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第一部 人質から始まる物語
第25話 王子の基盤
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帝国歴515年11月。
帝国に来てから半年が経つ頃。
凶悪な指導者ミランダを得たフュンたちは大きく成長している真っ最中だった。
激しい訓練を重ねるゼファーと、理論的な指導で戦いの視野を広げていくフュン。
二人は強くなっていく実感を徐々に得ていき、充実した日々を過ごしていた。
そしてこの日の修行は中断される。
ミランダがしばしの間、どこかへ行くと宣言したのだ。
「すまん! あたしよ。里に帰んなきゃいけない用事が出来たのさ。今からちょっくら行ってくるからさ。ついでにお前らの修行用の道具も持ってくっから。そうだなぁ。10日……いや20日くらいで帰って来るから、その間は自主練か休息しておいてくれぇい」
「「はい。先生」」
「おうよ。じゃあな」
ミランダの屋敷の庭で修業していた二人は、彼女を見送った後。
自分たちの屋敷へと帰った。
フュンの屋敷到着寸前での会話。
「殿下! 殿下はこの後どうしますか?」
「そうですね。僕は、体を休めて頭でも鍛えましょうかね。部屋で先生の本を読んでおきますよ」
「そうですか。では私はこのまま裏の庭に行って修練を積みます。失礼します、殿下!」
「はい。では、頑張ってください。僕はお屋敷に・・・」
「フュン殿」
「ん?」
ゼファーと二手に分かれた直後、背後から声をかけられた。
美しい銀色の髪が一番に目に入る。
「あ? シルヴィア様じゃありませんか。ご無事でよかったです。心配してましたよ」
「はい。あなた様のおかげで無事でありました。ありがとうございました」
戦地から帰って早々、真っ先にフュンの元へ来たシルヴィア。
頭を軽く下げてからフュンに近づく。
この優しい男の笑顔を見る為だけに、彼女は戦いを終わらせていち早く帰って来たのだ。
「そ、そうだった。ささ、こんなところに長く居ては駄目です。出来るだけ早く屋敷の中に」
「…え? なぜ!? ここでも…」
「どうぞどうぞ。シルヴィア様。お早く。あまりここらで、人に見られない方がいいでしょうからね。シルヴィア様は綺麗な髪をしてますから、顔が見えなくともその髪だけであなただと分かられてしまいます」
「…そ、そんな。綺麗だなんて。そんな……は、恥ずかしい……です」
「早く行きましょう。ささ、こっちです」
相変わらず彼女は、フュンから何気なく飛び出る綺麗という言葉に弱いのだった。
◇
屋敷に入ってから、二人は向かい合わせに立つ。
同じくらいの身長なので同じ目線で話し出す。
「それで、シルヴィア様。何の用ですか?」
「えっと・・・私は、これのお礼にと」
シルヴィアはお守りを取り出した。
「ああ。これの……そうでしたか。いえいえ。わざわざありがとうございます。って、え!? あれ。そういえば、シルヴィア様の服。まだ戦闘服のようなんですけども。まさか、お帰りになられたばかりなのでは?」
「いや。まあ。その。はい」
「え? ジーク様には僕より先にお会いしましたか。ジーク様。毎日、心配していた様子でしたけど」
「会ってません。兄様はいいのです・・・別に」
シルヴィアは少しだけ顔を横に向けた。
兄は無視される運命だったらしい。
「いやいや、それはさすがに可哀想ですよ。僕なんかの所に先に来ちゃ駄目ですって。お守りのお礼くらいで急がなくてもいいんですよ。あ、そうだ、なんだったら、僕からそちらにこっそり行ってもよかったのに。わざわざ出向いてもらうなんて、なんか申し訳ないですよ。あと、ジーク様に真っ先に会ってあげてください。可哀想です」
「いえ。わ、私がこちらに来たかったのです。も、ももも、もちろんこちらのお礼にですよ」
素直な気持ちがついつい出てしまい、恥ずかしくなって取ってつけたような言い方になった。
フュンに見せているお守りの手が震える。
「そうですか。まあ、それならいいですけどね・・・でもさすがにジーク様、泣いちゃうだろな」
フュンの頭の中では涙目のジークの顔が浮かんだ。
そして、シルヴィアはここまでの会話では、まだ素直に話すことが出来たのだが、急に次の瞬間からもじもじと体を左右に動かし始める。
恥ずかしさが頂点に達しているようで、彼女の顔は火山噴火五秒前となる。
「ん? シルヴィア様? どうかしましたか?」
「そ、それがですね・・・・あの・・・・フュン殿・・・お時間ってありますか」
「今ですか?」
「いえ。明日の昼です」
「はい。大丈夫ですよ。しばらくはお休みになりましたからね。いつでもいいですよ」
「へぇ。そうですか・・・・・それで・・・あの・・・」
やはりまだ言いにくそうである。
乙女心全開お姫様は、つい先日までは相手の兵を蹴散らしてきた戦姫なのだ。
どれほどの敵を倒そうとも、たった一人の男に太刀打ちできなかった。
「・・・あの・・・姉様がですね」
シルヴィアは、ちょんちょんと人差し指同士を合わせる。
「姉様? リナ様ですか?」
フュンは帝国の事情を頭に入れ始めていた。
