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しおりを挟む一章 奇妙な目を持つ占い師と婚約解消
「ネラ、すまない。僕との婚約を解消してほしい」
向かいのソファに座る婚約者のクリストハルトに重々しく告げられた。
隣では、腹違いの妹のリリアナがどこか嬉しそうな表情を浮かべながら彼の肩に身を寄せている。
婚約解消をする場で、女をはべらせているなど非常識もはなはだしいが、ネラには婚約者が妹と睦み合う様子は見えていない。
なぜなら、ネラはひと月前に両目とも失明してしまったから。
昔からたまに目が痛くなることがあった。それが突然悪化してみるみる視野が欠けていき、とうとう完全に視力を失ってしまった。今は視界の先に、暗闇が広がっているだけ。医者にも診てもらったが、原因は不明と言われた。
ただ、ネラにはその理由の見当がついている。
「全ては僕が不甲斐ないせいだ。僕には君を……支える自信がない」
そう言って、クリストハルトは「すまない」と詫びの言葉を重ねた。
ネラが盲目になったことを口実にしているが、彼の心が自分にはないことは、前から分かっていた。
貿易商を営んでいるネラの実家ボワサル子爵家と、金融業で財を築いたクリストハルトの実家スチュアス伯爵家。両家は昔から懇意にしていて、クリストハルトの婿入りは幼いころから定められていた。政略結婚とはいえ、彼とはそれなりにうまくやってきたつもりだった。
しかし、一年前にネラの母が病死してから、状況が一気に変わった。母の死からまもなく、父は後妻を迎えたのだ。
後妻との間にはネラより一つ年下の子どもがいて、それがリリアナだった。父は昔から家庭を顧みない人で、政略結婚した母との関係も良好ではなかったので、よそに愛人がいたことは不思議ではない。とはいえまさかこんな大きな子供がいたとは青天の霹靂であった。
そしてリリアナは、子爵家の後継であるクリストハルトの婚約者の座を狙った。無愛想なネラとは違い愛嬌のある彼女に、クリストハルトが惹かれるまで時間はかからなかった。心変わりしていくに連れて、ネラへの扱いもぞんざいになっていき、君には可愛げがない、とリリアナと比較してあからさまな嫌味を零すこともあった。
ネラが黙っていると、耐えかねたリリアナが沈黙を破る。
「お姉様だって、目が不自由で務められるほど、子爵夫人の役目は簡単じゃないって分かっているでしょ? だからね、あたしが代わりに結婚しようと思うの。全ては、両家とお姉様のために……」
しおらしげなセリフだが、随分と声が明るい。予想通り、婚約解消の目的は、妹と婚約を結び直すことにあるようだ。
だが、彼女の言うことももっともだ。貴族の夫人は社交界での付き合いや屋敷の事務仕事をしなくてはならないが、それらは目が見えなければできないことばかり。
「お父様はなんとおっしゃっているの?」
家同士の問題でもあるので、当人だけで決める訳にはいかない。ネラが冷静に尋ねると、クリストハルトが答えた。
「君の父上は、本人たちの気持ちに任せるとおっしゃってくださった。リリアナとの婚約の結び直しも、認めていただいている」
彼は周到な男だった。ネラの知らないところで、すでに両家に根回ししているらしい。
ネラの父は、伯爵家に投資してもらって事業を拡大するために結婚を熱望し、スチュアス伯爵家に迎合してきた。クリストハルトが妹を望むなら、その意向に従うつもりだろう。
「その……君には心の整理をする時間が必要だと思うんだ。視力を失って間もないのに、結婚は精神的に負担になるだろうから。君もそう思うだろう?」
つまり、あくまでネラの意思という体で円満に婚約を解消したいということだろう。
虫のいい話だ。障害を負った相手に一方的に婚約解消を突きつけると体裁が悪いから、自分の意思で引いてほしい、という気持ちが見え透いている。
ネラは俯き、唇を噛んだ。
