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六十三、推しと遠乗り
しおりを挟む「デシレア。この辺りから、草原に入る」
駆けさせていたヘイムダルの手綱を引き、ゆったりとした歩みに変えさせると、オリヴェルはデシレアにそう告げた。
「何だか、うっすらとですけど、道のようなものがあります」
「馬しか通れないが、秘密の通路という訳ではないからな。それなりに通行はあるのだろう」
「なるほど。あ、白いシッパがたくさん!きれいですね」
草原には白いシッパが今を盛りと咲いていて、デシレアは瞳を輝かせる。
「食べられないのが、残念だな?」
「もう!だからどうして、私をそんな大食漢みたいに・・・あ、大食漢ならヘイムダルとお友達。なら、悪くないかも?でも、淑女としてそれはどう?」
本気で悩み出したデシレアに苦笑して、オリヴェルは現実的な事を口にした。
「大食漢でなくとも、腹が減ったのではないか?昼を大分過ぎてしまったから」
「そういえばそうですね。私は忘れていましたが、オリヴェル様は大丈夫ですか?」
「本当なら、今頃は屋台や露店をデシレアと巡っていたと思うと腹も立つが、最終的に今日これからの時間と明日一日を手に入れたからな。それで良しとする」
「オリヴェル様は、元々、昼食に固執しない方ですものねえ」
そうだった、とデシレアが言えばオリヴェルが否やを唱える。
「いや、そうでもない。デシレアが用意してくれるようになってから、きちんと食べる習慣がついたからな。実のところ、厄介ごとから解放された今は、結構空腹を感じている」
「厄介ごと、って」
「事実だろう。だがまあ、思い返しても仕方ないからな。楽しい事を考えよう」
言われ、デシレアは未だ見ぬ露店へと思いを馳せた。
「たくさん露店があるのですよね。食べ物屋さんも、たくさんでしょうか?」
「そう聞いている。露店や屋台が街中と言っていいほどに出るらしい。種別ごと通りに配置されているとか」
「ほおお」
「それから、今日泊まる宿では、特別な晩餐を食べることも可能・・・どうした?腹が痛いのか?」
話の途中、突然お腹を押さえ、切なそうな目でオリヴェルを見返ったデシレアに、オリヴェルが焦った声を出す。
「オリヴェル様・・・」
「ん?」
「お腹、すきました」
「・・・くっ」
真剣に言われ、思わず笑ってしまったオリヴェルに、デシレアが何か言おうとした時、その口より早く、デシレアのお腹が鳴った。
「あ」
「着いたら、早急に食事をしよう」
「あの、オリヴェル様。お腹が鳴ったことは、揶揄わないんですか?今のなんて、格好の餌食となれる自信がありますが」
「生理現象だろう。我慢させてしまって、悪かった。王都で食事をして来た方が良かったか?」
心配そうに聞くオリヴェルに、デシレアはきっぱりと答える。
「いいえ。隣街で美味しくて珍しい物、たくさん食べる方がいいです」
「俺もだ」
オリヴェルは嬉しそうに答えると、少しだけヘイムダルの歩みを速めた。
「デシレア、ここだ」
街の中へ入ってからは、人込みということもあってヘイムダルを下り、オリヴェルに手を引かれて歩いていたデシレアは、そう言ってオリヴェルが立ち止まった立派な建物を見あげて呟いた。
「うん。分かってた」
「どうした?ここでは、嫌か?といっても、今日はこの人出だからな。他の場所となると難しいだろう」
困ったように言うオリヴェルに、デシレアは首を横に振る。
「違いますよ、オリヴェル様。お宿様に不満なんてありません。むしろ、私の方が相応しくないのでは、と思える立派さ豪華さに慄いていますが、これまでの経験から、やはりという気持ちが強いだけです」
「お宿様、って。まあ、だが。なら、いいのか?」
「もちろんです。というか、この服装で入っても大丈夫ですか?」
馬に乗るということ、露店を巡り歩くということで、デシレアが今日着ているのは簡素なワンピース。
入館禁止と言われないか、とデシレアは不安な目をオリヴェルに向けた。
「問題無い。ホテル内のレストランでは難しいが、宿泊するだけなら平気だ」
「安心しました」
「ならば、まずヘイムダルを預けて、それからチェックインしてしまおう」
「はい」
そしてオリヴェルがヘイムダルを預けている間に、デシレアはその看板を発見し、釘付けになる。
「どうした?デシレア・・・ああ、特別メニュウの晩餐か。限定だそうだが、どうする?夕食はここで摂って、明日、露店や屋台を巡るのでもいいが」
