悪役令嬢の腰巾着で婚約者に捨てられ断罪される役柄だと聞いたのですが、覚悟していた状況と随分違います。

夏笆(なつは)

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12.婚約者は、とても凄いひとでした。

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 そうしてまた、私とパトリックさまはゆったりと歩く。  

 森の脇を通り、花園を突っ切るように通っている道は、風がとても気持ちいい。 

 私の手を引き、半歩前を歩くパトリックさま。 

 その背を、私は頼もしく見上げた。 

 

 パトリックさまって、本当に大きい。 

 

 私も、女性としては小さい方ではないけれど、パトリックさまと並ぶと肩くらいまでの身長しかない。 

 手が大きいのはもちろん、肩幅もパトリックさまの方が断然広く、当然のように腕の力も強い。 

 

 私なんて、簡単に持ち上がるはずよね。 

 

 改めて体格の違いを感じれば、パトリックさまの部屋で簡単に膝に乗せられてしまったのも致し方のないことだと思う。 

  

 あら? 

 そう考えてみれば、歩く速さも当然全然違うはず、では? 

  

 私より背の高いパトリックさま。 

 そして、その腰は羨ましいほどとても高い位置にある。 

 つまり、パトリックさまはとても足が長い。 

 特に膝から下のすらりとした造形美はとても見事。 

 ということは、歩く速さも私とは大分違う筈なのに、今、パトリックさまに手を引かれて歩く私に苦痛は微塵も無い。 

 

 合わせて、くださっているんだわ。 

 今も。 

 今までも、ずっと。 

 

 もう何度も一緒に歩いたのに、今漸く気づくほど、パトリックさまは最初から自然と私に合わせてくださっていた。 

「パトリックさま。歩調、合わせてくださってありがとうございます」 

 ほんわり胸が温かくなった私が、パトリックさまを見上げてふわふわ素直にそう言えば。 

「そんなの当たり前だから、気にしなくていい。でもって、加算で権利4」 

 パトリックさまが、にやりと笑ってそう言った。 

「え?加算?」 

  

 もしかして、その加算とは例のあれですかパトリックさま。 

 それはきちんと気にすべき、ということですか。 

 というか、そんなにちゃんと数えているんですか? 

 もう数日経ちますけれど、あれからずっと覚えていると? 

 

「うん、ちゃんと覚えているよ。でも忘れたら大変だから、いいもの作っておいたんだ」 

 内心で疑問に思った私に答えるよう、そう言って立ち止まったパトリックさまは、私の手を離して、揚々とポケットからきらきらした何かを取り出す。 

「よし、大丈夫だな」 

 そして、それを見て何かを確認すると、満足そうな笑みを浮かべた。 

「綺麗。宝石か何かですか?」 

 それは空色の透明な球体で、細かに施されたカットがきらきらと陽の光に輝いて美しい。 

 そして、中に何か模様のようなものが見えるけれど、この位置からでは見ることは叶わない。 

「これは、魔鉱石の一種だよ」 

「魔鉱石?魔石のことですか?」 

 魔道具の核には魔石が使われていて、そこに自分の魔力を注ぐことで作動する、という一般常識しか持ち合わせのない私は、魔鉱石という聞き慣れない言葉に戸惑った。 

「魔石は魔獣が体内に持っているもので、魔鉱石というのは採掘される石のことだよ」 

「採掘される?あの、魔鉱石の鉱山でもあるのですか?」 

 採掘、と聞いて私は魔鉱石の山でもあるのかと思ったのだけれど。 

「残念ながら、そんな大規模に発見されるものではないんだ。見つかれば大金が手に入るから、狙って探している冒険者も少なからずいるみたいだけれど、そう簡単にはいかないみたいだね」 

 パトリックさまの説明を聞いて、なるほど、それで私は知らなかったのかと納得したけれど。 

 

 え? 

