腑抜けは要らない ~異国の美女と恋に落ち、腑抜けた皇子との縁を断ち切ることに成功した媛は、別の皇子と幸せを掴む~

夏笆(なつは)

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十一、馬と館

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「詳しくと言っても、言葉通り俺が白朝を香菓かくのこのみの女神と称した、それだけです」 

 固まった白朝に代わり、石工が言えば雪舞も武那賀も興味深そうに頷いた。 

「石工も、そのような事が言えたのですね」 

「本当にな。恐ろしい朴念仁かと思いきや」 

 明け透けな言い方に、白朝は思わず口元が綻んでしまう。 

 

 本当に、石工と皇様、雪舞様は仲がいいのね。 

 こんな風に和んだ気持ちでいられるなんて、前は思いもしなかった。 

 

 扇に招かれた時も、若竹に招かれた時も、周りへの誹謗中傷の話ばかりでげんなりとしていた白朝は、今この時の平穏が夢のように素晴らしく思える。 

「石工。それにしても、香菓かくのこのみという発想は凄いな。俺だと、大輪の花のような、という言葉になりそうだが。もしや、香菓かくのこのみを連想するような何かが、あったのではないか?」 

 なかなか女人にょにんと関わろうとしなかった息子の成長を喜びつつ、武那賀はきらりと目を光らせてそう言った。 

「ご推察の通りです。扇殿が、白朝の装いを、橘の如く、とおっしゃいっているのが聞こえましたので」 

「そうなのね、橘。橘の実も、素晴らしい香りをしていますよね。それにあれは、薬としても効能があって。扇様が、そのように白朝媛を称したのですか?」 

「いえ。『緑に橙色なんて、橘の実のようですよ。まあ、食す事も出来ない役立たずな果実と不出来な娘。相応しいといえば相応しいけれど』だそうです」 

 石工が憤怒の表情で伝えた言葉に、雪舞は仕方なしと息を吐く。 

「ああ、そちらの方。そうよね、あの方が白朝媛を褒めるなんてこと、なさらないわよね。それにあの方は、香りが良いとか薬になるとか、そういったことには興味がおありにならないから。白朝、気にしては駄目よ」 

「はい。わたくしも、橘の香りが好きですし、薬となるところも素晴らしいと思っているので問題ありません」 

「結果、褒められているようなものよ、橘に例えられるなんて」 

「わたくしも、そう思います」 

 雪舞に微笑まれ、白朝も微笑みを返せば、そんなふたりを嬉しそうに見ていた武那賀たけながが、石工へと視線を移した。 

「なるほどな。それで香菓の女神かくのこのみのめがみか。それは扇も、何も言えなかっただろう」 

「いえ。あの様子では、香菓かくのこのみをご存じない可能性もあるかと」 

 石工が白朝を、香菓かくのこのみのめがみの女神、と言葉にした時の、その件については余りに無反応だった扇の様子を思い出して石工が言えば、武那賀も有り得ると大きく頷く。 

「確かに。扇は書も読まなければ、人の話も聞かぬからな。おまけに、妃や皇子とは贅沢に暮らせばそれでよい者、と信じてやまない。愚かな事よ」 

扇様おうぎさまは、若竹皇子様わかたけのみこさまの領も、周りが治めればよい、むしろそれが当然とお考えです。これまでは白朝媛がいましたけれど、この先、仕事を任せた者に勝手をされ、領を荒らされないとも限りません」 

 難しい顔で腕を組む武那賀に、雪舞も案じる声をあげた。 

「それについては、既に領から陳情があがって来ている。扇にも若竹にも、このままでは領地奪取の可能性もあると伝えてはあるが、あの様子では己らの咎について分かっている風もない。責任転嫁とばかり、白朝に、何か言って来ているのではないか?」 

「わたくしが職務、若竹皇子様の領の仕事を放棄したせいで、若竹皇子様が領を取り上げられそうだと言われました」 

 告げ口のようで嫌だとも思いつつ、真実は真実だと白朝しろあさが答えれば、武那賀たけながは益々難しい顔になった。 

「そうか。これからも、何か困った事を言われたら、石工に言え。もちろん、俺や雪舞でも構わぬ。和智わちを通してでもいい。扇の言動を放置する事の無いようにせよ」 

「畏まりました」 

「ところでね、白朝媛。石工が、馬を駆る事について、どう思っているかしら」 

「とても雄々しく、素敵だと思っています・・・・・っ」 

 言ってしまってから、白朝ははっとして口を噤むも、既に音となった言葉が戻ることは無い。 

 

 ああ・・・今、考える間もなく、するっと言ってしまったわ。 

 本当に突然だったから、正直な意見がするっと・・・・・! 

