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第一部 人質から始まる物語

第42話 ポンコツ姫

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 帝国歴516年。サナリア歴4年5月。
 フュンが帝国に来て一年が経ち、あの戦いから三カ月が経った。
 イーナミア王国はあれ以来ハスラに向かって、軍を差し向けることはなかったのだが。
 襲撃は三度あったので、慎重に事を進めていたハスラ側は、戦争終結後二カ月くらいまでは、厳戒態勢を取っていたのだが、結局その間の襲撃は一度もなかったので、その後は警戒を解いて、ミランダとシルヴィアは敵の完全撤退は確定したのだと決定を下した。
 なので、フュンやミランダ、ハスラの主シルヴィアも、帝都へと安心して帰投したのだった。
 
 そして、皆。普段の生活に戻る。

 ◇

 目まぐるしい出来事の数々に、フュンは目を回しながらも懸命に戦い抜いた。
 今の彼はこちらに来たばかりの頃とは違い、なよなよした雰囲気が消え始めて、雄々しい大人の男性に近づきつつある。
 実際には身長なども伸び始めたりしている。

 それに彼は、武も知も両方が成長して、あの頃の様な愚鈍な噂なんて今すぐにでも跳ね除けるくらいの力は持っているのだが、世間では今だに愚鈍王子という噂は残っているのだ。
 人の噂とは案外根強いらしい。
 愚鈍でノロマで何もできないボンクラ王子の噂は彼に付き纏う問題であるようだ。
 
 現在。フュンはサティの屋敷に向かっている。
 その道中でも、四、五人にコソコソ言われるくらいだから、噂とは非常に厄介である。
 でも以前は数歩歩くたびに言われていたので、だいぶ帝都民はフュンを理解し始めたのかもしれない。

 
 ◇

 「フュン様。これはこれは、わざわざお越しいただいて申し訳ありませんね。でもお久しぶりですね。三カ月以上ぶりですね」
 「そうですね。だいたいそれくらいは経ちましたかね。あははは」

 フュンがサティの屋敷に来たのはある用件があった。
 急ぎではなかったが帰還してからすぐにこちらに来ている。
 そして、本日は元気印の彼女もいた。

 「僕もいるよ! フュン君。元気だった?」

 サティの背後に隠れるようにしていたアンがひょっこり現れた。

 「はい。アン様。僕は元気でしたよ。アン様は・・・・もちろん、元気でしたよね?」
 「もちろんだよ。あ、そうだ! このクリーム。やっぱり男性にも効いたよ。火傷の痕が綺麗に治ったし、商品に出来ると思う!」
 「おお。そうですか。それはよかった。ではあとは・・・」
 「そうね。それは座って話しましょう。どうぞこちらに、フュン様。アン姉様も」
 「はい」「うん」

 中庭で三人は、紅茶を楽しみながら話し合いを始めた。

 「そういえば。サティ様。シルヴィア様がどうしているか知りませんか? 帝都にはまだいますよね。戦地から一緒に帰って来たんですけど。最近会わなくなってしまって、どうしているのかと。こちらに来てませんか?」
 「え!? い、いまは。い、忙しいのかもしれませんね。おほほほ」
 
 シルヴィアの事を聞かれたサティはしどろもどろになった。
 実は、この場にシルヴィアがいるのだ。
 中庭が見える三階の窓の所にシルヴィアは、身を潜めるようにして立っていて、羨ましそうに三人を見下ろしてる。
 なぜそんな所にいるのかと言うと。
 彼女はあの後。
 告白という名の大興奮状態が冷めた結果。
 完全に冷静な状態に戻ると、自身がやってしまったことを冷静に考えることが出来たのだ。
 
 『あれ、私ってとんでもないことを口走ったのでは』

 と最終的な考えはこんな感じにおさまったらしい。
 そんな事を思うなんて、今更遅い話である。
 だが、彼女はその場面を何度も振り返っては、その結論に何度も至るのであった。
 なのでフュンと会うに、どういう顔をすればよいのか分からなくなってしまったらしい。
 フュンが彼女に会えなくなったのは、彼女が会うことから逃げ続けた。
 というオチがあるのです。
 まあ、単純に言えば、顔を合わせにくくなってしまったということです。
 なので一言で表せる。
 馬鹿である。
 なんせフュンはあの事をまったく気にしていないし、結婚できるとも思っていないので、普通に会ってお話ししたいなくらいの軽い気持ちでいるのでした。

