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49.側面のお話<風魔法授受>パトリック視点
しおりを挟む『それで。その日、そのまま、湖で釣り、しない?』
ローズマリーにそう提案したとき、俺は柄にもなく緊張していた。
”釣り”。
その俺の趣味を、ローズマリーはどう捉えるだろうか。
ローズマリーのことだから、余り貴族的でないこの趣味も悪く言ったりはしないだろう。
それでも、一緒に行く、となると話は別だろうと思う。
少しでも嫌悪するようなら、すぐに撤回して。
そう思う俺の前で、ローズマリーは何だか凄く嬉しそうな表情になり、それから何故か口元を引き締めて、自分はできないけれどそれでよければ、と言ってくれた。
ローズマリーと一緒に釣りに行ける。
思うと俺は嬉しくて、更なる願いを口にした。
『軽食ですか?それなら、サンドイッチか何か用意しましょうか?』
すると、その願いも当然のように叶えてくれると言い、敷物も用意しようと言って、本当に楽しみだと笑ってくれた。
可愛い。
いつも思うことだけれど、ローズマリーは可愛い。
容姿ももちろん、くるくる変わる色んな表情が本当に可愛い。
この笑顔が曇ることなど無いように。
この笑顔は俺が守る。
俺は、改めてそう誓った。
約束当日。
俺がローズマリーを迎えに行くと、コットン生地のワンピースに身を包んだローズマリーが既に待っていた。
白地に青いラインの入った、飾り気の無いコットン生地のワンピースはいつもと雰囲気が違うけれど、とても似合っていて可愛い。
それに、その襟元に付いている、俺のタイピンと対のブローチ。
それが俺を更なる幸せな気持ちへと導いた。
「可愛いよ、ローズマリー。よく似合っている」
こんなにシンプルなワンピース、しかもコットン生地の物など着慣れないからだろう。
しきりに気にしている様子のローズマリーに言えば、更に恥ずかしそうに顔を伏せてしまった。
そしてそこから場所を移し、今日の第一の目的である、風魔法の授受を行う。
魔法核の話をしたとき、ローズマリーは不思議そうな顔をしていたけれど、それも無理はない。
今回ローズマリーに施す術は、俺が古書を漁って漸く見つけ出したもの。
子どもの頃から、周りのひとが使う風魔法、特に連絡蝶を羨ましそうに見つめていたローズマリーを笑顔にしたくて、俺はその方法を探した。
そして、とうとう見つけたのだ。
俺の風魔法をローズマリーに譲渡する方法を。
それは、俺の魔力や精度はもちろん、ローズマリーの魔力と精度も必要のうえ、俺たちの相性も絡んでくる、とてつもなく難しく厄介なものだったが、実際にローズマリーを見つめていて、俺はこの方法が可能だと確信した。
俺もローズマリーも、実力的には元より何も問題は無い。
そして。
ローズマリーが、俺の魔力に見惚れている。
そして俺も、ローズマリーの魔力に魅せられている。
そう実感したときの喜びを、どう表現したらいいのだろう。
俺は、ローズマリーが好きだ。
それは何があっても変わらない。
だが、魔力の相性というものは、好悪の感情とは別だと書いてあったし、俺も実際にそう感じることがあったから、かなり不安でもあった。
けれど、そんな心配は杞憂に終わった。
俺は、どうしようもなくローズマリーの魔力に魅入ってしまったし、ローズマリーも俺の魔力を見惚れるほどに好ましく感じてくれた。
それが顕著になった<虹色のトマト争奪戦>では、ローズマリーが俺ではない男を護っていたのがとてもとても不満だったが、俺ではない男をキングとして立て、護る最強のクイーンが俺の魔法に見惚れる、というのは優越を覚えるものだった。
「それでは、これより風魔法の授受を行いたいと思います」
「よろしくお願いします」
