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八十九、推しと露店 5
しおりを挟む「ああ。周りの皆さんもお片付け・・・そうですよね。分かっていますよ。今日という日は終わったのです」
「何を言う。未だ午後もそう遅くはない、丁度お茶の時間くらいだろう」
半分魂が抜けたような状態で洗い物をしながら言ったデシレアに、オリヴェルがわざとらしい、にやりとした笑みを湛えてそう言った。
「その、にやりという嫌味っぽい微笑みを浮かべているオリヴェル様も素敵ですけれど、事実は何も変わりませんよ。ああ・・・何も食べられなかった」
「・・・よく頑張ったな」
がっくりと肩を落としているデシレアの頭をぽんぽんと叩き、何と言うべきかと途方に暮れたようなオリヴェルを、涙目のデシレアが見上げる。
「オリヴェル様」
「ん?」
「今こうして、オリヴェル様にぽんぽんしてもらって、たくさんのお客さんが来てくれて、しかも喜んでくれて、心は充実しているんですけど、あれもこれも食べたかったとお腹が言っています」
「確かに。訴えているな。可愛い音だ」
きゅるる、と鳴くデシレアのお腹を見て、オリヴェルは楽しそうに笑った。
「違います、オリヴェル様。そこは『淑女らしからぬ』と、ちょっと冷たく言うところですよ。はい、もう一回」
「なんだ、それは」
「いいから、とにかくもう一回・・・さんはい」
「・・・デシレア。目が座っているぞ。大丈夫か?」
表情無く、平淡な声で言うデシレアの前で、オリヴェルがひらひらと手を振ってみせる。
「ふふ。不気味ですか?私のこと、怖いですか?」
「ああ。何とも言えず怖いな。まあ、休憩も無しに作り続けたのだから当然か。明日は、何か簡単に摘まめるものを持って来よう」
失敗は教訓として生かす、とオリヴェルが決意していると、何故かデシレアの顔がぱあっと輝いた。
「オリヴェル様にも怖いものが!それが私だなんて、感激です」
「ああ・・・絶対に違う意味に捉えているだろうが、確かに俺が唯一怖いのはデシレアだな」
はしゃぐデシレアに、オリヴェルが真面目な顔で言うも、デシレアは不意に動きを止めて考え込む。
「あれ?でもおかしいですね。私なんて、大した魔力もないし、剣も槍も使えないのに何故怖いのでしょう・・・あ、そういう意味では無かったですね。私の顔が怖いとか、そういう・・・ん?顔が怖い?」
「デシレア。今日は本当に疲れただろうし、腹も減って混乱しているのだろう。帰りに何か」
「でち!」
帰りに、休憩がてら何か食べて行こう、とオリヴェルが言いかけた時、可愛い声がしてマーユが走って来た。
「え?マーユ!」
「でち!らっこ!らっこー!」
外側から両手を伸ばし、にこにこと笑うマーユの後ろから、シェル子爵夫人が速足で歩いて来る。
「マーユ!ひとりで走って行っては駄目だといつも」
「おかあしゃま、でち、いた」
「こんにちは、シェル子爵夫人。何か、ご用でしょうか?」
市も終わったこの時間に、何かあったのかと問うデシレアに、シェル子爵夫人がにっこりと笑った。
「こんにちは、レーヴ伯爵令嬢。本日は、大変お疲れ様でした。差し出がましいようですが、大変ご盛況で、お昼も召し上がっていないのではないかと思いまして、勝手ながら軽食をご用意しましたの」
「え?」
「市はもう終了して、この区域から出ないといけませんが、今日と明日は、この近くの公園で食事を摂れるようになっているのです。よろしければ、少し休憩していらっしゃいませんか?」
「しぇんか?」
動き回る余り、遂にシェル子爵夫人に捕獲されたマーユが、その腕に抱かれてご機嫌に笑う。
「ありがとうございます。ですが、本当によろしいのですか?」
「もちろんです。そのためにご用意しましたので。それとも、野外で食事など抵抗がおありでしょうか?」
