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三、約束
しおりを挟む「でも、凄く寒そうですよね。風邪なんかひいてませんか?食欲は?ちゃんとあったかくして寝てます?」
紅葉乃さんとスノーモービルに一緒に乗る約束をした俺は、心も軽く、心配していたことを色々聞いてみる。
まあ、今聞いている紅葉乃さんの声の感じで、大丈夫って確信しているけど、念のため。
『おう。体調は凄くいいし、食欲もあるし、ちゃんとあったかくして寝てるよ』
「乾燥にも、気を付けてくださいね」
『それも、ちゃんとしてるから安心していい・・っていうか『心配だから』って、加湿器持たせてくれたの、鏡じゃん』
『まるで、おふくろみてえ』なんて言って、紅葉乃さんが笑っている。
そんな笑い声も可愛いけど『おふくろ』は、いただけない。
「そんなの。『紅葉乃さんの恋人』として、当然のことです」
『ほんと。よく出来た恋人だよな。鏡、いつもありがと』
『おふくろみてえ』と言われて、少しかちんときた俺が『紅葉乃さんの恋人』って部分を、強調して言ったのにも気づかない様子で、紅葉乃さんは、真っすぐ俺にそう言った。
ああ、こういうとこ、敵わないんだよな。
素直で、お人よしで。
ほんとに可愛い、俺の恋人。
・・・今すぐ、抱き締めたい。
抱き潰したい。
心に連動して体が熱くなって、込み上げる想いが、欲が、止まらない。
それでも、電話でそんなこと言うわけにもいかなくて、俺はただ息を深く吸った。
「なら、安心です。そういえば、お風呂も堪能しているみたいですね。ブログでも、紅葉乃さんが楽しそうなの、伝わってきました」
紅葉乃さんの公式サイトで見た、大きな風呂の記事。
流石に入浴している画像は無くて、俺は、それが安心でもあり、残念でもあった。
『おう!すっげ、広くて気持ちいい。今度、鏡も一緒に広い風呂行こうぜ・・・・・って。鏡と温泉行こうって言ってたのに、それ果たす前に、俺だけで来ちゃったな』
『ここのホテル、温泉あるんだよ』って、ちょっとしゅんとして言う紅葉乃さんも可愛い。
「じゃあ、罰として、俺との温泉旅行、予定より一日多くしてください。それで許してあげます」
『分かった!ほんと、ごめんな。鏡』
仕事なんだから当たり前、気にしないって思っているのに、素直じゃない俺が意地の悪い言い方をしても、紅葉乃さんは咎めないし、自分は悪くないって言わない。
『なあなあ、あとさ。旅行は旅行としてさ。一緒に、銭湯、行かね?都内でも、温泉になってる銭湯とかあるし。両手両足伸ばして湯船に浸かる、って、すっげ気持ちいいぞ』
『知ってっか?東京の温泉って黒いんだぜ』なんて、紅葉乃さんは、うきうきと教えてくれて、当たり前のように誘ってくれたけど、俺は素直に頷けない。
「都内の銭湯、って。それ、不特定多数のひとが居るじゃないですか」
紅葉乃さんが誘ってくれたことは、とても嬉しい。
だがしかしと、俺は現実を見つめた。
『あ。鏡って、そういうの駄目なひと?』
「いや、俺は平気です。つか、紅葉乃さんと銭湯なんて、すっげ楽しそうです・・ふたりで湯につかって、さっぱりしてビール飲んで、なんて凄くいいです」
『お、いいな!ついでに浴衣も着よう・・・って。あれ?でも、じゃあ何で?」
「紅葉乃さん・・・自分が有名人だって自覚、あります?」
紅葉乃さんは、テレビでもよく見る有名人だ。
それこそ、紅葉乃さんの名前や演じた役を知らなくても『この人、テレビで見たことある』というひとは、山ほど居る。
そんな紅葉乃さんが、都内の銭湯に普通に居たらどうなるかなんて、火を見るより明らかじゃないか。
『何だ、そんなこと心配してたのか』
「『何だ』でも、『そんなこと』でもないですよ。大騒ぎになったら、どうするんですか」
『ならない、って。野郎が野郎見て、騒ぐかよって話だろ。心配すんな。みんな、風呂入りに行っているだけなんだから。日常だよ、日常』
『その日常に、非日常が混ざり込んでいたらって話をしてんだよ!』って俺は思うけど、呑気な紅葉乃さんは、少しも心配していない。
「男風呂には男しかいないですが、他の場所には女性もいるんですよ?騒がれます、絶対」
『はは。案外、分からないものだって。それに分かったからって、取って食われるわけじゃなし。騒がれるかも分からないじゃないか。鏡は、心配症だな』
っかあああ!
呑気に笑いやがって。
いいか、騒ぐ女共なんて大した害にはなりゃしねえ!
本当に危ないのはな、男風呂に居る野郎共なんだよ。
俺みたいな奴がいたらどうする。
狙われたらどうすんだよ!
