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三十七、いじめ疑惑からの、何故。

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「失礼いたします」 

 アストリッドの涼やかな挨拶と共にデシレアも淑女の礼をし、そのままの姿勢で重厚な扉が閉まるのを待つ。 

 息詰まる思いで、しっかり扉が閉ざされたのを確認したデシレアは、ゆっくりとした動作でアストリッドに続いて、豪華な廊下を歩き出した。 

 先ほどよりは、呼吸が楽になった気がする環境。 

 しかし退室したと言っても、完全に緊張を解くわけにはいかない。 

 何といっても、ここは王子宮。 

 カール第二王子の住まいなのだから。 

 

 あと少し、あと少し。 

 失敗しないように、失敗しないように。 

 大丈夫、大丈夫。 

 

 心のなかで自分を励まし、力づけながら、デシレアは何とか礼を失することなく王子宮を抜け、一般の使用人や貴族も居る場所へと戻って来た。 

「はあ。緊張しました」 

「それほど緊張しなくとも、カール殿下だってエメリ様だって、取って食べたりしないわよ」 

 笑いをかみ殺すようにアストリッドに言われ、デシレアはじと目でアストリッドを見る。 

「公爵令嬢で、第二王子殿下や聖女様を、親しく名前呼び出来るアストリッド様とは違います。それに、失礼があってはいけないですから」 

「まあ、一理あるわね。だけど、どちらかというと、これからの方が緊張するべきじゃない?」 

 おかしみの籠った目を向けられ、デシレアは首を捻った。 

「緊張というか。オリヴェル様にまたご面倒をかけるな、とは思いますけれど」 

「緊張はしないの?」 

 アストリッドの言葉に、デシレアは益々首を捻って考える。 

「うーん。しなくはない、ですね。でも、王子殿下や聖女様に感じる緊張とはまた違います」 

「なるほど。じゃあ、ひとりで説明する?カール殿下とエメリ様の婚姻式に、英雄ケーキの時のようなケーキを作って欲しいと言われて、そこから何か他に結婚記念の品を思いつかないかと問われて、あれやこれや」 

 わざとらしく指折り数えてみせるアストリッドに、デシレアはひしと縋り付く。 

「一緒に説明してくれると、言ったではないですか」 

「ケーキの件はね。わたくしが窓口となっているから、あの青銀嫌味眼鏡にも説明するわよ?でも、他は」 

「じ、自分でも頑張って説明するので、補填お願いします」 

 是非、と言い募るデシレアに、アストリッドは悪戯が成功したかの如く満足の目を向けた。 

「莫迦ね。冗談よ」 

 ぽん、とデシレアの肩を叩いたアストリッドは、意味深な笑みを浮かべてオリヴェルの執務室の前に立つ。 

「さあ。あの青銀嫌味眼鏡は、どんな表情を見せてくれるのかしら」 

 長いこと、冷血、冷徹と言われるオリヴェルしか知らなかったアストリッドだが、最近は何だか様子が違うと思う。 

 それはあの、伝説となった婚約披露の場しかり。 

 そもそもデシレアの話を聞くに、彼女の前では最初から冷血でも冷徹でもなかったというオリヴェルが、一体何を考えているのか。 

「アストリッド様?」 

「なんでもないわ。さ、行きましょう」 

 その時入室を許可する声が聞こえ、アストリッドはすました顔でオリヴェルの執務室へと足を踏み入れた。 

 

  

 

 

「オリヴェル様。お仕事中にお時間いただいて、すみません。ありがとうございます」 

「いや。こちらに昼を届けてから直ぐ面談では、慌ただしかっただろう。ゆっくりするといい」 

 言いながらソファを薦めるオリヴェルを、アストリッドは面白いものを見るように見つめる。 

「カールから、大体の話は聞いている。婚姻に合わせてのケーキを、デシレアに依頼したいと」 

 オリヴェルのその言葉に、アストリッドが素早く反応した。 

「ええ、そうなの。それでわたくしとデシレアが呼ばれたのだけれど、そちらの契約は、わたくしが窓口で構いませんわよね?」 

「ああ。よろしく頼む。ん?『そちらの契約は』とは?」 

「流石ね。話の流れで、他にも何か記念の品を思いつかないか、と問われて。デシレアってば、緊張しながらも、陶器の皿やカップに絵付けをする、硝子の皿に彫り込む、グラスも素敵かも、と次々思いついて」 