 「そうですか。お忙しいのですね。仕方ありませんね・・・・」

 フュンは信用のある人の話は、素直に聞いてしまう傾向があるので、サティの話を簡単に信じた。
 彼女の明らかにおかしい態度を見抜けなかったのだ。


 ◇

 フュンがサティの屋敷に到着する三十分くらい前。
 
 「ね。姉様。私はどういう顔で会えばいいのでしょう」
 「・・・は?」
 「わ、私。フュン殿に結婚を申し込みました」
 「・・・はぁ?」
 
 サティもあの時のフュンと同じようにその言葉を上手く飲み込めていなかった。
 表情が固まっているサティを無視して、シルヴィアの話はお構いなしに続く。

 「それで、身分が違わなければ、いいですよとおっしゃって頂き」
 「・・・えええええ」
 「でもでも。身分が現に違います」
 「それはそうですね・・・」
 「しかし! 解決策がありそうなのです!」
 「・・・えええええ!? ど、どんな?」
 「言えません。でも、今後……どんな顔で会えばいいか分からなくなりました」
 「・・・なんでそうなるの? お馬鹿ですか。あなたは」

 サティのツッコミも辛辣になって来た。
 呆れるほど馬鹿な妹にはこれくらいがちょうどよい。
 ついにはため息も出なくなったのだ。

 「・・・んんん。では、シルヴィの話を要約すると、あなたとフュン様は婚約に成功しかけていると考えてもいいの?」
 「…そうです。ある条件がありますが。そんな感じに話がまとまりました。姉様!」
 「そ、それは・・・ほ、ほんとなの。あなたの・・・妄想とかじゃないわよね?」
 「・・・え・・・あれは、私の夢だったのでしょうか?」

 シルヴィアの目が左右に動き始めた。
 急に不安になる。

 「そんなこと知らないわよ。その話の時に私はそばにいないのよ。あなたしか聞いてないのよ。ちゃんと覚えてなさいよ」
 「ど、どうしましょう。あまりにも夢心地過ぎて、それを考慮してませんでした。そうかもしれません。夢だったのかもしれません。朝早かったし・・・早朝でした・・・・え、夢なの!?」
 「はぁ。なんでそこが曖昧になっていくのよ。しっかりしなさいよ。現実を見なさい。お馬鹿なの」
 「ね。姉様。どことなくフュン殿に聞いてください。お願いします」
 「・・・は? どうやって聞くのよ・・・それに何を聞くのよ」

 そんな馬鹿な妹とサティが話していると、連絡係の執事が『お客様が来ました』と言ってきた。

 「シルヴィア様。フュン様がお越しになられました。お通しします」

 『タイミングが悪い』とサティは思い。
 『タイミングが良い』とシルヴィアは考えた。

 「…え!? 今、え。どうして!?」
 「それが、以前の件について。しばらくお話ししてなかったのでという事で。突然の訪問で申し訳ありませんとのことをご丁寧におっしゃってますよ。相変わらず律儀な方であります」
 「な、なるほど。それは至って普通の要件であるわ。しかしなんてタイミングの悪い時期にって・・・あれ、シルヴィ!?」

 サティの隣にいたはずのシルヴィアが忽然と消えていた。
  
 「姉様! お願いしますね。私は会えませんので、それでは!」

 シルヴィアは全速力で走る。
 あっという間に彼女の背が小さくなっていった。

 「それでは、じゃないでしょ。あなた。どこ行くのよ。今あなたもここにいるんだから、あなたが直接聞きなさいよ」

 小さくなった彼女の背に向かって、サティは大声を出した。

 「無理です。今はフュン殿の顔を見られません! お屋敷の方に行って参ります。さっきのお願いします」

 遠くの方から微かに声が聞こえる。

 「こら。シルヴィ。逃げるなぁ」

 と。まあ。この一連の経緯のせいで、フュンと会うのに緊張なんてしなくてもいいのに、彼女がいつもと違って緊張しているのであった。
 サティは、あの三階の窓に見えるおバカ姫によって、非常に難しいミッションをこなさなくてはならないのでした。 
 ちなみに、アンはフュンやシルヴィアよりも前に来ていて、シルヴィアと入れ替わるようになったのは、さっきまでトイレにいたからでした。
 だから、アンはこのミッションとシルヴィアがいる事を知りません。
 

 
 ◇

 「サティ様。サナリア草と村はどうなりました? 上手くいきましたか?」
 
 フュンが紅茶を一口飲んでから、サティの目を見つめて聞いた。
 落ち着いた雰囲気の彼に、シルヴィアも見習ってほしいと願うサティである。
 
 「そうですね。まあ、大体は・・・順調と言えるでしょう」
 「そうですか。よかったです」
 「ええ。今はですけどね。村人の公募の前に、アン姉様に農場と建物の整備をしてもらいまして。そこからサナリア草を試験的に運用しています。ハスラの民とラメンテの里の人を少しだけお借りしているので、少数で村を運営している状態です。募集はそれからにしようかと」
 「なるほど。それは話が進んでいますね」
 
