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十八、推しと魔法薬
しおりを挟む「かるかんと、喧嘩でもしたのか?」
その日、デシレアがオリヴェルの研究室に入るなり、ふんっ、と声に出して言い、顔を思い切り横向けてから外へと飛び立ったかるかんを慌てて呼び止めるも叶わず、哀しい思いで見送るデシレアに、オリヴェルがおかしみの籠った目を向けた。
「喧嘩、というか。この間の魔法警備で、緊急事態を告げる役を、かるかんがしてくれていたと、気づいていなくて」
『なんと!おぬしは、吾がおぬしの危険を告げたことに気づいておらなんだか!?声が分からなかったと!そういうことか!』
婚約披露の宴が果てた後、浮き浮きとデシレアの元へ来たかるかんは、しかしデシレアが己の活躍に気づいていなかった、声で判別することも出来ていなかったと知るや否や、それはもう不機嫌になってしまった。
それから口をきいてもらえないのだとデシレアが言えば、オリヴェルは楽しそうに笑う。
「使い魔に機嫌を損なわれる主など、初めて聞いた」
「一生懸命謝っているのですが、その謝罪自体、なかなか聞いてもらえないのです」
しょんぼりするデシレアの肩を、オリヴェルがぽんと叩く。
「助言してやりたいが、先ほども言った通り、使い魔に機嫌を損なわれた主の話など、聞いたこともないからな。力になれそうもない」
「はあ。なんとか許してもらえるように頑張ります」
そう言うデシレアを優しい目で見つめ、オリヴェルは、デシレア用に新しく作った作業机に並ぶ薬瓶を指し示した。
「今日は、魔法薬を作るにあたって、指針となるものを作ってもらう」
「指針となるのもの、ですか?」
オリヴェルの言葉に、デシレアが不思議そうに首を傾げる。
今日から魔法薬について学んでもらう、とはオリヴェルから聞いていたが、その指針薬など初めて聞く。
魔石もだが、魔法薬も普通に生きて行く分には不要な知識のため、特殊な職業に就いた者しか知り得ない。
なんだか、わくわくする。
未知の事を知れる、しかもオリヴェルから学べる、オリヴェルと共有の知識ということで、デシレアの気持ちがどんどん上がっていく。
「ああ。まず、主に作られる魔法薬は二種。身体強化か、攻撃魔法の威力増幅。これらを作るには、それぞれ各個人が持つ魔力によって適性があるのだが、今日作る指針薬によって、君がどちらの適性であるかを確認することが出来る。後、これらを誤飲した場合に服用する中和剤もあるが、こちらは特に適性は無い。ここまではいいか?」
「はい。問題ありません、師匠」
生真面目に深く頷き、心底本気で言ったデシレアに、オリヴェルが苦い顔をする。
「誰が師匠だ」
「だって、魔法薬について教えてもらうのですから」
当然です、ときりりとしてデシレアが言えば、オリヴェルが呆れたようにため息を吐いた。
「君にとっては義務のようなものだろう。その、悪いと思っている。俺の任務が特殊なせいで、伴侶となる君が、魔法薬について知っておく必要があるのだから」
デシレア本人は魔法師団に属している訳ではないのに、婚約者となったオリヴェルが魔法師団団長であることで、デシレアも魔法薬の知識を持つ必要があると聞いた時には驚いたが、元より知識欲の旺盛なデシレアは、この状況をとても嬉しく受け止めている。
「それを義務というのなら、嬉しい義務ということですね」
学べるのは嬉しい、というデシレアを、オリヴェルは眩しいものを見るように見た。
「嬉しい、か」
しかし、その瞳の眩しさは続くデシレアの言葉で簡単に霧散する。
「はい!それに何か、格好いいじゃないですか。魔法調薬」
うきうきと言うデシレアに一瞬目を見開き、オリヴェルは大きく息を吐いた。
「はあ。まあいい。必要な物はすべて用意してあるから、これから俺の言う通り調薬してくれ」
「はい」
いよいよ、と硝子棒を握り締め、デシレアはオリヴェルの指示を待つ。
「まず、基本となるのは白い薬液。それを手前にある空の広口瓶に入れる」
「はい」
「そこに緑の薬液を入れ、魔力を注ぎつつよく混ぜる」
「はい」
きゅっと眉を寄せ固い声で答えるデシレアは、緊張でがちがちであることが明確。
そんな様子に目を眇めたオリヴェルは、殊更気楽な様子で話を振った。
「そういえば、蜜蝋を塗った布ラップだがな。あれも販売しないか?」
「え?あれを販売、ですか?売れるでしょうか」
唐突な話題に驚きつつも答えたデシレアの眉が、怪訝に寄る。
「売れる。だが、今のままだと熱に強くなる魔法陣の付加料が高過ぎて、平民は手を出せない。だからもっと魔法陣を簡易化する・・・もう少し強く魔力を注げるか?」
「はい・・・というか、熱に強くなる魔法陣の開発と付加に成功していたんですね」