 ちょっと待って。 

 なかなか見つからない、ということは希少ということ。 

 ということはつまり。 

 

「それって、物凄く高価だ、ということですね!」 

 私は、気づいた事実に絶叫し、思わず手を後ろに隠してそれから距離を取った。 

「まあ、そうだけれど。そんなことよりほら見て、ここ。数字が入っているだろう?」 

 そんな高価な物に触れて、もし壊したりしたら大変だと、出来るだけ近づかないようにしようとしたのに、パトリックさまはあろうことか私へとそれを差し出してくる。 

「あ、あのパトリックさま。見えますので、パトリックさまが持っていてくださいますか?」 

 

 しっかりと持っていてください。 

 しっかりとお願いします。 

 もし壊してしまっても、弁償できそうにありません。 

 

 私は、そう恐々こわごわ見つめるのに。 

「いいけれど。今のも加算、ということで5になったよ」 

 いい笑顔で言うパトリックさまが差し出してくれるそれを見れば、空色のなかに翠色の美しくデザイン化された数字が浮かんでいた。 

  

 美しい。 

 確かに美しい、のだけれど。 

 

「・・・5」 

 それを見た私は、思わず苦い顔になってしまう。 

「そう、今5になった。ほんのさっきまで4だったんだけど、ちゃんと動いたね。動作確認も出来て何より。ここ数日は加算の機会が無くて残念だったんだけれど、今日はたくさん増えそうで嬉しいよ。あ、この後ももちろん、加算する度に数字は自動で変化していくから安心して」 

 何が安心なのかちっとも判らないけれど、そう言ってパトリックさまはとても嬉しそうに笑った。 

 その笑顔はまるで悪戯が成功したこどものように邪気が無くて、私まで嬉しくなってしまう。 

「あの。もしかして、これは魔道具ですか?物凄く綺麗ですけれど」 

 ただ固定の数字や文字を刻むだけなら普通の装飾品でも有り得るけれど、魔鉱石を使っているうえ加算する度に数字が変わって行くということは魔道具なのだろう。 

 魔道具と言えば実用品で、こんなに美しい物は見たことが無いけれど、と私は初めて見るそれを興味深く眺める。 

「そ、魔道具だよ」 

「このように美しい魔道具は初めて見ました。これは本来、何を数えるための物なのですか?」 

 パトリックさまは何だかおかしな事を数えているけれど、こんなに希少な石を使っている魔道具なのだ。 

 きっと、何かとても大切なことに使われているに違いない。 

 と思いはしても想像がつかず、本当は何を数える物なのか知りたくて、何気なくそう聞いた私は。 

「うん。これは『ローズマリーにキスしてもらえる権利記録』だから、ローズマリーにキスしてもらえる権利を数えるための魔道具だよ」 

 はっきりきっぱりパトリックさまに答えられて、首を傾げた。 

「いえ、今の使い道ではなくて。その、他に何か数えたりするのでは?」 

 私は、この魔道具本来の使い道を聞いたつもりだったのだけれど、パトリックさまには通じなかったのかと、もう一度問い直す。 

「ローズマリーは、何か他に数えたい物があるのかい?欲しいなら作ろうか。これと外見は違うけど魔鉱石もまだ手持ちがあるし、数えたい物によって魔術式を変えれば応用もきくから大丈夫だよ」 

 すると、笑顔のパトリックさまから、よく意味の判らない答えをもらった。 

「私は、数えたいものがあるわけではないのですが。あの。もしそうだとして、何故、魔鉱石も新たに必要になるのですか?この魔道具自体を買うのではなく?それに、魔術式を変えれば、って。失礼ながら、パトリックさまは魔術式の変更ができるのですか?できたとして、違法になったりしませんか?」 

 ある用途のために作られた魔道具を、別の用途で使う。 

 それは、よくあることで違法になどならない。 

 けれど、そこに組み込まれた魔術式を変更して使ってしまうのは大丈夫なのだろうかと、私は心配になった。 

 

 まあ尤も。 

 その前に、魔術式を変更できるとか、滅多にない物凄い才能だけれど。 

 