「はあ・・・分かりました。俺が、全力でガードします」
『はは。鏡の方がきれいなのに、変なの』
「紅葉乃さん!?」
「そいでさ、鏡。俺、明後日は東京で仕事なんだ。だから、一日泊まりで東京に帰るんだけど、鏡ん家に行ってもいい?』
「もちろんいいです!」
『鏡の方がきれい』とか言われて、昇天しかけた俺は、更なる喜びの言葉に速攻で頷いた。
『と言っても、仕事があるから、鏡の家に行くのは明後日の昼頃になっちゃうんだよな。そんでもって、明々後日の昼過ぎには出ないとだから、慌ただしくなっちゃうんだけど、それでもいい?』
「大丈夫です。まったく問題ありません。明後日の昼頃ですね。俺、その日は四時まで稽古なんで、合い鍵使って入っておいてください。簡単な食事も用意しておくんで、手ぶらで来ていいですよ」
『ありがと。甘えさせてもらうな』
「やった!やっと合い鍵、使ってくれるんですね」
ここに越して来てすぐ、俺は当然のように紅葉乃さんに合い鍵を渡したけど、紅葉乃さんは『鏡の最大のプライベートだから』って、これまで使ってくれたことが無かった。
それがようやく、と、俺は、柄にもなくじーんと感動してしまう。
『あと、ごめんだけどお願いがあって』
「何ですか?何か、食べたいものでもあります?』
食べ物だろうと品物だろうと、どんな物でも用意してやると、俺は意気込んだ。
紅葉乃さん。
『鏡ひとり』なんていうお願いでも、いいですよ!
『食べ物じゃないんだけど。実は、洗濯機を借りたくて。あと、乾燥室も使わせてほしい』
「洗濯機、ですか?」
『うん。ホテルでもクリーニング頼めるけど、下着をお願いするのは、ちょっと嫌でさ。それで・・・ごめんな、こんなお願い』
「いいですよ、もちろん。気にしないで使ってください。洗剤の類も、分かるように出しておきますね」
おずおず、って感じで言う紅葉乃さんも可愛い、もう、紅葉乃さんであれば、紅葉乃さんである、それだけで可愛いと、俺は悶えながらそう言った。
脳内では、あられもない姿の紅葉乃さんが、俺を妖艶にさそっている。
大丈夫だ。
普通の通話にしてあるから、俺の変態じみた動きは見られていない。
ああ。
これがなきゃ、ビデオ通話にするのに。
『ありがと!最初は、家に帰って洗濯しようと思ったんだけど、鏡にも会いたいからさ。かといって、コインランドリーは嫌だし』
「紅葉乃さん、苦手ですもんね」
『便利だとは思うんだけどさ、誰が何を洗ったか分からないのって、ちょっと。気にし過ぎって分かってるけど、今回は特に。下着だしさ』
『コインランドリーは、他人の家の洗濯機、って感じがして、どうも』なんて呟く紅葉乃さんに、俺はちょっと意地悪く囁く。
「じゃあ。俺は、他人じゃないと?」
『当たり前だろ、鏡だもん。もう、身内以上に家族だよ』
「・・・・・っ!」
くすっ、ってなんだ、くすっ、て!
なんだ、その照れたような笑い声。
今すぐ引き倒して、ベッドに組み伏してもいいよな!?
な!?
『鏡?何か、呼吸が苦しくなった?どっか、具合悪い?』
「いえ、平気です」
『ほんとに?』
ほんとに平気です。
ちょっと、興奮しただけなんで。
この後すぐ、処理するんで。
「あ、そうだ紅葉乃さん。洗濯してすぐ、乾燥室に入れるんじゃなくて、ベランダに干していいですよ。風に当ててから干す方が好きでしょ?見えないようになっているから、安心して」
『ほんとか!?重ね重ね、ありがとう鏡。大好き!』
ああ、いい。
俺の家のベランダで、洗濯物干す紅葉乃さん。
見たい。
でも、その時間、俺は稽古。
・・・・・いっそ、さぼるか?
『んじゃあ、鏡。そういうことでよろしく。あ、稽古さぼったりすんなよ?』
「もちろんです!そんなこと、しません。絶対」
まるで見透かされたかのような言葉にぎくりとする俺に、紅葉乃さんは、悪戯が成功した子供みたいに笑った。
『分かっているよ、冗談。じゃあ、明後日。楽しみにしている』
「はい。俺も、楽しみにしています」
明後日には、紅葉乃さんに会える。
最高の栄養分を貰った俺は、紅葉乃さんとの通話を終えても、さっきまでのぐだぐだ感など、何処へやら。
「さってと。さっさと風呂入って、さっさと寝て。明後日、予定が押さないように明日出来ることは、完璧に終わらせておかないと」
てきぱきと、心弾む思いで準備を進める自分に、俺は我ながら現金だなと苦笑した。
~・~・~・~・~・~・
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