さすがにどの陣営につくかを考える際に、名くらいは最低でも覚えておかなければと情報は手に入れていたのである。
シルヴィアの姉は、四人。
第一皇女は死去。第三と第四の情報がなかったために、第二皇女のリナのことだとフュンは認識した。
「いえ・・・その姉様ではなくてですね。私にはサティ姉様がいるのです・・・・それで」
「へぇ。サティ様という方がですか。ほうほう。その方の名前も覚えておかないといけませんね」
フュンは納得しながら、聞いたことのない名前を必死に覚えている。
「はい・・・それでですね。そのサティ姉様がフュン殿にどうしてもお会いしたいと、自分の屋敷にお招きしたいと言って聞かないのです」
嘘である。どうしても会いたいのはシルヴィアである。
取ってつけた理由で呼び出したのであった。
「え? 僕をですか? なぜ?」
「そ、それは私が、ずっとですね・・・・す・・・・」
「す?」
彼女は話の途中で気付いた。
ここで『好きだからです』だとは言えない。
絶対に言えない。
自分が勝手に口走ってフュンを困らせてはいけない。
まだ誰の陣営にもついてない彼を縛りつけるような呪いの言葉になりそうだったから。
なんて、都合のいい言い訳だ。
勇気がなかったのだ。
この先を言う勇気が。
もし告白が失敗してしまったら、あなたに二度と会えなくなるかもしれないという恐怖に、シルヴィアは打ち勝てなかったのだ。
だからシルヴィアは別の言葉をたどたどしく紡いだ。
「・・・えっと、あの~。その~。ですね。あ、あのクリームをですね。姉様が褒めてらっしゃってですね。その~なんですか。そういう感じの事ですよね。ええ。まあ・・・そんな感じです。はい」
シルヴィアはもう自分でも何を言っているのかを分かっていません。
「ああ。なるほど。わかりました。いいですよ。サティ様のお屋敷に行きましょう。明日ですね。場所を教えてくださいね。行きますから!」
「本当ですか。ありがとうございます。姉様と一緒にお待ちしてます」
シルヴィアが意図したものとは違うが、フュンは何かを察してくれたおかげで、無事にお誘いは成功した。
明日を楽しみにしたシルヴィアはダーレー家の屋敷までスキップで帰っていったのだった。
◇
翌日。
サティの立派な屋敷の前にフュンは一人でやって来た。
王族ではないけども、淑女ではあるサティに対して、どのような態度と恰好で臨めばいいのだろうと試行錯誤した結果。
あまり仰々しくメイドや従者を連れ込むのも失礼なのではないかと結論付けたフュンは、お土産だけを持参して普通の青年のようにして一人でこちらにやって来たのである。
正装ではなく、普段着でもなく、出来るだけ身なりを綺麗にしたスーツ姿でいる。
フュンは門の前にいた紳士の案内を受けた。
敷地内の庭が見える部屋に案内されると、待ち受けていたのは二人の女性。
一人は茶色の髪をカールにして、貴族が着るような優雅な服装をしていて。
一人は緑のショートカットで一般人のようなラフな格好の女性がいた。
「おお。君が! 噂のシルヴィが言っていた。す・・・い、痛い」
両手を振って大歓迎をしていたアンは、サティのヒールに足を踏まれた。
「す? すってなんだろう。最近の流行なのかな…酢が!」
フュンは「す」を疑問に思う。
見当違いのものを想像していた。
フュンには見えないように、少し怒った顔をしているサティは、涙目のアンの耳元に顔を近づけて小声であるけど迫力のある声を出した。
「シルヴィが好きだなんて言ってはなりませんよ。アン姉様。この子には、最大限気を遣っていると、シルヴィとジークが言っていたじゃないですか。そんなこと言ったら、彼は意識してしまいます。王家との繋がりの判断を難しくさせることになるのですよ」
「あ、そ、そうだった・・・ごめんよ。考えなしに言葉が出ちゃいそうになったんだよ」
「はぁ。まったく、余計な事をおっしゃらないでくださいよ。アン姉様」
「わ、わかったよ。サティ。気を付ける」
二人だけの空間に見えたフュンは。
「んん???」
首を傾げて歩くのをやめていた。
「あ、すみません。フュン殿。こちらにどうぞ。私はサティ・ブライトであります。本日は、私の招待を快く承諾してくださったようで、誠にありがとうございます。妹のシルヴィアがいつもお世話になっていると、あの子から聞いております。あの子は少し天然な所がありますから、フュン殿にご迷惑をおかけしているでしょう。あと彼女の事で一つ……今日、こちらに来られたら良かったのですが、ジークの仕事を回されたようなので申し訳ありませんね。来られないようで」
ここで情報を一つ。
回されたというのが嘘である。
実際には、回したのである。
ジークがいつもの倍以上の仕事を彼女に与えているのだ。
妹が帰って来て、いの一番に会いに行ったのがフュンだったから、最大限の嫌がらせをしたのだ。
妹大好き人間のささやかな嫉妬である。
「そうですか。でも、それは仕方ありませんよ。それに僕は、ジーク様とシルヴィア様に大変感謝してます。ご迷惑をおかけしているのは僕の方で。人質生活でありますが、お二人がいてくれたおかげでちっとも辛くありません。あ、それと、自己紹介を……僕はフュン・メイダルフィアで、サナリア王国の一応、王子です」
