上 下
24 / 52

24

しおりを挟む


 ウェンディが本宮から帰って来ない。お茶会に出かけたのが昼を食べてすぐのこと。イーサンが原稿を出版社に届けて帰宅し、夜になっても彼女は離宮に戻らなかった。

(茶会がこんなに長引くのは――おかしい)

 イーサンはぎゅっと拳を握る。
 もしかしたらウェンディは、ルゼットにひどい目に遭わされているかもしれない。心配でいてもたってもいられなくなり、近衛騎士ルイノを伴って本宮へ向かった。

「最初から行かせるべきではなかったんだ。僕の失態だ。……ウェンディ先生に何かあったら僕は生きていけない……!」
「落ち着いてください、イーサン様。さすがに考えすぎでは。王妃様も王族に危害を加えることはないはずです」
「……長らく彼女に迫害されてきた僕にそれを聞くのか?」
「…………」

 廊下の途中で立ち止まり、ルイノを睨みつけると、彼は気まずそうに肩を竦めた。
 お茶会が開催されているサロンに向かっていると、第1王子エリファレットが立ちはだかった。彼はこちらを見下すように見つめながら言った。

「おいおい、神聖な王宮に汚いねずみが1匹入ってきたかと思えばお前か。イーサン。半分偽物の分際で、俺の居住する場所に足を踏み入れるとはどういう了見だ?」
「――そこを退いてください。兄上」

 こんな場所で足止めを食らっている暇はないのに。エリファレットは意地の悪い笑顔を浮かべながらこちらに近づいてきて、顎をしゃくりながら顔を覗き込む。

「今日は王妃様の茶会にお前の妃が招かれたらしいな。……それで気になってわざわざ来たという訳か。過保護な奴め」
「夜も遅いので彼女を迎えに行きます。そこを通していただけますか」
「断る」

 冷静に振舞ってはいるが、とことんイーサンの足を引っ張ろうとするエリファレットの態度に怒りが湧いてくる。しかし、それ以上にウェンディのことが気がかりでならない。彼はイーサンのそんな心の内を見透かした上で、なおも行く手を阻む。

「夜まで続くということはよほど盛会なのだろう。ご友人たちとの親交の場に水を差す不届き者には、罰を与えなければな」
「……罰、ですって?」
「ああ。これでもまだ王妃様の元に行こうと言うなら、この場でみっともなく跪き額を床に付けさせる」
「…………」

 イーサンは、なんのためらいもなく膝を床に着けた。軽い頭を下げるだけでここを通してくれるなら――安いものだ。イーサンは王族としてのプライドなど、はなから持ち合わせていない。

「お、おい……正気か? まさかそこまで恥がない奴とは……呆れるな」

 イーサンの行為にぎょっとするエリファレットと、それを止めようとするルイノ。イーサンが床に手を付ける寸前に、上から別の声が降ってきた。

「そこまでにしなさい。イーサン」
「……兄上」

 そこに立っていたのは、エリファレットの双子の弟である第2王子カーティスだった。艶のある長い銀髪をした、優しげな雰囲気の男。横暴で底意地の悪いエリファレットと違い、彼は優秀で慈悲深く、品行方正なため周りからの評価が高い。

「どんな侮辱を受けようと、お前は王族だ。王族としての矜恃を捨ててはならないよ。王族が簡単に頭を下げれば、王族の権威に傷がついてしまうからね」 
「はい。……申し訳ございません」

 カーティスに支えられながら立ち上がる。彼はイーサンに穏やかに微笑みかけ、そのままエリファレットのことを見据えた。優しげな笑顔に厳しさが乗る。鋭さを帯びた眼差しに射抜かれ、エリファレットはわずかにたじろぐ。

「恥知らずなのはあなたの方です。兄さん」
「なっ……!? お、俺は何も間違ったことはしていない。半分偽物の分際で身の程をわきまえないイーサンに教育しようとしただけだ……」
「……半分庶民の血が入っていても、国王陛下が王子として認めたんです。不満があっても我々はその意向に従うべきでしょう。兄さんがしているのは、国王陛下と国家への冒涜だ」
「そ……んな大袈裟な……」