幼いころからずっと婚約者としてともに育ち、恋愛感情こそなくとも、それなりに慕っていた。
彼だって長い時間を過ごしてきて情があるはずだ。にもかかわらず、視覚を失って一番辛くて苦しいときに、寄り添うどころかあっさり突き放すなんて。
ネラは、クリストハルトにとって自分はその程度の存在だったのだと実感させられた。
「お気遣いありがとうございます。分かりました。婚約の解消を受け入れます」
悔しさをぐっと押し殺して、心にもないお礼の言葉を口にする。
「そ、そうか。……ありがとう、ネラ」
重い荷物から解放されたように、クリストハルトはほっと息を吐いた。その横で、妹が密かにほくそ笑んでいる。
生涯連れそうはずだった相手に見放され、ショックを受けているネラに、リリアナが「そうそう」と軽い調子で追い打ちをかけた。
「それでね。とっても言いづらいんだけど、お姉様には修道院に入ってもらおうと思うの。あそこなら、お姉様みたいな身体の不自由な方が大勢いらっしゃるから、仲間ができて気が楽になるはずよ。あたしも結婚したら忙しくて、お姉様の世話ができなくなるし……」
今までも、リリアナに世話をしてもらったことは一度もないが。
(厄介払いもいいところね)
ネラは小さくため息を吐く。
修道院は、神への信仰の場であるだけではなく、色々な問題を抱えた人たちを保護する施設でもある。病気を抱えた人や、婚外子や寡婦、老人たちが集まり、身の保護をしてもらう代わりに、神の教えに倣って生きる誓いを立てるのだ。
しかし、毎日のスケジュールが分刻みで定められ、戒律がとても厳しい。朝早くに起きて礼拝、昼に礼拝、夜にも礼拝……。祈りを捧げるだけではなく、食べるものや着るものも制限され、私有財産を持つことまで禁じられる。更に、生涯独身でなければならない。娯楽といえば、読書や刺繍くらいなものだろう。だがそれらは、目の見えないネラにはできない。
「お姉様のため」などと聞こえのいい言葉を並べているが、本音はこれから一緒にクリストハルトと暮らすから、邪魔者の元婚約者は出ていけ、というところだろう。元婚約者が同じ屋敷に住んでいたら、世間体が悪いから。
「悪いけれど、修道院には入らないわ」
この家に自分の居場所はない。でも、修道院に入って自由を制限されるのも嫌だ。
「……もう、お姉様ったら。これは全部お姉様のためなの。どうして分かってくれないの?」
リリアナは困ったように眉を寄せる。婚約者を略奪し、あまつさえ家から追い出そうとしているのに、まるで被害者のような態度だ。
彼女の思い通りにするのは不本意だが、懇願してまでこの家に置いてほしいとも思わない。何が悲しくて、元婚約者と妹が仲良く暮らすところを横で見ていなければならないのか。むしろ、ネラの方がこの家を早く出ていきたかった。
「修道院には行かない。――でもこの家からは出ていくから」
「は? 出ていくって……その目でどうやって生きていくつもり?」
「仕事を見つけて、なんとかやっていくわ」
ネラはソファからすっと立ち上がり、無言でふたりを見下ろした。
きらっと微かに光ったネラの瞳に、リリアナとクリストハルトが萎縮する――相変わらず気味の悪い瞳だと。視力こそ失ったものの、瞼の開閉を行う機能に問題はないため、ずっと目を閉じている訳ではない。
ネラの瞳は生まれつき普通の人と違う。サファイアのような碧眼の瞳孔に金色の輪が浮かんでおり、時々光を放つのだ。そしてただ光るだけではない。幼いころから、その瞳には過去や未来だけでなく、誰かの後ろめたい秘密まで見通す――奇妙な透視能力があった。
成長とともに能力も強くなっていき、このごろは顕著な覚醒があった。そのタイミングで視界が真っ暗になったので、失明はこの能力となんらかの因果関係があると推測している。
そしてこの光る瞳は、周りから気味が悪いと嫌厭されてきた。
元婚約者と妹を見えない瞳で見据えながら、玲瓏な声で呟く。
「おふたりとも、どうか末永くお幸せに」
