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しおりを挟む懲罰房に着いたペリューシアは、セドリックとネロの会話の一部始終を聞いてしまった。
『いいや。好きでもない女からの好意なんて、気持ち悪いだけだったよ。ペリューシアはなんの取り柄もなく、容姿もぱっとしない。作ってくる菓子はいつも不味かった。ペリューシアのことを好きになるような男はいないだろうね』
そこで初めて、セドリックの赤裸々な本心を知ってしまった。だが、ひどい人だと思ったものの、驚きはしなかった。自分が愛されていないことも、利用されているということも、軽く見られていることも知っていたことだ。
ずきずきと鈍く痛む胸を抑えながら自分を宥める。
(もうとっくに気づいていたことじゃない。傷ついている暇なんてない。今は、ネロを助けなくては)
この危機を脱するための方法に思案を巡らせる。
ネロはセドリックに尋問されて、体中傷だらけだった。あまりに痛々しい様子で、もっと早く助けに来ていればという自責の念に項垂れる。
ペリューシアはネロのことを庇うようにして抱き、セドリックに言う。
「この人のことは傷つけないで。彼はわたくしの、その……『男娼』ですの! 彼を寝室に招いたのは、他でもないわたくしですわ」
「「男娼」」
セドリックだけではなく、ネロもぎょっとした様子で復唱する。
先ほどの会話から分かったことだが、セドリックは入れ替え天秤が使用されたことを知っており、ペリューシアの中にロレッタがいると思い込んでいる。これをうまく利用すれば、ネロを解放できるかもしれない。
「この少年は僕たちの秘密を知っている。こんな怪しい友達なら、ただで返すわけにはいかない」
「殺すおつもりなの……?」
「場合によっては」
セドリックの口元に氷のような笑顔が掠め、背筋がぞわぞわと粟立つ。
(セドリック様が、こんなにも冷酷な方だったなんて……。『僕たちの秘密』ってつまり、入れ替え天秤と惚れ香水のことよね)
ペリューシアは先ほど、セドリックが古代魔道具を使ってペリューシアの心を操っていたことも盗み聞きした。
(わたくしの恋は最初から何もかも――偽物だった)
正直まだ、気持ちが追いついていかない。セドリックに恋い焦がれ、愛のない結婚を受け入れてまで彼の希望を叶えようとしたのは、魔術の力によるものだったのだ。これまでの時間の全てを否定されたような感じ。
唇をきゅっと引き結び、ざわつく心はどうにか落ち着かせ、まずは説得を試みる。
「大丈夫ですわ。秘密は決して外に漏らさないよう……わたくしが口止めしておきますから。ですからこの辺りで、ご容赦いただけませんか」
「君も、知っていたのかい? 僕も古代魔道具を使っていたこと」
「え、ええ」
知ったのはついさっきだが、話を合わせておくことにし、わずかに目をさまよわせながら頷いた。すると彼は、はぁと大きくため息を漏らす。
「……次期公爵夫人として、軽率な行動を控えろと何度言ったら分かるんだい? ……今回の件、誕生日パーティーが終わったらじっくり話し合わせてもらうからね」
「分かりましたわ」
セドリックの敵意や怒りが収まったように感じて、ペリューシアはほっと安堵する。ペリューシアはネロの後ろに回ってしゃがみ込み、彼の手首を縛る縄を解きかけた。
しかしそのとき、ペリューシアの首に冷たいものが触れ、地を這うような低い囁きが、耳に直接注がれる。
「――そうはさせないわよ」
「!」
聞き馴染みのあるその声は、姉のロレッタだった。そして、彼女は背後に立ち、ペリューシアの首に短剣の刃を添えていた。
「……っ」
首筋に触れる金属の冷たさに、ペリューシアは息を詰める。ロレッタがこのまま力を入れて刃を後ろに引いたのなら、ペリューシアの血がほとばしることになるだろう。
異変に気づいて振り向いたネロは、刃を突きつけられたペリューシアを見て、真っ青になりながらロレッタに訴える。
「やめろ! そいつに手を出すな!」
ロレッタに後ろから拘束されたまま、ゆっくりと後退させられる。ペリューシアは彼女のことを興奮させないように、されるがままでいるしかなかった。
そして、その様子を見たセドリックが困惑している。
「どうして君がここに……。これは一体、どういうことだ?」
「分からない!? 入れ替わりが戻ったのよ! たった今、あなたが話していたのは、正真正銘のペリューシアなの……っ! この子の嘘に騙されるなんて、あなたも落ちたものね」
「……!」
「古代魔道具を管理していた男が言っていたわ。王家は赤い目をした人間に、紛失した魔道具の回収をさせてるって。その青年があたしの寝室から魔道具を盗み出して、魔術を解いたに違いないわ。どこにあるの!? 答えなさい!」
ロレッタの叱責は、ネロに向かう。しかし彼は、入れ替え天秤の在り処を知らないため、怒号をただ受け止め沈黙している。
彼の代わりに、ペリューシアがロレッタの腕の中で答えた。
「この屋敷にはもう……ないわ。入れ替え天秤は、国王陛下に返還されるのよ」
「なんてこと……。よくも、余計なことをしてくれたわね……っ!」
ロレッタの金切り声が鼓膜を震わす。彼女の持っている短剣の刃先が肌を撫で、わずかに血が流れる。仮にも血の繋がった妹に刃物を向けるなんて、正気ではない。
動揺するロレッタに対して、セドリックが冷静に諭す。
「落ち着くんだ、お義姉さん。僕に少し……考えがある」
「考え?」
「うん。だからまずは、ペリューシアを解放するんだ」
ロレッタは彼の指示に従い、ペリューシアを突き飛ばした。ペリューシアは床に倒れるとき、咄嗟にお腹を庇った。ここに、セドリックとの子が宿っているから。
(赤ちゃんは……無事?)
お腹に手を当てる仕草を見て、セドリックがわずかに眉を持ち上げる。
「本当に……元に戻ったんだね。お腹を守ったところで無意味だよ。そこに君の子どもはいない」
「え……」
「――流産したんだよ」
彼にそう告げられ、雷に打たれたような衝撃を受けた。ネロは同情したように眉をひそめ、ロレッタはなぜか愉快そうに微笑んでいる。
(そんな……)
ペリューシアの頬に涙が伝う。授かった命が失われたことにショックを受け、胸を痛めていると、セドリックが懐から金属の細工が施されたガラス瓶を取り出した。
それを見たネロが、血相変えて掠れた声で叫ぶ。
「だめだペテュ、逃げろ……!」
そのときシュッという音がして瓶の中から液体が噴射され、ペリューシアの頭上に降り注ぐ。一度だけでなく何度も何度も噴射され、甘ったるいジャスミンのような香りが鼻を染めたと同時に、目眩に襲われた。
(心を支配する――古代魔道具……)
セドリックの手に握られた瓶をぼんやりと眺めながら、これが先ほど話に挙がっていた惚れ香水なのだと理解する。液体を浴びせた相手を無条件で惚れさせるという、恐ろしい効果があるもの。
徐々にペリューシアの頭の中が、セドリックへの愛情一色で塗り潰されていく。
この人のことしか考えられない。この人が愛おしくて、愛おしくてたまらない。
恍惚とした表情で彼を見上げていると、彼はこちらにずいと近づき、小さな顎をすくう。そして、親指の腹でペリューシアの唇をゆっくりと撫でる。セドリックに触れられている場所が熱くて、ペリューシアの心をどこまでも高揚させた。
もっと触れていてほしい。もっと、もっと……と欲望が次から次へと溢れ出していく。
「セドリック……様、好き……」
「ああ、そうだね。君は僕のことが愛おしくて仕方がないんだよね」
「はい……大好きです。大好き……っ」
瞳を濡らしながら、こくこくと頷くペリューシア。魔道具の作用によって、ペリューシアの心は――完全に掌握されていた。
セドリックはふいに、ロレッタから短剣を取り上げ、ペリューシアに握らせる。
「これは……?」
「いいかい? ペリューシア。僕を心から愛しているのなら、この短剣で――あの青年を殺すんだ。それができたら、君のことをたっぷり愛してあげる」
それは、どんなお菓子よりも甘い誘惑だった。ペリューシアはおぼつかない思考のまま、うっとりとセドリックのことを見つめた。
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