「そちらも、ということになったと言う訳か」 

「ええ。でも、わたくしもとても気に入ったので、陶器の絵皿とカップをカール殿下とエメリ様、硝子の方は、わたくしが婚姻する時に、ということで話が纏まったの。と言う訳で、デシレアの窓口係さん。契約の方、お願いね」 

 ふふ、と笑って、アストリッドは供されたカップを口に運ぶ。 

「分かった。カールの方は、大臣と契約書を交わすことになっているのだが、ニーグレン嬢は?婚約者と相談もあるだろう?」 

「そうね。相談してから、正式にお願いするわ」 

「了解した」 

「に、しても。デシレアの窓口、大変でしょう。事務などどうしているの?」 

「事務?」 

 アストリッドの問いに、デシレアが心底不思議そうに首を傾げてオリヴェルを見た。 

 その、寝耳に水という表情に、アストリッドは少々呆れた様子で注釈を加える。 

「あのね、デシレア。契約を交わして、それで終わりではないでしょう?そこから注文が入って、それぞれの取り分を計算して、と色々あるじゃない」 

「あ、なるほど。でも、それほど売れなければ」 

岡持おかもちもデシレアラップも凄いことになっているのよ?そんな訳ないでしょう?」 

 遂には子どもをあやすように言われ、デシレアは青くなった。 

「で、ではオリヴェル様。とても大変なことになっていたりするのですか!?私のせいで!すみませんっすみませんっすみませんっ。しかも気づいていないとか即刻厳罰に処されても文句は言えない悪魔の所業!」 

「大変なことになど、なっていないから安心しろ。落ち着け。大丈夫だ。デシレア関係の事務は、専門の商会を作ってそこで処理しているから、何も問題無い」 

「専門の商会。ああ、大変なお手数と資金というご迷惑を」 

「人件費を引いても黒字だから安心しろ」 

「オリヴェル様・・・」 

 漸く人心地付いた様子のデシレアに、オリヴェルが小さく息を吐く。 

「俺はむしろ、君の方が心配だ。仕事を多く抱えて、体調を崩したりしないか」 

「あ、それは大丈夫です。絵柄を考えて描くといっても、それぞれ時間差がありますから。今回も、ケーキの絵柄より先に、お皿とカップの絵柄、図案を考えることになりまして。こちらは、ケーキと違ってかなり写実的になるので、聖女様も王子殿下も、実際に婚姻式で着る衣装をなるだけ再現して欲しいと言われて。本来なら部外者は見られない衣装のデザイン画を、色付きで見せてくださることになりました」 

 緊張もするが楽しみでもあると楽し気に言うデシレアに対し、それを聞いたオリヴェルは厳しい表情になった。 

「それは、また面談があるということか」 

「はい。幾度かお話し合いをして、擦り合わせをした方が良いだろうと。私もそう思いますし」 

「俺も行こう」 

「え?」 

「その面談。俺も一緒に行く」 

「ですが、聖女様のドレスのデザイン画もあります。親族でもない男性の方が見るのは、いかがなものかと」 

 何故か突然態度が硬化したオリヴェルに、デシレアは驚きつつも反論した。 

 婚姻式に着るドレスは、夫となる男性と親族以外の異性には当日まで見せないというのは、厳密に決まっている訳ではないが、この国の暗黙のしきたりである。 

「デザイン画を見なければいいのだろう」 

「何故、そんなにしてまで・・・っ」 

 不思議と言いかけて、デシレアは気づいた。 

 

 そうか。 

 オリヴェル様は、聖女様を案じて。 

 

 そうとなれば、自分はそのような事、聖女を害するような真似は絶対にしないと理解してもらわなければ、とデシレアは意を決してオリヴェルと改めて向き合う。 

「オリヴェル様。そんなに心配ですか?」 

「ああ、心配だ」 

 はっきりと言い切られ、デシレアは口をへの字に結んだ。 

「む。そんな言い切るほどに私、信用無いですか?」 

「信用はしている」 

「なら、どうして」 

「こういうことは、理屈じゃない」 

 

 おお、確かに。 

 恋する心は理屈じゃないですね! 