ネラは踵を返し、壁を手でつたいながら部屋を出た。
父の書斎に行き、事の仔細を報告する。
「クリストハルト様が婿入りすれば、私の立場はありません。この家を出ようと思います。今までお世話になりました」
「そうか」
父は完全にクリストハルトに迎合している。だから引き止められもせず、冷たく返されるだけだった。はなからこの人をあてにしようとは思っていないが、実の親に見放されたことを実感すると、ほの暗い感情が胸に広がる。
物言いたげに見えない目で父を見つめて突っ立っていると、父はテーブルにペンを置いて、ネラを威圧的に睨んだ。
「なんだその顔は。何か不満があるなら言ってみろ」
「いいえ。なんでもありません」
「ならさっさと出ていけ。その気味の悪い目をあまりこちらに向けるな。目障りだ」
父はなんでも見透かすネラの光る瞳を昔から嫌悪していて、目も合わせようとしない。
「お仕事中失礼しました。ではこれで」
もしかしたら、何かひとつでも励ましの言葉があるのではないかとどこかで期待していた。「達者でやれ」とか「すまない」とか、わずかでも労る言葉を掛けてくれたら、どんなにか救われただろう。
けれど、励ましの言葉どころか、書斎を出る直前、ドアノブに手をかけたネラに「気味の悪い女だ」と父は吐き捨てた。
昔っから愛情のない人だった。結局彼が大切なのは仕事と金だけ。娘さえも立身の道具に過ぎないのだ。だから、いらなくなったらぽいと捨てることができてしまう。
(最初から分かっているわ。期待するだけ無駄だって)
肩を落としながら、ネラは自室へ戻った。
さて、これからどうしよう。
家を出るとは言ったものの、リリアナの言う通り、全盲の自分が自立してやっていくのは簡単なことではない。全盲になってからまだ一ヶ月。日常生活もままならない状態で、いきなり働いて生計を立てていくのはさぞ大変だろう。
ソファに腰を沈めて思い悩み、しかしすぐに結論は出た。
(占い師になろう)
たったひとつだけ、あてがあるとしたら、それは――占いだ。
自分の瞳に宿る透視能力は別に望んで得た力ではなかったが、人のために活かした方がよいような直感があって、ネラは屋敷の一室をサロンにして、無料で毎日数人ずつ依頼を受けるようになっていたのだ。その恐ろしいまでの的中率に人々は舌を巻いた。ネラの実力は口コミで広がっていき、いつの間にか予約が半年先までいっぱいになっていたほどだ。
今までに何件かの店などから、「専属占い師にならないか」と打診をもらっている。その中のどこかを訪ねてみることにしよう。
(落ち込んでいる場合ではないわ。修道院に入れられる前に自分でなんとかしないと)
政略結婚が白紙になって、図らずも貴族のしがらみはなくなった。家督を守るために結婚して跡継ぎを産むという役目は果たさなくていいのである。
だからこれからは家のことは気にせず、自分の足で自由に生きていこう。周りに翻弄される人生はこれで終わりにしよう。これ以上、誰かの思い通りになどなるものか。傷ついてうずくまっていたって、この現状はどうせ変わらない。
(大丈夫。私はひとりで生きていける。家に縛られず、自由にさせてもらうのよ)
家族には何もできない娘だと侮られていたが、長らくサロンを開いていたおかげで能力も人脈もそれなりにある。
ネラはおもむろに立ち上がり、壁伝いに窓際まで歩いて窓を開け放った。外から吹き込む爽やかな風が、ネラの銀糸のような髪をゆらゆらとはためかせる。
ネラは透視能力を発動させ、問う。――働き先はどこがいいか、と。彼女の瞳に浮かぶ金の輪が神秘的な輝きを放つ。
『バー・ラグール』
瞼の裏にその文字が視えた。バー・ラグールは、専属の占い師にならないかと打診をしてくれた有名なバーだ。働き先として交渉しに行く場所は決まったが、バーの名前以外に視えたものがあった。
バーで働いているネラと、楽しそうに話している男性の人影。
(この人は……誰?)
