13 / 28
十三
しおりを挟む「やはり身体を動かすのは気持ちいいですね」
明るい陽射しを浴びながら、水干姿のゆすらが剣を下ろして笑う。
「そうだな」
そして彰鷹もまた、同じように剣を下ろし、その笑顔を眩しく見つめた。
「彰鷹さま、ありがとうございます」
「何がだ?」
剣を鞘に納めながら真顔になって言ったゆすらに、彰鷹は心底不思議そうな声で答える。
「後宮に来て、剣を扱わせてもらえるなんて思っていませんでしたから」
後宮に来れば、書物さえ読ませてはもらえないとさえ覚悟していたゆすらは、彰鷹が居る場合のみ麗景殿の庭に限り、という制限付きであったとしても、水干を着て剣を振るえることに心から感謝せずにはいられない。
「ああ、何だ。そのことか」
対する彰鷹は、大したことは無いと言って大仰に取り扱うことはない。
「彰鷹様を危険に晒すような事はしません、絶対」
それでもゆすらは、彰鷹の春宮という地位が未だ盤石でないことを知っている。
それこそ、彰鷹自らが望んで春宮妃としたゆすらの悪評が、その立場を揺らがせないほど。
「ああ、その辺りは気にしなくていい。ゆすらが妃となって初めて俺は春宮と認められたのだからな。だがまあしかし、水干姿で剣を振るう妃など前代未聞だからな。俺のいないところでそのような事をすれば、賊と間違えた、などと適当なことを言ってそなたを害する者もあるだろうから、その辺りには気をつけろ」
自分のことよりゆすらを優先する彰鷹の真剣な目に心打たれるも、ゆすらも引くことは無い。
「私は、そんな輩には負けませんからご心配なく。ああ、でも」
「でも?」
「力の限り抵抗しても、叶わない事もあるかと思うので。その時は助けに来てくれますか?」
「もちろんだ。必ず行くから、俺が行くまで持ちこたえろ」
「はい!」
目を煌めかせて言うゆすらを眩しく見つめた彰鷹は、その薄い肩をぽんぽんと叩いた。
「俺とだけの秘密の稽古、というのもなかなか乙だろう?」
そして、彰鷹がそう言って笑みを浮かべれば、ゆすらが複雑な表情になった。
「なんか。よく分からないけど、その笑顔反則な気がする」
「反則?それこそ良く分からないが。ゆすらにこれをやろう」
ゆすらに反則と言わしめた笑みを浮かべたまま、彰鷹は一振りの短刀を持ち出す。
「これは?」
「いついかなる時も、懐に入れておけ。そなたの守り刀となろう」
「ありがとうございます」
その気持ちが嬉しい、と手に取ったゆすらはその細工の見事さに目を瞠った。
漆塗りに金蒔絵をほどこした鞘、そしてそこにある紛うこと無き親王彰鷹の御印。
「え、あの、これは、その」
「妃と迎えて初めて贈り物が短刀というのもどうかと思ったが、ゆすらだからな。実際に使うことなど無い方がいいが、あって無駄にもならないだろうと判断したのだが・・やはり嫌だったか?」
少ししょげたように言われ、ゆすらはぶんぶんと首を横に振った。
「いいえ!嫌などあろうはずもありません!ただ、細工の見事さと彰鷹様の御印に驚いてしまって」
事実、短刀を持つ手が震えている、とゆすらに言われ彰鷹はその両手を己が両手で包み込む。
「ならば受け取ってほしい。俺の気持ちの形だと思って」
そう言われれば、受け取らないのも不敬とは思うものの、それでもと惑うゆすらのその懐に彰鷹は短刀を入れようとした。
「っ」
「っ・・すまないっ!」
そして、触れかけてしまったゆすらの胸のふくらみ。
「い、いえあの、その・・・大丈夫です・・彰鷹様なので」
「っ」
ふたり、そのまま動きを止め、暫しの間互いの呼吸だけを聞く。
「その・・すまなかった。わざとでは、無いんだ」
「・・・・はい・・・」
「短刀、貰ってくれるか?」
「・・・嬉しいです・・凄く」
恥ずかしさに赤くなりながらも、何とか言ったゆすらを彰鷹はその腕へと抱き込んだ。
「ゆすら。何があってもこれがそなたを守る。俺が辿り着くまで」
そしてそっと髪を梳かれながら言われた言葉を、ゆすらは胸の奥深くで聞いた。
「『俺が辿り着くまで』かあ。大切に思ってくれているのは本当、だと思えるんだけどな」
ひとりの居室で、ゆすらは脇息に凭れて大きなため息を吐いた。
彰鷹から贈られた短刀は、見るからに見事な一点物で鞘の細工の見事さは言うに及ばず、その刀身も名刀と言われるに相応しい造りをしている。
しかも彰鷹の御印入りのそれを贈るなど、相手を大切に思えばこそ、とゆすらにも分かる。
分かるのだけれども。
「大切、っていうのがどういう意味なのかが問題よねぇ」
春宮に下賜された短刀、というだけで世間での価値は計り知れないし、兄である日垣もゆすらが大切にされている証ととって喜んでくれるだろうとは思う。
しかしゆすらにとっては、その大切の意味するところに問題があるのでは、と思わずにいられない。
「だって、唯一の妃、とか言いながらその実は、ねえ」
後宮へ来て以来、彰鷹と共寝しない日は無い。
しかし、それは真実共に寝るだけで夫婦の営みは一切無く、本当の意味で妃となっていないゆすらには、それが悩みの種となっていた。
「大事に思ってくれていることに間違いはない。だけれど、真の妃としては扱ってくれない。これ如何に?」
問いかけるも、答えを持つ彰鷹は今ここにはいない。
「うーん。これはつまり。私では、その気になれないってことかな」
仕方なく自分で判じれば、予想よりずっと己の心が傷つき、ゆすらは豊満とはとても言えない自分の身体を恨めしく見つめたのだった。
0
お気に入りに追加
12
あなたにおすすめの小説