 

「むむ。それは、分かりますけど」 

「分かるなら、次からの面談に俺も同伴。以上だ」 

「そんな。見張るみたいな」 

「ああ。出来るなら、四六時中見張っておきたい。俺の精神安定のためにも」 

 本心が漏れ出すように言ったオリヴェルの、その言葉を聞いた瞬間、デシレアがテーブルに思い切り、ばんっ、と手を突いて立ち上がった。 

「ひどいです、オリヴェル様!私絶対、聖女様をいじめたりしないのに!」 

「え?」 

「は?」 

 デシレアの渾身の叫びに、オリヴェルのみならず、楽しそうになりゆきを見守っていたアストリッドも、信じがたいものを見るようにデシレアを見つめる。 

「あの、デシレア」 

「ね、アストリッド様!今日だって私、そんなことしませんでしたよね!?」 

 何か誤解をしている、と言いかけたアストリッドだが、デシレアの勢いに飲まれ、続く言葉を失った。 

「え、ええ。そうね」 

「ほら!それに、この先の面談すべて、第二王子殿下だっていらっしゃるんですよ?」 

「いや、だからこそ、だな」 

「だからこそ?だからこそ、なんです?」 

 鋭く聞き返すデシレアに、オリヴェルは、こほんとわざとらしく咳払いをする。 

「ああ。ほら。カール殿下は、市井でもとても人気があるだろう?」 

「英雄様のおひとりですからね。それは人気がありますけど、それが何か?」 

 今のお話と何か関係がありますか、と問われオリヴェルは姿勢を正した。 

「その。デシレアは、カール殿下を見て、うっとりしたりしないのか?」 

「しませんよ」 

 即答され、オリヴェルは眼鏡の細い縁をくいっと持ち上げる。 

「どうして?」 

「どうして、って。きれいなお顔をされているな、とは思いますけれど、うっとりするかと言われれば、しませんとしか」 

「そうか」 

「オリヴェル様。話を逸らそうとしていませんか?」 

 安堵したように言うオリヴェルに、デシレアは疑惑の目を向けた。 

「していない。むしろ本題だ」 

「そんな訳ないです。聖女様を私がいじめるとか、害すとか、オリヴェル様が誤解していたのが本題です」 

「ああ、もう駄目」 

 胸を張って言い切るデシレアに、アストリッドが耐え切れないように笑い声をあげる。 

「アストリッド様?」 

「貴方達、随分面白いことになっているのね」 

 笑いながら言うアストリッドを不機嫌に見やるオリヴェルと、その横で意味が分からずきょとんとしているデシレアの対比がおかし過ぎると、アストリッドが笑う。 

「あの。アストリッド様?面白いとは」 

「ああ、おかしい。いいわ、ふたりとも。我が家の別荘に招待してあげる。王都から馬車で一時間くらいだから日帰りできるし、もちろん泊まって来てもいいわ。温泉があるからそこで」 

「いや。別荘なら、我が家のに行こうデシレア。余り長い休みは取れないが、一泊くらいなら何とかなるからな。ニーグレン嬢、デシレアに休みをもらってもいいだろうか」 

「構わないわ。これからの作品制作のためにも、色々な環境に身を置くのは大切だもの」 

「え?あの。突然なにを」 

「別荘だからな。特に用意すべき物も無い。デシレアは何も心配せず、ただ楽しみにしておけ」 

 

 ええええ。 

 どうして突然別荘? 

 私の聖女様いじめ疑惑は何処に? 

 

 もう決まったと言わぬばかりのオリヴェルと、楽しんでいらっしゃいと言うだけのアストリッドを、デシレアは混乱したまま交互に見つめていた。 

 

 
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