そう言って、シェル子爵夫人はオリヴェルを見た。
「いや、そんなことは無い。丁度、デシレアに食事を摂らせたいと思っていたところだ。感謝する」
「あの、シェル子爵夫人。あと、ここを手伝ってくれた私の幼友達も一緒なのですが」
おずおずと言うデシレアに、シェル子爵夫人は了承していると頷きを返す。
「もちろん、ご一緒にどうぞ」
「ありがとうございます。もう戻って来ると思うので」
言っているところへ、市全体のごみ拾いに参加していたヴィゴが戻って来る。
「戻ったぜ・・・って、あれ?さっきの」
「先ほどは、娘がお世話になりました。ありがとうございました」
「あいがと・・まちた!」
「あ、いえ。そんなご丁寧に・・きょ、恐縮です?」
「ふふ。普通にお話しください」
シェル子爵夫人に言われ、ヴィゴはぐるんとオリヴェルを見た。
「む?ヴィゴ、何故に私ではなくオリヴェル様の指示を?」
考えるデシレアの肩をぽんと叩いて、オリヴェルはヴィゴに頷きを返す。
「お言葉に甘えるといい」
「ヴィゴです。お嬢さんも無事で、何事もなくて良かったっす」
「あ、それでねヴィゴ。夫人が、お食事を、って誘ってくださったの。もちろん、ヴィゴも一緒に」
「え!?いや、俺は」
「食事と言っても、簡単な物ばかり・・・実を言えば、この市で売られていた物がほとんどなのです。ですから、本当にご遠慮なく」
シェル子爵夫人の言葉に、デシレアの目が輝いた。
「この市の・・・!それは、素晴らしいです!」
「ふふ。それでは、行きましょうか」
「あ、おいデシー!」
「でち!らっこ!」
「はいはい。マーユ、一緒に行きましょうね」
「うんっ」
嬉しそうにデシレアに抱き上げられたマーユが、にこにことヴィゴに手を伸ばす。
「ああ、俺はヴィゴだ」
「まあう!」
「そっか、マーユか。デシーのこと好きか?」
「しゅき!」
躊躇いながらもヴィゴが言えば、マーユが全開の笑顔で返事をした。
「そうか、そうか。俺とおな」
「デシレア。疲れているだろう。マーユごと運んでやろうか」
そこで唐突にオリヴェルに言われ、デシレアは笑い声をあげた。
「そんなの、無理に決まっている・・・うぅぅ!?」
「無理ではないな」
「しゅごい!」
マーユを抱くデシレアを難なく横抱きにし、オリヴェルはすたすたと歩いて行く。
「・・・・・公爵子息様、いい性格していますよね」
「何の話だ?」
「とぼけないでくださいよ。さっきだって公衆の面前でデシーの頭に口づけなんてしやがって『くっそ。見せつけやがってこの野郎!』って叫んでやろうかと」
「そうか。まあ、見せつけたのだから当然だな。その反応あってこそ、駆除成功と言える・・・ああ、もちろん形だけでなく、デシレアへの気持ちも籠っているから安心しろ」
にやりと笑って言ったヴィゴに、オリヴェルは余裕の笑みで返した。
「はあ。少しくらい照れるとか・・・するくらいなら、あんなことしねえか」
「よく分かっているじゃないか」
「ああ、くそ!いっぺん、吠え面かかせてやりてえ!」
「くしょ!や・・ってええ!」
「あ」
「ちょっとヴィゴ!言葉遣い注意して」
真っ赤になってオリヴェルの腕から下りようとするも、マーユを落としてしまいそうになって断念する、を繰り返していたデシレアが、嬉しそうに叫んだマーユの言葉に反応する。
「わりぃ」
「りぃ!」
「もう!ヴィゴ!」
「うぃご!」
きゃっきゃとはしゃぐマーユと、どうしようごめんなさい、とシェル夫人に謝るデシレア、意に介さないオリヴェルに、謝り倒すヴィゴ、そしてにこにこと怒ることなく微笑んでいるシェル子爵夫人、という混沌たる面子は、周囲の視線を集めながら市を抜けて行った。
~・~・~・~・~・~・
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