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二十二
しおりを挟む「・・・ご正妃様。やはり、おやめになった方が」
びくびくとゆすらの後に続きながらも周りが気になって仕方ない様子で、小笹が小声で告げて来る。
「嫌なら戻っていいわよ。ひとりで行って来るから」
そんな小笹に苦笑して、ゆすらもまた小声で答えれば小笹はきりっとした表情になってきっぱりと首を横に振った。
「いいえ。それは出来ません」
春宮妃であるゆすらをひとり歩かせるなど出来ない、と小笹は気合を入れるように背筋を伸ばす。
「じゃあ、行きましょう」
今ふたりが目指しているのは、事件のあった春宮の寝所。
『ゆすらは何も案ずることなく、俺に守られていて欲しい』
事件の調査はどうなっているのか、と問いかけたゆすらに対し、少し困ったような顔でそう言った彰鷹の何とも言えず甘い雰囲気に流されて話を聞きそこなったゆすらが我に返った時には、時すでに遅し。
彰鷹は、政務へと向かってしまった後だった。
やられた、って感じよね。
でも、未だ詰めが甘いわ。
その後は、事件について聞こうとする度に上手いことはぐらかされ、ゆすらは決意した。
教えてくれないなら、自分で。
ゆすらの突飛さここに極まれり、と兄にもため息吐かれそうだと思いつつ、事件のことが気になって仕方の無いゆすらは、ひとり行動を開始しようとして、当然のように小笹に見つかった。
『ご正妃様。いずこへおわすおつもりで?』
ゆすらを部屋に留めておくように、ときつく言われているらしい小笹を巻き込むのは本意ではなかったが、責任を負わされる立場の小笹を思えば嘘も吐けず、事件について教えて貰えないので自分で調査する、と素直に白状すれば小笹は案の定引き留めにかかったけれどゆすらはそれを突破し、真昼の寝所を目指すことに成功した。
「よし。今は誰もいない」
うまい具合にひとの目を搔い潜り、寝所へと潜入を果たしたゆすらは件の矢が仕込まれていたという天井付近を見遣る。
「特になにも無いわねえ。まあ、当たり前よね。捜査しているんだから、仮にあの後何か証拠が残っていたとしたって、もう回収されているものねえ。ええと、あそこから飛んで、あそこに刺さった、その軌道上に彰鷹様と私・・・わあ、改めて考えるとほんとに怖い。それにしても、あの時、矢が発射される前に見つけられたら良かった・・って無理か。丁度灯りも届かない場所なのね。考えられている」
ぶつぶつと言いながら寝所内をきょろきょろしていたゆすらは、恐ろしい顔をした千尋と視線が合い、その動きを止めた。
「ご正妃様。こちらで何を?」
ま、まずいわ。
千尋くん、本気で怒ってる・・・!
千尋のこめかみがぴくぴくと動いている。
それは、彼が心底怒っている時だと知っているゆすらは、何とか打開の道を見つけようと必死に考えを巡らし、思いつくことが出来ず縋るように小笹を見るも、ゆっくりと首を横に振られてしまった。
駄目だわ。
終わった・・・。
これはもう、長時間説教確定、とがっくり項垂れるゆすらは、微笑む千尋を見て更に恐怖する。
こ、怖い!
目が、全然笑ってない!
