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四十六、奇襲
しおりを挟む黒く、厚い雲がどんよりと空を覆い、今にも雨が降りそうな気配を漂わせるなか、かつてなく深刻な表情で白朝を訪ねた石工は、その表情に違わぬ重い話を口にした。
「白朝。いよいよ枝田氏が蜂起するという情報が入った」
「蜂起・・・つまり、相手の準備が整った、ということ?」
息詰まる空気のなか、こくりと息を飲み、白朝は食い入るように石工を見つめる。
「そのようだな。だが、待ってやるつもりはない。俺は、少数の精鋭を連れ、先んじて奇襲をかける」
「っ」
「大丈夫だ。必ず、戻る」
目を見開き固まった白朝の手を取り、石工が宥めるようにそっと滑らかな手の甲を撫でた。
「でも、奇襲だなんて、そんな危険なことを石工がするなんて。石工は、皇様のお子なのに」
「その俺が行くからこそ、意味がある」
しっかりと白朝の瞳を見つめ、石工が淡く笑む。
「だとしても」
「白朝。謀反といっても、大勢は主の命に従っているだけだ。それに、戦いが大きくなればなるほど、土地や民への被害が広がる。それは避けたいんだ。分かってほしい」
「それは、分かる・・分かる・・・けど」
石工が自ら行く、ということがどうしても引っかかる、納得できないと白朝は、ふるふると首を横に振った。
「その顔。まるで、俺では成功し得ないと言っているようだぞ?そんなに俺が信じられないか?」
「石工が信じられないなんて・・・そんな訳ないでしょ」
「なら、俺が弱いと思っている」
「思っていないわよ、そんなこと。石工はとっても強いもの」
きゅ、と石工の手を握り、白朝はその、自分よりずっと大きな石工の手をじっと見つめる。
石工が強いことは知っている。
だが、武力蜂起をしようという敵を相手に、無傷でいられるとは限らない。
そのような実戦の場で、後方にて指揮を執るだけでも危険と思えるのに、石工は先頭きって切り込むつもりでいるのが感じられ、白朝の胸を不安が覆って行く。
石工が危険な目に遭うなんて、考えたくもない。
怪我でもしたら、どうするの?
ううん、それ以上の危険だってあり得るのに行ってほしくない。
・・・でも、石工の決意も分かる。
民を治める責任ある者としては、とても立派なことだわ。
皇を護り、民をも護る。
それが、石工の求めるもの。
でも正直、誇りより安全を取ってほしい・・・けど。
それでは、石工の傍に居る資格なんて無い。
そうよ。
私は、石工と共に生きていくのだから。
「白朝」
あたたかく、やわらかな声によびかけられ、白朝もまた決意を固める。
「本当に、無事に帰って来てね?」
「必ず、と約束する」
言われ、白朝は石工の指に自分の指を絡めた。
「約束を破ったら、ただじゃおかないんだから」
「それは、怖いな。一体、何をされるんだ?」
「・・・・・石工が帰って来るまでに、考えておく」
「そうか。楽しみにしておく」
そもそも、約束を破ったら、それは石工が戻らないということなので、その時は内容を伝えることも出来ないのだが、その事からは故意に目を逸らし、白朝も石工もしっかりと絡めた指を解かないままに、じっと見つめ合う。
「石工。出発は、いつ?」
「明朝だ。極秘に立つから、見送りは遠慮してくれ」
「分かった。ちょっと待ってね」
そう言うと、白朝は加奈に何かを命じた。
「白朝?」
「石工。小刀かして」
「小刀を?俺がしよう。何に使いたいんだ?」
白朝が小刀を扱うのは危ない、扱うのは自分がすると言いながら、石工が自分の小刀を取り出す。
「髪を、少し切ろうと思って」
「白朝!」
髪は、その人物にとってとても大切なもの。
故に、初めて枕を交わした朝には、互いの髪を絡め結び合う。
その髪を切ると宣言した白朝に、石工の顔色が悪くなった。
「もう、何。この世の終わりのような顔をして。これから奇襲をかけようという武人の表情ではないわよ」
「奇襲をかけるより恐ろしいことを、白朝が言うからだろう。髪を切るなど。性質の悪い冗談だ」
「あら。髪を切るのは冗談ではないわよ」
「いいや。冗談だ」
あくまでも冗談にしようと決めた様子で、石工が小刀を仕舞おうとする。
「ちょっと待って!切ってくれるのではなかったの?小刀は自分が扱う、って石工が言ったのよ?ちゃんと切って」
「切るのが、白朝の髪だなどと思わないじゃないか。そんな約束は、無効だ」
「そんな、勝手に」
「大体、何故髪を切る必要がある?俺は、戻って来ると言っているだろう」
想う相手を失い、髪を切るという話なら知っているという石工に、白朝がぽかんとした後、ぶんぶんと大きく手を振った。
「いやだ、石工。それで、そんな悲痛な顔をしていたの?違うわよ。石工が無事に帰って来るように、ってお守りのために髪を切るの。ほんの少しだけよ?」
「お守り・・・なんだ、そうか」
「そうよ。今、加奈が小さい布の袋を持ってくるから、それに入れて持っていて・・・ということで、少し切ってちょうだいな」
改めて仕切り直し、と白朝が石工へと髪を差し出す。
「いや、しかし」
「この、結ってある部分の先を少し切れば平気よ。ほら、早く」
「だが・・・折角、これほどきれいな髪を」
「あのね、石工。これは私のお願いなの。本当は、私も一緒に行きたいけれど、流石にそれは出来ないから。せめて、髪を一緒に持って行ってほしいの」
躊躇う石工に、白朝は懇願するように言い、ならばと石工も覚悟を決めて小刀を握る。
「私の心は、いつも石工の傍に」
白朝の言葉と共に、しゃり、という小気味よい音を立てて、ひと房の髪が石工の手によって切り落とされた。
「石工。くれぐれも、気を付けてね」
「ああ。行って来る。白朝も、身体を大事にな」
そう言って一度白朝を抱き寄せ、名残惜し気に帰って行く石工を邸の前まで見送り、白朝はその凛々しい馬上の後ろ姿が見えなくなるまで、涙を堪えて見送った。
「絶対に、無事に戻って」
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