悪役令嬢の腰巾着で婚約者に捨てられ断罪される役柄だと聞いたのですが、覚悟していた状況と随分違います。

夏笆(なつは)

文字の大きさ
上 下
4 / 136

4.婚約者と、憧れのベーカリーに来ました。

しおりを挟む
 



「わあ。色々なパンがたくさん!」 

 学園の校舎内にあるベーカリーで、私は思わず感嘆の声をあげた。 

 街に行けば、ベーカリーをはじめ、たくさんの商店があることは知識として知ってはいる。 

 けれどそれは言葉通り知っているだけで、私は実際に街の商店で買い物をしたことが無い。 

 どころか、私は街に行ったことがない。 

 何か必要な物があれば商人が邸に商品を持って来て、その中から選ぶ。 

 それが私のお買い物だった。 

 なので今、学園の校舎内とはいえ生まれて初めて自分で商店に入って商品を見ているという状況が楽しくて仕方ない。 

「そんなに喜んでくれるなら、もっと早く連れて来ればよかったな」 

 一緒に来てくれたパトリックさまが、隣で優しく笑う。 

「パトリックさまは、慣れていらっしゃるのですね」 

 私のように浮足立つこともない、物慣れた様子に私は自分の行動が恥ずかしくなった。 

「俺は、街に視察にも行くからな」 

 そうか、視察か、と。 

 頷きながら、私は自身の気持ちを落ち着けるように深く息を吸う。 

 そんな私を見て、パトリックさまがふっと笑った。 

「莫迦だな。陛下の御前でもあるまいし、そんな無理に落ち着かなくていいじゃないか。さっきみたいに、楽しそうに一緒に買い物してくれた方が俺はずっと嬉しい。ほら、笑って」 

 そう言って砕けた笑みを楽し気に浮かべたパトリックさまの目が悪戯っぽく光った、と思うや否や。 

「いひゃいれう!」 

 私の頬は、パトリックさまの両手の指によって左右に思い切り引き伸ばされていた。 

 昼休み、たくさんの生徒で賑わうベーカリー。 

 そのなかで突如現れた奇態生物に、たくさんの目が驚きに見開かれ私達を見ている。 

 

『わあ、ひとの顔ってあんなに伸びるんだ』 

『あれぞ、奇面』 

 って、声が聞こえるようです! 

 パトリックさま! 

 

 それを自覚した途端、私は発火したような熱を全身に感じた。 

「ローズマリー、可愛い」 

 それなのに間近で聞こえたのは、そんなうっとりとしたパトリックさまの声。 

  

 そんなはずないでしょう! 

 

 内心全力で叫んだ私の、恨み込めた視線も何のその。 

 物理的にも精神的にも真っ赤になったに違いない私の頬を優しく撫でたパトリックさまは、何事も無かったかのように私の手を引き、楽し気に店内を進む。 

「このベーカリー、校舎内にあるのにこの広さだし、種類も充実しているんだ。お茶と一緒に楽しめるパイなんかもあるし」 

 今の奇行をきれいさっぱり忘れ去ったような、爽やか笑顔のパトリックさまがそう言って私にベーカリーを案内してくださる。 

「ランチボックスとかもあるよ。今日は何にしようか。ローズマリーは何が好き?」 

 けれど、未だ周りの視線が気になる私は、何を呑気な、と呟きかけ。 

「オープンサンド!」 

 思い出した事柄にすべての状況を忘れ去り叫んだ。 

「オープンサンド?」 

 突然叫んだ私を訝しく見て、パトリックさまが首を傾げる。 

「はい、オープンサンドです!王妃さまが、今でも手ずから陛下に作られるそれを、最初に作られたのは学園時代なのだと伺いました」 

 今の国王ご夫妻のご出身もこの学園。 

 今も仲睦まじいおふたりが、この学園のどこかで一緒にオープンサンドを召し上がったのだと伺って、私も食べてみたいと思っていた。 

「そう、なのか」 

 母さまと一緒に招かれた王妃さま主催のお茶会で、王妃さまご自身から伺ったことなのだけれど、パトリックさまはご存じなかったご様子で。 

「ああ、と。あの、わたくしの母は幼少の頃から王妃さまと親しくさせていただいているとかで、王妃さまはわたくしのことも気に掛けてくださいます、ので」 

 パトリックさまが、王妃さまのお話をご存じない。 

 その理由に思い当たった私は、気まずさにパトリックさまから目を逸らした。 

 今は平和なこの国で、王位継承を掛けて百年ほど前に起こった内乱。 

 そのとき勝利した第一王子派の筆頭だったのが、今の王妃陛下のご実家であるノース公爵家。 

 そして、敵方であった第二王子派の筆頭だったのが、パトリックさまのウェスト公爵家。 

 パトリックさまは、アーサーさま。 

 現第一王子殿下の側近第一候補ということもあって、パトリックさまの立ち位置を王家よりに考えていた私だけれど、内乱時ウェスト公爵家は最後の最後まで降伏することなく徹底抗戦し、特にノース公爵家と激しく衝突した家として有名。 

