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十九、誘い出し
しおりを挟む「え?西の方で、争い?」
「ああ。今朝方、兵部省に駆け込んで来た者がいてな。詳細は分からぬが、確認をしている間に大事になってしまう可能性もあるということで、とりあえず俺が行くことになった」
蛍会で舞う、神事の舞の審査から数日。
いつものように白朝を訪れた石工が飄々と、まるで今日の天気を話すかの如くにそう言った。
「そんな重大なことを、そんな風に簡単に・・・それに、とりあえず石工が、って何よ。駆け込んだ者が居たからといって、石工がいきなり行くなんておかしいじゃない。駆けこんで来たのは、郡司か何かなの?それほどに逼迫していると?」
争いがあった、と兵部省に訴えがあったとしても、碌な確認もせず、いきなり皇子であり兵部省を纏める立場にある石工が行く事など有り得ないと、白朝は懸念の表情を浮かべた。
「郡司?いいや。飛び込んで来たのは、ひとりの官だな。まあ、治める側といえばそうだが、郡司の持つ権力とは程遠い存在だ」
白朝は、その言葉に益々眉を顰める。
「その官の訴えを、鵜呑みにするの?別に官を侮るわけじゃないけど、一介の官が訴えた事の裏を取らずに石工が出るなんて。何か、それほどの事態が起こったということ?」
深刻に考え言う白朝に、石工がにやりと笑った。
「西の江矢氏に反乱の兆しあり、とのことだった」
「えっ!?反乱って、それじゃあ本当に危険じゃないの。そんな場所に、どうして石工が行かないといけないのよ。みんな、どうして、そんな」
焦る白朝に、石工はゆったりと笑いかける。
「大丈夫だ。恐らく、そのような事実は無い。ただ、俺をどうしても都から離れさせたいのだろうな。奴等が言うには、是が非でも俺が行くべきなのだそうだ。日嗣皇子となるなら、その力量を示せ、とな」
「・・・・・ああ、何となく分かったわ」
石工の言う<奴等>に思い至った白朝は、そういうことか、とぐったりと肩の力を抜いた。
「察しがいい。俺の見る目に間違いは無かった」
「誰だって分かるわよ、今のこの状況だもの。本番の蛍会で、何としてでも神事の舞を石工に舞わせたくない、ということなのね」
苦笑して、白朝は先の審査を思い出した。
『次の蛍会で舞うのは、石工皇子と白朝媛とする』
皇のその決定に、三つの宮家と鷹城家を除く五大貴族家の一同が大きく頷くなか、まずは扇が大きく声をあげた。
『何故ですか!若竹は見事に舞いました!美鈴とて、可愛かったではありませんか!』
その扇の弁に『あの舞で?』『流石、幾年経っても舞えぬ方は言うことが違う』『可愛い、で神事が務まるのなら、何方でも』と、方々で眉を顰めながら囁き合うのが聞こえ、皇には大きくため息を吐かれて、扇は益々怒りの表情を際立たせていく。
『其方、皇の正妃でありながら、どこまで神事の舞を愚弄するのだ?』
『そもそも!あのような舞などなくとも、舞えずとも!この国の栄誉に関係などありません!』
『・・・・・謹慎しておれ』
皇の冷淡な発言に、扇の兄である焔が勢いよく進み出る。
『皇!妹は、怒りの余り我を忘れただけです!確かに美鈴は舞わせられませんが、若竹は・・・そうだ!白朝!若竹も白朝と舞わせてください。そうすれば何の問題も』
『鷹城殿。我ら桜宮を愚弄なさるのか?それに、桜宮家の媛である我が娘を呼び捨てとは。いつからそれほど、地位があがられたのか』
鷹城家焔の発言に、和智がゆらりと立ち上がった。
その表情にいつもの温厚さは無く、剣呑な瞳には、秘めた強い怒りが感じられる。
そして和智の室であり白朝の母である奈菜香藻もそれに倣って立ち、すべての宮家、鷹城を除く他の貴族家もそれに続く。
『そうではない。だが、日嗣皇子は若竹がなるべきだ。それを歪めるような真似』
『歪める?果たして、歪めているのはどちらか』
焔の発言に冷酷に答え、皇は意味深な笑みを浮かべた。
「・・・まあ、彼等にしてみれば、俺さえいなければということなのだろう。という訳で少し離れるが、白朝も注意してくれ」
「それ、私よりも石工が危険じゃないの。途中で、怪我をさせたりするつもりなのではないの?」
「そうだろうな。襲って怪我をさせるか、蛍会に間に合わなくなるまで、どこかで足止めをするか」
「そうだろうな、って、石工。そんな呑気な事を言っている場合じゃないでしょう!?怪我をさせられるかも知れないというのに」
自分の身の危険を案じてもいない石工に、白朝が語気を強める。
「いや、すまない。嬉しくて」
「嬉しい?危険なのが嬉しいの?変態?」
「違う、そっちじゃない。白朝が、俺を案じてくれることが、だ」
石工の言葉に、白朝がため息を吐いた。
「当たり前でしょう?石工が怪我をするとか、痛い思いをするとか、絶対に嫌よ」
「大丈夫だ。俺は、必ず無事に帰る」
「どうして、言い切れるのよ」
不安が高じて、石工の袖を握った白朝の目を、石工がそっと覗き込む。
「俺を派遣するという皇の決定に、香城家の奏楽津殿、桜宮家の和智殿をはじめとする、鷹城家を除く家の皆が反対をしてくれた。危険だ、罠だと。すると皇も言ったのだ。『俺もそう思う』と」
「それなのに、石工を行かせるの?」
「白朝。皇は長いこと、とある豪族を探っている。過去の事件や因縁から、皇自身はその罪を確信していても、詳らかに裁くだけの証拠がなく、歯がゆい思いをしていると。故に、今回の件を逆手にとり、江矢氏を確実にこちらの味方と出来れば、後に反乱が起きた時にも対処の幅を広げられる」
石工の説明に、白朝はこくりと頷いた。
「そういうことなのね。話ししてくれて、ありがとう。つまり石工は、江矢氏を確実に味方とするための使者、というわけね?でも、途中で襲われる危険があるということに、変わりはないのよ?たくさん、武人を連れて行けるの?」
「そこも面白くてな。『起きている訳でもない乱の確認なのだから、少人数で充分』と扇殿と焔殿が、必死の形相で言い募っていた」
言葉通り、楽しそうにくつくつと笑う石工を、白朝が小突く。
「笑っている場合じゃないでしょ。石工が強いことは知っているけれど、もし大人数で襲われたら」
「問題無い。表立って連れて行くのは小人数だが、密かに護りは固めてある。案ずるな」
「でも」
「鷹城家と扇殿、それに若竹以外は皆、同士だ。白朝の事も護ってくれる」
「だから、私のことじゃなくて、石工のことだってば」
「蛍会の神事の衣装。男の物より女人の物の方が扱いが難しいと母上が言っていた」
石工の案じるような言葉に、白朝はその衣装を思い出し、ため息を吐いた。
「そうなの。見る分には、物凄く美しいお衣装なのだけれど、実際に自分が纏うと・・・・はあ。雪舞様は、本当に凄いと思うわ」
「俺がいなくてやり辛いこともあるだろうが、衣装に慣れるように頑張ってくれ」
「なるべく早く、帰って来てね。絶対に無事で」
「努力する。因みに、無事でなかったときは、どうするのだ?」
「殴る」
短く言い切った白朝に、石工が、それはいい、と豪快に笑った。
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