人質から始まった凡庸で優しい王子の英雄譚

咲良喜玖

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第一部 人質から始まる物語

第18話 戦姫の恋煩い

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 「む! ここはどこでしょう?」

 目覚めたお姫様は元の冷静で落ち着いた雰囲気に戻っていた。
 見上げた天井がいつもと違う上に、なんだか寝ているベッドが質素で小さい。
 なので、自分のものではないとすぐに理解できた。

 薄めと濃いめの二重のピンクの天蓋に、ピンクの大きい枕、そして幅の広いピンクのベッド。
 自分の周りは通常ピンク一色の乙女心満載のものなのに、ここはあまりに飾り気のない質素なベッドだ。
 『やれやれ、知らない場所で眠ってしまうなど、この私としたことが失態であります』とシルヴィアは体を起こした。

 「あれ?? 私の服が違いますね」

 戦闘服から着替えた服装が、いつも眠る時に着用するフリルが付いた普段着じゃない。
 男性用の寝巻の服であった。
 『はて、着替えた記憶が私にはありません』
 そう思って辺りを見回すと兄がいた。

 「あれ。兄様がいる? なぜ、兄様が私のそばに……それにしてもおそばで眠るなんていつ以来でしょう」

 目覚めたお姫様の左隣には、椅子にもたれかかりながら、うたた寝している皇子様兼大商人がいた。
 疲れ果てて眠った妹を心配して、お姫様の兄もいつの間にか眠ってしまっていたらしい。
 上下に軽く頭が揺れている。

 「そうですか。兄様、私を心配していたのですね……兄様はいつも私に甘いですよね。私を愛しているとは本気で言わない癖に・・・・本当のところは愛してくれているのですね。ええ、分かりますよ。本当はね」

 お姫様は自分の兄の顔を見て微笑んだ。
 家族にだけ見せる笑顔である。

 そして、お姫様はふと右を向いた。
 人の気配と右手に温もりがあったからである。

 「ほえ!? ほええええええええええええええええええええええええええ」

 何故かお姫様は絶叫したのであった。

 「え? なんだ。なんだ? 皆さん、大丈夫ですか!」

 フュンは大きな声に驚いて飛び起きた。

 「緊急事態ですか!? シルヴィア様!・・・あ、ご無事だ」

 皆を心配してから、フュンはシルヴィアの名を呼んだ。
 診察途中でフュンはそのまま眠ってしまったようで、シルヴィアの身に何か起こったのかと思ったのだ。

 「あ…そうだ。具合はどうですか。あ、これならもう傷もよさそうですね。それに、お目覚めになられただけみたいで。ああよかったぁ。毒のせいで体力を奪われていたから心配してましたよ。そのご様子だと眠ったら回復したようですね。うんうん、よかったです」
 「ふえ。ななななぜ。なぜフュン殿が私の手を! にににに握っているのでしょう!!!」
 「ああ、ごめんなさい。嫌でしたか。申し訳ないですね」

 彼女に指摘されたのでフュンはすぐに手を離した。
 シルヴィアは彼の温かで優しい手に名残惜しさを感じてしまう。
 正直言って、シルヴィアは面倒くさい性格の女の子なのだ。

 「シルヴィア様の体温を測ってたら、どうやら僕も一緒になって眠ってしまっていたらしいです。あははは。申し訳ないです。僕も疲れてたみたいですね。あはははは」

 「あっ」とかすれた声をつい出してしまったシルヴィア。
 まだもう少しだけ手を握っていてほしかったなと思う女心。
 本当に厄介な性格である。

 「おお。我が妹よ。回復した様だな。流石はお前だ。回復力が俺とは違うわ。頑丈頑丈! はははは」
 「に、兄様。今はその話はしないで頂きたい。フュン殿がいるのです……は、恥ずかしいです」

 シルヴィアは耳まで赤くして、顔を伏せた。

 「お? おお、そうか・・ん? どうしたお前、いつからそんなか弱い乙女みたいな話し方に……お前は戦が華の戦姫だろ。これくらいのことで恥ずかしがるなんて、変だな?」
 「そ。そんな。私は乙女ではありません。私は歴とした戦・・・士・・・」
 「どれどれ、起きてくれたので、少々失礼しますね。お顔の傷を拝見しますよ」
 「ほええええええええええええええええええええええええええええ」

 フュンが身を乗り出して来た。
 シルヴィアの顔の前に、フュンの顔が現れる。
 息がかかるくらいに間近になったことで、シルヴィアは目を回した。
 
 「む・・・むりぃ」
 「な、なんで???」

 何が無理か分からないフュンの動きは止まった。

 ◇

 彼女が落ち着くまで待った後。
 フュンは、シルヴィアの顔の傷に張っておいたテープを剥がす。
 それは、彼女が眠る間に手で傷を掻いてしまわないようにするための念のためのものであった。
 ここにも彼のきめ細かい治療がなされていたのだ。
 でも彼女は幸いにも動きもなく静かに眠っていたようで、このテープを剝がそうとした形跡がなかった。
 意外に器用なフュンはそれを上手く剥がすと、彼女の顔の傷をまじまじと見つめて言う。

 「いや~。綺麗に治りましたね。よかったですね。女性の顔に傷なんて。僕個人として、許せないですからね。あははは」
 「…は、はい」
 
 正面にいるフュンに対して、シルヴィアは彼に傷を見てもらうために横を向いている。
 だから、横目で彼をちらちらと見ていた。
 綺麗な肌になりそうでよかったと言ってくれた彼の顔を見ることが出来ないから、ちょうどいい距離感だと思った。

 「ほら、手鏡で見てくださいよ。どうぞ」 
 「あ、ありがとうございます。王子」

 シルヴィアは、フュンから手渡された鏡で自分の顔を見る。
 右頬の傷が綺麗に塞がっていた。
 あと少しでこの傷もなくなるであろうといったくらいにまで回復していた。

 「どうです。よかったでしょ。綺麗な顔に傷がつかなくて。あはははは」 
 「・・・え!? き、綺麗だなんて。また・・・そんな」

 褒められて、一瞬だけ顔を伏せる。
 そして、もう一度自分の顔を見てもらいたくて、フュンの方に顔を向けた。
 だけどそこにもう彼はいなかった。
 どこにいったのと彼を探してみたら部屋のドアの方にいた。
 彼の動きが意外にも早かったのだ。

 「アイネさ~~~ん。あれはまだ余ってますかぁ。また作るので、一個くらいもらえますかねぇ~~~」
 「王子、わかりました。少々お待ちを。準備します」
 「は~い。急いでないので、ゆっくりでいいですよ」
 「わかりました王子。こちらの仕事を片付けたら向かいますね」
 「は~~い」

 女性の名を呼んでいる彼を見て胸が締め付けられるような気分になった。
 痛い。これは何の痛みでしょう。
 シルヴィアは戦闘で感じたことのない痛みを感じた。


 ◇

 玄関の方から急いで走ってくる足音が聞こえてきた。
 仕事を終えたゼファーが、吹き抜けの二階の扉の付近にいるフュンを見つけたので足音は更に早くなった。

 「殿下! 帰還しました。ご命令通り、無傷でフィックスさんに引き渡しました」
 「はい。ご苦労様です。流石はゼファー殿ですね。ごめんなさいね。いつも苦労ばかりをおかけして」
 「いえ、殿下の為に役に立つ。この上ない喜びであります。出来たらもっと命令して欲しいですね。私は役目を果たしますよ。殿下の命はだけ必ず守って見せます」
 「いやいや、命令だなんて。僕があなたにするのは、お願いだけですね! 命令はしませんよ」
 「そうでしたね。殿下はそういう方でしたね」
 「あはははは、でもお願いが命令みたいになっちゃいますかね。ごめんなさいね。あはははは」
 「そうかもしれませんね。ですがそれでも結構なのです。本望であります」

 男二人で笑いあう。
 その微笑ましい様子の二人を見てシルヴィアも笑った。
 二人はとてもじゃないが、王子と従者には見えない。
 その姿は人の関係の理想形、友達に見える。
 互いが互いを必要としている関係にシルヴィアには見えたのだ。

 「フュン殿、ゼファー君。少しいいかい? こちらに来てくれ」
 「はい」「わ、私もですか。失礼します」

 二人がジークの前に立つと、ジークは徐に話し出す。

 「今回の件……俺は王族か貴族が絡んでいると思う。足がつかんように幾重にも命令を重ねて、末端の組織がフュン殿を攫った。これが今の筋書きだろうな。おそらくだがね」
 「なるほど。王族か貴族ですか……そんな偉い方が僕みたいな属国の王子を攫って何の得が……いや、何の価値があるのでしょうか? 僕にそれほどの価値はないと思いますよ」
 「まあ、それは依頼主の考えだからな。よく分からん……だけど。ここで俺はある宣言をしたいんだが。それを聞いたら君はどう思う?」
 「え、宣言ですか? それは何のですか?」
 