 その遺恨のせいなのだろう。 

 王妃さまの私的なお茶会で、ウェスト公爵夫人の姿を見たことが無い。 

「ローズマリー。安心して嫁いで来て大丈夫だからね」 

 迂闊なことを口にしてしまったと、楚々と後ずさろうとした私はパトリックさまの優しい腕に止められた。 

「とつ?」 

 そして突然出た言葉に驚いてパトリックさまを見上げてしまう。 

「そう。内乱時、君の家と俺の家は確かに敵同士だったかも知れないけれど、今は最強の友好関係だからね。何も心配はいらないよ」 

 にこにこと言われ、私はパトリックさまの偽りない温かさに心が凪ぐのを感じた。 

「わたくし、家同士を結び付けられるよう精進します」 

 今も残る内乱のわだかまり。 

 それが希薄な家に育ったため、余り状況に敏くは無いけれど、だからこそ出来ることもあるのではと、私は強く頷く。 

「うん、期待しているよ。じゃあ、まずローズマリーが笑おうか」 

 そんなことを言いながら、再びパトリックさまがそれはそれは楽しそうな、それはもういい笑顔で私の頬目掛けて手を伸ばす。 

「二度目は簡単にいきません!」 

 そのパトリックさまの両手を握って、私は満面の笑みで勝利を宣言した。 

「ローズマリー。大好きだよ」 

 けれど揚々と言った私は、思ったよりもずっと深いパトリックさまの目に見つめられ、心臓がとくんとなるのを感じる。 

「パトリックさま」 

「ええと、オープンサンドだっけ。王妃陛下のその話は初めて聞いたけれど、このベーカリーは陛下が王妃陛下のために造らせたものだということなら知っているよ」 

 切り替えたように、楽しそうに言ったパトリックさまが、その長身を生かして店内を見渡す。 

「このベーカリーを、ですか?」 

「ああ。陛下が在学中に、当時婚約者だった王妃陛下のために造らせたそうだ。凄いよね・・・あ、あれかな」 

 そして、目的の物を見つけたらしいパトリックさまは、私の手を引いてそこまで連れて行ってくれた。 

「なんというか、凄いです。こんなにたくさんのオープンサンドセット」 

「うん。並々ならぬ思い入れを感じるね」 

 ふたりして、思わずしみじみ呟き、まじまじ見つめてしまった先にあったのは、様々な具材とパンがセットになっているたくさんの種類のオープンサンドセット。 

 マスタードやバターも充実していて、その売り場だけ他より明らかに力が入っている。 

「両陛下の愛、なんですねきっと」 

 陛下が王妃さまの為の造ったという、校舎内とは思えない広さを誇るベーカリー。 

 そして、その中央に威風堂々並んだオープンサンドセット。 

 それらに、ちょっとだけ私の目が遠くなったのは秘密、と思ったけれど。 

「ふふ。ローズマリーは正直だね」 

 そう言って笑ったパトリックさまには、ばれてしまっていたらしい。 

 

 まあ。 

 パトリックさまだから、いい、かな。 

 

 
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

愚かな者たちは国を滅ぼす【完結】

春の小径
ファンタジー
婚約破棄から始まる国の崩壊 『知らなかったから許される』なんて思わないでください。 それ自体、罪ですよ。 ⭐︎他社でも公開します

公爵夫人アリアの華麗なるダブルワーク〜秘密の隠し部屋からお届けいたします〜

白猫
恋愛
主人公アリアとディカルト公爵家の当主であるルドルフは、政略結婚により結ばれた典型的な貴族の夫婦だった。 がしかし、5年ぶりに戦地から戻ったルドルフは敗戦国である隣国の平民イザベラを連れ帰る。城に戻ったルドルフからは目すら合わせてもらえないまま、本邸と別邸にわかれた別居生活が始まる。愛人なのかすら教えてもらえない女性の存在、そのイザベラから無駄に意識されるうちに、アリアは面倒臭さに頭を抱えるようになる。ある日、侍女から語られたイザベラに関する「推測」をきっかけに物語は大きく動き出す。 暗闇しかないトンネルのような現状から抜け出すには、ルドルフと離婚し公爵令嬢に戻るしかないと思っていたアリアだが、その「推測」にひと握りの可能性を見出したのだ。そして公爵邸にいながら自分を磨き、リスキリングに挑戦する。とにかく今あるものを使って、できるだけ抵抗しよう!そんなアリアを待っていたのは、思わぬ新しい人生と想像を上回る幸福であった。公爵夫人の反撃と挑戦の狼煙、いまここに高く打ち上げます! ➡️登場人物、国、背景など全て架空の100%フィクションです。

悪役令嬢、第四王子と結婚します!

