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76.ブロッコリーの君、は。
しおりを挟む「まあ。マーガレット。パトリックさまがこれからもう一度、今度はおひとりだけでいらっしゃるのですって」
『ローズマリー!今日は会えてほんっとうに嬉しかった!また会えるのを楽しみにしているよ!すぐに、本当にすぐに会おうね!』
名残惜しそうに私を抱き締めて離さないお父さま越しに、このような体勢で失礼します、申し訳ありません、と謝りながらも何とか皆さまとお別れの挨拶をし、転移なされるのを見送ってしばらく。
私の元へ、連絡蝶が飛んで来た。
紅に美しく複雑な茶色の模様があるそれは、ひと目でパトリックさまのものと知れる。
パトリックさまが私に連絡をくださるだけでも嬉しいのに、そこにあったのは『今日、これからもう一度、俺だけで訪ねてもいいか』という問い合わせで。
私は、もちろんすぐに承諾の連絡蝶を飛ばして、マーガレットにその旨を伝えた。
「柘榴色に、はしばみ色の精緻な模様。あの美しい連絡蝶を見るたびに、ウェスト様のお嬢様へのお気持ちの強さを感じます」
マーガレットは嬉しそうにパトリックさまの連絡蝶を見つめ私に微笑んで、今度はふたり用のお茶の支度をしてくれる。
パトリックさまの連絡蝶の色である、紅に茶、というのが私の色を表しているのだと言うマーガレットは意識過剰だと思うけれど、それも私を想ってのことだと思うと嬉しい。
「ねえ、マーガレット。今度は、コーヒーをお淹れしましょうか」
初めてパトリックさまにホットビスケットをふるまった時、コーヒーもおいしそうに召し上がっていたことを思い出し私がそう提案すると、マーガレットはすぐに賛成してそちらも用意してくれた。
「素晴らしいお気遣いだと思います」
「先ほどは紅茶だったから。それと、わたくしが淹れてもかまわない?」
「お嬢様が手ずからお淹れになれば、更にお喜びになられましょう。おふたりだけですし、よろしいかと思います」
にこにこと言われて私がワゴンでコーヒーを淹れる準備をしていると、廊下側の扉付近が再び淡く光り、パトリックさまがいらっしゃった。
実はこの淡い光、転移に絶対に伴うものではないのだそうで、普段は転移先が光ったりしないらしいのだけれど、私の部屋へ来るときは、いきなり人が立っていても驚くだろう、というパトリックさまの配慮で、到着より一瞬早く到着地点を淡く光らせて、来訪を告げてくださっている、ということを先ほどお兄さまから伺った。
ならばすぐにお礼を、と思う私にお兄さまは悪戯っぽく笑って『いいんだよ、そういうことは心のなかで感謝しておけば。何か機会があったときに、いつもありがとう、と告げてごらん。ローズマリーに知られていた、と知ってきっと驚くから』とおっしゃっていた。
『だからそれまでは黙っていた方がいいんだよ。色々面白くもあるし』とおっしゃるお兄さまの言葉の意味はよく分からないけれど、パトリックさまが私に内緒にしていたいのなら黙っていた方がいいのかな、とか、確かにその度にお礼を言っても重くなってしまうかな、と思い、その機会が来るまでは心のなかでお礼を言うことにした。
パトリックさま。
お心遣い、ありがとうございます。
気持ちだけはいつも、感謝を忘れずに。
「ローズマリー。何度もごめんね」
そうして私が扉の方へと歩き出すと同時、パトリックさまも私へと歩いて来てふたり正面で向き合う形で挨拶を交わす。
「大丈夫です。パトリックさまこそ、お疲れではありませんか?」
幾度も転移をして疲れているのでは、と私はパトリックさまの顔、特に目元を見てしまうけれど、特に疲労の色は無い。
「まったく問題無いよ。あの人数だし、それぞれの家が特別遠いということもないし」
さらりと言われたパトリックさまの言葉に、私は目を見開いた。
「あの。もしかしてそれは、おひとりずつご自宅までお送りした、ということですか?もしかしてお迎えも?」
「うん、そうだよ。まとめて王宮、とかでもよかったんだけど、一応あの人達も今日は休暇だからね。来るときはウィルトシャー級長を一番に迎えに行って、それからポーレット侯爵の邸、ウィルトシャー侯爵の邸、最後がうち、で、帰りは息子であるウィルトシャー級長の部屋を見たい、という侯爵の要望で、最初にウィルトシャー級長の部屋へ行って、そこからまた順に」
何でもないことのように言うパトリックさまだけれど、それが出来るのはパトリックさまだからだと思う。
それに、皆さまが今日は休暇である、ということにもさり気なく配慮している。
「お疲れさまでした。私とテオ、クリアのことで皆さまにご足労いただいたのに、パトリックさまにご配慮までしていただいてしまって。感謝しております」
心から言って、私は丹念にコーヒーを落とす。
「そんな他人行儀に言われると、”加算”って言いたくなるな。俺は、ローズマリーのことなら、自分のことと同じかそれ以上だと思っているから。ん?それとも、言われたい?”加算”」
可笑しみを込めた瞳で言いながら、パトリックさまが私の頬を、ちょん、とつつく。
「い、言われたくないです!あ、でも、最近は”加算”がたくさんあった方が、後の私は嬉しかったりするのかも、と思ったりもします、が!まだちょっと早いので!でも今日のことは本当に感謝しています。皆さまの休暇のことまでお気遣いいただいてありがとうございました」
「え?『後の私は嬉しかったりするのかも』って。それってつまり、そういうこと?え?本当に?都合のいい幻聴だったりしない?」
勢い込んで言った私に驚いたのか、パトリックさまが何かを呟いているけれど、私はそれを聞き直す勇気もパトリックさまを見る勇気もなく、ひたすらにコーヒーを落とすことに専念する。
「いい香りだ」
やがて落ち着いたらしいパトリックさまが大きく息を吸い、リラックスした様子で私の手元を覗き込んで来た。
「お茶は、先ほどもお出ししましたので」
「ローズマリーが淹れてくれるコーヒー、しかも淹れたて。楽しみだ」
「上手に淹れられているといいのですが」
本当にわくわくした様子がパトリックさまから伝わって、私は自信無くそう言ってしまう。
紅茶は、子どもの頃からかなり練習したのでそれなりに自信があるけれど、コーヒーとなるとまた勝手が違う。
「こんなにいい香りなのだから、おいしいに決まっているよ」
こんなにいい香りなのだから。
パトリックさまの、こういうところをすごく好きだと思う。
ローズマリーが淹れたから、と言われるのも嬉しいけれど、今日のような場合は、コーヒーの香りがいいからきっと、という具体的な言葉をくれるのがもっと嬉しい。
パトリックさまの言葉には、心がある。
コーヒーを淹れながら、私はしみじみとそう感じていた。
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