悪役令嬢の腰巾着で婚約者に捨てられ断罪される役柄だと聞いたのですが、覚悟していた状況と随分違います。

夏笆(なつは)

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34.側面のお話<焼却炉事件>パトリック視点1

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「パトリック。そろそろ、ローズマリー嬢が図書委員の仕事を終える時刻じゃないか?」 

 俺の前で、同じように書類を裁いているアーサーの言葉に頷いて、俺は書類から顔をあげた。 

「ああ。あと少しで閉館の時間だ。それまでに、これを片付けてしまう」 

 時計を見れば、図書館が締まるまであと少し。 

 今日は、時間が読めなかったせいでローズマリーと約束を出来なかったけれど、この調子なら図書館までローズマリーを迎えに行けると思い、突然俺が迎えに行ったらローズマリーは驚いて、それからはにかんで喜んでくれるだろう、とその笑顔を想像した俺は、幸せな気持ちで書類に目を通し、仕上げていく。 

 アーサーが任されている仕事は、まだそれほど量も無いし、重要性や機密性も低い。 

 それでも手を抜くつもりなど毛頭ないのだが、職務態度を試すためなのか成長度合いを試すためなのか、時折とんでもない書類が混ざっていたりして油断できない。 

 アーサーの補佐である俺は、当然それを見抜く目も持たなくてはならない。 

 学生であるという甘えは許されないのだ。 

「今日は、宰相からの”意地悪”は無かったな」 

 仕上がった書類の束を見て、アーサーが笑いを含んだ目を向けて来た。 

「あったとしても、問題ない。的確に対処するだけだ」 

 宰相からのとんでもない書類、もとい課題を、アーサーは俺への”意地悪”と言って揶揄う。 

 その実、宰相のこともとても信用しているアーサーは、俺と宰相の遣り取りを心から楽しんでいる様子で、つまり俺は、ふたりから試されているのではないかとさえ思う。 

「流石の冷静さだよな。ポーレット侯爵も頼れる婿殿で頼もしいだろう」 

「アーサー。ひとで遊ぶな」 

 わざわざ宰相を、ポーレット侯爵、と呼び変えたアーサーに苦く答えて、俺は書類の最終確認を終えた。 

 宰相、ポーレット侯爵はローズマリーのお父上。 

 俺とローズマリーの婚約には賛成、というか婚約を決めた本人のひとりの筈なのだが、俺に対しては容赦がない。 

 侯爵にとって俺は、やがて娘を奪う許し難い男、ということらしい。 

 だが、それはひとえにローズマリー可愛さゆえ、なので俺としては特に問題だと思っていない。 

 まあ、ポーレット家が一丸となって、ローズマリーのデビューの盛装一式を贈る、という俺の長年の夢を潰してくれた時には悔しかったが。 

 それでも、それさえもローズマリーがポーレット家で愛されている証拠と思えて、嬉しくもあった。 

 それに、ローズマリーはこの先、俺からのドレスを受け取ってくれると言った。 

 今は、その時が楽しみで仕方が無い。 

 楽しみといえば、もうひとつ。 

 生まれたときからの許嫁ではあるけれど、俺は、俺が選んで、俺の稼ぎで買った指輪を贈りたくて、まだローズマリーに婚約指輪を贈っていない。 

『もうそろそろよね?貴方が婚約指輪を贈ったら、私もウェスト家代々の指輪を譲れるわ。やっとね』 

 そう言って楽しみにしている母上はとても嬉しそうで、ローズマリーが嫁いで来るのが待ち遠しくて堪らない様子を隠しもしない。 

  

 ローズマリーが嫁いで来たら。 

 そうしたら。 

『いってらっしゃい』 

『いってきます』 

 からの。 

『ただいま』 

『おかえりなさい』 

 なんて挨拶もしあえるのか。 

 そうか。 

 それは、いいな。 

 凄くいい。 

 

 そのときのローズマリーの笑顔を想像するだけで顔が緩みそうになる。 

「ん?連絡蝶?」 

 そんなことを幸せに考えながら片付けをしていると、連絡蝶が飛んで来て、俺とアーサー、それぞれの前に止まった。 

「誰からだ?」 

 憶えの無い蝶の種類に首を傾げつつ文言を確認した俺は、勢いよく立ち上がった。 

「アーサー!」 

「ああ。パトリック、急ぐぞ!」 

 書類を急いで仕舞い、俺はアーサーと護衛を先に廊下へ出してから、アーサーの執務室として与えられている部屋をしっかりと施錠した。 

 集合をかけられた教室までなど、転移魔法を使えば一瞬だが、校舎内では転移魔法の使用は禁止されている。 

 機密を守らなければならない場所や、生徒がみだりに立ち入れない場所には結界があるし、個人のプライベートを侵害してしまわないよう、そういう場所にもきちんと結界があるのだから、校舎内で転移魔法使用禁止、とは、つまりはちゃんとしっかり足を使え、という事だと俺は思っている。 

 後は、使えるけれど精度の低い者が使うと転移先に人がいたりして危険だから、か。 

 どちらにせよ、俺は別に校舎内を歩くくらい訳ないので気にしていなかったのだが、今日に限っては破ってやろうかと思った。 

  

 まあ、連絡蝶が来たくらいだし、教室だし、さほど危険ではないだろう。 

 

 もしこれが、ローズマリーの命の危険が迫っている状態だったら俺は迷いなく転移魔法を使っただろうと思いつつ、アーサーを促して歩き出した。 

 飛んで来た連絡蝶はクラスメイトのもので、緊急連絡蝶として風魔法が使える人間で繋ぎ合ってクラス全員に連絡を入れた、らしい。 

 俺は最後なので、次に繋ぐ必要はない、という説明があったので、そういうことだろうと思う。 

 余程の魔力量が無い限り、クラス全員に、しかも一斉に連絡蝶を飛ばすなんてことは出来ないゆえの対策だったのだろうが。 

 

 緊急時によく考えたな。 

 誰だ? 