冗談で言った俺の言葉に、ローズマリーが真剣に答える。
「ああ。今のは冗談だから、そんなに緊張しなくていいよ、ローズマリー」
強張る顔を見て、緊張を解くつもりが余計に緊張させてしまったのだと悟り、俺は失敗した、と反省する。
「パトリックさま?」
「ローズマリー。身体の力を抜いて、俺を信じて、俺だけを感じて」
魔法の授受。
それにはまず、相手と呼吸を合わせることが大切。
けれどそれは心配するまでもなく、ローズマリーはすぐに俺の呼吸に合わせてくれた。
ローズマリー。
それは、ローズマリーの俺への信頼の表れのようで、俺の心が喜び踊る。
「うん、そう。上手だよ」
次に俺は自分の両手を重ね、ローズマリーの魔法核へと近づけた。
「力、抜いて。大丈夫。怖いことも、君が嫌がることもしない」
その場所が場所だからだろう、ローズマリーの身体が緊張で強張る。
常ならば、俺も不埒な気持ちを持ったかもしれない。
だが流石に、今、そんな余裕は無い。
ただ一心に、ローズマリーの魔法核を感じる。
「はい。パトリックさま」
俺を見あげるローズマリーの瞳に俺への信頼が見え、身体の緊張が解けていく。
それが、とても嬉しい。
「そう、上手だよ。そのまま、俺の魔力を感じて」
そっと伝え、俺は、俺のなかの風魔法の要素をローズマリーの魔法核へと流していく。
拒絶は、無いな。
瞳を閉じ、俺の魔力を受け入れるローズマリー。
俺の魔力という、ローズマリーにとっては異分子を素直に受け取り、更に自分のなかへ躊躇いなく融合させていくのを感じて、俺は気持ちが高揚するのを抑えられない。
「ローズマリー」
やがて、俺の風の魔力が、ローズマリーのなかで完全に定着する。
完璧だ。
「ローズマリーは、本当に最高だね。俺の力を、迷うことなく受け入れてくれた。完璧だよ」
高揚する気持ちのまま、それでも何とか柔らかくローズマリーを抱き寄せれば、ローズマリーが嬉しそうに瞳を輝かせて俺を見あげてくる。
「とても、温かくて優しい力でした。まるで、穏やかな風と戯れる若葉のような」
俺の風の魔力をそんな風に評してくれるのも嬉しくて、俺は頬が緩みっぱなしになってしまう。
「ありがとう。俺の魔力を、そんな風に感じてくれて」
「お礼を言うのは私の方です。これほどに素敵な魔力を授けてくださって、ありがとうございます。あ、今のは師匠ともいうべきパトリックさまへの感謝の言葉なので『くださって』でいいと思います」
俺が、すぐに『加算』と言いがちだからだろうローズマリーの言い様が可愛くて、俺は心のままローズマリーの頬をつつき、抱き寄せた身体を揺らした。
温かくて、優しくて、穏やかな、ローズマリーと過ごす至福の時間。
「あの。連絡蝶も、飛ばせるようになりましたか?」
おずおずと、けれど期待に満ちた目で問いかけるローズマリー。
「そうだね。まだ難しいかもしれないけれど、やってみようか」
連絡蝶は、言ってみれば己の思念を風魔法で具現化するもの。
つまりは、己の思念と風魔法の融合体だ。
ローズマリーの実力があれば、やがては出現させ、飛ばせるようになるのは確実だが、今すぐにというのはどうだろう、と思いつつ、俺は、俺の連絡蝶を出現させた。
俺の連絡蝶は、濁りのない紅を基調とし、そこに茶の模様を散らしてある。
言うまでもなく、ローズマリーの髪色と瞳の色をイメージした、美しい蝶。
その蝶を見れば、何か感じる所があるかと思ったローズマリーだが、まさか自分をイメージしているとは思わないのか、ただ、きれいだと言ってくれる。
そして、俺の真似をして集中していたローズマリーも、美しい若葉色の蝶を出現させた。
俺は、その能力の高さに酔い痴れる。
「連絡蝶は、魔力に応じて自分で模様や色を変えられるよ。流石に、今は未だ難しいと思うけど、ローズマリーなら絶対出来るようになる」
