捨てられ(元)聖女は運命の騎士に溺愛される

曽根原ツタ

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1巻

1-3

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「あたしのやることにいちいち口出ししないで! 自分の好きにしていいじゃない!」

 髪を引っ張られて痛いはずなのに、ネラは眉ひとつ動かさずにこちらを見上げて言った。

「今まで叱られずに甘やかされてきたみたいだけど、あなたも小さな子どもではないのだから、自分のことを省みるべきよ。自分の言動や行動で、どれほど人を傷つけているか――」
「うるさい!」

 屈んだ拍子に、リリアナの服のポケットから大ぶりのルビーが嵌め込まれた例の指輪が落ちて、床にころんと転がる。ネラは指輪を拾い上げ、炯々けいけいと光る瞳を向けながら言った。

「……視えてしまえば、放っておけないこともあるわ。これは私が返しておくから」
「…………っ」

 リリアナは何も言い返せずに、そのままきびすを返した。
 いかなる悪事も見過ごさない、正義感が強く一本筋が通った性格のネラ。リリアナはそんな彼女が大嫌いだった。


 同じ屋根の下で暮らす時間が長くなればなるほど、気味の悪い瞳と力を持つネラのことがいっそう大嫌いになっていった。けれどもリリアナだけではなく、母や父も疎む透視能力を頼ろうとする物好きがいて、時々ボワサル家のサロンには客が集まる。リリアナはいつもその様子を懐疑的に見ていた。
 そして、都合のいいことにひと月前に失明したネラに、クリストハルトとともに婚約解消を突きつけてやったのである。クリストハルトは裕福な伯爵家の子息で、頭もよく、紳士的で、見た目も好みだった。ネラから奪ってやるつもりで彼に近づいてみたら、彼はあっさりとリリアナに心変わりした。
 相変わらずネラは無表情だったが、家まで追い出されて全く傷ついていないということはないだろう。
 本当にいい気味だ。これは、これまでリリアナの気分を害してきたことへの報復。これからひとりでもっと、惨めで辛い目に遭えばいいのだ。


 ボワサル家を出たリリアナは軽快な足取りで街を歩いた。街道は、大勢の人たちが行き来していて、活気に満ちている。

(今日はとびきり清々しい気分ね)

 ようやく、わずらわしく思っていた姉を追い出すことができた。子爵家に婿入りするクリストハルトの妻になれて、自分の未来は安泰。なんて気分のいい日なんだろう。
 ふんふん、と鼻歌交じりに歩いて向かった先は、噴水広場。石畳の円形の広場の中央に大きな噴水があって、透き通る水が頭上に噴き出している。片隅の木のベンチでは、恋人たちが逢瀬を楽しんでいた。

(ゼン、早く来ないかな)

 そわそわしながら、周りを見渡す。
 今日は、浮気相手のゼンとデートする日だ。婚約者がいるが、こっそり別の男とも交際している。浮気はいけないことだが、バレなければなんの問題もない。クリストハルトのことも好きだが、生真面目で面白みがないので、たまには刺激が欲しくなる。
 ふと、広場の掲示板に人集りができているのが目に留まった。

「また誘拐事件ですって。これで何件目? 物騒よねぇ」
「若くて綺麗な娘ばかり狙われるそうよ。早く被害者と犯人が見つかるといいんだけど」
「自警団じゃ手に負えなくて、王都から――王衛隊が派遣されてるらしいわ」
「あー、それで最近王衛隊の制服着てる人を見かけるのね。早く解決するといいわね。これじゃ怖くておちおち外を出歩けないもの」

 不安そうに話している小太りの女を尻目に嘲笑する。

(心配しなくてもあんたはさらわれたりしないわ)

 誘拐犯が美しい娘だけを狙うなら、あんな醜女しこめを選ぶことはないだろう。リリアナはひっそりと意地悪くそんなことを思った。

(狙われるのはたぶん、お姉様みたいな人)

