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三十二、削り氷
しおりを挟む「さあ、気合を入れて頑張るわよ。織って織って織りまくるんだから」
新しく糸を掛け直した織機の前に座り、白朝は媛らしくない声をあげ、媛らしくなく、むん、と拳を強く握ると、決意を込めてそう言った。
石工のための豊穣祭用の織物を盗まれて数日。
心機一転とばかり、新しい図案を、これまでの最速で描きあげた白朝は、すべての配色も決め、過去は過去と割り切って新しい織物に臨む。
時間が無いから、出来るだけ速く。
でも、丁寧に。
心を込めて。
落ち着いて。
石工に、前回のあれより似合う物を。
心の内でそう唱えながら織り行く白朝の傍には、執務に励む石工が居る。
もともと『自分は愛妾など持たない』と白朝に知らしめるために整えた環境ではあるが、思わぬ所で功を奏したと、石工は合間合間で、無理をしがちな白朝を見つめ、見守る。
『図案も考え直す?』
当初、白朝からそう聞いた石工は、驚きの余り白朝を見遣ったが、一度肚を決めた白朝は強かった。
『そうよ。幸い、図案までは盗まれていなかったから、色を変えて《こちらの方がより素晴らしい》と言われるようなものを作ろうと思ったのだけれど、よく考えてみたら、それって自分の作品同士を競わせるってことだから、莫迦らしいかなって思って。やめたの』
『それは分かるが。だが、一から考え直すとなると大変だろう』
織り物の事は分からないが、と白朝を慮るように言う石工に、白朝は素直に頷きを返す。
『確かに大変だけど、模様は然程複雑にしないで、色の配分で勝負というのもいいと思うの。そういう柄を考えるわ。というか、もう出来そうだから心配しないで』
これぞ脅威の集中力よね、とあっけらかんと言った白朝にはまったく悲壮感がなく、石工もとても安心をしたのだが。
「白朝。そろそろ、休憩にしないか?」
放っておくと、寝食を忘れるほどに没頭してしまう白朝を案じて、声をかけるのは自分の役目と石工が言えば、共に執務に励む風人がうっすらと笑う。
「なんだ、風人。気味の悪い」
「いえ。執務に夢中になると寝食を忘れていた我が主が、白朝媛様にはそのような気遣いをされるとは、これ誠に感慨深いと思いまして」
「・・・・・」
冗談めかしてとはいえ、指摘されれば、思い当たる節のある石工には何も言えない。
「確かに、風人殿の言うとおりだな。石工皇子様が休憩の心配をされるほど没頭なさるとは、白朝媛様は、石工皇子様に負けずとも劣らずの性質らしい」
「働き者の似た者同士、お似合いということですね」
「いやはや、安泰、安泰」
そして、風人に続いて文官たちにも言われ、石工は何かを言い返そうと思うも、その目にあるのが温かさや信頼であるがゆえに怒ることも出来ない。
まあ、風人に限っては悪戯っぽい笑みを浮かべているのだが、こちらは藪をつついて蛇を出すことになるだけだと了解している石工は、放っておくのが得策と早々に放置を決め込んだ。
「白朝。聞こえているか?」
「もう少し」
結果、微笑みを浮かべる文官たち、意味深な笑みを浮かべる風人ではなく、返事のない白朝に再び声をかければ、織物に集中している、休憩を取るつもりなど微塵も無いと分かる生返事があった。
「もう少し・・・本当だな。では、その間に削り氷を用意させる」
「っ!分かったわ」
途端、意識がこちらに向いたと分かる声がして、石工はにやりと笑ってしまう。
「風人」
「手配済みです」
豊穣祭が近づいて来たとはいえ、未だ暑い。
そのなかで水分も取らずに作業を続けるのは、体力的にも危険だと知る石工は、頃合いを見計らって白朝を休ませようとするのだが、これがなかなかうまくいかない。
風人たちに『似た者同士』と言われるだけあって、白朝も自分と同じで、集中すると寝食を疎かにする性質だと知った石工は、何とか白朝の気を引けるものをと探して削り氷に辿り着いた。
削り氷は、氷室を持つ者だけが楽しめる貴重なものだが、白朝のためとあれば、石工に迷いなどない。
普段は酒に入れて、その冷たさを楽しんでいる石工だが、その時には自分も白朝と共に削り氷を堪能し、休憩を入れる。
『石工皇子様が、休憩をしてくれるようになって、白朝媛様には大感謝です』
白朝にそう言った風人の言葉は真実味に溢れていて、石工は我と我が身を振り返って反省もした。
己が休まなければ周りも休めないし、心配もかける。
今更のように理解した石工だが、今の白朝の気持ち、状況では、それに当てはまらない緊急事態だとも分かっているだけに、その原因となった相手に終わりの無い憎悪が湧く。
「石工皇子様。ご用意できました」
どうしてくれよう、と若竹への反撃の方法を練る石工に使用人の声が届き、石工は白朝と共に休憩を取れる場へと移動した。
「はあ。冷たくておいしい。しあわせ」
「ああ。心地がいいな」
冷たい氷が口のなかで溶け、甘葛の甘さと共に身体に染み込んで行く。
「石工。ありがとう」
「なんだ、いきなり」
器のなかで溶けていく氷もきれいね、などと言った白朝が、器を見つめたまま、ぽつりと呟いた。
「だって。石工がいてくれたから、私」
そこまで言って、白朝がふと黙り込む。
「白朝?」
俯いた白朝が、もしや泣いているのでは、と案じてその顔を覗き込んだ石工は、白朝がその目を爛々と輝かせているのを見て思わず動きを止めた。
その目には涙などなく、むしろ強い決意に満ちている。
「石工が居てくれたから、私、嘆き悲しんで時を無駄にしないで済んだわ」
「しかしそれは、俺の身勝手でもあっただろう」
「そんなことない。私、改めて石工となら一緒に闘えると思ったもの」
白朝の言葉に、石工も背筋を伸ばす。
「俺こそ。白朝の強さに感服している。まさか図案からやり直すとは思わなかった」
「やるなら、徹底的に、よ。でもね、石工。私、短期決戦にはそれなりに自信があるのだけれど、途中で間に合わない、とか言ってやさぐれるような気もするの」
少し思いつめたように言う白朝に、石工は大仰に頷いた。
「安心しろ。その時には、俺が背を押し手を引いてやる」
「本当?面倒じゃない?」
「面倒なんかじゃない」
「良かった。その時は、よろしくね」
ほっとしたように言い、白朝は削り氷の余韻を楽しむように目を閉じる。
「何なら、背負ってやるから安心しろ」
「あら、それは駄目よ。一緒に歩まないと」
背負われることは望まない、と白朝がぱちりと目を開いた。
「そうか。共に闘う、のだったな」
「そうよ。まずは、打倒卑怯者目指して、頑張りましょうね。石工、強力な協力をお願い、なんてね」
お道化て言う白朝に、石工は力強い頷きを返す。
「こちらこそだ」
「ふふ。削り氷で力も充填。気力は充分よ」
「気力だけでなく、体力も考えろよ」
むん、と気合を入れる白朝に、石工は苦笑して言葉を添えた。
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