「これは俺が最初から作った魔道具だから、大丈夫だよ。変更も、もちろん自分で出来るし」 

 もし出来るならパトリックさまは凄いな、などと思っていた私に、パトリックさまは更なる爆弾を投下した。 

 それはもう、あっさりと。 

「最初から作った?それはつまり、パトリックさまがこの魔道具を創り出した、ということですか?」 

 魔道具というものは、使うことは出来ても発明など出来ない。 

 それが大多数、一般の考えで。 

 それを発明できるなど、それはもうどっぷりと一般人、凡人一直線である私には未知の領域過ぎて、あんぐりと口を開けてしまいそうになる。 

 

 わあ。 

 こんなところに魔道具発明家が。 

 

 そんな、俗っぽい発想さえ浮かんでしまう。 

「うん、そう。これは俺が創った魔道具。あ、ちゃんと俺専用に術式組んだから安心して。俺がローズマリーと会話していて、そのうえで加算、って俺が念を飛ばさないと数字は動かないから」 

  

 ああそれなら、法外に増やされたりはしないから安心ですね。 

 

 ではなく! 

「それってもしかして、魔法省に届け出とかするのですか?」 

 新しく魔道具を発明したら、それを魔法省に届けなければならないという規則は知っている。 

 新しい魔道具の発明者には、相応の権利と義務が発生する。 

 その権利を守るためと、勝手に魔術式を変えられて悪事に利用されたりしたとき即座に対応するため、何かその魔道具で問題が発生したときの対処を考えて、ということで、そのあたりの法律はかなり厳しい。 

 なので、最初に私が心配したのはそれだった。 

 けれど、多くのひとが魔術式の変更なんてできないのだから、その辺りについて普段は余り考えないのが私たち一般人。 

 というか、そういう法律あったよね、くらいにしか認識していない私のような存在も珍しくない、筈。 

「魔法省には、もう届け出済み。審査も通って、利用許可もおりているから持ち歩いても問題ない。それにね。魔道具創るのは楽しいけど、いつも届け出は面倒だな、って思っていて。それが今回に限っては楽しかったんだ。届け出には、利用目的とか魔道具の名称とかも必要になるんだけど、それらすべてに幸せが詰まってるからね。愛着が違う」 

 それでも何故か。 

 大切そうに手のなかの魔道具を見つめるパトリックさまが、その届け出にとても慣れているような感じを受けるのは、私の気のせいなのだろうか。 

「それにしても。そんなものを数えるために希少な魔鉱石を使ったのですか?新しく魔術式まで組んで」 

 そう。 

 忘れてはいけない。 

 新しい魔道具を創るのは、本当に素晴らしいことだと思う。 

 けれど、今回パトリックさまが創ったのは余りに残念な代物。 

「そんなもの、じゃないよ。きちんと正確に把握しておくべき、それでいて他人には秘匿しておくべき大切な事柄だ。そのためには、周りの影響を受けて数字が変動したりしないようにしないといけないし、ぱっと見にはただの球と数字のように見えなくてはいけない。それに、いつも持ち歩ける大きさでないといけないし、誰かが魔術式を改ざんしようとしても防御できないといけない。もちろん、これ自体が盗まれないようにするための防犯も必要だしね」 

 胡乱な目になってしまった私に、パトリックさまはこの新しい魔道具の重要性を説いている、らしい。 

 確かに、防犯とか防御とかの魔術式は大切だと思う。 

 大切なものを秘匿しておくとか、改ざんされないようにするというのも重要だろう。 

 けれど、今回の魔道具の目的が目的なのだ。 

 私にしてみれば、そんなものを数えるためにそんなにもたくさんの貴重な魔術式を組み込んだのか、という更なる残念な思いしかない。 

 それにしても。 

 聞いただけでも、かなりの数の魔術式を使っているらしい、この魔道具。 

 それらを一体どうやって組み込むのか、今回でいえばどのくらい他のひとが発明した魔術式を使って完成したのか、そこはとても気にかかる。 

「あの。色々な魔術式が使われているらしいことは判ったのですが。今回のこれで言えば、パトリックさまが新しく発明された、例のものの数を数えるための魔術式を中心に、防御なども足していくのですか?足す分の魔術式には権利に応じて支払いが必要になるのですか?」 