フュンとしては軽く自己紹介をしたつもりだったが、サティはしまったという顔をした。
「あ、そうでしたね。私の情報が少ないですよね。私はガルナズン帝国皇帝の第四皇女サティ・ブライトであります。一応私も皇帝の子ですが、私は王族ではないので、気軽にお話ししてくれると嬉しいです。そして、妹の代わりではありませんが。こちらがですね。はい。姉様」
「僕は、三番目のアンだよ! 僕も王族じゃないから、普通にしてね。よろしくね。フュン君」
アンは、非常にシンプルな女性である。
「はい。よろしくお願いします。アン様。サティ様」
案内されているテーブルに行きがてら、フュンは二人に頭を下げた。
席の前に到着すると、まずは座って欲しいと彼女たちに言われたので、素直に先に座ったフュン。
見上げて見た二人は満面の笑みであった。
その笑顔に嘘偽りがないので、この人たちもまたシルヴィアに似ている姉妹なんだとフュンは思った。
綺麗なのは容姿だけじゃない。その心が美しいようだ。
「……あの。それで本日はありがたい事ではあるのですけども。僕みたいな属国の王子を招いてもよろしかったのでしょうか。僕には良くない噂がありますし。ご迷惑に・・・」
「いえ。そんな些細な事。私たちには関係がありませんよ。私は、あのジークとシルヴィが気に入ったと言った殿方が気になったのですよ」
「そ、そうですか。ならよかったです。あ! それでですね。たぶんこちらが欲しいのかと思いましてね。僕はこれをお土産に・・・お二人でどうぞ」
フュンは紙袋ごと、二人の前に差し出した。
「なんでしょう。中を見てもよろしいでしょうか」
「僕も見てもいい!」
二人が身を乗り出す。
「どうぞどうぞ。差し上げるものなのでご自由に」
そう言われたので、二人は遠慮なく紙袋の中身を見た。
すると、あのシルヴィアが持っていたクリームが入っていた。
「「あ! これは!?」」
見覚えのある物に二人は同時に驚く。
「あの。勘違いだったらごめんなさい。それが欲しくて、僕を呼んだのかと思いましたので・・・」
「え? 私はそんな催促はしておりませんことよ。んん?」
彼の言葉は、サティにとって想定外である。
サティは普通にフュンと会いたいと思っていた。
そしてそれを都合よく解釈した妹がこちらをダシにして彼を誘ったまでは話に聞いていたのだが、何かボタンの掛け違いのような印象の言葉をフュンが言い出した。
「…そ、そうだったんですか。あれぇ? シルヴィア様のあの口ぶりだと・・・・サティ様がこれを欲しがっているみたいな感じだったんで・・・あれぇ? 僕の勘違いだったのかな」
「…あ、あの子はぁ・・・ああ、もうどんだけ誘い下手なのよ・・・まったくもう」
小さく呟いたサティは男性慣れしていない妹に呆れるしかなかった。
サティがフュンを招待したい理由。
それは一度お会いしたかったという単純なものと、二人が気に入った理由を会って確かめたかったからだ。
あまり人を信用してこなかった兄妹なので、そこが気になっていたのだ。
「そんなこと別にいいじゃん。これ凄いんだよね。こういうのに、うるさいサティが褒めてたもんね! 僕も使っていいの。袋の中に二個あるけど」
アンはとても素直だ。
「あ。はい。どうぞどうぞ。僕は、アン様も来ると前もって知らせを受けたので、元々お二人に渡そうかと思ってましてね。お二つ、ご用意しましたよ」
「やったね。なんかシルヴィだけずるいと思ってたんだよね。わーい」
嬉しそうにアンは一個袋から取り出した。
「これ。どうやって使えばいいの。僕ってクリーム使ったことないんだけど」
「「え!?」」
今度はフュンとサティが驚いた。
「アン姉様。お肌のケアは? 顔はどうやって洗って?」
「いやぁ。水で、パシャパシャ? 綺麗になるよね? あれ? 二人とも?」
「はぁ。頭が痛いわ。どうしましょう。私の姉妹は、天然しかいないのだわ」
サティはまだお茶会もお話も始まっていないのに疲れ始めた。
「なるほど。それじゃあ、アン様は普段体の部位は何で洗ってますか? 頭とか。体とか? 石鹸でですか?」
フュンが恥ずかしげもなく女性に体のことを聞くのは、診察行為に近しい聞き出しだったからである。
普通の女性であれば、ここで男性に聞かれたら恥ずかしがるかもしれないが、こちらの女性は天然なのでまったく気にしない。
「え? 体? 石鹸でだよ。髪もそれと同じのだよ」
「髪も!?」
サティは驚きで目が回りそうである。
「そうですか。ならば、僕が今度。シャンプーとリンス。石鹸をお持ちしましょうか? 特製のものがありますよ。それとセットでそのクリームを使ってくだされば効果は上がります。そのクリームはお風呂後に使用するのがベストとなりますね!」
「え。いいの! ラッキー。君はいい子だね!」
立ち上がったアンは恥ずかしげもなくフュンの頭を撫でた。
「…はい。ど、どうも。あははは」
「それは、あなたが作っているでよろしいのですか?」
正面に座るサティは、頭を撫でられて恥ずかしがってるフュンに聞いた。