未来のネラの客のようだが、彼の存在を認識した刹那、胸がきゅうと切なく締め付けられる。息が苦しくなるほどの強い痛みを宥めるように胸を押さえた。
未来を視る際には、時々、情報が肉体的な感覚を伴って伝わってくることがある。未来の勤め先になるであろうバー・ラグールで、何が待ち受けているのだろうか。しかし、男性の影がわずかに浮かび上がったきり、それ以上の情報は視えてこず、きょとんと小首を傾げるに終わった。
謎は謎のままに、ネラは外行きの服に着替え、杖を持って家を出たのだった。
◇◇◇
ネラが暮らしているのは、ラケシス王国の商都リデューエル。陸と海の交通の要衝となっている港の街だ。
バーの場所は、実家から徒歩三十分ほど。今までならなんてことない距離だったが、視力を失った今のネラにとっては途方もなく遠く感じた。
(前が見えなくて怖い……。ちゃんと歩道を歩けているのかしら)
まだ、杖を使って歩くことにも慣れていない。人が往来する気配と、車道を走る馬の蹄の音に意識を配りながら、ゆっくりゆっくりと石畳を歩いた。
いつ、どこにぶつかり、何につまずくかも分からず、不安でのそのそと歩いていたら、突然身体に衝撃が加わる。自分が人にぶつかったのだと理解したのは、地面に転がってからだった。
「きゃ――」
ばたんとその場に倒れ込んだネラに、男の叱責が降ってくる。
「邪魔だよ退きやがれ! んなのろのろ歩いてんじゃねぇよ!」
「……すみません」
「周りの迷惑も考えろ。ったく」
ぶつかった大柄な男が、杖を手探りで探すネラを見て煩わしそうに舌打ちした。そのまま男は立ち去り、ネラはひとり路上に取り残された。
周囲から、ひそひそと人の声がする。男の怒鳴り声を聞いて、なんの騒動かと推測しているのだろう。彼らは面白おかしく噂するだけで、気遣って声をかけてきたり、手助けしようとしてくることはなかった。
(杖はどこ……?)
石畳の上にぺたぺたと手を着いて、落とした杖を探す。でもなかなか見つからない。道端で四つん這いになっている自分の姿は、さぞかしみっともなく見えているだろう。
なんて、惨めで情けないのか。
目が見えていたら、落とした杖をすぐに拾い上げることもできたのに。道を歩いただけで、好奇の目に晒されることもなかったのに。
辛くて悔しくて、ぎゅっと拳を握り締めたそのとき――
「お嬢さん、大丈夫ですか? 杖はこちらです」
今度は爽やかな男の声が頭上から降ってきて、ネラは思わず顔を上げる。すると声の持ち主が杖を手に握らせてくれた。
その声を聞き、そして彼の手が自分の手に触れたとき、懐かしさと切なさが腹の底から湧き水のように込み上げてきて、なぜか泣きそうになった。
(え……どうして――)
不可解な感情の昂りを唇を引き結んで堪え、平然を装う。
「……ご親切にどうも」
「いえ。怪我はありませんか?」
「はい。平気です」
「差し支えなければ、どちらに行かれるのか、お聞きしても?」
「……『バー・ラグール』というお店ですけれど……」
「ありがとうございます。少しそこでお待ちいただけますか」
「は、はい」
男はネラを道の端に置いて離れていったようだった。待っていてと言われて大人しく頷いたはいいものの、彼は何をしにどこに行ったのだろうか。
もしかしたらただからかわれただけかもしれないし、再び戻ってくる保証はないのに、ネラは待った。初めて会った相手だが、なぜだか彼のことは信じていいような気がしたからだ。
すると、数分して戻ってきた彼はこう言った。
「場所を聞いてきました。よろしければ俺に案内させてください」
思わぬ提案にネラは目を瞬かせた。案内するためにわざわざ人に場所まで尋ねてきてくれたようだ。
「よろしいのですか? ご迷惑なのでは……」
「迷惑だなんてとんでもない。むしろ――俺がそうさせていただきたいんです」
彼はまるで、切実に願うようにそう口にした。
人にぶつかって怒鳴られたり、こそこそ噂されたり、嫌な思いを沢山して心細くなっていたネラは、申し訳ないと思いつつも好意に甘えることにした。
「では……お願いします。助かります」
男は「失礼します」と言って、ネラの左手を自分の腕にかけさせた。それから、半歩手前を歩いて誘導を始める。
「あと二歩先に段差があるので、注意してください」
「分かりました」
「――そこです。少し高さがあるので、ゆっくり」
段差の前で立ち止まり、ゆっくりと引き上げてくれた。段差を越えてから、また歩き出す。
