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七
しおりを挟む「ちょ、ちょっと待ってください。話を整理しましょう。あの、妃って」
何とか呼吸を整えゆすらが問えば、彰鷹は事も無げに頷いた。
「俺の正妃。俺が春宮にたてば春宮妃ということだな」
「春宮妃」
何だかとんでもない会話をしている、と今なお混乱する頭で、ゆすらは自分が持っている第一皇子彰鷹の情報を整理する。
えーと。
第一皇子であらせられる彰鷹様は、その母君も宮家の姫君で血筋はこれ以上なく高貴でいらっしゃるけれど、今の政治の中心貴族とはご縁が無いから春宮に立つには後見が弱い。
だから、左大臣である兄様が妹である私を入内させて後見になろうとしていたのよね。
辞退しちゃったけど。
そこまで思い、ゆすらは、さあっ、と青ざめた。
「一度は絶えた縁と思ったが、結べるのを嬉しく思う」
そんなゆすらを見、彰鷹は殊更楽しそうに笑う。
「で、ですが後見は我が家でなくとも」
「ああ。そなたを妃に迎えなくとも、左大臣は俺の後見となってくれるらしいからな。確かにそうだが、言っただろう。ここで会ったのが、そなたの運の尽きだと」
「運の尽き、って。そんな言い方」
もはや捕食される寸前の小動物の気持ちで、それでもゆすらはそう言った。
「ゆすら姫。俺の妃や愛妾になりたいと望む女人は、身分や立場でしか俺という人間を見ていない。だから、左大臣の妹姫を俺に縁づかせようと周りが動いた時も、そのようなものだと思っていた。しかし左大臣から、妹はそのような立場は望まないと本人から辞退の要望があったと聞いたとき、興味がわいたんだ。一体、どのような姫なのだろう、と」
わあ。
姫らしくない言動が、却って皇子様の興味を引いてしまうとは。
顔を引き攣らせるゆすらを楽し気に見つめる彰鷹の、心底楽しそうな表情を見るうち、ゆすらはあることに気が付いた。
「興味がわいた、ということは。もしかして今日って、仕組まれていたんですか?」
そう考えれば、彰鷹が時間よりかなり早く到着していたことも頷ける、と苦い顔になったゆすらの前で、彰鷹もまた何かに気づいた様子で焦り出す。
「そうだ。早く西の対の屋へ行かねば」
「西の対の屋へ?」
「ああ。そこで御簾越しにそなたと対面させてくれる約束になっているんだ」
「え?じゃあ、兄様は今頃」
「俺もそなたもいない西の対の屋で、呆然としているやもしれぬ」
「急ぎましょう!」
抜け出したことがばれれば、怒られるのは必至。
しかし未だ日垣が来ていない可能性だってある、と一縷の望みにかけ速足で歩くゆすらは、共に歩く彰鷹がこれまた深刻な顔になっていることに疑問を抱く。
「私は、抜け出したことがばれれば怒られるでしょうけれど、皇子様は大丈夫なのでは?」
足を止めないままにそう言ったゆすらに、彰鷹は首を横に振った。
「未だ、左大臣に到着したことも知らせていない」
「え?それって、いきなりここに来ちゃった、ってことですか!?乗って来られた牛車は?お付きの方は!?」
彰鷹ほどの身分ともなれば、まずは主が出迎えて、となるのが普通だろうとゆすらは絶句した。
「牛車で来れば、格式がどうのと迎えられるからな。他の招待客との時間もずれていることだし、馬で来た」
「うっ・・なっ・・それじゃあ、兄様は」
「俺の性格や過去の行動から、ある程度は予測しているだろうな。西の対の屋へ直接行っても構わないようなことも言っていたし」
「じゃあ、大丈夫なんじゃないですか」
なら怒られるのは自分だけ、と何故かほっとしたゆすらに、彰鷹は深刻な表情を崩さない。
「いいや。左大臣はそなたをとても大切にしているからな。御簾も何もなく勝手に対面しただけでなく、合奏をし、これだけの会話をふたりだけでしたうえ、更に一度は辞退されている妹姫を妃に望むという話をするのだぞ?青筋立てて怒るに決まっているだろう」
「でも、私を妃に望むのは兄様もご承知なのでは?そのための対面予定だったのですよね?」
私は欠片も知りませんでしたけど、と不機嫌にゆすらが言えば彰鷹が首を横に振った。
「いや。あくまでも、俺が会いたいと言ったがための対面だ。妃に望むと口にすることは愚か、身分さえ明かすなときつく言われている。しかし俺は会ってしまったからな。どうあってもそなたを妃にしたい」
熱のこもった声で言われ、ゆすらは面映ゆく感じながらも慎重に問わずにいられない。
「私、自分で言うのも何ですが相当の規格外ですよ?」
「ああ。それはもう、身をもって体験した」
「ですよねぇ。流石に今日のは、兄様も許してくれないかも」
宴があると分かっている日に、勝手に外を出歩いて彰鷹と出会って合奏までしてしまった。
きっとあれよね。
皇子様が面会を望んだ時も、御簾越しで、身分明かさないで、って私が望まない縁を結ばないように懸命に考えてくれたのよね。
相手、皇子様なのに。
そこまでしてゆすらを守ろうとしてくれた日垣にとって、今日のゆすらの行動は裏切り以外の何者でもない気がして、焦らずにはいられない。
「どうしよう。兄様に嫌われたら」
お前みたいな奴はもう勝手しろと見放されたら生きてはいけない、とゆすらは涙目になった。
「本当に兄君を慕っているんだな」
彰鷹の言葉にこくこくと頷いて、ゆすらは幼い頃から突飛なゆすらを優しく大きな心で見守り育ててくれた兄日垣を思う。
「私、兄様のお日様のような笑顔が大好きなんです」
素直な気持ちを口にすれば、彰鷹が朗らかな笑みを浮かべた。
「そうか。左大臣も似たようなことを言っていたな。『妹が幸せに笑っていると自分も幸せだ』と」
だから大丈夫だ、と彰鷹はゆすらの瞳を覗き込む。
「兄様が」
「ああ。そして出来るなら、これからはその幸せな笑みを俺が浮かべさせたい」
兄の心情を嬉しく受け止めたゆすらに彰鷹がそう言い切った時、その視界の先に西の対の屋が見え、ふたりは顔を見合わせて様子を窺った。
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