「はい。そうですよ。あ、でもそれらは、僕が作っていますが、元々は母が作っていた物です。母のメイドさんの中に皮膚が弱いメイドさんがいてですね。そのメイドさんの為にサナリア草を使用した薬用の石鹸ら一式を母が開発したのです。そのレシピを僕が受け継いでいるだけですね。ですが、このクリームは僕が改良してますよ。もっと肌に効くようにしてます」
「な・・・・なんて方なの・・・シルヴィアが言っていた以上のお方じゃない!?」
サティは驚きで止まった。
思った以上の優秀な人物に、なぜこれを教えてくれないのだと妹に不信感を持つ。
あの子が言うのは、ほぼのろけ話で。
フュン殿に褒められた。こんなことを言われたなどの話だけ。
こういう重要な話もしなさいよ。
と妹に文句を言いたくなった。
「これってさ。持ち歩く物じゃないよね」
いつの間にか席に戻っていたアン。
片手でクリームを持って眺めながらフュンに聞く。
「そうですね。お部屋の中でも、出来ましたら日の当たらない場所がいいですよ。その方が品質が落ちにくいです」
「だよね。でもさ。シルヴィ、これを持ち歩いているよ」
「え!?」
「君から貰ったからって、大切にするんだって。あの子、かなり喜んでたからね。今も持ってるんじゃない?」
「いや。それはさすがに・・・やめてもらった方がいいですね・・・え???」
フュンもさすがにそれはないだろうと半信半疑であるが、目の前のアンは嘘をつくような女性に見えない。
それに彼女の心も真っ白で美しく見えている。
だからこそ、今の言葉は信ぴょう性の高い言葉であると思った。
「そ。それはそうとして。私。話そうと思ったことを全部飛ばしてでも、お聞きしたいことが出来ましたの。そちらのお話でもよろしいかしら?」
「あ。どうぞ。僕はお話の内容は何でも構いませんよ。あははは」
「ありがとうございます。それでいきなりですけど。あなた、これ。事業にしませんこと?」
「事業?」
「ええ。私、王族という立場でありません。そして、貴族という立場でもありません。皇帝の子としての半貴族のような立場であります。そこで、私は私財だけがあるのです。これまでは何もすることがありませんでしたから、普通に暮らしていましたが。私、これに少々興味がありましてですね」
フュンが作ったクリームを右手に持って、サティは楽しそうに笑った。
面白い事が出来ると、何かを思いついていたのだ。
「私がこれの権利をあなたから貰い、儲けたお金をあなたに還元するのはどうでしょう? そして、その儲けたお金はあなたの開発や改良、研究費や生活に当てるのはどうでしょう? まあ、そこの細かい部分は後で詰めるとしても、今は私と手を組みませんこと。これは私が王族ではないので、あなたは何も気兼ねなく協力できると思うのです。ジークやシルヴィ、兄様、姉様方の御三家とも関係ありませんし」
「な、なるほど・・・しかし、僕のこれが売れますかね? 母の秘伝なだけですし」
「大丈夫です。あのシルヴィの肌の傷が消えました。それはこれのおかげですよね。あの子は細かい傷が絶えない子でしたからね。効果が絶大であるのがはっきりと出ていますよ」
「そうですか。でも、これは本当にただの保湿クリームで、戦いでの傷はさすがに・・・・」
「いえいえ。あの子は戦いでもほとんど怪我をしません。激しい訓練での軽い怪我が消えているのですよ。それは確実にこれのおかげです」
サティの意見を隣で聞いていたアンが思いつく。
「へぇ。そうか。なら僕の工房でも・・・使えるんじゃないかな。ほら、工房って火とか使うから、ちょっとした火傷とかする子いるよ。これ、男性用も作れる? 工房って男性多いからさ。どうなんだろって思った」
「あ。たぶん。そのまま使用してもいいはずです。でも男性用ですか。たしかに、僕としたことが、これを使用する男性を考えたことがなかった。作ってみますね」
「うん。僕の工房で実験をしようよ。肌が綺麗になったら教えるよ」
「あ、ありがとうございます。そうですね。早めに作ってみます」
「うん。お願い~」
アンとしては軽い願いであり、サティとしては固い契約を交わしたいのである。
しかし、フュンはこの時にそんなに深くこの事を考えていなかった。
「えっと。それでは、今日帰ったらすぐにでも作ってみますね。たぶん配合だけを変えればいいので、数日で作れますよ。また会えたりしますかね?」
「フュン殿。私と契約。いいのですか」「僕も会ってもいいの!」
二人はフュンとまた会えると思ったら身を乗り出して聞いてきた。
「あ、はい。お願いします! でも、僕とそんなに簡単に会ってもいいんですか? 属国の王子なんですけど・・・」
「「それは関係ない!」」
二人とも身分を捨てた身であるから、フュンの身分など関係なかった。
同じような立場なのである。
こうして、フュンは帝国において大いなる地盤を得た。
これは、帝国での生活をより良くするための経済的地盤と言ってもいいだろう。
なぜなら、この二人。
皇帝の血は継いでいるが、王家としてはカウントされず。
だから御三家でも手に入れることの出来ない二人であるのだ。
王家が引き入れてはいけない二人であるとも言える。
帝国の微妙なパワーバランスを崩すかもしれない人物だから。
それなのに、属国の辺境王子は、この二人を味方にしたのだった。
それは驚異の出来事であった。
帝国に来てたったの半年で、フュンは帝国での基盤を意図せず勝手に築き上げてしまったのでした。
帝国に来てから半年が経つ頃。
凶悪な指導者ミランダを得たフュンたちは大きく成長している真っ最中だった。
激しい訓練を重ねるゼファーと、理論的な指導で戦いの視野を広げていくフュン。
二人は強くなっていく実感を徐々に得ていき、充実した日々を過ごしていた。
そしてこの日の修行は中断される。
ミランダがしばしの間、どこかへ行くと宣言したのだ。
「すまん! あたしよ。里に帰んなきゃいけない用事が出来たのさ。今からちょっくら行ってくるからさ。ついでにお前らの修行用の道具も持ってくっから。そうだなぁ。10日……いや20日くらいで帰って来るから、その間は自主練か休息しておいてくれぇい」
「「はい。先生」」
「おうよ。じゃあな」
ミランダの屋敷の庭で修業していた二人は、彼女を見送った後。
自分たちの屋敷へと帰った。
フュンの屋敷到着寸前での会話。
「殿下! 殿下はこの後どうしますか?」
「そうですね。僕は、体を休めて頭でも鍛えましょうかね。部屋で先生の本を読んでおきますよ」
「そうですか。では私はこのまま裏の庭に行って修練を積みます。失礼します、殿下!」
「はい。では、頑張ってください。僕はお屋敷に・・・」
「フュン殿」
「ん?」
ゼファーと二手に分かれた直後、背後から声をかけられた。
美しい銀色の髪が一番に目に入る。
「あ? シルヴィア様じゃありませんか。ご無事でよかったです。心配してましたよ」
「はい。あなた様のおかげで無事でありました。ありがとうございました」
戦地から帰って早々、真っ先にフュンの元へ来たシルヴィア。
頭を軽く下げてからフュンに近づく。
この優しい男の笑顔を見る為だけに、彼女は戦いを終わらせていち早く帰って来たのだ。
「そ、そうだった。ささ、こんなところに長く居ては駄目です。出来るだけ早く屋敷の中に」
「…え? なぜ!? ここでも…」
「どうぞどうぞ。シルヴィア様。お早く。あまりここらで、人に見られない方がいいでしょうからね。シルヴィア様は綺麗な髪をしてますから、顔が見えなくともその髪だけであなただと分かられてしまいます」
「…そ、そんな。綺麗だなんて。そんな……は、恥ずかしい……です」
「早く行きましょう。ささ、こっちです」
相変わらず彼女は、フュンから何気なく飛び出る綺麗という言葉に弱いのだった。
◇
屋敷に入ってから、二人は向かい合わせに立つ。
同じくらいの身長なので同じ目線で話し出す。
「それで、シルヴィア様。何の用ですか?」
「えっと・・・私は、これのお礼にと」
シルヴィアはお守りを取り出した。
「ああ。これの……そうでしたか。いえいえ。わざわざありがとうございます。って、え!? あれ。そういえば、シルヴィア様の服。まだ戦闘服のようなんですけども。まさか、お帰りになられたばかりなのでは?」
「いや。まあ。その。はい」
「え? ジーク様には僕より先にお会いしましたか。ジーク様。毎日、心配していた様子でしたけど」
「会ってません。兄様はいいのです・・・別に」
シルヴィアは少しだけ顔を横に向けた。
兄は無視される運命だったらしい。
「いやいや、それはさすがに可哀想ですよ。僕なんかの所に先に来ちゃ駄目ですって。お守りのお礼くらいで急がなくてもいいんですよ。あ、そうだ、なんだったら、僕からそちらにこっそり行ってもよかったのに。わざわざ出向いてもらうなんて、なんか申し訳ないですよ。あと、ジーク様に真っ先に会ってあげてください。可哀想です」
「いえ。わ、私がこちらに来たかったのです。も、ももも、もちろんこちらのお礼にですよ」
素直な気持ちがついつい出てしまい、恥ずかしくなって取ってつけたような言い方になった。
フュンに見せているお守りの手が震える。
「そうですか。まあ、それならいいですけどね・・・でもさすがにジーク様、泣いちゃうだろな」
フュンの頭の中では涙目のジークの顔が浮かんだ。
そして、シルヴィアはここまでの会話では、まだ素直に話すことが出来たのだが、急に次の瞬間からもじもじと体を左右に動かし始める。
恥ずかしさが頂点に達しているようで、彼女の顔は火山噴火五秒前となる。
「ん? シルヴィア様? どうかしましたか?」
「そ、それがですね・・・・あの・・・・フュン殿・・・お時間ってありますか」
「今ですか?」
「いえ。明日の昼です」
「はい。大丈夫ですよ。しばらくはお休みになりましたからね。いつでもいいですよ」
「へぇ。そうですか・・・・・それで・・・あの・・・」
やはりまだ言いにくそうである。
乙女心全開お姫様は、つい先日までは相手の兵を蹴散らしてきた戦姫なのだ。
どれほどの敵を倒そうとも、たった一人の男に太刀打ちできなかった。
「・・・あの・・・姉様がですね」
シルヴィアは、ちょんちょんと人差し指同士を合わせる。
「姉様? リナ様ですか?」
フュンは帝国の事情を頭に入れ始めていた。
さすがにどの陣営につくかを考える際に、名くらいは最低でも覚えておかなければと情報は手に入れていたのである。
シルヴィアの姉は、四人。
第一皇女は死去。第三と第四の情報がなかったために、第二皇女のリナのことだとフュンは認識した。