俺のように、とは内心だけで付け加える俺の前で、ローズマリーが嬉しそうに自分の連絡蝶を見つめている。
「私の連絡蝶は、ずっとこの色にします。だって、パトリックさまが私に授けてくださった、パトリックさまの風魔法の色だから」
ローズマリーは、どんな色の連絡蝶にするのだろう。
そう思っていた俺の耳に飛び込んで来た言葉と、俺を見つめる笑顔の破壊力。
ローズマリーは、俺の限界を試している。
思わずにいられない状況で懸命に理性を動員し、動悸を収める俺を気遣うローズマリーも可愛い。
今、しかない。
「ローズマリー」
俺は思い切って、今日用意して来た金細工の指輪を取り出した。
嫌がられたら、絶望する。
そんな不安を隠して、ローズマリーに向き直る。
「これを、ローズマリーに。風魔法が使えるようになった記念と、それから、俺とローズマリーの、初めてのふたりだけでの外出を記念して」
見た目、普通の金細工の指輪。
宝石も魔鉱石も、魔石も付いていないシンプルなものだけれど、透かし模様だけは凝っている。
実はこの透かし模様、すべて魔術式となっていて、ローズマリーが何か危険にさらされたとき、俺に伝わるようになっている。
他にも、何ていうかまあ、色々。
もちろん、ローズマリーにはそんな事は伝えないのだが。
「いい?」
そっと手を取りローズマリーに尋ねれば、迷わず頷いてくれる。
それがとても嬉しくて、俺はローズマリーの、俺よりずっと小さな手を愛しく見つめ、その指に指輪を大切に嵌めた。
「できるなら、ずっと着けていて欲しい」
「はい、パトリックさま」
ローズマリーの安全確保のためにも、と気持ちを籠めて言えば、ローズマリーはこれも素直に了承してくれた。
「お風呂のときや寝るときは、外していいからね」
素直なローズマリーが可愛くて、少し砕けた調子でからかうように言うと、ローズマリーは真剣な顔で『わかりました』と言った。
ん?
今のはからかい返し?
それとも、風呂も寝るときも、本当にずっと着けていようと思ってくれていた?
思う俺の心知らず。
ローズマリーは、幸せそうに俺の隣を歩いている。
特に、先の言葉に対しての表情も、追加の言葉も無い。
どっちだ?
俺はまたも、木乃伊取りが木乃伊状態になったらしい、と視線を動かせば、そこには陽の光に煌めく木々があった。
ここに来るのは初めてではない。
ローズマリーに風魔法を授受するにあたって、俺は相応しい場所を探し、ここに辿り着いた。
故に空気の清涼さは抜群なのだが、それにしても、以前見たときよりも景色がきらきらして見える。
どうしてだろう、と探るまでもなく、原因は明確。
ローズマリーが居るから。
「ローズマリーと居ると、景色がいつもよりきれいに見える」
思わず口から出てしまった言葉。
はっとして口を噤んでももう遅い。
今の言葉は音となり、しっかりローズマリーに届いてしまった。
「私も、パトリックさまと居ると足元まで輝いて見える、と思っていました」
気障が過ぎる、気色悪い、と思われたら立ち直れない、と思う俺に、ローズマリーは恥ずかしそうにそう言った。
ふたりとも、同じ気持ち。
それがとても嬉しくて、でもとても恥ずかしくて、俺たちは照れ合いながら手を握り合ってしまった。
「ローズマリー」
「パトリックさま」
見つめ合い、少しずつ近づく距離。
ローズマリー。
可愛い。
俺の。
大切なひと。
その瞬間、俺の世界はローズマリーがすべてだった。
ローズマリーだけを見つめ、ローズマリーだけを感じる。
俺にとって、至福の世界。
「パトリック!ここにいたのね!もうすっごく探したんだから!」
激烈桃色迷惑女。
その世界を崩壊させた罪、その身でしかと償ってもらおうか。
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