 サティとアンの力により、ルーワ村は少しずつだが、廃村から村へと戻ろうとしていた。
 何人かが住めるように建物もいくつか出来上がり、農業を推し進める形を取っている。

 「ええ。それじゃあ、その草はどう育ちましたか? どれくらいの期間を植えましたか?」
 「そうですね。二か月以上は植えてあって、膝下あたりまで伸びました」
 「ほうほう。それはもうそろそろですね。あれは、三カ月くらいで育つので、それに膝上くらいで完成なので、もう一度草を生やしてもよさそうですね。その場合、半分くらいに草を切ってもう一度植えてみるのです。そうすればまた勝手に伸びるのですよ」
 「そうなんですね。わかりました。やってみます」
 「はい。お願いします」

 話を聞く限り、草まで順調であるとフュンは思って紅茶を飲んだ。

 「あ、そうだ。今度、サティ様が村に視察する時にでも、僕を誘ってくれませんかね。アン様も一緒がいいんですけど」
 「僕も? なんで?」

 疑問に思うアンは、自分で自分の顔を指さす。

 「ええ。アン様とは細かい設備のことで打合せがしたいですし、働いている皆さんの様子も見たいですし。僕も何かアドバイスができることがありそうですしね。それに三人でいけば楽しそうですよね? 僕は楽しいのですけど、お二人はどうでしょう?」
 「うん。そうだよね。僕もそう思う。きっと楽しいよ」
 「ええ。私もそう思います。それでは近いうちに一緒に行きましょう。その草を半分にするところもやってもらった方がいいかもしれませんし」
 「そうですね。ではまた連絡お願いしますね。あ。そうだ。これ、そろそろ切れる頃ですよね。お二人に。どうぞ」

 フュンはまた美容セットを二人に渡した。
 最近肌の調子がいいのよ。
 なんて二人が喜びながら受け取った。

 「ありがとうございます。フュン様」「ありがと! フュン君!」
 「いえいえ。いつでもおっしゃってくれれば差し上げますからね。遠慮しないでくださいよ。あははは」

 二人を喜ばせたことに満足したフュンは、帰り支度をし始めた。
 しかしこれでは、重要ミッションがと。
 珍しくサティが慌て始める。
 顔が緊張して引きつっていた。
 
 「あ・・・あの。フュン様・・・・噂を聞いたのですが。ご婚約をされたとか?」

 いつも冷静な彼女にしては、やや強引で無茶苦茶な振りである。
 もう少しうまい具合の聞き出し方があったなと、言った直後にサティは後悔した。

 「え? 誰がです? アン様? サティ様が?」
 「いえ。あの~。フュン様がです」
 「僕がですか。全然、そんな話なんて全くないですよ。僕なんて、まだまだ若輩者ですよ。お二人にとっても僕はお子様に見えるでしょう。僕、15ですもん。あ、16か。あははは」
 「そ・・そんなことは・・・ありませんよ」
 「僕もそうは思わないよ。フュン君は、イイ男に見えるよ。自信もって! それに君は大人になれば、もっとカッコよくなるよ! ハハハハ」
 「アン様、気を遣ってくださり、ありがとうございます。あははは」

 立派な男性に見えると言われて照れたフュンは、そのまま帰ってしまった。
 真相はよく分からずにサティは悩む。
 フュンが帰った後すぐにアンがサティに聞く。

 「どしたの。サティ? さっきから変だよ」
 「いえ。それがですね・・・あ!?」

 サティとアンの前にシルヴィアが猛烈な走りを見せてやって来た。
 フュンがいなくなったので堂々としている。

 「サティ姉様! あれ、アン姉様もいらっしゃったんですね」
 「まあね。あれぇ、シルヴィもいたなら、ここにいればよかったじゃん。フュン君いたんだよ」
 「いえ。それはさすがに彼に会えなくて」
 「どして?」
 「いえ。これには深い事情が・・・それで姉様。どうでした?」
 「いや、それが婚約してないって言ってたわ。たぶん、あなたの夢だったのね」

 言いにくそうにサティがシルヴィアに先程のやり取りの事を告げると。

 「・・・え・・・・まさか・・・・そんな・・・・ばかな・・・・」

 青ざめていくのは顔だけじゃなく、体もだった。
 新雪のような白い体のシルヴィアの全身が真っ青になる。

 「ちょっと。シルヴィ。どこ行くの。ちょっと。まだ来たばっかじゃん。サティと一緒にお茶しようよ。シルヴィ。ねえシルヴィ」

 その日のシルヴィアは、アンの言葉を無視するほどショックを受けて自分の屋敷へと帰ったのでした。



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