「言っていなかったか?君から試作品を貰ってすぐ完成させたのだが」
「聞いていません」
「そうか。で、売っていいか?」
「それは、もちろん」
「しかし自分で創っておいてなんだが、この熱に強くなる魔法陣が、なかなか緻密で複雑でな。簡易化には時間がかかりそうなのだ。かといって、岡持の販売は遅らせたくないし」
「それなら、魔法陣を付加しない物も売ったらどうでしょう?熱には弱いですよ、って注意書きして」
考え込むオリヴェルに、手は止めないままにデシレアが提案する。
そもそも、そうやって使うつもりだったのだし、と言えばオリヴェルが頷いた。
「なるほど。それなら、まずは簡易化する前の魔法陣を付加したものと付加しないもの、二種類を売ろう。高額でも欲しがる者は居るだろうしな。魔法陣については、俺とデシレアのみの扱いとして、蜜蝋を布に塗る工程は委託するか」
「そんなに手を広げるんですか?損しないといいですが・・・え?薬液が紅く!?」
混ぜたのは、白と緑の薬液。
それなのに、赤くなるとはこれ不思議。
流石魔法と思っていると、次の指示が飛んだ。
「よし、一旦手を止めていいぞ。次。紫の薬液を少しずつ入れ、入れ切ったら、また魔力を込めつつよく混ぜる」
「はい」
注意通り少しずつ紫の薬液を入れ、デシレアは再び硝子棒で薬液を混ぜ始める。
「その調子だ・・・ああ、あと魔石の起動方法だが、突起のある形に改良した」
「突起、ですか?」
「ああ。魔石の突起を押せば起動、もう一度押して突出した状態に戻せば停止だ」
「なるほど・・・ええ!?今度は白くなりました」
突起とは要はスイッチかと納得したデシレアは、ガラス瓶のなかの有り得ない色に目を輝かせた。
魔法って素敵!
「最後。黒い薬液を加え、魔力を込めつつよく混ぜる・・・それと、保冷の魔石を起動状態にしたまま箱に入れておけば、食物の保存にいいと思い邸の厨房で試してもらったところ、こちらも商品に出来るのでは、とのことだった」
「保冷箱ですね」
「それで考えたのだが。岡持も魔石を付けない状態で販売し、魔石はそれ単体で売る形にすれば、それぞれの用途に応じることが出来るんじゃないか?もちろん、後付け出来るよう、岡持内部に魔石を付ける場所を確保する必要はあるが」
「確かにそうですね。その方が便利そうです・・・おお、無色透明になりました」
「・・・・・」
「オリヴェル様?次はどうするのですか?用意されていた薬液は全部入れましたから、これで終わり、最終形態ですか?」
恐らくはそうだろう、と初めて自分で作った魔法薬を感激して見つめたデシレアは、オリヴェルの反応が無いことを不審に思って顔をあげた。
「あ、ああ。完成だ」
「良かった。失敗したかと心配しました」
驚かさないでください、と笑いながら、デシレアは不思議な思いで僅かに揺らめく魔法薬を見つめた。
途中、入れた色からは予想も出来ない色に変わって、しかも最後は黒い薬液を入れたのに、完成したら無色透明とか。
魔法って、ほんとに面白くて素敵。
ときめきが止まらない状態で、この色は一体どちらの適性を示すものなのか、とわくわくしてオリヴェルに視線を移したデシレアは、その眉間に深いしわが刻まれているのに気づき困惑した。
「あのう、オリヴェル様。私は一体、どちらの適性なのでしょうか?」
「どちらも無い」
「え?」
「どちらの適性も無い」
「それは・・・どちらでもないが、どちらでもある、みたいなことは」
「無い」
オリヴェルの言葉に衝撃を受けたデシレアが、そこに奇跡は無いのかと問えば、オリヴェルが首を横に振りつつきっぱりと言い切った。
「そんな。それじゃあ、私はどちらも作れないのですか?」
「いや、作ることは可能だ。だが、威力は望めない」
「それって、あればまだまし、っていうことですか?」
「あっても無くても同じ、ということだ」
「ああああ。すみません」
仮にも、ってほんとに仮っていうか契約だけど、一応魔法師団団長であるオリヴェル様の婚約者の私が、まさかの適性無し。
その事実に、デシレアはがっくりと項垂れた。
「デシレア。この結果は他言無用だ。それと、調薬も俺が居ない所ではするな」
難しい顔で言うオリヴェルに、デシレアは胸を手に当て誓う。
「分かりました。栄えある公爵家の嫁が、毒にも薬にもならない魔法薬しか作れない、なんて言われないよう、精一杯隠し通します」
絶対、迷惑をかけたりしないようにしないと!
最早自分に出来るのはそれだけだ、とデシレアは固く決意するも、すぐに新たな不安がよぎる。
あれ?
でもちょっと待って。
メシュヴィツ公爵家は、魔法に長けた一家。
だとしたら、こんな適性無し女なんて婚約者として認められない、って言われちゃうとか!?
有り得る!
おおいに有り得る!