 フュンが聞くと、ジークは二人の顔を見ながら答えた。

 「うむ。我がダーレー家の力で、君を保護したい。俺たちにぜひ君を守らせてほしい。まあ、要するに当主である妹の庇護の元で帝国での生活をしないかってことなんだ。俺たち兄妹がそう宣言すれば君を攫おうと考える不届き者は、だいぶ減るであろうし。特に末端の奴らは躊躇するはずだよ。君たちの危険は減るはずさ」
 「……庇護?」

 言葉の意味が分からずにゼファーは首をひねる。

 「うむ。フュン殿たちは帝国の政治体系をよく知らんだろう?」
 「はい。よくわかっておりません。僕らは来たばかりですから」
 
 これは当然の話。
 帝国に来て数日しか経っていないのだ。
 色々な事が起きすぎて、もっと日が経っているように感じるのだが、今までの事はここ数日間の話である。

 「私たちはね。帝国で御三家と呼ばれる王家なんだよ。ターク、ドルフィン、ダーレー。この三家が帝国の頂点として立つ。ここ最近の不安定だった帝国が、この御三家のおかげで安定していったんだけど。実はそれは表向きだけでね。裏では皇帝の座を巡る静かな戦いをしているんだ」
 「なるほど・・・ん!? もしかして、僕みたいな者は、その御三家のどれかに所属しないといけないとかですかね?」

 理解の早いフュンは質問をした。

 「うん。本当はね。フュン殿、いいかい。帝国の人質というのは表向き。国が裏切らないための制度と言われているんだけど。裏では御三家のどれかの戦力となってもらうための駒でもあるんだ。だから、属国は兵力とか兵糧とかを常時請求されていないだろ。サナリアでも、兵をよこせとか言われなかったよね?」
 「そうです。兵を出せとは言われてません」
 「でしょう。だからね。人質って、いざ御三家が帝国内で争う時の戦力の一つとして数えたいなって感じの緩い制度でもあるんだよ。意外とね。あともう一つの意味合いとしては、人質ってね。その国の重要人物が来るからさ。確保しておきたい人材の一つであるというのが、我が帝国のスタンスであるのよ。裏切らない証ではなく協力する人間たち。だから人質を使って、その国に強引に言う事を聞かすというよりも人質を媒介して、属国の協力を仰ぐ形を取っているね。だから御三家は、是が非でもその力を取り入れようとするんだよ」
 「ほ~~。なるほど。ということは、あのタイラーさんやヒルダさんも誰かの庇護の元で生活しているのか……なるほど」

 フュンは茶会の時に出会った二人を思い出していた。
 正直者の女性と真面目な男性の二人組である。
 二人が同じ家の協力者かどうかは分からないが二人は仲が良さそうだった。

 「それで、俺は君がほしいと思ったんだ。ダーレー家は、人質と協力関係がないんだけど、俺は君を迎えたいと思っているんだけど。どうだろう。俺たちの家に入ってくれるかな?」
 「・・・んんん・・・・んんん」

 フュンは悩んだ。
 会って間もない人物の陣営に入る。
 そのリスクは計り知れない。
 他の皇子たちの心を確認していないフュンは、どの選択が正しいのか。
 それを考えていた。
 ここで目の前にいる人物に対して情があるフュンは、意外にもその情には流されずに冷静な判断をしていたのだ。
 要は母国の利益にもつながる重要案件であるからの慎重さだ。

 「どうしましょうか……悩みますね。サナリアの運命が決まりそうな問題だ。んんん、判断するにも非常に難しいぞ。それに僕自体が弱いですしね。もし庇護に入っても、お二人のお役に立てるわけでもないですし。そうだとしたら、なんだか申し訳ない気がしますね・・・」
 「いいえ! そんなことはありません」
 「え?」

 フュンの話を遮り、怒鳴り声のような大きな声をシルヴィアが出した。
 話していた男三人がビクつく。

 「ど、どうした急に? 何があった妹よ」
 「あ、いえ。私は兄様に賛成なんです。王子はこのままでは危険じゃないかと思います。ならば私どもがお守りしないといけないかと・・・」
 「いやいや。シルヴィア様。それはどちらかというと、僕らの仕事になるような気がしますよ。もし僕たちがお二人の家に入ったら、ジーク様とシルヴィア様を命がけでお守りしないといけないのは僕らですよね?・・・・もし傘下に入れば、ダーレー家に尽くさないといけないのは僕らのような様な気がするんですけど・・・・」

 王子から意外な返事が帰ってきてシルヴィアは顔を赤くした。
 自分を守ると言ってくれたので、恥ずかしくなったのである。

 「……はは~ん。お前、まさか俺の冗談だったのに……本当に王子にほれ・・・ぐおは」
 
 シルヴィアは、ベッドから爆速で移動してジークの懐に入り込み、鉄拳を食らわせる。
 お腹にめり込んでいく拳の破壊力は凄まじく、ジークの意識が持って行かれそうになった。