これぞ冷笑、という笑みを浮かべる千尋を見、ぶるぶると震え出したゆすらは、千尋が素早く周囲を確認し、小笹に視線で指示を出したことを知らない。
「さ、ご正妃様。お早く」
そうして小笹に付き添われ、千尋の先導でゆすらは自分の住まいである麗景殿へと戻るべく、廊下を進む。
春宮妃が、昼の寝所付近をうろうろしていた、などと中宮側に知られれば、それこそ冤罪をかけられても仕方ない、という事実に今更気づいたゆすらは、緊張の余り足が震えるのを感じ、それゆえあと少しで帰り着く、という場所まで辿り着いた時には大きく息を吐いてしまった。
「今更か」
そんなゆすらを呆れたように見て、千尋もまた小さく息を吐く。
「うん、本当今更だよね。ありがとう、千尋くん」
「慣れている」
言われた言葉に、ゆすらは、ふふっと笑ってしまう。
「千尋くんだよねえ・・・あ!」
「何だ、どうした?」
突然声をあげたゆすらに、何かあったかと近づいた千尋はゆすらが真っ直ぐに見ているものを見て眉を寄せた。
「駄目だからな」
「未だ何も言ってない」
「分からいでか。あの木に登りたい、と思ったんだろうが」
「だって、凄く上り易そう」
「「・・・・・」」
「わ、分かってる!大丈夫、幾ら私でもそこまで莫迦じゃない!」
千尋だけではなく、小笹にまで無言で圧力をかけられたゆすらが、いくらなんでも後宮で木登りしたりしない、と言い切った時、さやさやと衣擦れの音がしてひとりの女房が通りがかった。
「まあ。このような場所で密会とは。嘆かわしや」
げ。
中宮のひっつき虫!
何の用があるのかわざわざ麗景殿の周りをうろつき、ゆすらのあらを探す彼女を、ゆすらは中宮のひっつき虫と呼んでいる。
「本日、春宮より直々にご正妃の警護を仰せつかった。疑われるなら、春宮に確認されるがいいだろう」
咄嗟に扇を開いたゆすらの前に立ち、千尋はその背にゆすらを庇って言い切った。
「薬師少将様はそうお思いでも、そちらの方はどうなのか」
「そなた、名は?」
「わたくしは、中宮様付で、玉藻と申します」
わあ。
すっごく嬉しそう。
千尋に名を聞かれた玉藻は、嬉しそうに自分の名を告げ、勝ち誇ったようにゆすらを見る。
「そうか。しかと覚えた。春宮妃に対し礼を知らぬ女房など、害にしかならぬからな。他の者にも警護の際には気を付けるよう言っておく」
「なっ」
「春宮様がご正妃様をお召しなのだ。急ぐゆえ、失礼する」
言い切って、すっと前に出た千尋を玉藻は憎々し気に睨みつけた。
「少しくらい有名になったからと言って、調子に乗らないことよ」
「そちらこそ。玉藻の名に恥じない美しさ、と一部公達に囁かれたのをいいことに、帝の寝所にまで入り込んだこと、中宮様は未だご存じないようだ」
怒りに顔を赤くし罵りの言葉を吐いた玉藻は、千尋のその言葉に青くなった。
自分ならば絶対に寵を得られると確信していたのに、近衛によっていとも簡単に排斥させられてしまったのは苦い記憶だが、特に帝から咎めも無かったことで自分が認められたことに変わりはなく、これから改めて正式にお召しがあるものとさえ思っていたのだが、その前に中宮に知られるとなれば話は変わる。
「ですが、先に帝が妾をお召しになれば」
「なるほど。そのような勘違いを。『一度の過ちなれば見逃すように』と帝は仰せだったのですが」
帝が早く動いてくれれば、と思う玉藻に千尋は残酷な現実を突きつける。
「そのようにお考えということであれば、そのように報告をあげておきます」
「そ、そなたの言うことなど誰も聞きはせぬ。妾は中宮様のお気に入りで帝の覚えも目出度いのだから」
「それが、春宮妃を軽んじてもいいほどのものだといいですね」
おろおろと挙動不審になる玉藻を横目に、千尋はゆすらに優しい目を向けた。
「行きましょう、ご正妃様」
「ええ」
あらを探す相手にはなるべく声を発しない。
後宮へ来て学んだことを生かし、最低限の声音で答えたゆすらは、青くなったままの玉藻の横をするりと抜け、あたかも最初からの目的がそうであったかのように梨壺へと向かった。
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