 脳裏を過ぎったのは、姉ネラの姿だった。
 絹糸のように艶やかで、真っ直ぐ伸びた銀の髪。筋の通った鼻梁びりょうに小ぶりな唇。なめらかな乳白色の肌……
 口にはしないが、奇妙な瞳を除けば到底太刀打ちできないネラの完璧な美貌に、リリアナは嫉妬していた。だから彼女が全盲になり、婚約者を奪ってやったときは、よりいっそういい気分だった。
 最近、この都市で誘拐事件が多発している。いや、この都市だけではない。あちこちで若く美しい娘だけがある日突然失踪し、ひとりも帰ってきていない。警察の捜査は難航していて、未だに手がかりひとつ掴めていないそうだ。

(王衛隊のエリート騎士かぁ。ちょっと興味あるかも)

 リリアナは権力や地位のある男が好物だ。王衛隊は王国きってのエリート集団なので、彼らが派遣されるということは、この事件はよほど根が深い問題が絡んでいるのかもしれない。

「リリアナ、待たせたな」

 軽薄な笑顔を浮かべたゼンがやってきた。口調も態度も粗野だか、ちょっぴり危ない雰囲気のあるところが好みだ。

「ううんっ、あたしも今ちょうど来たところだから。早く行こう?」

 スカートをふわりと揺らしながら駆け寄ると、ゼンは掲示板の人集りを一瞥いちべつし、「なんの騒ぎだ?」と尋ねてきた。

「あー、なんか最近話題の誘拐事件の記事みたい。またひとり失踪したとかで」
「…………」

 ゼンの腕にぎゅうと抱きつき、リリアナは頬を擦り寄せた。

「あたし、すっごく怖ぁい。ゼンが守ってくれる?」

 猫撫で声で甘える。返事が返ってこないので顔を上げると、彼は怖い顔をして掲示板を凝視していた。

(すごい怖い顔……)
「ゼン? どうしたの?」
「いや、悪い。なんでもねーよ。お前のことは俺が守ってやるから安心しろ」
「ふふ。ゼンったら」

 ゼンがすぐにいつもの表情に戻ったのを確認し、先ほど見た怖い顔は気のせいだったと思うことにした。


『……その相手、深く関わらない方がいいわ。後ろ暗い仕事をしている』


 だがその瞬間、ネラの言葉が頭の中に響く。
 この浮気の件もそうだが、以前リリアナが友人宅で指輪を盗んだことも、リリアナと母がメイドたちを虐めて辞職に追い込んだことも、ネラはなんでも見透かし口出ししてきた。気味の悪い瞳をきらりと光らせて。けれど、忠告を聞くつもりなんて――さらさらない。

(さようなら、お姉様。その辺で野垂れ死にでもすればいいのに)

 リリアナとゼンは、街の雑踏の中に消えていった。



   二章 エリート騎士が常連客になりました


 ネラがバー・ラグールで雇われ占い師になり、一ヶ月が経った。
 その間、昔からネラの元に通っていた依頼者たちが、バーで働くことになったのをどこからか聞きつけてきて、予約が殺到した。そして失せ物探しから、恋愛に病、仕事の悩みまでなんでもズバリな回答を与えるネラは、またたく間に人気占い師になったのである。
 店主のメリアには、「あんたのおかげで売上が大幅に上がった」と喜ばれた。
 しかし、人気になるということは、それだけ厄介な客が増えるということでもある。

「私……あの人に奥さんと子どもがいるって分かっていても、諦められないの。私の恋が叶うかどうか、教えていただきたいわ」
「かしこまりました。少々お待ちを」

 今は本日四人目の依頼者キャサリンの占い中だ。相談内容を頭の中で反芻する。

(既婚者の子持ち男性が、自分の元に来てくれるかどうか……と。これはまた難儀な)

 実際、不倫関係や浮気の相談事はかなり多い。妻と子どもが可哀想だとか、もっと他の相手がいるのではないかとか、色々と思うところがあっても、個人の意思は介入せずに公正に占うようにしている。

「では、透視を開始いたします」

 一瞬で空気が引き締まる。祈るように手を合わせる銀髪の美女の姿は、暗い夜に浮かぶ月のように艶麗えんれいだ。そのとき、瞳に浮かぶ金色の輪が炯々けいけいと光を放つ。
 ネラの真骨頂は、カード占いでも星占いでも手相占いでもない。道具は一切用いず、その瞳で――全てを見透かすことだ。