 「・・お。お前・・兄にする攻撃じゃ・・・ない・・・ぞ。て、手加減しなさい」
 「兄様が悪いのです。それ以上余計な事を言おうとしたら・・・・兄様、殺しますよ」
 
 小声で脅しを言い放ったシルヴィアは、倒れ込んだ兄を蔑んだ目で見降ろした。
 
 「そ、そんな・・・兄だぞ。俺は・・・ひ、酷い・・・」

 腹を押さえて、意識を保つことに全力の兄でした。

 ◇

 「んんん? んんん?」

 じゃれ合う兄妹を見ずに、フュンは悩んでいた。
 自分が誰かの陣営に入るリスクを考えている。
 それは政争が起きた際の母国へのメリットよりもデメリットである。
 ダーレー家が勝てば万々歳であるが、もし敗れた場合。
 果たしてサナリア王国は無事であるのか。
 これだけがフュンの懸念点であった。
 必ず勝てる場所にいなければ小さな属国は生き残れない。
 民が生活できなくなるような重税や徴兵がなされるかもしれない。
 フュンは自分の事よりもまず自国の民が第一なのだ。

 「どうしたもんかですね。僕の立場一つで国に迷惑をかけるわけには・・・」
 「私ならば、あなたを守れる。私は戦います。たとえ相手が兄様方でも、絶対に負けません。あなたを守るために・・・私は全力を尽くします」
 「え!? あ、シルヴィア様」

 考えに集中していて、外に意識が向いていなかったフュンは、自分の目の前にシルヴィアがいる事に驚いた。
 手を握って応援してくれる姿が必死でフュンは単純に嬉しかった。

 「私ならば、必ずあなたを守って見せます」
 「え!? いや~、そこまでしてもらうのは・・・・さすがにご迷惑でしょう。僕はボンクラですし。帝国のお姫様に守ってもらうなんておこがましい。それに、お二人のお役には立ちませんよ。あははは」
 「そんなことはない! あなたの美しい心が私を助けてくれます。力じゃありません。心が役に立つのです」
 「え? そうですかね。心がお二人を助ける事ってあるんですかね。水面下で政争をしているのですよね? だったらこの場合、武は無理でも、せめて頭が良くないと役に立たないような気がしますけどね。うん。そうですよね。僕って頭もそんなにいいわけじゃないんで、お役に立てないような・・・」
 「そんなことはどうでもよいのです。ぜひ我がダーレー家に。あなたがいれば、私は・・・」
 「え? いや、そこが重要なんじゃ……」

 フュンは自分ではあなたの役に立たないと思っている。
 シルヴィアはあなたがそばにいてくれるだけで役に立つと思っている。
 二人の考えは平行線をたどる一方であった。

 「はははは、熱心だなお前は。こんな一大事を、そんなに急くなって。フュン殿。この事は後で考えておいてくれ。答えは別に今すぐじゃなくてもいいんだよ」
 「本当ですか! 助かりますね。ちょっと考えたい事柄だったので、ありがとうございます」
 「でもね。フュン殿。今のことは覚えておいてくれ。俺はね。君が気に入ったんだ。だから、仲間になってくれればうれしいなと思ったんだよ。本当の所はね。そんな単純な話だったんだ。まあ、これはじっくり考えてくれよ」
 「はい、ありがとうございます。答えはちゃんと考えますね」

 ジークは笑顔で頷いた。

 「…そ、そうですか。そうですよね。し、仕方ありません。良い返答をお待ちします」

 がっかりしたシルヴィアの肩にジークは手を乗せた。

 「ほら、妹よ。そんなにがっかりするな。すぐに答えを求めるのはよくない。フュン殿、俺たち兄妹はいつでも君を待ってる。だから考え抜いてからでいい。フュン殿が後悔しない答えをいつか聞かせてほしい」 
 「はい、そうしますね」

 フュンの決意を待つ。
 そうジークが言うと、シルヴィアはまたがっかりして、ベッドに戻って座り込んだ。
 下を向くと今更ながらの疑問を持つ。

 「あれ? そういえばこの服・・・」

 フュンがこの疑問に答えてくれた。

 「ああ。それ、僕のです。シルヴィア様の着ていた服に、少し血がついていたので洗濯しましたよ! ごめんなさい。本当はアイネさんのが良かったと思うんですけども。シルヴィア様、僕と同じくらいの身長だったんでね。ちょうどサイズがピッタリだったんですよね。あ! でも僕の服だと、嫌でしたかね。あははははは」
 「え!? 私!? 今フュン殿の服を着てるの!? ほええええええええええええええ」
 「僕がお着替えを手伝ってませんよ。アイネさんにやってもらいましたからね。そんなに驚かれなくても大丈夫ですよ。あははは」
 「ええええええええええええええ」

