トルサニサ

夏笆(なつは)

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25、噴水

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「噴水の水が、きらきら光って凄くきれい」 

 何を戸惑う様子も無くアクティスの隣に座ったサヤが、瞳を輝かせて噴水に見入っている。 

「貴様の目の方が」 

「え?」 

 噴水を見つめるサヤの淡い翠の瞳こそ綺麗だと言いかけて、アクティスは慌てて口を噤む。 

「いや、何でもない」 

「でも、何か言いかけていたじゃない」 

「貴様といると、調子が狂うと言ったんだ」 

 これも誤りではないと、アクティスは不機嫌を装って横を向いた。 

「それって、押し倒しちゃったり、盗み聞きしちゃったりしたこと?それは、本当に悪かったと思うわ」 

「悪かったと言いながら、もう一曲とか強請ったのは誰だ」 

「私です。だって、本当に素晴らしかったから」 

 思い出してもうっとりする、と何処か遠い目をするサヤにアクティスはため息を吐く。 

「はあ。まあ、いい。それで、収穫祭。俺にクラヴィコードを弾かせて、貴様自身は何をするのだ?楽器は得手ではないのだろう?」 

「私は、パイを焼きます」 

「それは、当然なんじゃないか?」 

 堂々と言い切ったサヤに、アクティスは苦笑を禁じ得なかった。 

 何故なら、収穫祭にパイを焼くのはトルサニサの伝統であり、祭りの楽しみのひとつであるのだから、アクティスが人前でクラヴィコードを弾くのとは次元が違う。 

「そうだけど。アクティスのためのパイを焼く、と言っているの」 

「俺のための、パイ?」 

 収穫祭にはパイを焼く。 

 それは、それぞれが自信のあるパイを焼いて振る舞うという意味もあり、親しい友人や家族のためのパイを焼いて賑やかに食卓を共にするという意味もある、いずれにしても楽しい時間を連想させるものだった。 

しかし、アクティスにはそんな思い出が無い。 

「そうよ。アクティスは、何のパイが好き?」 

 その楽しさを思い出したからなのだろう、よりきらきらと輝く瞳でアクティスを見つめるサヤに、アクティスは過去の収穫祭を苦く思い出す。 

「随分と、楽しそうだな。パイひとつで。お気楽なことだ」 

「だって、美味しいじゃない、パイ!私は、甘いのもしょっぱいのも好きなの。デザートでも、食事でもなんてパイって有能だと思わない?」 

「いや、それパイに限ったことでもないだろう」 

 サヤに気圧されるよう、思わず仰け反る体勢になったアクティスに、サヤが益々間合いを詰めた。 

「そうだけど!・・・って、もしかしてアクティス、パイが嫌いなの?」 

「いや。パイが嫌いと言うことはない。だが、収穫祭を楽しいと思ったこともない」 

 遠まわしに、収穫祭に楽しい思い出などない、と告げたアクティスは、これでサヤが遠慮して引くのではないかと予測し、残念なような気持ちになり、そんな自分の心境が理解できないと、ひとり首を横に振る。 

「つまり、アクティスは収穫祭に苦手意識がある、ってことね。でもそれなら、楽しい思い出で上書きするというのはどう?」 

「どう、って」 

 まさかそう来るとは思わず、口籠るアクティスに、サヤは乗り気な様子で話を続けた。 

「まずは私が焼いたパイを試食してみて、収穫祭に備えるというのはどう?気分を少しずつ高めていくの」 

「俺が、気に入らないと言ったら?」 

「収穫祭までに、気に入ってもらえるよう頑張るわ」 

 同じパイでも、人によって味も見た目も色々だものね、と笑うサヤは既にしてアクティスが断ると思っていない。 

「は。勝手にしろ」 

「よかった!ということで、アクティスはどんなパイが好きなの?」 

「名前は知らない。貴様、こういうパイを知っているか?」 

 そう言うとアクティスは、口で説明するより早い、とサヤの額に自分の額を寄せ、その映像を見せた。 

「うわあ。なんか凄い。初めて見たけど、もう絶対忘れない」 

 そのパイの映像を見たサヤが、驚いたようにアクティスから離れ、信じられないものを見るかのような目でアクティスを見た。 

「別に、嫌がらせではない」 

 確かに、パイの皮の上から数匹の魚の頭が突出しているなどというパイは珍しい。 

 しかし嫌がらせではない、とアクティスはとても近くにあるサヤのつむじを見ながら断言した。 

「ああ、うん。嫌がらせとは思っていないから安心して。初めて見たからびっくりしちゃって。ごめんなさい。アクティスが好きなパイなのに」 

 しょんぼりとしてしまったサヤのつむじをつつきたい衝動を抑え、アクティスは殊更真顔で言った。 

「いや、かまわない。しかし、知らないのなら仕方ないな」 

 この話はこれで終わりだ、とそのまま立ち上がろうとしたアクティスは、サヤに袖を引かれて動きを止める。 

「レシピを教えてくれたら、作れると思う」 

「レシピなど、知らない」 

 食べたことはあっても作ったことのないアクティスが言えば、サヤがうーんと唸った。 

「それなら、この映像を他のひとに見せてもいい?知っているひと、きっといると思うから」 

 収穫祭のパイは地方色が豊かなので、自分は知らなくとも誰かはきっと知っている、と明るく笑うサヤに、アクティスがにやりと意地の悪い笑みを浮かべる。 

「それは、かまわないが。作れない時は、クラヴィコードを弾かない、ということでいいな?」 

「ありがとう!」 

「は?」 

 サヤが作れないことを前提として言ったはずの言葉に礼を言われ、アクティスは固まった。 

「だって、作れたら弾いてくれる、ってことでしょう?私、絶対に作るもの」 

「はあ。どこまでも前向きな奴」 

 自信に満ちた瞳で言われ、アクティスは自分の負けだと両手をあげる。 

「ということは、交渉は成立?」 

「いいだろう。収穫祭までに、俺が納得のいくパイを作れたら、弾いてやる」 

「約束ね」 

 約束、と親指と小指を立てた拳を差し出すサヤを、アクティスはぼんやりと見つめた。 

「アクティス?」 

「あ、ああ」 

 そして慌ててアクティスも慣れている風を装って指合わせをする。 

「ふふ。約束ね」 

 楽しみ、と楽しそうに笑うサヤの隣で、アクティスは初めて他人と約束を交わした、己の拳を見つめていた。 

 

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