の申し込みだからね、きちんとしたいんだ』
『けっこんのもうしこみ?』
『うん。エミィに、僕のお嫁さんになってほしい、ってことだよ。エミィは、僕とずっと一緒にいるの、いや?』
『いやじゃない!わたし、あ、わたくし、フレッドにいさまだいすきだもの!』
最近よく注意されるようになった一人称を何とか言い直し、いつも通り抱き付けば、いつも通り抱き留めてくれる優しい手。
そうして、いつも通り覗き込んで来る、きれいな赤味がかった金色の瞳。
それは、幼い王女がもっと幼かった頃『ふれっどにたま』と、もとらないたどたどしさで呼んでいた時から変わらない。
『僕も、エミィが大好きだよ。なら、僕のお嫁さんになってくれる?』
『うん、なる!わたし、フレッドにいさまのおよめさんになるわ!』
一人称を直すことも忘れて嬉しさに瞳を輝かせれば、同じくらいの輝きで見つめ返してくれる優しい瞳。
『ありがとう、エミィ。必ず君に相応しい男になって、ずっと傍に居るからね』
『ずっと?』
『ああ』
『やくそく?』
『うん。やくそくだ』
『じゃあ、ゆびきりして?』
『もちろん』
そうして幼いふたりは、ふたりだけのゆびきりをして。
小さな紳士はその約束の証として、淡い桜色の花が付いた小枝を、小さな王女の髪に挿した。
「・・・懐かしいわ」
時止めや破損防止など、考え得る限りの魔法で加工し、髪飾りとしたその桜色の花を見つめて、わたくしはとても優しい気持ちになる。
この花の花言葉は、真実の愛。
あの時のわたくしはその花言葉を知らなかったけれど、あのフレッドが知らずに偶然選んだ、なんてことは考えられないから、知っていて選んでくれたのだろうと思う。
それまでも、ふたりでよく遊んだ花苑。
その思い出の場所の、想い出の花でもあるそれは、フレッドによって、更に深く優しい想い出を残すこととなった。
「ほんとにきれい」
わたくしは、今を盛りと満開の花を付けている、あの頃よりずっと大きく成長した木々を見あげ、その淡い桜色の世界にうっとりと目を閉じる。
王城の一画にあるこの花苑、今日と同じように満開の花を付けたこの木の下で、幼いあの日、フレッドはわたくしに結婚の申し込みをしてくれた。
それは、わたくしにとって、とても大切な記憶。
「思い出せてよかった」
心から思い、わたくしは髪飾りにそっと唇を寄せ。
「エミィ」
わたくしを呼ぶフレッドの声に顔をあげた。
「はい、なんでしょう。王太子殿下」
そして茶化すように言うと、フレッドは少し目を見開いて、それから悪戯っぽく笑って、私の前で恭しい礼をする。
「お迎えにあがりました。王太子妃殿下」
まるで、これからダンスでも始めるかのその様相。
「もう、フレッドったら」
「始めたのはエミィだろう?」
その道化た様子に思わず笑えば、フレッドが澄ました顔で言った。
「そうだけれど。でも、事実だし」
今日の午前、立太子の礼を終えて、フレッドは正式に王太子となった。
その式典での姿は本当に凛々しく威風堂々としていて、見慣れたわたくしも思わず魅入ってしまったほど。
周りの女性も当然のように見惚れていたうえ、愛人でもいいから、なんて囁きまで聞こえて、わたくしは何だかもやもやしてしまった。
もちろん、何があっても絶対に誰にも渡しません、とひとり改めて誓ったのだけれど、式典が終わった後、衆目のなかわたくしをエスコートしてくれたフレッドは、その視線を周りに向けないことが不安になるくらい、本当にわたくししか見ていなくて。
『ああ。本当にきれいだよ、エミィ』
甘い声で囁かれ、その幸福に輝く笑みを向けられた瞬間、そんなもやもやは消えてなくなってしまった。
それどころか、この素晴らしいひとはいつだって、心ごとわたくしの傍に居てくれるんですよ、と自慢したくさえなって、我ながら苦笑せざるを得ない事態となった。
もちろんすべて、わたくしの心のなかだけでの葛藤で、表情になど微塵も出していないのだけれど。
本心を隠すのがこれほど上手いだなんて、わたくし、性格悪いかもしれませんわ。
いえ、王女、王太子妃としては当然のことですけれど。
素敵過ぎる旦那様を持つと、苦労しますわね。
周りが見惚れても仕方無いと思えるほど、フレッドは本当に素敵ですもの。
何なら、輝いていますわ。
