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第二部 辺境伯に続く物語

第154話 エイナルフの治世下での最大級の事件 リナ編

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 『コンコン』
 
 少し強めのノックに対して、リナの声に疑問が混じる。
 
 「なんでしょうか」

 人がまた訪れてくる。
 そもそも自室に対して人が訪れる事自体が珍しいのに、今は連続だ。
 それに謹慎中である。
 だから余計に何の用だと疑ってもおかしくはない。

 「ご気分が悪いとのことで、私がやってきました。ラーゼの薬を持って参りました」
 「え? 薬ですか? なぜ?」 
 「ええ。体調とご気分が優れないとお聞きしました・・・ここを開けてもよろしいですか」
 「そ。そうですか。ではどうぞ。中に入ってください」
 「失礼します。リナ様」

 ドアが開く。
 すると、そこにいたのは……。
 
 「声でもわかりましたが。やはりタイローではありませんか。今日はパーティーに参加していたのでは?」
 「ええ。そうだったのですが。ナイロゼ様からリナ様のご気分が優れないとお聞きしたので。ナイロゼ様の代わりに私がこちらに駆けつけました」

 タイローは話しながら、ベッドに腰かけていたリナのそばまで歩く。

 「…ん、ナイロゼが? 私に???」

 ナイロゼ・クーロン。
 ドルフィン家の内政長官。
 ドルフィン家の運営に関する仕事をしている人物。
 タイローよりも冷静で、鋭い目つきが特徴の男だ。

 「はい。ですから私がこちらをお持ちしました。こちらが、代謝と気分を良くするお薬であります。副作用などが少ないただの粉薬であります」

 タイローは、包装紙に包まれた粉薬を見せた。
 白い粉の薬は普通の薬に見える。

 「では、こちらをどうぞ。飲んで頂ければ、ご気分も良くなるかと思います」

 水も一緒に渡そうとすると、リナはタイローの前に手をかざした。
 まだいりませんという合図だった。

 「わかりました。飲みます。しかし、少し待ってください。先に粉薬だけください。私は薬を飲むときの顔を見られるのが好きではありません。後ろを向かせてください」
 「わかりました。こちらをどうぞ」
 
 タイローが薬だけを手渡すと。

 「私はここでお水を持っています。準備が出来ましたら、声をお願いします」

 彼女の方に体を向けずに半身になった。
 リナに気を遣ってくれる優しい面があるタイロー。

 そんな彼に対して背を向けているリナは、一人でゴソゴソとしだした。
 薬の包装紙を広げるだけにしては、やけに時間をかけたように思う。
 でもリナはお嬢様だ。
 色々な事に時間がかかるのだろう。
 タイローは水を用意しているお盆を持って、彼女の準備を待っていた。

 「はい。タイロー。お水をください」

 包装紙から薬を含んだようなので、タイローは彼女の横からコップを渡した。

 「どうぞ。リナ様・・・お元気で」
 「はい。ありがとうございます」

 リナは薬を飲んだ。
 喉に通っていく水を見て、タイローは頭を下げた。

 「リナ様。それでは。またどこかで」

 優しい言い方に悲しげな声が混じる。
 言い終えたタイローは目を瞑っていた。

 「・・はい?・・・ぐっ・・・がはっ・・・ひゅー・・ひゅー・・」

 リナの口から血が飛び出てきた。
 大量の吐血と共に、呼吸がおかしくなる。
 
 「すみません・・・私にもやらなければならないことがあるのです・・・申し訳ありません」
 「・・あ・・な・た・・なにを・・・言って・・・」
 「リナ様。私もそちらに逝った際には、また謝らせていただきます……申し訳ありません。命令を守らねば・・・ラーゼは守れない・・・こんな仕事・・・誰がやりたいなど・・・すみません・・・リナ様」
 「・・た・・たいろ・・・???」

 意識を失い始めるリナは、暗い顔のタイローを見た。
 いつも明るい笑顔をしている彼の普段とは違う暗い表情。
 その顔だけが、鮮明に脳に焼き付いた。
 目を開ける力も無くなっていくリナは、タイローの背を見送った……。