 カーティスはこちらを振り返り、「ここは私に任せて、行くところがあるなら行きなさい」と目で合図した。心の中で礼を言い、その場を後にする。エリファレットが話はまだ終わっていないと引き留めようとするが、カーティスが邪魔をする。

「ええ。話はこれからですよ、兄さん。だいたいあなたはいつもいつも、どうして自分勝手な行動ばかり――」

 後ろでカーティスの説教が始まるのが聞こえた。彼は規律や礼儀に厳しく、エリファレットを唯一叱る人物だ。彼がいなければ、エリファレットはもっとろくでもない人間になっていたかもしれない。
 しかしカーティスもまた、態度には出さないがイーサンのことをよくは思っていない。

 足止めを食らってしまったが、ようやく王妃のサロンに到着した。扉の隙間から、サロンの中の明かりが漏れている。その隙間からそっと中を覗き見ると……。


「――騎士は女主人を抱き締めながら涙を流しました。『仕える身でありながら、このような気持ちを抱いてしまい申し訳ありません。あなたのことを、心からお慕い申しております。あなたのことを守って差し上げたいのです』――と。騎士は全て見抜いていました。女だからと軽視されないように、彼女があえて冷たく振る舞っていたこと。本当は繊細な心を持っていたことを……」


 ウェンディは貴婦人たちの前に立ち、身振り手振りで物語を語っていた。それを聞く女性たちは、真剣な表情で夢中になって聞いている。そして、王妃ルゼットも涙ぐみながらウェンディの話を傾聴しているではないか。

(ああ……本当にすごいよ。ウェンディ先生の物語は、どんな人の心にも届くんだね。さすがだ。僕は誇らしいよ)

 物語を語るウェンディの瞳は、きらきらと輝いている。イーサンが恋い焦がれ、眩しく感じてきたその表情だった。
 どうやら自分は余計な心配をしていたらしい。彼女の物語りを邪魔しないように、そっとイーサンは扉を閉めた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

嫌われ者の側妃はのんびり暮らしたい

風見ゆうみ
恋愛
「オレのタイプじゃないんだよ。地味過ぎて顔も見たくない。だから、お前は側妃だ」 顔だけは良い皇帝陛下は、自らが正妃にしたいと希望した私を側妃にして別宮に送り、正妃は私の妹にすると言う。 裏表のあるの妹のお世話はもううんざり! 側妃は私以外にもいるし、面倒なことは任せて、私はのんびり自由に暮らすわ! そう思っていたのに、別宮には皇帝陛下の腹違いの弟や、他の側妃とのトラブルはあるし、それだけでなく皇帝陛下は私を妹の毒見役に指定してきて―― それって側妃がやることじゃないでしょう!? ※のんびり暮らしたかった側妃がなんだかんだあって、のんびりできなかったけれど幸せにはなるお話です。

【完】あの、……どなたでしょうか?

桐生桜月姫
恋愛
「キャサリン・ルーラー  爵位を傘に取る卑しい女め、今この時を以て貴様との婚約を破棄する。」 見た目だけは、麗しの王太子殿下から出た言葉に、婚約破棄を突きつけられた美しい女性は……… 「あの、……どなたのことでしょうか?」 まさかの意味不明発言!! 今ここに幕開ける、波瀾万丈の間違い婚約破棄ラブコメ!! 結末やいかに!! ******************* 執筆終了済みです。