「エミィ?思い出し笑いなんてしていないで、僕を見てほしいな」
満開の美しい花を背景に、非常に絵になるフレッドが揶揄うような目をわたくし向ける。
どうやら表情に出てしまっていたらしい。
フレッドだけだとどうしてもこうなる、とまたも苦笑しつつ、わたくしは反撃の必殺技を繰り出した。
「思い出し笑いもしたくなりますわ。それほど今日のフレッドは、本当に格好よくて素敵だったのですもの」
「っ!」
反撃といっても本当のことを言っただけだけれど、わたくしは、フレッドが直接の誉め言葉に弱いことを知っている。
尤も、それは対わたくしに限ったことらしいのだけれど。
「顔、赤くなりましたわよ?お熱があるのでは?」
くすくす言いながら頬をつつけば、わざとらしく目を眇める。
「からかうな」
「からかってなんていませんわ。周りの女性も皆、フレッドに釘付けでしたわよ?愛人でもいい、とかおっしゃって熱烈ですこと」
何となく面白くなかった、その気持ちも混ぜ込んで音にすれば、フレッドが自分の前髪を片手で持ち上げた。
そんな仕草も、凄くさまになって格好いい。
「周りはどうでもいい。エミィがそう思ってくれるなら、それだけで」
「わたくしは、愛人でもいい、なんて思いませんわよ?」
「当たり前だ、莫迦」
わざと、つんと澄まして言えば、こつん、と頭を小突かれ、わたくしは大げさに首を傾いだ。
「でも、本当。その盛装も素敵ですわ」
式典の時より華やかな装いになったフレッドに、わたくしはまたも見惚れてしまう。
「エミィも、凄くきれいだ。式典のドレスも清楚で素敵だったけれど、そのドレスもよく似合っている。今日は、もう一回違うドレス姿を見られるから、そちらも凄く楽しみなんだよね」
これから行われる昼餐、そしてお披露目の夜会。
どちらも諸外国から王族の方も臨席してくださることになっていて、フレッドとわたくしには、王太子、王太子妃となって初めての外交が待っている。
当然緊張もするけれど楽しみでもあり、何より頼りになるフレッドが傍に居るのだから心強いことこのうえない。
「わたくしも。フレッドとお揃いのドレスを着るの、凄く楽しみですわ」
これまでもそういう機会はあったけれど、今日という日はまた格別。
「ところでエミィ。手に持っているのは、なに?」
「これは、わたくしにとって一等大切で特別な髪飾りよ」
「一等大切で特別な髪飾り?・・・・っ、エミィ。もしかして、それ」
わたくしの答えに不思議そうな顔になったフレッドは、わたくしが手のひらに乗せて見せたそれに息を呑んだ。
「覚えていらして?」
自信はある。
けれど、不安もあって見つめたフレッドが、まるで泣き笑いのような表情になったことに驚いてしまう。
「フレッド?」
何故そんな表情になったのか分からず、おろおろしているわたくしを、フレッドが優しく抱き寄せた。
「嬉しい。あの日の僕の想いを、それほど大切にしてくれて」
「凄く嬉しかったのですもの、当たり前ですわ・・・ね、着けてくださいます?」
この髪飾りのために空けてある部分を指さし言えば、フレッドが戸惑いを見せる。
「うまく着けられる自信が無い」
「大丈夫ですわ。あの日と同じように挿し込めばいいようになっていますから」
「緊張する」
「わたくしは、嬉しいです」
「っ・・・そうか」
「はい」
こんこんと、尽きることなく心の底から込み上げる幸せ。
その想いのままに微笑み合い、見つめ合って。
あの日と同じように。
あの日と同じ、この場所で。
ふたり。
後。
国王となってからも、フレデリクは王妃であるエミリアと秘密の文通を続けた。
共にあっても交わされる恋文。
それは、王太子時代からのふたりの恒例で、公然の秘密ではあったが、その内容は誰も読むことが出来なかったという。
日本語、というエミリア王妃が生み出したその暗号は、やがてこの国にとって重要な役目を果たすことになり、代々王家直系に伝授されていくことになるのだが。
それは、まだ少し未来の話。
了
~・~・~・~・~・
『だいすきなえみぃへ。これからずっとひみつのぶんつうをしよう』
それが、フレデリク最初の日本語での恋文。
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