 そして。

 「さようなら。リナ様。申し訳ありません」

 ドアの前にいるタイローは、お盆とコップを持ったままで、リナに向かって深々と頭を下げて謝っていた。



 ◇

 皇帝の娘の突然死。
 死の原因はよく分からないとされた。
 彼女の死に駆けつけた医官の予想では、心臓発作ではないのかと診断された。
 リナは、心労が重なっていたとの証言が王宮の者たちの間であり、彼女の状態が軟禁状態ということもあり、運動もろくに出来ずにいたのであろう。
 心臓が弱って、発作が起きたのではないかとされたのだ。
 にしては短い軟禁生活ぐらいで起こる病気でもないように思うのだが・・・。
 
 この本当の死の原因は、タイローが持ってきた水の方だった。
 あの中には毒がある。
 それも強力なアレアの花を圧縮した毒だ。
 色が水と混ざり合っているのは、昔フュンが言い当てた色を消すミリマリーの花の蜜が、その毒の中にあるために、水と同じ色で、彼女の元に毒が運ばれたのだ。
 この毒は、呼吸器に異常をきたす毒なので、心臓に負担がかかったというよりは肺に負担がかかって、彼女が吐血しているのだ。
 しかしこれらを、宮廷の医官らであれば見落すはずがない。
 なのに今回の彼らは見落とした。
 なぜなら、医官たちが遺体に触れてもいいとされた時間がやけに短かったからだ。
 彼女の死後。
 すぐさま駆け付けてきた皇帝の近衛兵が、彼女の遺体を回収したのである。
 だから宮廷の医官たちにとっては、正確性に欠ける、やや不満を残す死亡鑑定となったのだ。

 ◇

 「楽しそうなところをお邪魔して申し訳ありません。挨拶をよろしいでしょうか」

 フュン。ヒルダ。サナ。マルクスの四人で、談笑している所に綺麗な赤いロングの髪の女性が割って入ってきた。
 フュンの後ろに立つ女性は柔らかに微笑む。

 「あ。あなた様は、スカーレット様では……これは申し訳ありません。挨拶が遅れました」
 「いえ。あなたが主役です。こちらから挨拶せねばいけません」
 「お久しぶりであります」

 フュンが先に頭を下げた。

 「ええ。そうですね。あなたもずいぶんと立派になられましたね。あの時とは全く違う」
 「いえいえ。そんなことはありませんよ。あの頃と何も変わらない未熟者であります。スカーレット様のような方にご指導をもらえると嬉しいです」
 「ふっ・・・あなたは相変わらず・・・抜け目のない人でありますね」
 「え? 僕がですか。それはないかと・・・ははは」

 互いに笑顔。
 でも視線に牽制が混じる。中央では火花が散った。 
 それ程の敵対関係。
 だからフュンは本能で知っているのだ。
 この人物だけは、戦うべき相手だと認識しなくてはならないのだと。

 「ん。あなたはヒルダ。なぜこちらに?」

 スカーレットはフュンの隣にいたヒルダに気付く。
 フュンからヒルダに、体の正面を向け直してきたので、ヒルダはすかさず頭を下げた。
 ヒルダはターク家に帰順している。
 そしてストレイル家もまたターク家に帰順していて、その頂点に近しい人物がスカーレットだ。
 だから彼女の方が立場が下であるので、いち早く頭を下げて低姿勢を貫いていかなければならない。

 「はい、スカーレット様……お久しぶりであります。フュン様と私は・・・し」

 彼女が知り合いと言おうとしたが、言い淀んだので。

 「ええ。友達なんですよ」

 フュンが助け舟を出した。
 言いにくそうな彼女の代わりにフュンが話す。

 「あなたと。ヒルダが……そうですか。それは良いご縁だこと。よかったですね。ヒルダ」
 「は、はい」 
 「それではお友達同士の会話に私はお邪魔でしょうから、失礼しますよ」
 「ええ。またお会いしましょう。スカーレット様。また・・・」
 「はい。また。辺境伯殿・・・その時はお願いしますね。その時は」

 振り返って颯爽と去る彼女のその左肩。
 ドレスと肩甲骨の隙間から見えるのは、あの刺青だった。
 背景に剣三本、表面に蛇の柄が入った刺青だ。
 あれはと、フュンが凝視していると、もう一人も気付いた。