【完結】皇太子の愛人が懐妊した事を、お妃様は結婚式の一週間後に知りました。皇太子様はお妃様を愛するつもりは無いようです。

五月ふう
恋愛
 リックストン国皇太子ポール・リックストンの部屋。 「マティア。僕は一生、君を愛するつもりはない。」  今日は結婚式前夜。婚約者のポールの声が部屋に響き渡る。 「そう……。」  マティアは小さく笑みを浮かべ、ゆっくりとソファーに身を預けた。    明日、ポールの花嫁になるはずの彼女の名前はマティア・ドントール。ドントール国第一王女。21歳。  リッカルド国とドントール国の和平のために、マティアはこの国に嫁いできた。ポールとの結婚は政略的なもの。彼らの意志は一切介入していない。 「どんなことがあっても、僕は君を王妃とは認めない。」  ポールはマティアを憎しみを込めた目でマティアを見つめる。美しい黒髪に青い瞳。ドントール国の宝石と評されるマティア。 「私が……ずっと貴方を好きだったと知っても、妻として認めてくれないの……?」 「ちっ……」  ポールは顔をしかめて舌打ちをした。   「……だからどうした。幼いころのくだらない感情に……今更意味はない。」  ポールは険しい顔でマティアを睨みつける。銀色の髪に赤い瞳のポール。マティアにとってポールは大切な初恋の相手。 だが、ポールにはマティアを愛することはできない理由があった。 二人の結婚式が行われた一週間後、マティアは衝撃の事実を知ることになる。 「サラが懐妊したですって‥‥‥!?」

妹がいなくなった

アズやっこ
恋愛
妹が突然家から居なくなった。 メイドが慌ててバタバタと騒いでいる。 お父様とお母様の泣き声が聞こえる。 「うるさくて寝ていられないわ」 妹は我が家の宝。 お父様とお母様は妹しか見えない。ドレスも宝石も妹にだけ買い与える。 妹を探しに出掛けたけど…。見つかるかしら?

初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と叫んだら長年の婚約者だった新妻に「気持ち悪い」と言われた上に父にも予想外の事を言われた男とその浮気女の話

ラララキヲ
恋愛
 長年の婚約者を欺いて平民女と浮気していた侯爵家長男。3年後の白い結婚での離婚を浮気女に約束して、新妻の寝室へと向かう。  初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と愛する夫から宣言された無様な女を嘲笑う為だけに。  しかし寝室に居た妻は……  希望通りの白い結婚と愛人との未来輝く生活の筈が……全てを周りに知られていた上に自分の父親である侯爵家当主から言われた言葉は──  一人の女性を蹴落として掴んだ彼らの未来は……── <【ざまぁ編】【イリーナ編】【コザック第二の人生編(ザマァ有)】となりました> ◇テンプレ浮気クソ男女。 ◇軽い触れ合い表現があるのでR15に ◇ふんわり世界観。ゆるふわ設定。 ◇ご都合展開。矛盾は察して下さい… ◇なろうにも上げてます。 ※HOTランキング入り(1位)!?[恋愛::3位]ありがとうございます!恐縮です!期待に添えればよいのですがッ!!(;><)

完結 そんなにその方が大切ならば身を引きます、さようなら。

音爽(ネソウ)
恋愛
相思相愛で結ばれたクリステルとジョルジュ。 だが、新婚初夜は泥酔してお預けに、その後も余所余所しい態度で一向に寝室に現れない。不審に思った彼女は眠れない日々を送る。 そして、ある晩に玄関ドアが開く音に気が付いた。使われていない離れに彼は通っていたのだ。 そこには匿われていた美少年が棲んでいて……

忘れられた妻

毛蟹葵葉
恋愛
結婚初夜、チネロは夫になったセインに抱かれることはなかった。 セインは彼女に積もり積もった怒りをぶつけた。 「浅ましいお前の母のわがままで、私は愛する者を伴侶にできなかった。それを止めなかったお前は罪人だ。顔を見るだけで吐き気がする」 セインは婚約者だった時とは別人のような冷たい目で、チネロを睨みつけて吐き捨てた。 「3年間、白い結婚が認められたらお前を自由にしてやる。私の妻になったのだから飢えない程度には生活の面倒は見てやるが、それ以上は求めるな」 セインはそれだけ言い残してチネロの前からいなくなった。 そして、チネロは、誰もいない別邸へと連れて行かれた。 三人称の練習で書いています。違和感があるかもしれません

婚約破棄が成立したので遠慮はやめます

カレイ
恋愛
 婚約破棄を喰らった侯爵令嬢が、それを逆手に遠慮をやめ、思ったことをそのまま口に出していく話。

処理中です...