ようこそ安蜜屋へ
凜
歴史・時代
妻に先立たれた半次郎は、ひょんなことから勘助と出会う。勘助は捨て子で、半次郎の家で暮らすようになった。
勘助は目があまり見えず、それが原因で捨てられたらしい。一方半次郎も栄養失調から舌の調子が悪く、飲食を生業としているのに廃業の危機に陥っていた。勘助が半次郎の舌に、半次郎が勘助の目になることで二人で一人の共同生活が始まる。
ナポレオンの妊活・立会い出産・子育て
せりもも
歴史・時代
帝国の皇子に必要なのは、高貴なる青き血。40歳を過ぎた皇帝ナポレオンは、早急に子宮と結婚する必要があった。だがその前に、彼は、既婚者だった……。ローマ王(ナポレオン2世 ライヒシュタット公)の両親の結婚から、彼がウィーンへ幽閉されるまでを、史実に忠実に描きます。
カクヨムから、一部転載
皇帝は虐げられた身代わり妃の瞳に溺れる
えくれあ
恋愛
丞相の娘として生まれながら、蔡 重華は生まれ持った髪の色によりそれを認められず使用人のような扱いを受けて育った。
一方、母違いの妹である蔡 鈴麗は父親の愛情を一身に受け、何不自由なく育った。そんな鈴麗は、破格の待遇での皇帝への輿入れが決まる。
しかし、わがまま放題で育った鈴麗は輿入れ当日、後先を考えることなく逃げ出してしまった。困った父は、こんな時だけ重華を娘扱いし、鈴麗が見つかるまで身代わりを務めるように命じる。
皇帝である李 晧月は、後宮の妃嬪たちに全く興味を示さないことで有名だ。きっと重華にも興味は示さず、身代わりだと気づかれることなくやり過ごせると思っていたのだが……
黄昏の芙蓉
翔子
歴史・時代
本作のあらすじ:
平安の昔、六条町にある呉服問屋の女主として切り盛りしていた・有子は、四人の子供と共に、何不自由なく暮らしていた。
ある日、織物の生地を御所へ献上した折に、時の帝・冷徳天皇に誘拐されてしまい、愛しい子供たちと離れ離れになってしまった。幾度となく抗議をするも聞き届けられず、朝廷側から、店と子供たちを御所が保護する事を条件に出され、有子は泣く泣く後宮に入り帝の妻・更衣となる事を決意した。
御所では、信頼出来る御付きの女官・勾当内侍、帝の中宮・藤壺の宮と出会い、次第に、女性だらけの後宮生活に慣れて行った。ところがそのうち、中宮付きの乳母・藤小路から様々な嫌がらせを受けるなど、徐々に波乱な後宮生活を迎える事になって行く。
※ずいぶん前に書いた小説です。稚拙な文章で申し訳ございませんが、初心の頃を忘れないために修正を加えるつもりも無いことをご了承ください。
江戸の櫛
春想亭 桜木春緒
歴史・時代
奥村仁一郎は、殺された父の仇を討つこととなった。目指す仇は幼なじみの高野孝輔。孝輔の妻は、密かに想いを寄せていた静代だった。(舞台は架空の土地)短編。完結済。第8回歴史・時代小説大賞奨励賞。

葉桜よ、もう一度 【完結】
五月雨輝
歴史・時代
【第9回歴史・時代小説大賞特別賞受賞作】北の小藩の青年藩士、黒須新九郎は、女中のりよに密かに心を惹かれながら、真面目に職務をこなす日々を送っていた。だが、ある日突然、新九郎は藩の産物を横領して抜け売りしたとの無実の嫌疑をかけられ、切腹寸前にまで追い込まれてしまう。新九郎は自らの嫌疑を晴らすべく奔走するが、それは藩を大きく揺るがす巨大な陰謀と哀しい恋の始まりであった。
謀略と裏切り、友情と恋情が交錯し、武士の道と人の想いの狭間で新九郎は疾走する。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

【完結】風天の虎 ――車丹波、北の関ヶ原
糸冬
歴史・時代
車丹波守斯忠。「猛虎」の諱で知られる戦国武将である。
慶長五年(一六〇〇年)二月、徳川家康が上杉征伐に向けて策動する中、斯忠は反徳川派の急先鋒として、主君・佐竹義宣から追放の憂き目に遭う。
しかし一念発起した斯忠は、異母弟にして養子の車善七郎と共に数百の手勢を集めて会津に乗り込み、上杉家の筆頭家老・直江兼続が指揮する「組外衆」に加わり働くことになる。
目指すは徳川家康の首級ただ一つ。
しかし、その思いとは裏腹に、最初に与えられた役目は神指城の普請場での土運びであった……。
その名と生き様から、「国民的映画の主人公のモデル」とも噂される男が身を投じた、「もう一つの関ヶ原」の物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる