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 王宮の敷地内の端にぽつんと佇む離宮。

 イーサンとウェンディのサインが記入された契約書を見て、近衛騎士のルイノがはぁとため息を漏らした。

「契約結婚とは……。なぜこのような回りくどい真似をなさったのか理解に苦しみます、殿下」
「そう言うな。これで頑張った方なんだ」
「素直に『デビュー作からあなたの大ファンです。サイン会でひと目惚れしてからずっとお慕いしています結婚してください』とでも言えばよかったのでは」
「……言える訳ないでしょ。恋情を抱いていたファンだったなんて知られたら……気持ちが悪いと引かれる」

 執務室の机の前に座るイーサンは、頬杖を着く手で赤らんだ頬を隠し、目を逸らした。
 ルイノは呆れたように「面倒くさいお方だ」と呟く。

 彼の言う通り、イーサンは作家ウェンディ・エイミスのファンであると同時に、恋愛感情を抱いている。新しい本が刊行される度に、保存用、読む用、布教用に複数冊購入し、朗読会やサイン会、販売会に足繁く通っていた。今でこそ売れっ子作家だが、イーサンは彼女の下積み時代からの古いファンだ。
 誰も人が来なかった彼女の初めてのサイン会で本の感想を伝えたとき、嬉しそうな眩しい笑顔を向けてくれた彼女に、簡単に胸を射抜かれたのだった。

 正体を隠すためにローブを着てマスクで口元を隠し、いかにも不審者のような風貌だったのにも関わらず、ウェンディはいつも気さくに話しかけてくれた。

 執務室の本棚には、ウェンディが過去に出版した本がずらりと収まっている。

「彼女と結婚なさった本当の理由は――ご自分が盾となり、エリファレット第1王子殿下から彼女をお守りするつもりなのでしょう?」
「兄上の妻より、僕の妻になる方がいくらかマシだろう」
「それはどうでしょう」
「おい」

 エリファレットはこの国の第1王子で、イーサンの異母兄に当たる。しかし彼は数年前にある事件を起こしており、国王の判断の元王位継承権1位から2位に下げられることなった。国王は第2王子の方を次の王に据えるつもりでいるが、エリファレットは納得していない。なお、これはまだ公にはなっていない事実だ。

 そこでエリファレットは――ウェンディに目をつけた。彼女に自分を褒め称える小説を書かせて、民衆の求心力を上げ、王位継承権を国王に認めさせようという魂胆だった。
 ウェンディは今国で1番人気と言っても過言ではない作家。彼女が本を書くと、たちまち社会現象のように女性たちは熱中する。その影響力は絶大だった。

 ウェンディが公開婚約破棄されるように根回ししたのもエリファレットだった。そして、彼が馬鹿げた結婚を実行しようとしていると知ったイーサンは、彼より先にウェンディと婚姻を結ぶ必要があった。
 それで、風評被害に遭ったというデタラメな理由で脅迫し、無理やり婚姻を結んだのである。

「ことが収まるまで――僕が隠れ蓑になる。それしかウェンディ先生を守る方法が思いつかない」

 賜姓降下前に妻を娶るのが王家の習わしだというのも、ウェンディの作品のせいで縁談の話がなくなったというのも全部嘘だ。

(……我ながら最低だ。沢山の嘘を彼女について、騙してしまった)

 婚外子として軽視されるイーサンに、嫁ぎたいという令嬢ははなからいなかった。加えて、イーサンは王家の意向で一生離宮の外に出ることはできない。

「本当の理由をひた隠しにしたままですか?」
「たとえ僕が恨まれることになったとしても、ウェンディ先生には身内のせいで苦しんでほしくないんだ」
「ラティーシナ元第1王子妃のように、ですね」
「……ああ。兄上たちは取り返しのつかない罪を犯したよ」

 エリファレットが起こしたある事件について。彼には妃がいた。しかし彼女は数年前に他界している。世間では病死となっているが、実際は心を病んで自刃した。その原因は――エリファレットだった。

 エリファレットは利己的で冷酷、危険な人間だ。
 元妃を死ぬまで追い込んでおいて性懲りもなく、ウェンディを妻にして軟禁し、無理やり小説を書かせるつもりだった。
 それは何としても防がなくては。彼女にはいつも笑っていてほしいし、伸び伸びと好きな物語を紡いでいてほしいから。

「エリファレット殿下は、計画を邪魔されて相当お怒りになるでしょう。報復を受けることになるかもしれません」
「分かってる」
「それも覚悟の上――ですか」
「……彼女に何かあれば僕は生きていけない」

 ルイノは呆れたようにはぁと息を吐いた。

「そこまで愛していらっしゃったなら尚更、やり方がひどすぎます。仮にも好きなお相手に大逆罪を突きつけるなんて。きっと心に大きな傷を負われたでしょう」
「……嫌われたかな?」
「十中八九」

 机に項垂れるイーサン。
 正式な手順を踏んでいる時間的余裕はなかったし、求婚を絶対に受け入れさせなければならなかった。
 エリファレットと結婚させられるのを防ぐためには、同等の地位である別の王子と籍を入れるのが手っ取り早い唯一の方法だった。

 第1王子があなたの小説を政治利用しようとしているから結婚しようと正直に言っていて、彼女は素直に信じて快く首を縦に振っただろうか。
 考えさせてほしいと言われ、猶予を与えればエリファレットに先を越される。だから、あんな方法しか思いつかなかった。

「まだ遅くはありません。正直に打ち明けるべきです。ウェンディ嬢を政治利用しようとした兄から守るためにいたし方なかったと」
「そうしたら、ファンだったことも好意を寄せていたことも話さなければならなくなる。無理だ」
「全く、強情な方だ。つまらない意地を張ったところで、いずれバレると思いますけどね。振られるのがそんなに怖いですか」
「…………」

 イーサンは正体と恋心を隠して、ウェンディの1番のファンとして交流してきた。隠してきたことが全て知られて、ファンと作家としての関係が崩れてほしくない。夫としてのイーサンを嫌いになっても、ファンだった自分は否定されたくない。

(怖いさ。彼女に失望されるのが)

 だが、夫になった以上、今までのように正体を隠してウェンディのイベントに参加するような軽率な真似はできなくなる。もうすでに、イーサンは今までのようなファンではいられなくなってしまった。

 それにしても、あの求婚がひどいものだった自覚はある。しかし、過ぎたことを悔やんでも仕方がない。少しずつ名誉を挽回できるように努力してみるしかないだろう。

「お前に僕の気持ちを分かれとは言わないよ。それより、ウェンディ先生は何をしたら喜ぶと思う? 僕は女性には疎い。お前なら何か分かるか?」
「さぁ……。それは――熱心なファンだったあなたが1番よくお分かりなのでは。ちなみに、いつまでウェンディ先生呼びなさるおつもりで? ファン丸出しですよ」
「あ」

 さっと口を手で押さえる。
 そういえば、ウェンディに求婚したときからつい癖で『先生』と呼んでいたことを思い出す。彼女にファンだと勘づかれないないように気をつけなくては。イーサンは顎に手を当て思案した。

「ウェンディって呼ぶのはいくらなんでもおこがましすぎるよな」
「…………どうでもいいですし勝手にしてください」

 ぽっと赤らんだ頬で小声で呟くと、ルイノは呆れたように眉をしかめた。
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