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五十五、扇

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 咎人とがにん枝田氏えだしの男が捕らえられている小屋は、前面が格子状になっていて、中を窺い見ることが出来る。 

 格子とはいえ、その使われている木材は一本一本が太く強く頑丈で、ひとつだけの小さな出入口には、堅固な錠がかけられている。 

 そしてその前にはふたりの見張りが立ち、夜ともなれば篝火が焚かれる。 

 

 ここに来る。 

 扇様が。 

 

 篝火に照らされた小屋の内部は、暗いながらも窺い見ることが出来、潜む白朝の目にも、自死することのないよう、口を布で塞がれ、両手を後ろ手に縛られながらも静かに座っている枝田氏の男の姿が見えた。 

 

 どうやって、逃がすつもりなのかな。 

 

 偽のものとは知らずに、得た情報を頼りにここまで来る扇は、生家である鷹城たかじょう、兄であるほむらにさえ知られないよう、ここへ忍んで来ると聞いている。 

  

 石工は、鷹城は枝田氏の男を消す方向で動くだろうって言っていたから。 

 扇様はその事に反対をして、ご自身のお兄様にも内緒で、しかもご自身自ら来るのではないかと思うのよね。 

 

 枝田氏の男は、自身が実父かどうかは兎も角、若竹皇子の実父を知っていることに間違いはないと、白朝は妙な確信を持っていた。 

 つまり、秘密を共有している傍仕え、それも若竹皇子が生まれる前より重用しているとなれば、信頼もし、情もあるのではないかと白朝は思う。 

  

 それは、殺されたくなんて、無いわよね。 

 

 我と我が身を顧みて、白朝は加奈と南雲を思い出した。 

 もし加奈と南雲が、白朝の命により動いて、結果捕らえられるようなことがあれば、そして更に命を落とすような事になれば、白朝は悔やんでも悔やみきれないだろうと思う。 

 

 そう思うと、扇様もお辛いのでしょうけれど。 

 

 それでも、石工を狙うことは許せない、と白朝は弱くなりそうな心を奮い立たせた。 

 両者並び立つ事が不可能ならば、選ぶのは石工以外有り得ないと。 

 改めて決意した白朝の視線の先で、見張りが小屋の前から去って行く。 

 

 うん。 

 いよいよね。 

 

 これからが本番だと、白朝が思わず隣の石工の袖を掴めば、すぐさま、ぽんぽんと優しくその手を叩かれてから、ぎゅっと握られた。 

 その手の強さに白朝は呼吸を整え、今日これからの計画を思い出す。 

 

 

『ねえ、石工。扇様に、見張りの交代の時間がわざと伝わるようにして、しかもその時間、小屋の前を無人とし、枝田氏の男と直接会話をさせるって言っていたけど、それって怪しまれない?』 

『ん?怪しむ、か。白朝は、何を怪しむ?』 

『だって、伝わっているのは交代の時間、でしょう?それってつまり、代わりの人達が来るってことじゃない。それなのに、代わりは来ないなんて。おかしいでしょう。そもそも、代わりの人が来て初めて、前の見張りのひとはお役目終了となるのではないの』 

 計画を聞いた白朝の問いに、面白がっている風の石工が問いで返し、白朝は分かっているくせに、とむっとしながらも答えを口にした。 

『明察だ。だが大丈夫。今回、その時間だけ少しの間無人となる、と伝わるようにしてあるからな』 

『ええええ。益々、怪しくない?』 

 

 その時には、思い切り顔を歪めて非難してしまった白朝だが、それから次々に入る連絡で、密かに扇が動いたこと、護衛ふたりと傍仕えの女人ふたりだけを供としている事を知り、拍子抜けする思いがしたものの、これもまた相手方の罠ではないかとの疑いを口にした。 

『扇殿の罠?』 

『そう。もしかしたら、鷹城も噛んでいるかもしれないけど。そうやって、こちらの情報を鵜呑みにしたふりをして少数で向かうのだけれど、実際にはたくさんの武人を控えさせているとか、後から別動隊が動くとか、既に動いているとか』 