 そんなもの、を数える魔術式を編み出してしまったパトリックさま。 

 そして、それを守ったり、より潤滑に使えるようにするために組み込んだのだろう幾つもの魔術式。 

 魔術式には、魔道具と同じように作成者に権利が発生する。 

 ということは当然、買うというか借りるという形になったのだろうと思い、聞いてみれば。 

「うん。『ローズマリーにキスしてもらえる権利記憶』の術式を中心にして、色々な術式を組み入れた、というのは当たっているよ。その際、既存の術式を組み込めば権利に対する支払いが発生する、というのもローズマリーの言う通り。ただ俺は、既存といっても自分が開発した術式を使っただけだから、支払いは発生していないけどね」 

 私にも判るように、パトリックさまが教えてくれた。 

 それは優しく笑顔で教えてくれた、けれど。 

「『俺が開発した』ということは、先ほど聞いた魔術式は全てパトリックさまが発明されたということですか?」 

 更なる新事実に、私はもうパニックになりそうだった。 

「うん、そうだよ」 

「す、すごいです」 

 なんというかもう、それしか言葉がない。 

 しかもそれを自慢するでもなく、こんなにあっさり当たり前のことのように言うとか、私には絶対真似できそうにない。 

 今回新しく創ったという、例のものを数える魔術式はともかく、防御とか防犯の魔術式なんて、色々な魔道具に活躍しそうだと思い、私は遠い目になった。 

 私の婚約者は、世の中に役立つ凄い魔術式を編み出す凄いひと。 

 

 相応しくなれるように、私も頑張らないと。 

 

 思いつつも、何だか本当に遠い世界のことみたい、と残念な内容はともかく、見た目は美しい宝石にしか見えないそれを見つめていた私は、新たな恐ろしい事実に気づいて、ぎぎ、と音がするようなぎこちなさで顔をあげた。 

 

 も、もしかしてもしかしなくても、この空色球体は希少な魔鉱石を使っているだけでなく、複雑な魔術式も多数組み込まれているということで。 

 しかも、その魔術式はすべてパトリックさまが編み出したもの。 

 

 私は、パトリックさまの手にある空色球体をもしも購入するとしたらいったい幾らになるのか考え、更にそれを嬉しそうに持つパトリックさまの才能価値を考えて卒倒しそうになった。 

「パトリックさま。才能は、大事に使いましょう?希少な魔鉱石も」 

 今回のこれは、稀有な才能と希少な魔鉱石の、余りに残念な使い方だと、私はパトリックさまの目を見て切実に訴える。 

「しているから問題ない。今回のは、すべてにおいて本当に最高傑作だと思う」 

 それなのにパトリックさまは、本心から嬉しそうにそう言って笑った。 

「そんな訳ないじゃないですか!こんな勿体ないことに才能使わないでください!」 

 

 叫んだ私は知らなかった。 

 というより、考えれば判るはずのことを考えなかった。 

 むしろ、思いもつかなかった、と言う方が正しい。 

 

 新たな魔法具を創り、それを魔法省に届け出て利用許可がおりるまで数日なんて有り得ない。 

 それは、常連のパトリックさまをもってしても。 

 つまり。 

 今回、パトリックさまが発明した魔道具。 

 パトリックさま命名の『ローズマリーにキスしてもらえる権利記録』は。 

 私と約束を交わす・・というか、私に宣言する前には既に完成し、魔法省へと届け出られていた事実。 

 

 パトリックさま。 

 それは、さぎ、です。 

 

 しかして、私がパトリックさまの才能の無駄遣い、と断言した例のものを数える魔道具及び魔術式は。 

 後に、パトリックさまが数え方を魔道具が覚える、など改良した結果、様々な物を正確に不正無く数えるのに最適、という評価を国家レベルで受け。 

 本当に色々な分野で、便利に感謝されて使われていくことになるのだということ。 

 そして、その魔術式の変換をもパトリックさまが行っていく未来が待っているのだということを、このときの私は知る由もなかった。 

 

 

 
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