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16.足枷
しおりを挟む※ 時間を表すのは十二支 一刻は二時間 一刻の最初の一時間を上刻(じょうこく)、次の一時間を下刻(げこく)。
巳の刻:午前九時~午前十一時 申の刻:午後三時~午後五時 酉の刻:午後五時~午後七時
~・~・~・
「シライ。執務の始まりまで、未だ余裕あるのか?」
流しに角盥を置いて洗顔し、口も漱いでさっぱりとした佳音は、シライと共に朝食の席に着く。
「ああ。ゆっくり朝食を食べて、それから行けばいい」
「本当か?執務の開始時刻は?」
「巳の上刻だ。終わりは申の下刻から酉の上刻にかかるくらいだが、執務の内容次第で変わることもある」
「そっか」
「ああ。緊急でない限り、変更があれば佳音に伝える」
当たり前のように言われ頷いてから、佳音は苦笑した。
「そんなに気を遣ってくれなくても大丈夫だよ」
「寂しいことを言うな。ん?もしや、オレの帰りなど待たぬということか?」
「まさか。ちゃんといい子で待っているよ」
「佳音が待っていると思えば、執務も頑張れるというものだ」
お道化たように佳音が言えば、シライも楽しそうに笑った。
・・・のだが。
「ああ。執務になど行きたくない」
朝食を終え、身支度をする段になると途端にシライは憂鬱そうな顔になった。
「さっきまで笑顔だったのに、何その不満顔」
「思うのだが、佳音を迎えたその翌日に執務に行く必要などあるか?そんな後朝のような辛さを何故感じねばならぬ」
「後朝って・・・じゃあさ、後朝の文を頂戴。待っているから」
後朝、なんて生贄に使う言葉じゃないよね。
思いつつ、それでも何とか執務に行ってもらおうと駄々を捏ねる子どものようなシライに佳音が言えば、シライの顔がぱあっと明るくなる。
「そうか!後朝の文か!」
「そうと決まれば。さ、もう一度歯を磨いて口を漱ごうよ。あの楊枝、凄く使い勝手がよくて好きだな」
これまで歯を清潔に保つことに苦心していた佳音にとって、素晴らしい道具だと絶賛すればシライがにやりと笑った。
「佳音。ではあれを使ってオレが磨いてや」
「さあ!急ごうか!」
シライの申し出を笑顔で受け流し、佳音はさっさと流しへと向かう。
「今宵、覚えておけよ」
揚々と自分で歯を磨いた佳音にうっそりと呟き、シライが着替えのため畳の間へと立った。
「え」
シライの言葉に顔を引き攣らせた佳音は、執務用の衣を身に纏ったシライの厳格な雰囲気に息を飲んだ。
凄い。
圧倒的迫力。
部屋にいる時とも、昨日見た正装姿ともまた違う、重厚で威厳に満ちた衣。
そしてそれに負けないシライの凛とした表情を見、佳音は見惚れてしまう。
「凄い・・・格好いい」
「オレに見惚れる佳音も可愛い」
嬉しそうに言ったシライが、次の瞬間真顔になって佳音と向き合った。
「佳音」
「はい」
緊張感漂うシライに佳音も真面目に答えれば、シライが辛そうに蓮から何かの箱を受け取り開けながら、言い難そうに言葉を紡ぐ。
「オレがこの部屋にいない間、佳音にはこれを着けていてもらわねばならぬ」
そう言ってシライが見せたのは、分厚くきれいな布を巻いた丸い輪に、これまた帯締めのように美しい紐が繋がっているもの。
「もしかしてこれって足枷か、手枷?何か、凄くきれいだけど」
「足枷だ。出来るだけ痛みを感じないように作りはしたが、出来ればこのようなもの、佳音に着けたくはない」
真実そう思っているのだろう、シライが苦悶の表情になる。
「でも、着けないといけないんだよね?」
なら着けるよ、とあっさり言う佳音をシライは片手でそっと抱き寄せた。
「昨日言っただろう?この部屋から出ることは出来ない、と。この枷があれば、出ることは必然的に叶わない。故に、我慢してくれ」
「大丈夫だよ。痛くもなさそうだし、紐も短くないし」
「ああ。湯殿までも行ける。入りたければ入ってもいい」
言われ、佳音は首を傾げる。
確かにそこそこ長い紐ではあるが、湯殿までの距離はかなりある。
あそこまで届くのか?
それに入ってもいい、って。
湯殿の中だって、かなりの広さだったぞ?
この紐の長さでそんなにうろうろできるのか、と疑問に思いつつも、尚も渋るシライから枷を何とか受け取り、佳音はするりと自分で足に着けた。
「うん。痛くもないよ」
その場で軽く足を動かしてにこりと笑うも、シライの眉間の皺は取れない。
「で、シライ。鍵は?足枷はしたけど、鍵かけないと無意味じゃない?」
「佳音がこの枷を外して逃げ出すと?」
「そんなこと絶対にしないけど、城を勝手に歩いて諜報活動しちゃうかもしれないよ?」
「部屋の外に出るのは駄目だ」
揶揄うように言った佳音を、シライが真顔で制する。
「だったら鍵かけてよ。ここから出るつもりなんて無いけど、動き回るつもりはあるからうっかり外れたら嫌だ」
うっかりなのに有罪なんてお断わり、と笑う佳音に苦笑してシライはかちりと鍵をかけ、紐の先端を部屋の隅の杭に括り付けると、そこにも鍵を付けた。
「オレが戻れば、すぐに外す」
「うん」
こんな物、と言いたげに足枷を睨むシライに佳音は笑顔で答えるもシライの顔色は冴えない。
「本当にすまない」
「大丈夫だ、って」
ぽん、とシライの腕を叩いた佳音をふんわりと抱き寄せ、シライはその頬に唇を寄せる。
「では、行って来る」
「いってらっしゃい」
ひらひらと手を振る佳音に見送られ、蓮が開けた引き戸を抜けようとしたシライが、何を思ったのか佳音の傍へと戻って来た。
「なに?」
「忘れ物だ」
「忘れ物?」
「オレは佳音へ行って来ると頬に挨拶の口づけをしたのに、佳音から、頬への口づけをもらっていない」
「へ!?」
素っ頓狂な声を出した佳音に罪は無い。
何故なら、佳音はこれまでそのような挨拶を見た事も聞いたことも無かったのだから。
「ほら、早く」
けれど目の前の美丈夫は、悪びれることなくそれを要求して来る。
「いってらっしゃい、って言って手を振るだけじゃ、駄目?」
「駄目だ」
「でも俺、そんな風習知らなくて」
「そうか。だが、毎朝のことなのだから慣れろ」
譲る様子の無いシライに、執務の時間に遅れてもいけない、と佳音はえいっと背伸びした。
「いってらっしゃい、シライ」
そして、ちゅ、と頬に一瞬唇を付ければ、シライが満足そうに笑い、佳音は不覚にもまたその笑みに見惚れてしまう。
「ではな。なるべく早く戻る」
そんな佳音の頭を撫で、シライは今度こそ執務へと出かけて行った。
「はあ。朝から色々心臓に悪い美丈夫だ」
そう呟き蹲る佳音をその場に置いて。
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