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93.可愛らしいお客さま、なのです。
しおりを挟む「お嬢様。こちらはもう大丈夫ですので、どうぞお部屋でお休みください」
マーガレットの言葉に頷いて、私は宝飾の類を仕舞わせてもらった造り付けの棚の引き出しを閉めると、クローゼットを後にした。
『ローズマリー。今回は、こちらの部屋を使ってね』
『パトリックの部屋とは、離れているから安心して』
そう言って、笑顔のロータスお義母さまとカメリアさまがご案内くださったのは、広々と明るい居間と寝室、ゆったりと広く機能的なクローゼット、それに浴室まで揃っている立派なお部屋だった。
今回、私が泊めていただくのは幾室もの立派な客室がある棟で、公爵家の方々の居住区からは少し距離がある。
とはいえそれは、未だ婚姻前ということへのご配慮で、泊まるのは客室だけれど、どの棟へもどの塔へもどのお庭へも、とにかく制限無しで、どこでも行っていい、と公爵夫妻から許可をいただいた。
そのこと自体はありがたく嬉しかったけれど、私はこの広く部屋数も段違いに多いお城のなかを、ひとりで歩ける自信が無い。
迂闊に出歩けば、確実に迷子ですわ。
ウェスト公爵の領都のお城は想像以上に立派なもので、初めてその威容を目にしたとき、お母さまから聞いていたにも関わらず、私はぽかんと見上げてしまいそうになったほど。
周りを多くのひとに囲まれていなければ、そうしてしまったに違いないと断言できる広大さと荘厳さを兼ね備えた、私が考え付く限り完璧なお城だった。
そして同時に思い出すのは、領都で受けた歓迎。
領都を馬車でパレードの如くゆっくりと走り、領民の皆さんの歓迎を受けるのはポーレット領も同じだったけれど、ウェスト公爵領は歓迎の熱が違った。
多くのひとが公爵家の旗を振り、目を輝かせて公爵家を称えるその熱量に驚き、ウェスト公爵家は領民の皆さんからの支持がとても高いのですね、と感動込めて言った私に、パトリックさまも皆さまも苦笑され、今年は特別だとおっしゃっていたけれど、私も早くウェスト公爵家の人間だと認めてもらえるよう努力しよう、と改めて誓う出来事だった。
そしてそれは領都のお城に着いた時も同じで、お城詰めの全員ではないかと思うほどの使用人の皆さんが領民の皆さんと同じように瞳を輝かせて出迎えていて、私のことも公爵家の皆さんと同じように接してくれたのが嬉しかった。
ほんとに、安心しました。
迎え入れてもらえた安心感で、極度の緊張をすることなく使用人の方々への挨拶も出来、肩の力も抜けた私は今、自室として使うことを許された部屋で夕食までの時間を過ごしている。
「マーガレットも馴染めそうで、良かった」
ゆったりとしたソファに座り、ほっと息を吐いて、私は無意識にクローゼットの方を見た。
私がクローゼットを出た後もひとり片づけを続けてくれているマーガレットは、私がウェスト公爵家に嫁いで来る際、一緒に付いて来てくれることになっている唯一の侍女だということで、今回も同行を許していただけた。
『あ、あの』
でも、気を抜かずに頑張らないと、ですね。
魔獣が出る領地という特殊性もさることながら、神聖なる門を持つ領地への愛はひと際だろう、と私が心から領民の皆さんと馴染めるようにしようと誓っていると、小さな声が聞こえた気がして私はそちらの方を見る。
けれどそちらは窓で、五階にあるこの部屋に窓からひとが来るとは思えない。
もしかして、テオとクリアが何か、と思ったけれど、テオもクリアも用意されていたクッションが気に入ったのか、仲良く埋もれるようにして遊んでいる。
「気のせいかしら」
呟いた私の視界の先を、何かが過った。
『こ、こんにちは』
そう声を掛けて窓際のテーブルに置かれた花瓶の蔭から出てきたのは、私の手の中指ほどの大きさのとても小さなひと。
「まあ!」
その存在に一瞬驚いてしまった私だけれど、その声が脳内に直接届いていることに気づき、テオやクリアのお仲間なのだろうかと想像した。
「こんにちは、はじめまして」