「結果が出ました。視えたままを率直にお伝えさせていただきますが、よろしいでしょうか」
「はい……よろしくお願いします」
「あくまで占いですので、当たるも八卦はっけ当たらぬも八卦はっけ……参考程度にお考えください」

 ネラは機械的に視たものを口にした。

「お相手の方には、現在あなたの他に四人の不倫相手がいます。確かにあなたに愛情はありますが、奥様とお子さんを捨ててあなたを選ぶという意思は……ないようです。この恋が叶う可能性は、残念ですが限りなく低いと思われます」
「――嘘よっ!」

 キャサリンがテーブルを叩く。

「そんなの嘘よ。ほ、他に、四人も女がいるですって……!? アルベルト様は、私だけを愛してるっておっしゃったもの。奥さんと話をつけて私のところに来るって……。ネラさん、あなた、不倫がいけないことだからそうやって適当なことを言っているんじゃありませんの?」

 またか、とネラは肩を竦めた。
 前置きはした。あくまで参考程度に考えてほしい、と。勝手に期待して、望み通りの答えでなかったからと責められたら、たまったものではない。それに、決して適当なことを言っているのではない。アルベルトという相手の男が、全くその気がないのに結婚をほのめかし、キャサリンを遊び相手として維持しようとしている魂胆が見え透いているのである。

「これを信じるかどうかも、今後どのようになさるか決めるのも、キャサリン様次第です」
「……」

 キャサリンは押し黙ってしまった。ネラは盲目なので、彼女が今どんな表情をしているかは見えないが、怒りの感情が空気からひしひしと伝わる。
 ――バシャッ。

「…………っ」

 その刹那、キャサリンがグラスの水をネラにぶっかけた。ぽたぽたと液体が髪の毛から滴り落ち、白いブラウスが濡れてネラの柔肌に張り付く。そして彼女は、金切り声で怒鳴りつけたのである。

「あなた、人の心がないんじゃないの? よくもまぁひどいことが言えたものね。その能力が本物なのかも疑わしいわ!」
「……申し訳ございません」
「何よこの詐欺師! 絶対信じないんだから!」

 キャサリンは捨て台詞を吐いて店を出ていった。

(初対面の相手に飲み物をかける人には、人の心があるのかしら)

 存外、ネラは根に持つタイプだ。
 たとえ占いの結果がよかろうと悪かろうとはっきり伝えるため、怒りを買うこともたまにある。けれど、同情して慰めの嘘を口にしてしまったら、正しい未来へ進むための判断を鈍らせてしまうだろう。感情に左右されずに、正直に伝えるのがネラのやり方だ。

「……詐欺師、か」

 占いに限らず、仕事をしていれば揉め事は付き物だろう。それにしてもひどい言われようだったと心の中で自嘲する。

「――俺のハンカチをお使いください。ネラさん」

 濡れた顔を袖で拭っていると、男がハンカチを差し出してきた。目の見えないネラがハンカチを受け取り損ねていると、親切に手に握らせてくれる。
 この声には聞き覚えがあった。優しくて、清涼水のような爽やかな男の人の声。しばらく前に道端で困っていたネラを助けてくれた――エリート騎士の声だ。

「ありがとうございます」

 男はキャサリンが座っていた椅子を引いて腰を下ろした。

「災難でしたね、さっきの」
「……平気です」

 借りたハンカチで服を拭いていると、男が言った。

「お待ちしておりました。フレイダ様、ですよね」
「正解。よく分かりましたね。今日はよろしくお願いします」
「ご無沙汰しています。こちらこそ」

 今日はなんと、フレイダの予約が入っていたのだ。道端で親切にしてもらってから、一ヶ月ぶりの再会だ。間が空いているが、彼の声は耳に残っていたのですぐ分かった。

「洋服が濡れていては風邪を引いてしまいます。お待ちしているので、着替えてきてはいかがでしょうか」
「少ししか濡れていないので平気です。すぐに乾きます」
「ではせめて……これを羽織ってください。その……目のやり場に困ってしまうので」

 フレイダは自分のジャケットを脱いで、ネラに羽織らせた。濡れたのがちょうど胸元だったため、透けたブラウスが胸の質感を生々しく浮かび上がらせている。フレイダは視線をさまよわせながら、こほんと咳払いをした。

「お見苦しいものを見せてしまい、申し訳ありません」

 決まり悪く謝罪を口にすると、フレイダはいたたまれなさそうに押し黙った。

「ご依頼内容は?」

 気を改めてそう尋ねると、彼は真剣な様子で言った。

「占いではなく、あなたにお会いしたくて来ました」
「え……」


「ネラさん、あなたが好きです」


 一瞬、時間が止まったような感覚がして、ネラはぴしゃりと固まった。
 依頼内容を確認したはずが、とてつもなく衝撃的なことを告げられた気がする。

「すみませんよく聞こえなかったのでもう一度言っていただけますか」
「あなたに一目惚れしました」
「ひとめぼれ」

 彼が言ったことを復唱するが、今ひとつ理解が追いつかない。

「驚かせてしまってすみません」

 自分は子爵家を追い出された、なんの後ろ盾もないただの占い師。かたやフレイダは王衛隊のエリート騎士だ。そんな格上の相手から、しかもたった一度しか会ったことがないのに、突然惚れたなどと言われても困ってしまう。
 それにネラは、恋愛経験も告白されたこともしたことも一度もない。こういうときにどう対応していいのか分からなかった。

「すぐにお返事を求めたりはしません。……あなたが嫌がることはしないと約束します。ですから占いの時間、占いではなく、俺とお喋りしてくれませんか? 俺のことを少しでも知っていただきたいんです」

 びっくりはしたものの、不思議と嫌という気持ちはなかった。それどころか、この人と話してみたいと思っている自分がいた。
 占いの料金はしっかりと払ってもらっている。であれば、その時間をどう使おうと彼の自由だ。ネラは遠慮がちに小さく頷いた。

「いいですよ」
「はいお話しま――って、え」

 フレイダは顔を上げて目を瞬かせる。

「付き合ってくださるんですか……?」

 断られると予想していたのか、驚いている様子だ。ネラからすると、特に断る理由はなかった。ただ、自分と話したところで彼が満足できるという保証はない。自分は取り立てて褒めるようなところもなく、唯一の取り柄があるとすれば占いくらいだから。

「私は面白みのない人間なので、話をしてもつまらないかもしれませんが」
「そ、そのようなことはありません……! ネラさんと言葉を交わせるだけで天にも昇るような……畏れ多くも光栄な気持ちなんです。今なら暗殺でも国家転覆でも何でもできそうです……!」
「それ逆賊です。お巡りさんが言っては駄目です」

 それからフレイダは、軽く自己紹介をしてくれた。彼は上流階級から選ばれるエリート集団王衛隊に所属している。良家の出だろうと予想はしていたが、侯爵位を継いでいるという。更に、王衛隊では一番隊隊長を務めており、普段は王を護衛しているとか。言わずもがな超エリートだ。
 そして、ここ商都リデューエルに来たのは――王命によって。頻発する誘拐事件のことを国王はとても憂いており、その憂いを晴らすため、遣わされたという訳だ。
 リデューエルの自警団は素人の地元民で構成されているため、調査は難航していた。フレイダと部下たちは、自警団に協力して事件の真相解明に当たっている。
 連続誘拐事件については、ネラも何度か耳にしている。なんでも、見た目のいい若い娘ばかりが連れ去られているとか――

「ネラさんも、狙われないように気をつけてください。とてもお綺麗ですから」
「そのようなことは……」

 さらりと賛辞を口にされて、気恥ずかしくなる。社交辞令だと分かっていても、慣れていなければ反応に困ってしまうものだ。

「謙遜なさらないでください。俺が犯人であれば確実に誘拐していたかと」
「それもお巡りさんが言っては駄目です」

 顎に手を添えて至って真剣に呟くフレイダに、ネラは呆れ混じりに返す。

「……まだ、犯人の目星はついていないのですか?」
「残念ながら。そもそも、女性たちの失踪が事件だと断定できていない状態でして」
「なるほど」

 透視に長けた自分なら少しは力になれるかもしれない。そう思って提案する。

「占ってみましょうか?」
「そのようなことができるのですか?」
「やってみなければ分かりませんが。少しお待ちください」

 目を閉じて、意識を研ぎ澄ませる。
 少しずつ瞼に浮かび上がってくる映像。そして、身体中にぞわぞわと走る悪寒……
 一方のフレイダはネラの煌めく瞳に魅入っており、その神々しさにぐっと喉を上下させた。

