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二、スノーモービル

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「紅葉乃さん!俺です!紅葉乃もみじのさんの鏡紫苑かがみしおんですよ!」 

『お、鏡。急にごめんな。今、平気?忙しいか?』 

 なかなか馬鹿っぽい電話の出方をした俺の耳に届くのは、久しぶりすぎて、最早懐かしくさえ感じる紅葉乃さんの、やわらかく優しい声。 

  

 ああ。 

 紅葉乃さんだ・・・・・。 

 

 それだけで、今日の疲労、嫌なこと全部、昇華された感じがして、俺はじんわりと染み込むその声に浸る。 

「大丈夫です。もう帰って来ているし、この後は、何も予定無いんで問題無いです」 

 

 まったく、全然、問題無いです! 

 何なら、一晩中話していたいくらいです! 

 

『そっか、なら良かった。なんか、特別な用事があるってわけじゃないんだけどさ、ずっと鏡に会えないから、寂しくなっちって』 

 力むように、この後は暇だ、何もやることが無いと言い募った俺は、電話の向こうで、へへ、と、照れたように笑う紅葉乃さんが可愛くて、スマホを耳に押し当てた。 

 こうすると、より紅葉乃さんの近くに居る感覚を味わえるし、何より俺の耳に囁いてくれるような錯覚を催せるのもいい。 

 

 ああ・・・。 

 紅葉乃さんの声。 

 紅葉乃さんが、俺を呼ぶ声、いいよな。 

 このまま『好きだよ、鏡』なんて言ってくれないかな。 

 今なら、それだけで抜ける。 

 うん。 

 何だったら、このままベッド行って・・いや、行かなくてもソファでも。 

 

『鏡?どうした?やっぱ、忙しい?電話、切ろうか?』  

「切らなくていいです!・・・ああ、いえ、すみません。全然、問題ないのは本当です。ただ、今ちょっと、感動してました。俺も、紅葉乃さんに会いたかったし、声が聞きたかったんで」 

 しばらく紅葉乃さんを抱けないなら、せめて紅葉乃さんの声で抜こうかな、なんて、ちょっと不埒なことを考えていた俺は、そんなこと微塵も感じさせない、爽やかな声で紅葉乃さんに答える。 

  

 お、これ。 

 紅葉乃さんの特別講演に行った成果なんじゃ? 

 

 紅葉乃さんに内緒で行った、紅葉乃さんが特別講師を務めた講演の内容を思い出しつつ、俺はひとり密かににやついた。 

『そっか。かけようかどうしようか、迷ったんだけど。何か、今夜は我慢できなくてさ』 

「いいですよ、我慢なんてしなくて」 

 俺は、速攻で、本心からそう言い切る。 

 今、映画のロケで地方に泊まり込んでいる紅葉乃さんに、俺から連絡するのは難しい。 

 というか、いつ連絡したら邪魔にならないのか分からないから、怖くて出来ない。 

 下手したら、やっと仮眠をとるところだった、なんて有り得るんだから。 

『実はさ。今日、雑談してて、鏡が出る舞台の話になったんだよ。だからかな。里心さとごころがついちまったみたい』 

「里心、って。俺は、紅葉乃さんの故郷なんですか?」 

 冗談めかして言いながら、俺は凄く嬉しくなった。 

 俺にとって紅葉乃さんは、大げさでなく俺のすべてってくらい大切な存在だけど、紅葉乃さんからみたら、どのくらいの位置に俺は居るのか、今は恋人だけど、この先もこのままでいられるのか、自信なんて全然ないから。 

『と、いうわけでさ。鏡、何かしゃべってよ。俺、鏡の声、聞いていたい』 

「俺の声、ですか?」 

『うん。俺、鏡の声すっごく好きだから』 

 

 え? 

 俺の声が好き、なんて、それこそ俺の大好きな声で言ってくれちゃって。 

 今、どんな顔してんだよ、紅葉乃さん。 

  

 俺こそは、紅葉乃さんの声を聞いていたかったけど、こんな風に嬉しそうに強請られると、俺は嫌とは言えない。 

  

 これが、惚れた弱みってやつか。 

 ・・・悪くないな。 

 

「紅葉乃さん。撮影、順調みたいですね。紅葉乃さんの公式サイトで、紅葉乃さんがスノーモービルに乗ってる画像を見ました。俺も、一緒に乗りたかったです」 

 雪原を走るスノーモービル。 

 それに、紅葉乃さんと一緒に乗ったら、さぞ楽しいだろうと思う。 

 だけど、その画像を思い返して、俺はちょっと不機嫌になった。  

 だって、あの画像。 

 まるで、デートシーン、みたいだった、から。 

『ああ、あれな。撮影の後、みんなで盛り上がっちってさ。そしたらスタッフが、撮影の合間のオフショットとか言って、掲載したいって』 

「じゃあ、今回の映画で、スノーモービルに乗っているシーンもあるんですか?」 

『あるよ!』 

「紅葉乃さんひとりで、乗っている設定ですか?」 

『違うよ。ふたり乗り』 

「その相手は、女優さん?」 

『そう、そう。今回の相手役のひと』 

 俺の質問に、紅葉乃さんは、公開していい情報は、隠すことなく答えてくれる。 

 それが嬉しくも、何だかもどかしい。 

 

 俺には、そのオフショット。 

 他の俳優と乗っているのも、デートシーンに見えましたよ。 

 はあ。 

 俺も、紅葉乃さんとふたりでスノーモービル乗りたい。  

 本気のデートで。 

 

 なんて。 

 まあ。 

 俺と紅葉乃さんが、デートでスノーモービルに乗る、なんて。 

 そんなのあり得ない、ってちゃんと分かっているけど。 

 何か悔しい、何か嫌だ。 

 

『鏡も一緒だったら、もっと楽しかっただろうな』 

 ちょっと拗ねて『俺の紅葉乃さんなのに』なんて思っていたら、紅葉乃さんが電話の向こうでそう言って、ため息を吐いた。 

「俺も、紅葉乃さんとスノーモービル乗りたいです!」 

『なんだよ鏡。そんなにスノーモービル好きなの?』 

  

 ちっげえよ! 

 好きなのは、あんただよ! 

 

「そうだって言ったら、付き合ってくれますか?」 

『もちろん!じゃあ、今度、休みの合う時に、一緒に行こう』 

「そんなこと言ったら、本気にしますよ、俺」 

 

 いいのかよ? 

 誰に見られるか分からないのに? 

 

『俺、本気で言っているけど?』 

「誰かに見られたら」 

『別にいいじゃん。仲いい友達同士で来たって言えば』 

「じゃあ、約束!絶対ですよ!」 

 紅葉乃さんは、俺とのことがばれないように、って気遣っているから、俺とふたりで外出するの嫌なのかもって感じてる。 

 だから、今回のこれは、俺が拗ねているのに気づいて、言ってくれているって可能性も無くは無いけど。 

 でも、紅葉乃さんがいいって言うなら、俺は、紅葉乃さんと一緒にスノーモービルに乗りたい。 

 一緒に風を感じたい。 

 

 いいよ、分かってる。 

 俺は理性より欲望が強い・・いや、欲望に忠実な男なんだ。 

 悪いか。 

 
~・~・~・~・~・
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