それに悪い雰囲気も感じないし、と思った私が声をかけつつ近づくと、慌てたようにもうひとり飛び出して来て、私から庇うように最初に声をかけてくれた小さなひとの前に立った。
近づいてみると、ふたりとも薄羽を背に持っていてとても愛らしいけれど、何処か薄汚れた、疲れた様相をしている。
『お、おれの名はウエハース。お前、名前は?』
「わたくしの名は、ローズマリーですわ。こちらには、ご招待いただいて来ております」
怯えるようにしながらも、もうひとりの小さなひとを護ろうとするウエハースさんに、私は胸があたたかくなるのを感じた。
『わ、わたしはアップルパイ。あの、わたしたち、このようなみずぼらしい姿だけれど、ここの精霊なのです』
そう言うと、アップルパイさんは哀しそうに自分の姿を見下ろす。
そしてウエハースさんは、そんなアップルパイさんを、悔しさの滲むような瞳で見つめていた。
「あの、もしかしてお困りごとですか?」
傷みの酷い薄羽や、その疲れた様子からそう判断して聞けば、ふたりはこくりと息を呑み、やがて覚悟を決めたように口を開く。
『わ、わたしたち、おなかが、その、すいていて』
『随分長い間、何も食べていないのだ。上手く説明できないが、何かに拘束され動けない状態で、半分死んだようなものだったのだが、先頃突然自由に動けるようになった、のは良かったのだが、おれたちは、何でも食べられるという訳ではない』
『その。わたしたちと交流が出来て、わたしたちがその力を取り込めるひとがくれる物でないと食べられないの、です。動けるようになってからも、そういうひとを探せなくて。でも、今日、感じた、から。その、ここ、あなた・・が』
そう言って私をじっと見るふたりを、私も見つめ返した。
「もしかしてそれは、わたくしの渡した物なら食べられる、ということでしょうか?」
何とも不思議な話だけれど、ふたりが嘘を吐いているようにも見えなくてそう確認すれば、ふたりが大きく頷いた。
『そうだ』
「分かりましたわ。それは、何でも大丈夫なのですか?」
『あ、あなたがくれるもの、なら』
こくりと喉を鳴らすアップルパイさんとウエハースさんに、私は持って来ていたクッキーを取り出す。
「どうぞ。このようなものしか、手元にないのですが」
お腹が空いているというふたりには、サンドウィッチでも出してあげたいところだけれどそんな用意は当然ない。
せめて自由に何枚でも、と思い箱ごとふたりの前に置き、私も近くの椅子に腰かけたのだけれど、ウエハースさんもアップルパイさんも、困ったように見つめるばかりで手を出そうとはしない。
どうしたのかしら?
クッキーは嫌い、とか?
あ!
そうね、お茶が無かったわ。
クッキーだけを食べれば喉が詰まってしまうから戸惑っているのだろうと気づき、私は慌てて立ち上がった。
「お茶もご用意しましょうね」
『ち、ちがう、のです。そうじゃなくて、あの』
気づかなくて申し訳ない、と思う私の袖をアップルパイさんが引き、ふるふると首を横に振っている。
『これ、お前が作った物じゃないな』
ウエハースさんに言われ、私は素直に頷いた。
「はい。うちの料理人が、今朝持たせてくれたものです」
『悪いが、お前がおれたちに食べさせてくれ』
『お手数ですが、お願いしたいの、です』
どういう理由か判らないけれど、テオとクリアも同じようなことを言っていたな、と思い出しつつ、私はクッキーを一枚取り、ふたりへと差し出した。
『アップルパイから、やってくれ』
『え?ウエハースから』
クッキーを凝視しながらも、男らしく言うウエハースさんに従い、私は遠慮しそうなアップルパイさんの口元にクッキーを持っていく。
『あ!言っておくが、これを食べさせたからといって、おれたちに願いを叶えてもらおう、なんて見返りは要求するなよ?』
「見返りなんて、要求しません。ご安心ください」
きっぱり言い切れば、ウエハースさんもアップルパイさんも安心したように私の手からクッキーを食べてくれた。
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