 心配が勝って早口で述べ立てる白朝に、石工が真顔で頷きを返す。 

『その辺りも考慮してあるから、心配ない。別動隊の存在は確認できていないし、鷹城は、枝田氏の男の暗殺の手立てを整えている最中だ』 

『でも、確認できない別動隊がいたら?』 

『扇殿に、それほどの権限は無い』 

『あ』 

 言われ、白朝はその事実に気が付いた。 

 扇は、すめらぎ正妃むかいめとして大きな権力を保持しているが、武力に関してはそれに該当しない。 

 扇を支持する鷹城が動かせる武人の数はそれなりに多くとも、それは扇が兄である焔の目を掻い潜って動かせるものではないのだ。 

『安心したか?』 

『うん・・・ごめんなさい。石工が、そこまで考えない筈ないのに』 

 しゅんとして白朝が言えば、石工がその肩を優しく掴む。 

『俺だって、考えが及ばぬこと、抜けが生じることはある。白朝が気づいたことは、何であれ俺に言って欲しい』 

『ありがとう・・・それにしても、愛よね』 

『あ・・あ、ああ、もちろん。愛』 

『信頼し、頼りとするお兄様、焔殿の目を盗んでまでも助けたいなんて』 

『え』 

 どぎまぎと視線を動かしながら言う石工に、自分のことでもないのに照れてしまって可愛い、と笑みを浮かべて言う白朝を、石工は思わず凝視した。 

『え、って。だって、そういうことでしょう?扇様がおひとりで来られるということは』 

『・・・・・』 

『石工?』 

『ああ、いや。そちらか・・・うん。そうか』 

『どうしたの?何かあった?』 

 遠い目になった石工の前で、白朝がひらひらと手を振れば、石工がその手をそっと取る。 

『白朝は、そうなった時、俺をそうやって助けに来てくれるのかと思っただけだ』 

『当たり前でしょ。何をどうしたって助けに行くわよ』 

『頼もしいな』 

『だって、そうしないと、もしもの時に最期まで傍に居られないじゃない。駄目よ、一緒に逝くのだから』 

『っ』 

 当然のように言った白朝に石工は絶句するも、白朝は笑みさえ浮かべて言い切った。 

『まあ、離れていても石工にもしもの事があった、って聞いたら後を追うけど。やっぱり傍がいいもの』 

 

 見張りが居なくなった小屋の前で、燃え続ける松明を見つめ、白朝は石工との会話を思い出し青くなった。 

「どうした?」 

 そんな白朝の震えが伝わったのか、石工が案じるように白朝を見る。 

「石工。もしかして、扇様、あの男と運命を共にする気なのでは?」 

「白朝・・・っ。来たぞ」 

 石工が何かを言いかけた時、扇がいつもと変わらぬ様子で姿を見せた。 

 特に、周りを気にした様子もなく、傍仕えの持つ灯りを頼りに歩いて行く。 

 その姿は何かを決意した者のようで、白朝は益々不安になった。 

 ぽんぽんぽん。 

 そんな白朝の手を、石工が優しく叩く。 

 それは、豊穣祭ほうじょうさいの時の、あの優しい肘の動きと同じで、白朝は心があたたかくなるのを感じた。 

 

 そうよね。 

 石工も、他の皆さんも居るのだもの。 

 もしもの時は、手遅れになる前に駆け付けてくださるわよね。 

 

碧鮮へきせん。妾と若竹のために、死んでたも」 

 自分と石工の他にも大勢いるのだから、扇様が自死を選んでも助けられる、と安堵した白朝の耳に、想像もしない、信じられない言葉が飛び込んで来た。 

 

~・~・~・~・~・ 

いいね、エール、お気に入り登録、ありがとうございます。 

昨日は、体調を崩して一日寝ていました。 

皆様も、お気をつけくださいませ。 


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