「いえ・・・その姉様ではなくてですね。私にはサティ姉様がいるのです・・・・それで」
「へぇ。サティ様という方がですか。ほうほう。その方の名前も覚えておかないといけませんね」
フュンは納得しながら、聞いたことのない名前を必死に覚えている。
「はい・・・それでですね。そのサティ姉様がフュン殿にどうしてもお会いしたいと、自分の屋敷にお招きしたいと言って聞かないのです」
嘘である。どうしても会いたいのはシルヴィアである。
取ってつけた理由で呼び出したのであった。
「え? 僕をですか? なぜ?」
「そ、それは私が、ずっとですね・・・・す・・・・」
「す?」
彼女は話の途中で気付いた。
ここで『好きだからです』だとは言えない。
絶対に言えない。
自分が勝手に口走ってフュンを困らせてはいけない。
まだ誰の陣営にもついてない彼を縛りつけるような呪いの言葉になりそうだったから。
なんて、都合のいい言い訳だ。
勇気がなかったのだ。
この先を言う勇気が。
もし告白が失敗してしまったら、あなたに二度と会えなくなるかもしれないという恐怖に、シルヴィアは打ち勝てなかったのだ。
だからシルヴィアは別の言葉をたどたどしく紡いだ。
「・・・えっと、あの~。その~。ですね。あ、あのクリームをですね。姉様が褒めてらっしゃってですね。その~なんですか。そういう感じの事ですよね。ええ。まあ・・・そんな感じです。はい」
シルヴィアはもう自分でも何を言っているのかを分かっていません。
「ああ。なるほど。わかりました。いいですよ。サティ様のお屋敷に行きましょう。明日ですね。場所を教えてくださいね。行きますから!」
「本当ですか。ありがとうございます。姉様と一緒にお待ちしてます」
シルヴィアが意図したものとは違うが、フュンは何かを察してくれたおかげで、無事にお誘いは成功した。
明日を楽しみにしたシルヴィアはダーレー家の屋敷までスキップで帰っていったのだった。
◇
翌日。
サティの立派な屋敷の前にフュンは一人でやって来た。
王族ではないけども、淑女ではあるサティに対して、どのような態度と恰好で臨めばいいのだろうと試行錯誤した結果。
あまり仰々しくメイドや従者を連れ込むのも失礼なのではないかと結論付けたフュンは、お土産だけを持参して普通の青年のようにして一人でこちらにやって来たのである。
正装ではなく、普段着でもなく、出来るだけ身なりを綺麗にしたスーツ姿でいる。
フュンは門の前にいた紳士の案内を受けた。
敷地内の庭が見える部屋に案内されると、待ち受けていたのは二人の女性。
一人は茶色の髪をカールにして、貴族が着るような優雅な服装をしていて。
一人は緑のショートカットで一般人のようなラフな格好の女性がいた。
「おお。君が! 噂のシルヴィが言っていた。す・・・い、痛い」
両手を振って大歓迎をしていたアンは、サティのヒールに足を踏まれた。
「す? すってなんだろう。最近の流行なのかな…酢が!」
フュンは「す」を疑問に思う。
見当違いのものを想像していた。
フュンには見えないように、少し怒った顔をしているサティは、涙目のアンの耳元に顔を近づけて小声であるけど迫力のある声を出した。
「シルヴィが好きだなんて言ってはなりませんよ。アン姉様。この子には、最大限気を遣っていると、シルヴィとジークが言っていたじゃないですか。そんなこと言ったら、彼は意識してしまいます。王家との繋がりの判断を難しくさせることになるのですよ」
「あ、そ、そうだった・・・ごめんよ。考えなしに言葉が出ちゃいそうになったんだよ」
「はぁ。まったく、余計な事をおっしゃらないでくださいよ。アン姉様」
「わ、わかったよ。サティ。気を付ける」
二人だけの空間に見えたフュンは。
「んん???」
首を傾げて歩くのをやめていた。
「あ、すみません。フュン殿。こちらにどうぞ。私はサティ・ブライトであります。本日は、私の招待を快く承諾してくださったようで、誠にありがとうございます。妹のシルヴィアがいつもお世話になっていると、あの子から聞いております。あの子は少し天然な所がありますから、フュン殿にご迷惑をおかけしているでしょう。あと彼女の事で一つ……今日、こちらに来られたら良かったのですが、ジークの仕事を回されたようなので申し訳ありませんね。来られないようで」
ここで情報を一つ。
回されたというのが嘘である。
実際には、回したのである。
ジークがいつもの倍以上の仕事を彼女に与えているのだ。
妹が帰って来て、いの一番に会いに行ったのがフュンだったから、最大限の嫌がらせをしたのだ。
妹大好き人間のささやかな嫉妬である。
「そうですか。でも、それは仕方ありませんよ。それに僕は、ジーク様とシルヴィア様に大変感謝してます。ご迷惑をおかけしているのは僕の方で。人質生活でありますが、お二人がいてくれたおかげでちっとも辛くありません。あ、それと、自己紹介を……僕はフュン・メイダルフィアで、サナリア王国の一応、王子です」
フュンとしては軽く自己紹介をしたつもりだったが、サティはしまったという顔をした。