彼は道中、ずっと親切だった。障害物があれば数歩前から予告し、上手くかわせるように立ち止まり、歩調もネラのペースに合わせてくれた。そして彼は、ネラのことをまるで壊れ物のようにきわめて慎重に扱った。
隣で歩いている間、彼の存在をありありと心に感じた。ふたりの間には、誘導に必要な最低限の会話しかない。それでも彼が近くにいることが心強く、ネラは不思議と安心していた。
彼に誘導されながら、二十分ほど時間をかけてようやく目的地に到着した。
「こちらの建物みたいですね」
看板には、『バー・ラグール』の文字。路地裏にひっそりと佇む煉瓦造りのモダンチックな二階建ての建物で、一階が店になっている。
「案内ありがとうございました。本当に助かりました」
「お構いなく。さ、中へどうぞ」
彼はそこではまだ帰らず、ドアを開いて中へと促してくれた。
「……ここまでで大丈夫ですので」
「心配なので、中まで案内させていただけませんか? ご迷惑でなければ」
なんて親切な人なんだろう。散々好奇の視線に晒されて落ち込んでいたが、彼の優しさに心がじんわりと温かくなった。
「ありがとうございます」
今日はずっと暗い顔ばかりしていたが、少しだけ元気を取り戻し、ネラはふっと微笑んだ。すると、そのネラの柔らかい表情を目の当たりにした男は、わずかに目を見開いて押し黙ってしまった。
黙りこくっている彼に、小首を傾げながら尋ねる。
「どうかなさいましたか?」
「すみません。とても綺麗な瞳で、つい見蕩れてしまいました。笑ったお顔もとても……素敵です」
「…………」
思いもよらない返事だった。この瞳が綺麗だなんて生まれて初めて言われた。不気味だと貶されることはあっても、褒めてもらうことはただの一度もなかったのに。
「そのようなこと、初めて言われました」
どきどきと心臓の鼓動が加速し、顔が熱くなる。世の中には物好きもいるのだと思いつつ、ネラは照れて赤くなった頬を隠すようにそっと俯いた。
カランカランとドアベルが鳴る。
店内から、女性に好まれそうなフローラルアロマの香りが漂ってきた。ホールで女の従業員が清掃をしている。
「突然お訪ねしてすみません。以前占い師の採用でお声がけいただいていた、ネラ・ボワサルと申します。こちらで働きたいのですが、店主様はいらっしゃいますか」
すると従業員は、ネラを上から下まで値踏みするように眺めてから、迷惑そうに言った。
「えーっと……目が不自由な方、ですか?」
「……はい」
「申し訳ないですけど、うちは障害者雇用はしていないので」
「そこをなんとかお願いできませんか?」
「規定ですので」
せっかくここまで来たのに門前払いを食ってしまい、がっくりと肩を落とす。
占い師としてなら働いていけると思ったが、考えが甘かったか。透視では確かに、この店で働いている未来を視たはずだったのだが――
「以前そちらからオファーがあったそうですから、一応店主にお伝えするだけでもお願いできませんか」
そう声を出したのは、案内をしてくれた男だった。きっぱり諦めて帰るつもりだったが、彼が代わりに説得してくれている。本当に親切な人だ。
「はっはい! 承知しました。では、そちらのお席におかけになってお待ちください。お飲み物もお持ちしますねっ!」
「お構いなく」
(え? さっきと態度が違うような……)
心なしか従業員の声が高くなった。ネラに対しては冷淡だったのに、彼に対しては対応が甘い。態度が変わった理由に見当がつかず、不思議に思って小首を傾げながら、席に腰を下ろした。
「色々としていただいて、申し訳ないです」
「いえいえ。とんでもない。あなたのお役に立てることが、俺にとっては何よりの喜び……ですので」
「……?」
噛み締めるようなその口ぶりは、初めて会った相手に対して大袈裟なものだった。まるで、生涯忠義を尽くすことを誓った騎士のような感じ。
まもなく、店主のメリアが奥から出てきて、面接もせずに即座に採用してくれることになった。しかも、この建物の二階の空き部屋を安く貸してくれるという。
あまりにとんとん拍子に事が運んで拍子抜けしてしまった。
「この店に来る客は、あんたに世話んなったのが多くてね」
「そうなんですか?」
「ああ。それで皆、口を揃えて一番当たる凄腕占い師は、子爵家のレディー、ネラ・ボワサル嬢だって言うのさ。あんたが来てくれんならうちは大歓迎だよ」
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