「失踪した女性たちは同じ事件に巻き込まれています。どうも、一ヶ所に集められているようです。手首に手錠が着けられていて……何か、ステージのようなところに連れていかれている様子が視えます」

 半円状の客席に座る人たちが口々に何かを言っている。舞台の上で見世物のように晒された女は、恐怖に涙を浮かべている。

「それは――オークション、のようなものでしょうか?」

 フレイダに指摘されて改めて映像を見ると、確かにオークションのようだ。客席で喋っている人たちは手に札を持っており、金額を提示して入札していることが推測できる。

「恐らくそうかと……」

 ぞくりと背筋に冷たい感覚が走る。

(まさか、この街で人身売買だなんて……)

 更に意識を集中すると、人だけでなく、武器や盗品、違法薬物など普通は流通しない珍品が売買されている様子が視える。

「我々王衛隊も人身売買の可能性は頭に置いていましたが……やはり、ただの誘拐事件ではなさそうですね。ちなみに、場所を特定することは可能ですか?」

 人間を品物として商売が行われている事実にネラは震撼していたが、フレイダは動じていない。王家直属の騎士は、きっと数々の修羅場をくぐって肝が据わっているのだろう。

「やってみます」

 しかし、ピンポイントで場所を特定することはできなかった。ぼんやりと視えてきた手がかりを説明する。

「すみません。場所までは分かりませんでした。でもかなり大きな施設のようです。普段は一般市民も利用しているのが視えます」
「大学の講堂やコンサートホール、といった感じでしょうか」
「はい」
「……となると、絞られてきますね。それはこの商都内部ですか? それとも他の都市ですか?」
「少しお待ちください。視てみます」

 その後も、ふたりは事件のことで問答を繰り返した。フレイダはすっかり仕事モードで、メモを取りながら占いを真剣に聞いており、自分がネラに求愛しにきたことは忘れているようだった。

「ご協力ありがとうございます」
「とんでもありません。一刻も早く、被害者がご家族の元に帰られることを願っています」
「一応、この件については他言無用でお願いします」
「分かりました」

 まもなく、従業員が占いの時間終了を告げに来て、フレイダははっとした。

「仕事に来たつもりではなかったんですが。つい事件の話ばかりしてしまいました」

 ネラを楽しませられなかったとフレイダは肩を落とす。
 そういえば初めて会ったとき、『一緒にいて楽しい人』がタイプだと適当に答えたのだった。
 もしかしたら、彼なりに自分のことを楽しませようと意気込んで店に来てくれたのかもしれない。
 そう考えると、彼のことがいじらしく思えてきた。
 目が見えないのに、彼の頭に生えた犬の耳がしゅんと頼りなく下がっている姿が思い浮かぶ。

「……でしたら、次にいらしたときは違うお話をしましょう」
「え……また伺ってもよろしいのですか?」

 うっかり「次に」なんて口にしてしまったが、彼から歓喜の感情が伝わってきて、取り消しづらくなってしまった。頼りなく垂れ下がった犬の耳は元気を取り戻し、尻尾まで揺れている姿が見えた気がする。
 フレイダはほっと安堵して息を吐いた。

「実はずっと緊張しっぱなしで……。迷惑に思われていたらどうしようかって思っていたんです」
「まぁ。緊張されているようには思いませんでした」
「しますよ。だって、好きな人とこうして話せているんですから」
(すきなひと)

 緊張するという割に、無自覚なのか、こういうことを恥ずかしげもなくさらっと言ってしまうから怖い人だ。

「これでもかなり舞い上がってるんですよ」

 声から嬉しさが全開だ。自分と話せることの何がそんなに嬉しいのだろうか。こんなにあけすけに好意を示されると、こちらがこそばゆくて落ちつかない気分になる。

(でも確か、フレイダ様には会いたい女性がいらっしゃったわよね)


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