水魔沙希
恋愛
私・フローディア・フランソワーズには前世の記憶があります。定番の乙女ゲームの悪役転生というものです。私に残された道はただ一つ。破滅フラグを立てない事!それには、手っ取り早く同じく悪役キャラになってしまう第四王子を何とかして、私の手中にして、シナリオブレイクします! 小説家になろう様にも、書き起こしております。

悪役令嬢はモブ化した

F.conoe
ファンタジー
乙女ゲーム? なにそれ食べ物? な悪役令嬢、普通にシナリオ負けして退場しました。 しかし貴族令嬢としてダメの烙印をおされた卒業パーティーで、彼女は本当の自分を取り戻す! 領地改革にいそしむ充実した日々のその裏で、乙女ゲームは着々と進行していくのである。 「……なんなのこれは。意味がわからないわ」 乙女ゲームのシナリオはこわい。 *注*誰にも前世の記憶はありません。 ざまぁが地味だと思っていましたが、オーバーキルだという意見もあるので、優しい結末を期待してる人は読まない方が良さげ。 性格悪いけど自覚がなくて自分を優しいと思っている乙女ゲームヒロインの心理描写と因果応報がメインテーマ(番外編で登場)なので、叩かれようがざまぁ改変して救う気はない。 作者の趣味100%でダンジョンが出ました。

悪役令嬢に転生しましたが、行いを変えるつもりはありません

れぐまき
恋愛
公爵令嬢セシリアは皇太子との婚約発表舞踏会で、とある男爵令嬢を見かけたことをきっかけに、自分が『宝石の絆』という乙女ゲームのライバルキャラであることを知る。 「…私、間違ってませんわね」 曲がったことが大嫌いなオーバースペック公爵令嬢が自分の信念を貫き通す話 …だったはずが最近はどこか天然の主人公と勘違い王子のすれ違い(勘違い)恋愛話になってきている… 5/13 ちょっとお話が長くなってきたので一旦全話非公開にして纏めたり加筆したりと大幅に修正していきます 5/22 修正完了しました。明日から通常更新に戻ります 9/21 完結しました また気が向いたら番外編として二人のその後をアップしていきたいと思います

悪役令嬢ですが、ヒロインの恋を応援していたら婚約者に執着されています

窓辺ミナミ
ファンタジー
悪役令嬢の リディア・メイトランド に転生した私。 シナリオ通りなら、死ぬ運命。 だけど、ヒロインと騎士のストーリーが神エピソード! そのスチルを生で見たい! 騎士エンドを見学するべく、ヒロインの恋を応援します! というわけで、私、悪役やりません! 来たるその日の為に、シナリオを改変し努力を重ねる日々。 あれれ、婚約者が何故か甘く見つめてきます……! 気付けば婚約者の王太子から溺愛されて……。 悪役令嬢だったはずのリディアと、彼女を愛してやまない執着系王子クリストファーの甘い恋物語。はじまりはじまり!

【完結】破滅フラグを回避したら、冷酷な公爵閣下が離してくれません

21時完結
恋愛
気がつけば、乙女ゲームの悪役令嬢エリシア・フォン・ローゼンベルクに転生していた私。 このままだと、婚約者である王太子の心をヒロインに奪われ、婚約破棄&国外追放……破滅エンド一直線! (そんな未来はごめんです!!) そこで私は、王太子に恋をしない! ヒロインに絡まない! を徹底し、地道に好感度を下げる作戦を決行。 結果、見事に婚約破棄! 破滅フラグは回避成功!! これで静かに暮らせる……と思っていたのに―― 「……やっと自由になったな。今度こそ、君を手に入れよう」 冷酷無慈悲と名高い公爵閣下・クラウス・フォン・アイゼンハルトが、なぜか私に求婚してきた!? 「前から君を望んでいたが、王太子の婚約者では手が出せなかった……これで何の障害もない」 「えっ、ちょっと待ってください!? そんな話聞いてません!」 「もう逃がすつもりはない。覚悟してもらおう」 どうしてこうなった!? 破滅回避したら、冷酷公爵に執着されてしまったんですが!? 冷たく見えるけれど、私には甘すぎる公爵閣下。 「君を手に入れるためなら、何でもするよ?」 と微笑む彼から、私は逃げられるの――!?

旦那様、前世の記憶を取り戻したので離縁させて頂きます

結城芙由奈@コミカライズ発売中
恋愛
【前世の記憶が戻ったので、貴方はもう用済みです】 ある日突然私は前世の記憶を取り戻し、今自分が置かれている結婚生活がとても理不尽な事に気が付いた。こんな夫ならもういらない。前世の知識を活用すれば、この世界でもきっと女1人で生きていけるはず。そして私はクズ夫に離婚届を突きつけた―。

処理中です...