「あ、そうでしたね。私の情報が少ないですよね。私はガルナズン帝国皇帝の第四皇女サティ・ブライトであります。一応私も皇帝の子ですが、私は王族ではないので、気軽にお話ししてくれると嬉しいです。そして、妹の代わりではありませんが。こちらがですね。はい。姉様」
「僕は、三番目のアンだよ! 僕も王族じゃないから、普通にしてね。よろしくね。フュン君」
アンは、非常にシンプルな女性である。
「はい。よろしくお願いします。アン様。サティ様」
案内されているテーブルに行きがてら、フュンは二人に頭を下げた。
席の前に到着すると、まずは座って欲しいと彼女たちに言われたので、素直に先に座ったフュン。
見上げて見た二人は満面の笑みであった。
その笑顔に嘘偽りがないので、この人たちもまたシルヴィアに似ている姉妹なんだとフュンは思った。
綺麗なのは容姿だけじゃない。その心が美しいようだ。
「……あの。それで本日はありがたい事ではあるのですけども。僕みたいな属国の王子を招いてもよろしかったのでしょうか。僕には良くない噂がありますし。ご迷惑に・・・」
「いえ。そんな些細な事。私たちには関係がありませんよ。私は、あのジークとシルヴィが気に入ったと言った殿方が気になったのですよ」
「そ、そうですか。ならよかったです。あ! それでですね。たぶんこちらが欲しいのかと思いましてね。僕はこれをお土産に・・・お二人でどうぞ」
フュンは紙袋ごと、二人の前に差し出した。
「なんでしょう。中を見てもよろしいでしょうか」
「僕も見てもいい!」
二人が身を乗り出す。
「どうぞどうぞ。差し上げるものなのでご自由に」
そう言われたので、二人は遠慮なく紙袋の中身を見た。
すると、あのシルヴィアが持っていたクリームが入っていた。
「「あ! これは!?」」
見覚えのある物に二人は同時に驚く。
「あの。勘違いだったらごめんなさい。それが欲しくて、僕を呼んだのかと思いましたので・・・」
「え? 私はそんな催促はしておりませんことよ。んん?」
彼の言葉は、サティにとって想定外である。
サティは普通にフュンと会いたいと思っていた。
そしてそれを都合よく解釈した妹がこちらをダシにして彼を誘ったまでは話に聞いていたのだが、何かボタンの掛け違いのような印象の言葉をフュンが言い出した。
「…そ、そうだったんですか。あれぇ? シルヴィア様のあの口ぶりだと・・・・サティ様がこれを欲しがっているみたいな感じだったんで・・・あれぇ? 僕の勘違いだったのかな」
「…あ、あの子はぁ・・・ああ、もうどんだけ誘い下手なのよ・・・まったくもう」
小さく呟いたサティは男性慣れしていない妹に呆れるしかなかった。
サティがフュンを招待したい理由。
それは一度お会いしたかったという単純なものと、二人が気に入った理由を会って確かめたかったからだ。
あまり人を信用してこなかった兄妹なので、そこが気になっていたのだ。
「そんなこと別にいいじゃん。これ凄いんだよね。こういうのに、うるさいサティが褒めてたもんね! 僕も使っていいの。袋の中に二個あるけど」
アンはとても素直だ。
「あ。はい。どうぞどうぞ。僕は、アン様も来ると前もって知らせを受けたので、元々お二人に渡そうかと思ってましてね。お二つ、ご用意しましたよ」
「やったね。なんかシルヴィだけずるいと思ってたんだよね。わーい」
嬉しそうにアンは一個袋から取り出した。
「これ。どうやって使えばいいの。僕ってクリーム使ったことないんだけど」
「「え!?」」
今度はフュンとサティが驚いた。
「アン姉様。お肌のケアは? 顔はどうやって洗って?」
「いやぁ。水で、パシャパシャ? 綺麗になるよね? あれ? 二人とも?」
「はぁ。頭が痛いわ。どうしましょう。私の姉妹は、天然しかいないのだわ」
サティはまだお茶会もお話も始まっていないのに疲れ始めた。
「なるほど。それじゃあ、アン様は普段体の部位は何で洗ってますか? 頭とか。体とか? 石鹸でですか?」
フュンが恥ずかしげもなく女性に体のことを聞くのは、診察行為に近しい聞き出しだったからである。
普通の女性であれば、ここで男性に聞かれたら恥ずかしがるかもしれないが、こちらの女性は天然なのでまったく気にしない。
「え? 体? 石鹸でだよ。髪もそれと同じのだよ」
「髪も!?」
サティは驚きで目が回りそうである。
「そうですか。ならば、僕が今度。シャンプーとリンス。石鹸をお持ちしましょうか? 特製のものがありますよ。それとセットでそのクリームを使ってくだされば効果は上がります。そのクリームはお風呂後に使用するのがベストとなりますね!」
「え。いいの! ラッキー。君はいい子だね!」
立ち上がったアンは恥ずかしげもなくフュンの頭を撫でた。
「…はい。ど、どうも。あははは」
「それは、あなたが作っているでよろしいのですか?」
正面に座るサティは、頭を撫でられて恥ずかしがってるフュンに聞いた。
「はい。そうですよ。あ、でもそれらは、僕が作っていますが、元々は母が作っていた物です。母のメイドさんの中に皮膚が弱いメイドさんがいてですね。そのメイドさんの為にサナリア草を使用した薬用の石鹸ら一式を母が開発したのです。そのレシピを僕が受け継いでいるだけですね。ですが、このクリームは僕が改良してますよ。もっと肌に効くようにしてます」