  

 思い、俺はウィルトシャー級長の、頭脳明晰を描いたような顔を苦く思い出した。 

「なあ、パトリック。あの激烈桃色迷惑女絡みでリリーとローズマリー嬢が危機とは、一体どういうことだと思う?」 

 急ぎ歩きながら、アーサーが苛立ちを隠せない声で、連絡蝶の伝言内容を音にする。 

「また何か、騒ぎを起こしたんだろう。それより、俺はローズマリーを迎えに行ってもいいか?」 

 まだ図書館にいるだろうローズマリー。 

 彼女の所にも連絡蝶が行っている筈で、きっと凄く不安がっていると思えば、一刻も早く迎えに行き、大丈夫だと抱き締めたいと思う。 

「ああ、もちろん構わない。僕は真っ直ぐ教室へ行く。今日リリーは教室で待っていてくれているんだ。だから、もう嵐のなかにいるのだと思う」 

 アーサーもリリー嬢が心配なのだろう。 

 不安を隠せない顔でそう言った。 

「なら、教室で」 

 答え、それぞれの婚約者の元へ急ぐ俺たちは、分かれ道への角を曲がったところで数人の令嬢に立ちはだかられた。 

「まあ、これは。アーサー殿下、パトリック様。ちょうどいい所でお会いしました。わたくしたち、これからお茶会をするのです。よろしければご一緒しませんか?」 

 そして、気味の悪い笑顔で想像通りの言葉を言われて、俺はうんざりと内心でため息を吐く。 

 何度断っても懲りない相手は、話す時間も無駄だと思う。 

「申し訳ないが、急いでいるので失礼する」 

 それでも、最低限の礼節をもって答えたのに、令嬢達は一向に引かない。 

 「まあ、それはアーサー殿下もですの?」 

 片手を頬に当て、首を傾げる。 

 おっとりしているように見せる、その動作が煩わしい。 

「ああ。すまないが、そこを通してくれないか」 

 アーサーも苛立っているだろうに、流石の冷静さを保っている、ように見える。 

 というか、見せている。 

 なかなかの演技巧者だ。 

 そう言えば恐らく『それはお前だ』と返されるのだろうが。 

 しかし残念ながら、今、俺もアーサーも内心ではかなり苛立っている。 

 もし、俺たちが内心のまま表情に出し、音にしたならこの令嬢達は凍り付くだろう。 

「わたくしたちに、何かお手伝いできることがありましたら」 

「では、聖獣召喚、を、お願いできますか?」 

 尚も言い募る令嬢達が煩わしくて、俺は社交用の笑顔を張り付けたままそう言った。 

「聖獣召喚、ですか?あの、すみません、わたくし達には」 

 聖獣召喚という、伝説級の魔術を口にすれば、令嬢達が顔を見合わせて黙る。 

「冗談です。お気持ちだけ頂いておきます」 

 俺が表面の、演技以外の何物でもない笑顔で言えば、令嬢達が歓喜の笑みを浮かべた。 

 くだらないとは思うが、貴族として無駄に反感を買う訳にもいかないと、俺は笑みを崩すことなく令嬢達を突破する方向を伺う。 

「アーサー殿下。パトリック様は、有能な方だとお聞きします。やはり将来は、パトリック様を側近として重用されるのですか?」 

 その令嬢達から一歩前に出た令嬢が、真っ直ぐにアーサーを見つめる。 

「未来のことは、誰にも判らないでしょう」 

 アーサーが言えば、令嬢は理解している、と言う風に頷いた。 

「そうですわね。未来のことは誰にも判らない。いいお言葉ですわ」 

 未来のことは誰にも判らない、つまり王妃が誰になるのか判らない、と言いたいのだろう令嬢は、にこりと微笑んでアーサーを見つめている。 

「お茶会なのでは?我々はもう行きますので、ご懸念なく」 

 アーサーが不機嫌になったのが見て取れた俺は、言外にさっさと退け、と言いつつも笑顔は保って一歩前に出た。 

 俺のその動きに令嬢達が動揺し、僅かにばらける。 

「それでは、失礼します」 

 その隙に、俺はアーサーと共に再び歩き出す。 

「随分、時間を取られた。これではもう、ローズマリーの迎えには間に合わないな」 

 最速で歩きつつ苛々と呟く俺に、アーサーが気づかわし気な視線を寄こす。 

「もっと単純に冷たく切り捨てるかと思ったが、パトリックにしては緩い対応だったな。もしかして、相手が相手だったからか?」 

「ああ。中心になっていたのは、リンジー伯爵家の令嬢だったからな。案の定な言葉も言っていたし。お前も苦労するな、アーサー」 

 リンジー家は、伯爵家ながら歴史ある一族で財力もある。 

 殊に、今のリンジー伯爵は権力を握ることに貪欲で、娘をアーサーの妃にしようと色々企みを展開していたことは貴族内では有名なこと。 

「ああ。助かった。パトリック、恩に着る」 

 そして、婚約者はサウス公爵家のリリー嬢、と決まった今でもアーサーの妃の座を諦めていないらしいリンジー伯爵は、娘にも積極的にアーサーを落とすように言っているらしく、アーサーの悩みの種となっている。 

「気にするな。これも側近の役目だろう」 

 言いつつ、俺は歩く速度を更に速めた。 

 

 

 

 
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