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30.襲撃
しおりを挟む「あれ?今日は何だか霧が薄い?」
シライから贈られる後朝の文が三十を超えるころ、佳音はいつものように祈りを終えてから窓辺の寝椅子へと向かい、その変化に気が付いた。
「俺が来てからずっと濃霧だったのに。季節、ってことなのかな。この調子でどんどん晴れて行ってくれれば、俺もシライお気に入りの庭が見られるかも」
間に合うといいな、とわくわくして硝子に手を突き、じっと外を見つめる。
「うーん。何か輪郭だけでも見えないかと思ったけど、まだそこまでは無理か」
大きな木があるのか、躑躅のような低木があるのか、はたまた花壇か、と目を凝らしてみたものの、何も確認できず佳音はがっくりと肩を落とした。
「無念。まあ、明日はもっと晴れるかもしれないし、今後に乞うご期待、ってとこか」
呟きつつも諦め切れない思いで、今日のうちにもう少し晴れたりしないか、と外を見続けていた佳音は、不意に焦ったような足音が聞こえて振り向き、蘭が駆け寄って来るのを不思議な思いで見つめる。
蘭が走っているところ、初めて見た。
日替わりで佳音に付いていてくれる蘭も杏も、シライに付き添っている蓮も、動きは素早いけれど決して走ることはなかった、と思う間に辿り着いた蘭が緊迫した顔を佳音に向けた。
「佳音様。大変厄介な方がこちらへ侵入しようとしているようです」
「厄介な、方?」
厄介と言いつつ方と言うのだから、何か立場が上のひとなのだろうと思ってから、佳音は苦笑する。
ひと、ってことは無いか。
ここは天空城だもんな。
「はい。警備の者も、迂闊には手が出せない存在で。ですが、佳音様のことは、必ずこの蘭がお守りいたします」
きりりと言い切る蘭を頼もしく見つめていると、外が騒がしくなった。
「いいからそこを退け!」
「お待ちください!」
「待てだと!?僕を誰だと思っているんだ!この下等眷属風情が!いいからあの悍ましい人間を出せ!」
言い合う声と共に、何かが破壊されるような音、もみ合うような音が聞こえて来る。
「蘭。誰が来たか知らないけど、俺に用があるなら行こうか?このままじゃ怪我人が」
人間というなら自分のことだろうと察した佳音が言うも、蘭はきっぱりと首を横に振った。
「大丈夫でございます、佳音様。警備の者は大変強うございます。ただ、無闇に手をあげるわけにはいかない相手なのが厄介で・・・っ」
蘭が言い終わるより早く、入口の引き戸が轟音と共に吹き上がる炎に焼け落ちた。
「え?炎を纏っている?」
引き戸を失った入口に立っているのは、身体の周りに炎を纏わせた誰か。
佳音がいる位置からは、距離があるせいで、体格は小柄な、くらいにしか分からないが、その身に纏う炎は良く見える。
「蘭!火事になっちゃう!シライに貰った色々な物が・・・!」
シライに貰ったたくさんの衣が仕舞われている箪笥、シライに貰ったたくさんの文が収められている文箱、佳音が退屈しないように、とシライが贈ってくれたたくさんの蔵書と書棚、それらが炎の危機に晒されている、と佳音は走り出そうとして蘭に止められた。
「あの方が纏っている炎で、この場が燃えることはありません。あの方が、意志を持って燃やす対象へ攻撃しない限り」
「そっか。ならよかった。シライに貰った大切な物、たくさんあるから」
「佳音様」
ほっとする佳音を優しい目で見つめ、蘭は炎を纏った相手へと向き直る。
「汚らわしい人間。お前如きが・・っ!」
ぶわっ。
一気に距離を詰めた相手が打ち付けた炎の塊が佳音目掛けて飛んで来るも、蘭の前で掻き消える。
「邪魔をするな。眷属の分際で、神に逆らう気か?」
「我が主の命に従うのみ」
怒気強く言う相手にも怯むことなく蘭が対峙し、その間にも繰り出される炎の塊を防ぐも、蘭から攻撃することは無い。
蘭、凄い!
凄いけど、このままじゃ・・・!
蘭は、侍女として有能なだけでなく防御に秀でた武闘派でもあった、と認識を新たにしつつも、相手の実力がそれ以上であることは腕に全く自信の無い佳音にも分かった。
「ほらほら、どうした。もう力切れか?この火の神に逆らうなど愚の骨頂と思い知れ!」
そして、限界が近いのだろう、よろけながらも必死に防ぐ蘭を嘲笑うと、これまでより確実に手を抜いた様子で次々と小さな炎の塊をぶつけて来る。
うわ。
見た目美少年なのに、えげつない。
まるで、追いつめた獲物を甚振り、喜ぶようなその表情に佳音は眉を顰め、そしてあることに気づく。
あれ?
なんかこの感じ、シライのざわざわと同じ?
「これでとどめだ!」
その時、火の神が大きく腕を振りかぶるのを見て、佳音は思わず蘭を抱き寄せた。
「佳音様!?」
「蘭。無理させてごめん。何もできなくてごめん」
「佳音様!」
力尽き、ふらつく蘭を抱き込もうとする佳音を、蘭こそが抱き込もうとする。
そんなふたりをにやりと笑い、火の神は腕を振り下ろした。
ごおおおんっ。
凄まじい音が鳴り響き、佳音は自分の身が消し炭となるのを覚悟する。
「シライ!たくさんありがとう!」
最期と思った時に溢れた思い。
佳音は、それを素直に言葉にした。
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