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六、捕縛
しおりを挟む「ねえ、石工。私、南雲や皇様の事を信じていない訳ではないけれど、でも本当に玉桐と凪霞を盗もうとするなんて思わなかったわ」
「そうか。俺は『一緒に張り込みをする』と言った白朝の言葉が真実で、現にこうして実行されていることの方が、衝撃だったがな」
今、石工と白朝がひそひそと話をしているのは、皇の屋敷の一画。
たくさんの建物が立ち並ぶなかでも、玉桐と凪霞が収められている棟が特によく見える、書物庫の蔭。
今日、若竹と扇の企みが実行されるとの情報を掴み、ふたりはこうして物陰に潜んで獲物がかかるのを待っている。
「来るに決まっているじゃない。自分の人生がかかっているのだから」
「それはそうだが、このような場所に来て、怪我でもしたらどうする。お前は、桜宮家の媛なんだぞ?」
心配が高じて不機嫌な表情で言う石工に、白朝はくすくすと笑った。
「それ、皇子の貴方が言っても説得力皆無よ」
「俺は、男だろう。自分の手で人生は掴みとって行くものだ」
「なら、私は石工の正妃として、傍にいるのが当然でしょう」
そう言って白朝は、一本に編んだ長い髪を楽し気に揺らす。
「まあ。もう来てしまったものは仕方がないからな。俺から離れるなよ。万が一はぐれたら、他に潜んでいる者と合流しろ。決してひとりにはなるな」
「もう、それ何度目?大丈夫よ。袖を掴んででも石工から離れないから・・・それにしても、実行犯を自分の女官に紛れ込ませるなんて、扇様も考えたわよね」
「実際に考えたのは、恐らく鷹城家の焔殿だろうな」
周囲を警戒しながら言った石工に頷きながら、白朝は、今日、またも突然に訪れた皇から聞いた話を思い出す。
『今日も今日とて、朝も早から扇が女官を引き連れて襲撃して来たのだがな。その中に、男が混じっておったのよ。しかも、門を通る時には確かに居たそ奴が、俺の宮に来た時には消えていた。身のこなしも機敏であったからな。夜までどこぞに潜んで、実行犯となるのだろう』
『皇。その言い方ですと、まるで門の時も皇が直接見たかのようですが』
報告だ、と突然の訪問を受けた白朝の父、和智がやや眉を顰めて言うも、皇は豪快に笑った。
『実際に、俺が見たからな。なに、大丈夫だ。扇は、気づいてもいない』
『そういう問題ではありません。余り、やんちゃなさいますな。警護の者、傍仕えの者の苦労も考え召されよ』
『俺より年下のくせに、爺のような事を申すな』
いとこ同士という気安い関係だからか、皇はこれまでも桜宮家を訪れることはあった。
しかし石工と白朝が婚姻の約束をしてから、その比ではないほどに来訪している。
そして必ず、その傍らには雪舞が居る。
今日もその例外ではなく、雪舞は皇の隣で優し気に微笑んでいる。
貴族が会合する場合、当主夫妻が出席するのが倣いだから、皇が雪舞様と居るのは何もおかしくないけれど、今皇には同等の正妃である扇様もいらっしゃるのに、扇様とおふたりで歩かれているところ、私は見たことないのよね。
皇が雪舞を寵愛しているのは事実だが、それだけではない何かを感じる、と白朝はそっと皇と雪舞を窺った。
『しかし扇殿も、まさか引き連れている女官の数まで数えられているとは思いもしないのでしょう』
『そうだろうな。そのうえ、その女官のなかには俺の指示で動いている者も居るなど、想像もしていないだろう。その辺りは、鷹城の焔も同じだな。兄妹だけあって、あれらは似ている』
言い切った皇の顔は、嫌悪に満ちていた。
「白朝。敵は想定ひとりとはいえ、気を抜くな」
「ごめんなさい。皇様のことを思い出していて」
「ああ。今日も桜宮家に行ったと聞いている。最近は、入り浸っているようでもあり、申し訳ない。どうも、扇殿から逃げるに丁度いい場所、と認定されたらしい」
息子として、諫めてはいるのだがと言う石工に白朝は首を横に振った。
「それはいいの。お父様も楽しそうだし、お母様も雪舞様と楽し気にお話しされているし、私も雪舞様にお会いできるのは嬉しいから。お仕事に支障がないなら、全然構わないのよ。でも何か、雪舞様に対する皇様の態度と、扇様に対する態度が違い過ぎるのが気になって」
「確かに。人との繋がりを大切にする父上にしては、扇殿に対する扱いは奇妙に映る。とても、己の妃に対するものではない。まるで、敵対している者かのようだ」
重く言った石工の言葉を聞き、白朝は漸く腑に落ちた。
「そうよ、敵。決して油断ならない相手に対する目をされるのだわ。対して、雪舞様には信頼と愛情の籠った目を向けられる」
「父上の母上に対するあれは、病気のようだな」
苦笑する石工に、白朝もふんわりと微笑む。
「理想ではないの。でも、そんななか、毎日のように皇様のお住まいになる宮に突撃する扇様の精神は、とてもお強いわよね」
「貴様は敵だと言わぬばかりのあの目で見られても動じないのは、確かに尊敬に値する。しかし何をしても帰ろうとしないのに『折角来たのだから、この地域の問題改善案を』と仕事の話をすると、そそくさと帰って行くのだそうだ」
「そういった事、扇様は苦手だものね。正妃としてのお仕事は、すべて雪舞様がなさればいいと堂々おっしゃっていたもの。ご自分は、華やかな場にだけ登場すればいい、って。そういうところでも、皇様は扇様を信頼したり、尊敬したり出来ないのかも」
皇は賢いひとだ。
もし扇が正妃としての仕事をきちんと熟していたら、皇も彼女を尊敬し、正妃として丁重な扱いをしただろう、そして雪舞とはまた違った形で情を通わせただろうに、というのは三つの宮家と鷹城家を除く五大貴族家共通の認識である。
「そういえば最近は、鷹城家だけ違う動きをすることが増えたわね」
「若竹の動向が左右しているのだろう。鷹城としては、何としても若竹を日嗣皇子としたいだろうから・・・ん?来たようだな」
強い瞳で前方を見つめた石工が、そう言って白朝を背後に、慎重に動き始めた。
「あれが、賊」
賊と思しき人物は、女官姿で玉桐と凪霞の収められた棟を目指し歩いている。
「隙の無い動きだ。白朝、油断するなよ」
「分かってる。私が人質になんて取られたら、計画が破綻するものね」
賊を捕えるために潜んでいる他の者達も、桜宮家の媛が囚われたとなれば動けなくなる。
そのような事はしない、と誓う白朝にけれど石工は違うと首を横に振った。
「そうなれば俺は、そいつを即座に切り刻んでしまうだろうからな」
「え」
「当然だろう。白朝を守り救うのに、手段など択ばない。第一、白朝を傷つける者を許す道理が無い」
揺るぎの無い石工の言葉に、白朝は顔が熱くなるのを感じる。
良かった、暗くて。
どきどきと煩い鼓動は、賊と遭遇しているからだ、と己に言い聞かせ、白朝は石工と共に歩みを進めた。
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