「毒にも薬にも?いや、確かに身体強化と攻撃魔法の増幅については適性無しだが」
「オリヴェル様!」
何かを言いかけたオリヴェルに向かい、デシレアは、がしっとその手を掴んだ。
「な、なんだ?」
「公爵閣下と公爵夫人は、この結果をどう思われるでしょう?オリヴェル様は?呆れてものも言えませんか?婚約破棄とか!?」
「なっ。そんなことはしない。そもそも、この結果には別の可能性が」
「婚約破棄は無し!?絶対?本当に?嘘じゃなくて?」
「ああ。絶対に婚約破壊などしないから安心しろ」
「で、でも」
「父上と母上も、そんなことで婚約を破棄しろとは言わない・・・いいから落ち着け」
デシレアに握り締められた手を握り返し、オリヴェルは安心させるよう、もう片方の手でデシレアの手の甲を軽く叩いた。
「うう。でもこんなことがローン侯爵に知られたら、メシュヴィツ公爵家の弱点になっちゃいます。周囲の方々だって」
「弱点なんて言うな。それに、そんな理由で黙っていろと言ったのではない」
本当に大丈夫だ、と幾度も言われ、デシレアの目に涙が浮かぶ。
「でも、優秀な魔法一家の汚点に・・・ずびばぜん」
「ああ、もう泣くな。君に婚約を申し込む前に、色々調べさせてもらっているんだ。魔力量がそれほど多くないことなど、とっくの昔に知っている」
ぐずぐずと泣き出してしまったデシレアの手を引き、オリヴェルはソファへと座らせた。
「そ、それは最初から期待していなかったから大丈夫だということですか」
それはそれで傷つく、とデシレアが顔をあげれば、オリヴェルがぺしっとその額を叩く。
「違う。魔力量など関係なく、俺は君がいいと思ったんだ。君が作った、俺達を模したケーキ。あれと、あれの元となった絵を見て、この絵を描いたひとなら信用していいんじゃないかと思った。本当に俺の無事や活躍を喜んでいる、そんな心を感じたから」
「え?」
寝耳に水のその言葉に、デシレアは驚きの余り涙も引っ込んでしまう。
「それで、君のことを調べた。平民なら、縁談を申し込むにも養子縁組をしてもらわなければならないからな。しかし君は伯爵令嬢だった。まさか、伯爵令嬢が働いているなど思いもしなかったから、あれには驚いたな。俺とて、レーヴ伯爵が自領の民のために財産を投げうって復興しようとしていることは知っていた。高潔な人物だと。しかし、令嬢である君までもが働いているなど、考えもしなかった」
「それは、当然のことです。私は、領を守り治める側に生まれた人間なのですから」
凛として、領民を護るのが領主一家の役目だと言い切るデシレアを、オリヴェルは深い瞳で見つめる。
「俺もそう思う。だが、自らの欲を満たすために領民を苦しめる貴族が居ることもまた事実」
だから、魔獣の異常発生により大きな打撃を受けた領地領民の負担軽減ため、貴族令嬢が自ら働き家計を助けているという報告を読んだ時、この令嬢となら共に研鑽していけると思ったと言われ、デシレアはぽかんとオリヴェルを見返した。
「え、と。慰謝料代わり、では?」
不快だったのでは、と重ねて言われ、オリヴェルは目を彷徨わせる。
「あの絵を、不快になど思ったことはない」
気まずそうに言ったオリヴェルにデシレアは目を見開き、次の瞬間、ずずずい、と前のめりになった。
「本当に?本当に不快ではありませんか?」
「ああ。むしろ」
「嬉しいです!あの絵には、思いをいっぱい込めたから!ほんとに嬉しい!」
もごもご言いかけたオリヴェルに全開の笑顔を向け、デシレアは小躍りして喜ぶ。
「君は。怒るとか蔑むなと言うとか、そういった感情は無いのか?それをネタに、一生涯の契約をしろと言ったんだぞ?しかも君の家の窮状に漬け込むような真似をして」
俺が言うのも何だが、とオリヴェルは眼鏡の縁を持ち上げた。
「ですが、それで領も我が家も助かりました。契約不履行されたら怒りますけど、私は今の共犯者みたいな関係も好きです」
「共犯者、って。悪事を働くわけではないだろう」
もっと言い方を考えろと言われ、デシレアは智恵を絞る。
「じゃあ、共闘?相棒とか」
捻り出すように言ったデシレアに、オリヴェルの表情もやわらかくなった。
「ああ、それがいいな」
「オリヴェル様たちのお蔭で魔王の脅威も去りましたし、これからは、平和で豊かな国造りに邁進できますね」
もう魔獣の異常発生に怯えることもない、とデシレアは明るい声で言った。
そんなデシレアを、オリヴェルが希望の宿る瞳で見つめる。
「そうだな。君となら叶えられそうだ」
「ふふ。よろしくお願いします」
「こちらこそ」
微笑み合い、視線に強い決意を絡ませて、ふたりはしっかりと握手を交わした。
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