 これは、媛として失格案件。 

 

「本当か?」 

 宮家の媛として、咄嗟にしても本音が出るなど有り得ない、と反省する白朝に、しかし石工は声を弾ませた。 

 するっと本音を言ってしまった、白朝のその言葉に、目を見開いて驚いてはいるものの、そこには隠しきれない喜びがある。 

「はい。本当です」 

 身分のある者は、輿こしに乗るのが当然であるが、石工は普段、馬に乗る事を好む。 

 それは、扇や若竹の言を借りれば『皇子らしくない』のだそうだが、召使いにより輿を担がれ道を行くより、余程男らしい姿だと、かねてより白朝の目には映っていた。 

 もちろん、そんな石工も行事の際には輿に乗り、その際には堂々とした風貌が皇子らしく凛として、周囲から美丈夫の名を欲しいままにしているのであるが、それとは別、馬上での凛々しい姿は、何者にも勝ると白朝は思っている。 

「良かったわ。石工いしくは、武那賀様たけながさまと同じで、通常は馬を好むから」 

「そんな所も、似ていらっしゃいますね」 

「本当にね」 

 くすくすと笑い合う雪舞と白朝に、武那賀が目を細めた。 

「そうして、馬に乗るおのこを平然と語らう其方らも、似た者同士であろう・・・ところで石工いしく。館の件で、和智わちが困惑しておったぞ。白朝の為の新しい館は必要無いと言われた、とな」 

「え?」 

 初めて聞く話に、白朝もまた困惑の瞳を石工に向けてしまう。 

 白朝の為の新しい館、とは、先に若竹に奪われた元花館のように、白朝が石工に嫁してより住む館を指すということは、想像に難くない。 

 貴族、宮家の媛はそれぞれ、嫁ぐ際に生家から贈られるそれを、婿となる石工が不要と言った理由を思い、白朝は暗澹たる思いに打ちひしがれた。 

 

 新しい館は要らない、ってことは。 

 石工は、私をどうするつもりなのかしら? 

 生家に置いておいて、正妃むかいめだと言い切るなんて、不可能だと思うけれど。 

 

 女人にょにんが住まう館に、婿となったおのこが通う婚姻に於いて、女人が生家に居るままというのは、正式な妻ではない、愛妾の存在であることを意味する。 

 新しい館に住まい、婿を迎える。 

 それこそが、正妃としての立場を表す一歩と言っても過言ではないのに、石工はその館を不要だと言ったというのだ。 

 つまりそれは、石工が白朝を愛妾とする宣言に思われる。 

 

 でもどうして。 

 大切にしてくれている、って感じていたのに。 

 

「俺の屋敷に、共に住もう。白朝」 

 自分は愛妾扱いなのか、と戸惑う白朝の耳に、これまた聞いた事もない提案が飛び込んで来た。 

「え?石工と一緒に?」 

 想像を遥かに超える事態に、白朝は思わず平易な言葉を返してしまう。 

「ああ。父上と母上のように、互いの館を行き来するのもいいが、共に住めば、いつも一緒にいられる。もちろん、白朝の部屋は用意するし、織物を存分に出来る棟も増築する。俺は、はなからそのつもりだったのだが、嫌か?」 

「いいえ。嫌ではありません」 

 混乱の余り、思わず皇と雪舞の前で、石工と呼び捨て、通常の話し方をしてしまった白朝だが、何とか心を沈めてそう答えれば、石工が、それは嬉しそうな笑みを見せた。 

「そうか。では、そのように話を進めよう」 

「あの、皇様や雪舞様は、それでよろしいのですか?」 

 

 慣例には無いことだし、この先、石工が他に妃や愛妾を娶れば、同じ家から送り出さなければならなくなるけれど、でも、石工と一緒にいられるのは凄く嬉しいから。 

 私は、先の不安のためにしり込みするのではなく、今の幸せを最大に感じていたい。 

 例えそれが、一時のことだとしても。 

 いいえ、一時の事だからこそ、今を大切にしたいわ。 

 

「石工が望んだことだ。白朝が嫌でないのなら、そうしてやってくれ」 

「石工をお願いね、白朝媛」 

「はい。畏れ多いことでございます」 

 いつか、共に住む家から石工を他の女人の元へ送り出す。 

 けれどそれまでは、石工に愛し愛されるただひとりの妃として、同じ館で幸福に過ごす。 

 そんな覚悟と想いと共に、白朝は雪舞と武那賀に頭を下げた。 

 

  

~・~・~・~・~・ 

ありがとうございます。 


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