 「あ、あれは・・・」

 指を指してはいけないと思っても、ついついヒルダは彼女の肩を指さしていた。

 「ん? どうしました? ヒルダさん」

 彼女の肩を凝視してヒルダが言う。

 「……あ、あの刺青・・・・あれは・・・タイローと同じものです。なぜ、あれを? スカーレット様が??」
 「タイローさんと?」
 「ええ。タイローのいつもしている手袋の下には、あの刺青と同じものがありまして。自分で刺青を入れたはずなのに、気に入ってないって言ってましたわ。不思議ですわよね……自分で入れたのに」
 「へぇ。タイローさんがね……やはりそうでしたか・・・」
 「やはり?」
 「え。ああ、こっちの話ですよ。こっちの話」

 ヒルダの言葉に若干驚いたフュンは気を取り直して話を続ける。

 「でもヒルダさんが感じた通りですよね。刺青を自分で入れたのに、気に入らないなんて珍しいですよ」
 「ええ。そうですわ。気に入らない物なんて、始めから入れなければいいのに・・・なぜ手の甲なんかに・・・目立つ場所ですわ。それで隠しているのでしょ。よくわかりませんね」
 「・・・・・」
 
 ヒルダの疑問に返事をしなかったフュンは、スカーレットのドレスの脇から出ている刺青を見ながら、無言を貫いて考えていた。

 『あれは自信の表れだ・・・いつでも戦える準備がある。そういうことでしょうね』
 
 気付かないほど愚鈍ではない。 
 自分の頭の回転力を知りながら、堂々と姿をさらすのであれば、それは挑戦状のようなもの。
 今の態度は宣戦布告と呼べるものだ。
 スカーレットからの挑戦状である。

 『つまり、僕を殺そうとしていた機会は二回じゃなく、三回だったか。貴族集会。あれも僕を殺すための策略の一つだったわけか・・・なるほど。納得しましたよ。あの時、色んなことが変でしたからね。タイローさんの誘導。ゼファーの体の痺れ。あなたの会話の流れ。これらが変だと前から思っていたのですよ。合点がいきましたね』

 思い出されるのは、貴族集会の最後の場面とあそこに至るまでの流れ。
 自分を殺す動きに出たストレイル家とそこへと誘う彼の存在の事だ。 
 フュンは、貴族集会が終わった後も、気になっていたのだ。
 そして今になって、あれらの不可思議さが、解決できたのである。 

 『そうですか。いいでしょう。こうしてあなたたちが表に出てくるのならば、戦う準備があるという事だ。そしていつでも僕を殺せるという自信の表れ。あなたたちは帝国を牛耳るつもりですね。今の御三家から帝国を掌握しようとしているのですね、それと今のでわかりましたよ。あなたたちは、僕がすでにあなたたちと戦っていることに気付いていないのですね。僕が何も知らないただの辺境伯だと思っているのですね』

 敵が堂々とこちらに向かって、自分がナボルだと見せびらかしてきたことで気付いたこと。
 それは、フュンがただ普通に辺境伯になった人物だと認識しているようなのだ。
 何も考えずにパーティーをして、異例の出世を果たしただけの普通の青年であると、相手は思っているのだろう。
 なにせ、過去三回、運よくそれぞれの命の危機を回避してきたのだ。
 周りに助けられただけで、自発的に助かった形跡がない。
 だから敵は、ただの運のよい人間がたまたま生き残っただけだと思っているのだろう。
 だが、その認識は今だと甘い。
 彼は最早帝国の柱になりつつある男。
 皇帝を守護する最強の辺境伯である。

 『僕の敵・・・それは夜を彷徨う蛇ナボルで間違いない!・・・ふふっ。ここからは、あなたたちの思い通りにはさせませんよ。僕が必ずあなたたちを潰します。さあ、かかってきなさい。どこからでも。あなたたちから来ないのであれば、大変なことになりますよ。いずれ力をつけることになる僕の力に屈することになりますからね。時間がないのはあなたたちの方だという事を知った方がいい』

 そばにいる三人を置いて、フュンは一人今後を占っていた。
 戦うべき者を見定めたフュンの目は鋭かった。

 
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