「とっても美味しそうです」
料理名を見ているだけでよだれが、と蕩けそうな顔で言うデシレアに、オリヴェルも頷く。
「確かに。では、これにしよう」
「オリヴェル様は?それで大丈夫ですか?」
「ああ。ここはワインの品揃えもいいからな。期待していろ」
「はいっ」
「それと、朝食はどうする?露店は、朝からもやっているようだが」
「・・・・・迷います。すっごく」
うーん、と考え込むデシレアに、オリヴェルも考えつつ答える。
「ここの朝食は、焼き立てのパンが旨いな。パンもそうだが、ハムや卵料理も幾種類かから選べて・・・分かった。朝食もここで摂ろう。街は、ゆっくり散策すればいい」
「え?ええと、オリヴェル様?」
「朝食の風景。想像して、うっとりしただろう」
「え!?なんで、ばれ・・・まさかよだ・・っ・・あ、大丈夫」
ひとり焦ってあたふたと口元を確認したデシレアの頭を、オリヴェルがこつんとつついた。
「落ち着け。どうしてばれたかだと?その顔に『食べたい、経験したい』と書いてあった」
「うう。すみません。つい、想像してしまい」
「別に構わない。公の場ならともかく、今は遊びに来ているのだから、己を抑圧することない」
「む、難しい言い回しですが、簡単に言えば、楽しもうということですよね?」
「ああ。必要以上に、周りを気にすることも無い。まして、俺しかいない時に、妙な遠慮は無用だ。食べたいと思った物は、遠慮なく言え。分かったな?」
「はいっ」
嬉しさに顔を輝かせたデシレアは、ヘイムダルにまた明日と挨拶を済ませると、オリヴェルに手を引かれホテルの入口へと向かう。
「しかし、すっかりヘイムダルに懐かれたな」
「大食漢仲間ですから」
堂々と胸を張って言うデシレアに、オリヴェルがくすりと笑って目を向けた。
「それは、淑女として、と悩んでいなかったか?」
「もう、いいんです。今日と明日の私は、大食漢になって美味しいものたくさん食べます」
「それがいい」
「あ、そうだ。料金は、折半しますか?」
そう聞いたデシレアに、オリヴェルが一瞬で不機嫌になる。
「だって!やっぱり気になるんですよ。いつだって、当たり前みたいにご馳走してくれるから」
「俺は、そんなに甲斐性無しか?」
「違います!甲斐性ありまくりですよ!でも、これは私の気持ちの問題で」
「なら、露店で何か買ってくれ」
オリヴェルの提案に、デシレアの顔がぱあっと明るくなった。
「いいですね!そうします!日頃の感謝を込めて、何か心を込めてお贈りします。何がいいでしょう」
「今日と明日、ゆっくり選ぶさ」
「はい!今日は、下見でもいいですね」
わくわくと声を弾ませるデシレアをオリヴェルも嬉しそうに見つめ、辿り着いたホテルの入口にある回転扉を押して、先にデシレアを通す。
「メシュヴィツ公子息様、ようこそお越しくださいました」
「ああ、支配人。世話になる。こちらは、婚約者のデシレアだ」
「はじめまして。デシレアです。お世話になります」
うわああ。
これぞプロ、って感じのホテルマンさん来た!
内心では慄きまくりながら、何とか淑女の笑みを張りつけて挨拶をしたデシレアに、支配人もあたたかな笑みを浮かべた。
「ご用がございましたら、何なりとお申し付けください」
そしてオリヴェルは、そのままの流れでチェックインを済ませてしまう。
ふおお。
高級ホテルにも慣れているオリヴェル様、素敵です。
こう、威風堂々。
このホテルに相応しい雰囲気を醸していますよ。
流石です。
デシレアが思う間にも、支配人とオリヴェルの会話は続く。
「お夕食は、いかがいたしましょうか?」
支配人の問いに、オリヴェルが鷹揚に頷いた。
「今日は、特別メニュウがあるのだったか」
「はい。祭り期間限定の晩餐となっております」
「部屋で摂ることも可能だな?」
「はい。問題ございません」
「では、それをふたり分。それと明日の朝食も頼む」
「畏まりました。この後、街を散策されますか?」
「ああ。その予定で来た」
「それでは、こちらの地図をお持ちください」
そう言って支配人は、オリヴェルに一枚の地図を差し出す。
「助かる」
「ありがとうございます」
オリヴェルに続いてデシレアも礼を言えば、支配人の笑みが益々深くなった。
「それでは、行って来る」
「ごゆっくり。いっていらっしゃいませ」
深く礼をする支配人に見送られ、デシレアとオリヴェルは街へと繰り出した。
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