 シルヴィアは、自分の身体を見られたとは疑っていない。
 それはフュンの勘違いである。
 彼女が叫んでいる理由は生まれて初めて男性の服を着ているからだ。
 彼女は枕に顔をうずめた。

 「はあ、いつから妹はポンコツになったのだ。いい加減、いちいち驚くな。フュン殿のただのご好意だ。お前、あのまま汗臭い服で、フュン殿の寝床に眠り続ける気だったのか? ここはフュン殿の部屋なのだぞ」
 「え。ここがフュン殿の部屋? いつも寝ているベッドに私が?」
 「いえいえ。いつもって。ここに来たばかりなので、そんなに使ってないですよ。そこはご安心を! 新品同様なので変な癖がついてないので使いやすいはずですよ。あははは」
 「それでも殿方の寝床に勝手に寝るとは。ほえほえほえほえええ」
 
 フュンが使うものの全てを使用したシルヴィアは、目を回して倒れたのである。
 男性に免疫のないお姫様であった。



 ◇
 
 片づけを終えたアイネが部屋に入ってきた。
 
 「王子! お持ちしましたよ」

 アイネは、とある化粧品を手渡した。

 「あ!? ありがとうございますね。あとで僕が作ってあげますから、このひとつを頂きます」
 「はい。いつもありがとうございます。王子のおかげでシミ一つ出来ません」
 「あははは、アイネさん。それは勘違いですよ。それはね、アイネさんが元々綺麗なんです。これは補助。元々肌が綺麗な人が使うのを助ける効果があるだけです。間違えちゃいけませんよ。あははは」
 「そ、そうなんですか」
 「ええ、そうです。僕の母がそう言ってましたからね。これは補助らしいですよ」

 フュンはアイネから受け取った化粧品を持ってシルヴィアに近づく途中。

 「ん? それは何だい?」

 ジークが聞く。

 「これはですね。保湿効果のあるクリームです。母が使っていたものを僕が作りました。母はよくメイドさんたちにこれをあげていたので、僕も僕のメイドさんたちにいつもあげているんですよ。王宮にいた時は何個も作らないといけなかったんですが、今はアイネさんしかいないので楽ですね。あはははは」 
 「な、なるほど。フュン殿の母上もまた王族らしからぬ人物であるのだな」
 「まあ、そうなりますね。あはははは」
 
 フュンはシルヴィアに優しく声をかけた。

 「シルヴィア様。これを」
 「あ、はい。なんでしょう。これは」

 フュンはシルヴィアの手に直接容器を渡す。

 「保湿効果のあるクリームです。これをですね。顔を洗った後につけてください。これはサナリア草の液が入っているので、小さな傷によく効くんですよ。これでより早くその傷が治るかと思いますので、よかったら使ってもらえると嬉しいですね。あ、でも普段ご使用する物とは違ってしまいますね。んんん、まあ、僕の物を信用して使ってもらえると嬉しいです」
 「し、信じます。有難く頂戴します。あなた様からの物です。後生大事にします」

 シルヴィアは大事そうに両手で包み込むように容器を抱えた。

 「いや、まあそんなに大層なものじゃないんですよ。消耗品ですしね。あははは。ほんとですよ。ただのクリームですから」
 「いえ。大切に使わせていただきます。大切に・・・」
 「そ、そうですか。それならよかったですよ。あはははは」

 この時のシルヴィアの出来事は、アーリア戦記に記載が残っている。
 男性から貰った初めてのプレゼント。
 それを後生大事に使い、その容器も残っていると。
 そう後に書き記されており。
 彼女は、いつでも優しいフュンの笑顔を見つめるだけで、生活がより豊かになり、より幸せになったとも後に記されている。
 彼と出会わなければ自分には幸せは訪れなかったのではないかとも書かれているのだ。


 こうして、シルヴィアは愛しき人を見つけた。
 でもまだ、この思いが何なのかは本人が良く分かっていない。
 戦場だけが生きがいであった女性にようやく春が訪れたようだ。
 一人先走っての話だが・・・。
 そしてこの日から、彼女の様子がおかしくなったと、周りの人間からの言質が取れている。
  
 そう、これが戦姫の恋煩いが発生した記念すべき日となったのだった。

 
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