「な・・・・なんて方なの・・・シルヴィアが言っていた以上のお方じゃない!?」
サティは驚きで止まった。
思った以上の優秀な人物に、なぜこれを教えてくれないのだと妹に不信感を持つ。
あの子が言うのは、ほぼのろけ話で。
フュン殿に褒められた。こんなことを言われたなどの話だけ。
こういう重要な話もしなさいよ。
と妹に文句を言いたくなった。
「これってさ。持ち歩く物じゃないよね」
いつの間にか席に戻っていたアン。
片手でクリームを持って眺めながらフュンに聞く。
「そうですね。お部屋の中でも、出来ましたら日の当たらない場所がいいですよ。その方が品質が落ちにくいです」
「だよね。でもさ。シルヴィ、これを持ち歩いているよ」
「え!?」
「君から貰ったからって、大切にするんだって。あの子、かなり喜んでたからね。今も持ってるんじゃない?」
「いや。それはさすがに・・・やめてもらった方がいいですね・・・え???」
フュンもさすがにそれはないだろうと半信半疑であるが、目の前のアンは嘘をつくような女性に見えない。
それに彼女の心も真っ白で美しく見えている。
だからこそ、今の言葉は信ぴょう性の高い言葉であると思った。
「そ。それはそうとして。私。話そうと思ったことを全部飛ばしてでも、お聞きしたいことが出来ましたの。そちらのお話でもよろしいかしら?」
「あ。どうぞ。僕はお話の内容は何でも構いませんよ。あははは」
「ありがとうございます。それでいきなりですけど。あなた、これ。事業にしませんこと?」
「事業?」
「ええ。私、王族という立場でありません。そして、貴族という立場でもありません。皇帝の子としての半貴族のような立場であります。そこで、私は私財だけがあるのです。これまでは何もすることがありませんでしたから、普通に暮らしていましたが。私、これに少々興味がありましてですね」
フュンが作ったクリームを右手に持って、サティは楽しそうに笑った。
面白い事が出来ると、何かを思いついていたのだ。
「私がこれの権利をあなたから貰い、儲けたお金をあなたに還元するのはどうでしょう? そして、その儲けたお金はあなたの開発や改良、研究費や生活に当てるのはどうでしょう? まあ、そこの細かい部分は後で詰めるとしても、今は私と手を組みませんこと。これは私が王族ではないので、あなたは何も気兼ねなく協力できると思うのです。ジークやシルヴィ、兄様、姉様方の御三家とも関係ありませんし」
「な、なるほど・・・しかし、僕のこれが売れますかね? 母の秘伝なだけですし」
「大丈夫です。あのシルヴィの肌の傷が消えました。それはこれのおかげですよね。あの子は細かい傷が絶えない子でしたからね。効果が絶大であるのがはっきりと出ていますよ」
「そうですか。でも、これは本当にただの保湿クリームで、戦いでの傷はさすがに・・・・」
「いえいえ。あの子は戦いでもほとんど怪我をしません。激しい訓練での軽い怪我が消えているのですよ。それは確実にこれのおかげです」
サティの意見を隣で聞いていたアンが思いつく。
「へぇ。そうか。なら僕の工房でも・・・使えるんじゃないかな。ほら、工房って火とか使うから、ちょっとした火傷とかする子いるよ。これ、男性用も作れる? 工房って男性多いからさ。どうなんだろって思った」
「あ。たぶん。そのまま使用してもいいはずです。でも男性用ですか。たしかに、僕としたことが、これを使用する男性を考えたことがなかった。作ってみますね」
「うん。僕の工房で実験をしようよ。肌が綺麗になったら教えるよ」
「あ、ありがとうございます。そうですね。早めに作ってみます」
「うん。お願い~」
アンとしては軽い願いであり、サティとしては固い契約を交わしたいのである。
しかし、フュンはこの時にそんなに深くこの事を考えていなかった。
「えっと。それでは、今日帰ったらすぐにでも作ってみますね。たぶん配合だけを変えればいいので、数日で作れますよ。また会えたりしますかね?」
「フュン殿。私と契約。いいのですか」「僕も会ってもいいの!」
二人はフュンとまた会えると思ったら身を乗り出して聞いてきた。
「あ、はい。お願いします! でも、僕とそんなに簡単に会ってもいいんですか? 属国の王子なんですけど・・・」
「「それは関係ない!」」
二人とも身分を捨てた身であるから、フュンの身分など関係なかった。
同じような立場なのである。
こうして、フュンは帝国において大いなる地盤を得た。
これは、帝国での生活をより良くするための経済的地盤と言ってもいいだろう。
なぜなら、この二人。
皇帝の血は継いでいるが、王家としてはカウントされず。
だから御三家でも手に入れることの出来ない二人であるのだ。
王家が引き入れてはいけない二人であるとも言える。
帝国の微妙なパワーバランスを崩すかもしれない人物だから。
それなのに、属国の辺境王子は、この二人を味方にしたのだった。
それは驚異の出来事であった。
帝国に来てたったの半年で、フュンは帝国での基盤を意図せず勝手に築き上げてしまったのでした。
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